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太陽王と終焉の月  作者: 帰り花
第一章 太陽の檻
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光の王子

 アルベルトという男は、最初から“光”だった。

 そういう種類の人間がいる。

 努力で得たものではない。奪って得たものでもない。誰かを踏みつけて勝ち取ったものでもない。

 ただ、与えられている。

 抱かれ、名を呼ばれ、肯かれ、守られて育った者だけが持つ、揺るがない芯。

 彼の緑の瞳には、疑いがなかった。

 世界は恐ろしい、という前提がない。

 だからこそ、彼は恐ろしかった。

 ソルにとって。


 ソルが初めてアルベルトを“敵”として認識したのは、中庭で見た微笑みの温度だった。

 ルナが、ほんの少しだけ“人間”に戻る瞬間。

 その瞬間のために、ソルは神殿を彷徨っていたのだと、気づいてしまった。

 自分が欲しかったのは癒しではない。

 慈悲でもない。

 ただ、あの温度だ。

 “特別”に向けられる目。

 誰にでも向けられる優しさではなく、たった一人だけに向けられる柔らかさ。

 そしてそれが、アルベルトに向いている。

 それだけで、決着がついてしまう。


 だが、ルナがなぜアルベルトにだけ心をほどくのか。

 その理由を、ソルは知らなかった。

 知らないから、余計に苛立つ。

 知らないものは、奪えない。

 奪うにはまず、形を知る必要がある。

 だからソルは、見た。

 覗いた。

 追った。

 子供には残酷なまでの集中力で。


 ルナは大神殿の中でも、最奥に近い礼拝堂へ向かうことがある。

 一般の信徒が入れない場所。

 王族すら簡単には近づけない場所。

 そこへアルベルトが入っていくのを、ソルは影から見た。

 緑の瞳の王子は、警護も連れず、自然に扉を開く。

 そして、当たり前のように中へ消える。

 ソルは数拍遅れて、その扉の前に立った。

 耳を澄ます。

 石の壁は厚い。だが声は漏れる。

 ほんのわずか。

 それだけで、十分だった。


「……久しぶりですね」

 ルナの声。

 祈りの声ではない。

 “生活”の声。

「お前こそ」

 アルベルトの声。

 笑っている。

「忙しいのは分かっているが、顔を見ないと落ち着かない」

「王子がそんなことを言ってはいけません」

「王子だから言う」

 軽い言い合い。

 それが許される距離。

 ソルの胸が静かに焼ける。

 炎は音を立てない。

 だが確かに、内側で燃える。


 ルナが答えた。

「……怪我は、もう大丈夫ですか」

 怪我?

 ソルの意識が鋭くなる。

「お前が治しただろう」

 アルベルトが言う。

「まだ痛むのではないですか」

「心配性だな」

「あなたが無茶をするからです」

 沈黙のあと、小さな笑い声。

 ルナが笑っている。

 その笑い声は、ソルが知らない音だった。

 冷たい石の上に落ちる、柔らかな音。

 それが胸を刺す。

(俺の前では笑わない)

 理由は分かる。

 自分は“脅威”だからだ。

 人質。

 敵国の王子。

 炎の色の瞳。

 笑う対象ではない。


 ソルは、さらに耳を澄ました。


「……あの日を覚えていますか」

 ルナが言う。

「覚えている」

「雨が降っていました」

「血も降っていた」

 アルベルトが静かに言う。

「……十三だった」

 その言葉で、ソルは身じろぐ。

 十三。

 自分が、ルナに触れられた年齢。


 ルナは続ける。

「あなたは城壁の外で怪我をしていました」

「護衛も連れずにな」

「あなたはいつも……」

 呆れたような、しかし優しい声。

 アルベルトが笑う。

「お前がいたから助かった」

「……たまたま通りかかっただけです」

「たまたま、か」

 低い声。

 少しだけ真剣になる。

「俺は運命だと思っている」

 沈黙。

 ルナの息が、わずかに止まる。

 その気配だけで、ソルには分かってしまう。

 この二人の間には、言葉より深いものがある。


 その夜の話が、断片的に語られる。

 雨の中で倒れていた王子。

 血に濡れた髪。

 震える指。

 それに触れた銀髪の神官。

 光。

 癒し。

 そして――

 “生きていてよかった”という声。

 アルベルトが言ったのか。

 ルナが言ったのか。

 どちらでもいい。

 重要なのは、その言葉が交わされたということだ。

 それは誓いになる。

 人は、命を救われた相手に、簡単には背を向けられない。

 ソルはそれを知っている。

 ヴァルディアの王城では、命を救うことは“借り”を作ることだった。

 借りは鎖だ。

 ――だからこそ、ソルは理解してしまう。

 ルナにとってアルベルトは、鎖ではない。

 鎖ではなく、“絆”だ。

 縛るためにつけられるものではなく、選び取ったものだ。


 扉の向こうで、アルベルトの声が落ちる。

「……俺の誓いは変わらない」

 ルナは困ったように笑う。

「あなたは老います」

「それでもいい」

 一瞬の沈黙。

 アルベルトの声が、静かに礼拝堂に響く。

「……俺の最期まで、お前の隣にいる」

 その言葉。

 その温度。

 その一言が、ソルの中で何かを確定させた。

 もう駄目だ。

 このままでは、自分は永遠に外側だ。

 外側のまま、透明のまま、余りもののまま。


 ソルはゆっくりと一歩下がる。

 足音を立てない。

 怒りを表に出さない。

 代わりに、胸の奥で言葉を反芻する。

 お前の隣にいる。

 隣に。

 隣に。

(なら)

(奪えばいい)

 思考が冷たくまとまる。

 炎の形が変わる。

 ただ燃えるのではない。

 焼き固める。

 金属のように。


 回廊に戻ると、風が吹いた。

 遠くで鐘が鳴る。

 世界は平和な音を立てている。

 だがソルの中では、すでに戦が始まっていた。

 目の前にあるのは二つの道だけだ。

 選ばれないまま、生きるか。

 奪って、生きるか。

 ソルは迷わない。

 迷うという贅沢を持たない。

 選ばれない者の道は一つしかない。

 奪う。

 奪って、縛って、確かめる。

 そしていつか、あの温度を――自分のものにする。


 中庭へ出る。

 月が出ている。

 白い月。

 ルナの名と同じ。

 ソルは月を見上げ、静かに呟いた。

「……俺の月だ」

 誰も聞いていない。

 だが世界に、その言葉は刻まれた。

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