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太陽王と終焉の月  作者: 帰り花
第一章 太陽の檻
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選ばれない王子

 ソルが最初に覚えたのは、名ではない。

 沈黙だった。

 ヴァルディア帝国の王城は、音が死んでいる。

 笑い声は響かず、祝福は交わされず、廊下に落ちるのは靴音と鎧の擦れる音だけ。石造りの回廊は昼でも暗く、燭台の火はいつも弱く揺れている。まるで城そのものが息を潜め、何かを待っているかのようだった。

 この城では、生まれた順番がすべてだった。

 第一王子は王の影。

 第二王子は王の剣。

 第三王子は王の舌。

 では、それより下は?

 ――数だ。

 役割ではなく、数。

 七番目の王子であるソルは、役目を与えられる前から数に分類されていた。


 幼い頃、庭園で一人座っていたときのことを覚えている。

 兄たちが通り過ぎた。

 足元の花びらを踏みながら。

 誰もこちらを見なかった。

 ただ一人が言った。

「誰だ、あれ」

 別の声が答えた。

「第七だ」

 沈黙。

 そして。

「まだいたのか」

 それだけだった。

 そのとき、ソルは初めて理解した。

 自分は存在していないのだと。

 目に映っていても、認識されていない。声が届いていても、意味を持たない。そこにいるのに、数えられていない。

 ――余りもの。

 その言葉を知るより先に、その意味だけを理解した。


 母だけが、彼を名で呼んだ。

「ソル」

 その声には温度があった。

 王城に似つかわしくない、柔らかな温度。

 母の部屋はいつも薄暗く、香草の匂いがしていた。窓は閉じられ、外気は入らない。咳の音が絶えず、侍女たちは静かに歩く。

 母は弱っていた。

 だが、その手だけは温かかった。

「母上」

 ソルはある日、問いかけた。

「ぼくは王子?」

 母は微笑んだ。

「ええ。太陽の子よ」

「太陽って、強い?」

 母は答えた。

 少しだけ間を置いて。

「……強いわ」

 その沈黙の長さを、ソルは覚えている。


 魔力が目覚めたのは、五歳の冬だった。

 母の咳が止まらない夜だった。

 雪が降り、部屋は冷え、侍女たちが慌ただしく走り回る。ソルは何もできず、布団の隅で拳を握っていた。

(苦しそうだ)

 助けたい。

 ぼくが、温めたい。

 そう思った瞬間、胸の奥が熱を帯びた。

 指先が赤く光る。

 炎が灯る。

 掌から。

 生まれた。

 侍女が悲鳴を上げた。

 だが母は笑った。

「ソル……太陽ね」

 その言葉は祝福だった。

 初めて、価値を与えられた瞬間だった。

 だが翌日、兄たちは違う顔をした。

「炎だと?」

「使えるな」

「戦で役に立つ」

 誉め言葉ではなかった。

 評価だった。


 六歳になると教育が始まった。

 剣術、戦術、礼法、統治学。

 そして――

 恐れ方。

 ヴァルディアの王子は、恐れないために恐れを学ぶ。

 倒れれば殴られる。泣けば殴られる。声を上げればさらに殴られる。泣くことは弱さであり、弱さは罪だった。

 ある日、訓練で転び、膝を擦りむいた。

 痛みで涙が滲む。

 教育係が言った。

「泣くな、第七」

 冷たい声だった。

「お前の涙は誰も拾わん」

 その言葉は刃より深く刺さった。

 拾われない涙なら、流す意味がない。

 ソルは笑った。

 血の味が口に広がっても、笑った。

 それを見て教育係は頷いた。

「そうだ。笑え。笑えば弱さは見えない」

 その日、ソルは覚えた。

 弱さは隠すものだ。

 望みは隠すものだ。

 愛は――

 持ってはいけないものだ。


 七歳の春。

 柱の影で、兄たちの会話を聞いた。

「和平条件に人質が必要らしい」

「誰を出す?」

「第七でいいだろう」

「余ってるしな」

 その瞬間、胸が静かに裂けた。

 声は出なかった。

 泣かなかった。

 動かなかった。

 ただ理解した。

 ああ、自分は――

 差し出しても惜しくないものなのだ。


 その夜、母に聞いた。

「ぼく、いらないの?」

 母は目を開いた。

 涙が浮かんだ。

「……違う」

 否定はした。

 だが。

「必要よ」とは言えなかった。

 その言葉を。

 言えなかった。

 それが答えだった。

 ソルは微笑んだ。

「大丈夫」

 嘘だった。

 だが、嘘でなければ生きられなかった。


 十歳の冬。

 母は死んだ。

 葬儀は静かだった。

 王城は忙しい。死は日常だ。側室の死など、戦報の合間に処理される。

 棺が運ばれる。

 ソルは泣かなかった。

 泣けば弱い。

 弱ければ捨てられる。

 ただ木目を見ていた。

 瞬きもせず。

 その時、兄たちの声が背後で響いた。

「これで決まりだな」

「人質は第七だ」

「母もいない」

 胸の奥が空洞になる。

 怒りではない。

 悲しみでもない。

 空洞。

 それが彼の核になった。


 出立の日。

 誰も見送りに来なかった。

 門が開く。

 馬車が待っている。

 御者が言う。

「乗れ」

 ソルは振り返らなかった。

 振り返っても、誰もいないからだ。

 拳を握る。

 心の中で呟く。

(戻る)

(必ず)

(王として)

 それは復讐ではない。

 証明だ。

 ――自分は余りものではない、と。

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