昨日のこと
朝の光の中、昨夜泊まったホテルのベッドの上で、見知らぬ天井を見上げている。田中さくらは昨日のことを思い出していた。
ー 梅田高校は昼休み ー
一年A組の教室でお弁当を一緒に食べながら、田中さくらは、幼馴染の早瀬ミチコに説教をされている。
「一緒に剣道部に入ってあげて、告白のチャンスまで作ってあげたのに。何で告白しなかったのよ」
「だって...」
「相手は三年生なんだから、クラブの帰りしかチャンスはないって言ったわよね。せっかく先輩を引き止めて一人にしたのに」
「でもね、ミチコも知ってるように、ちっちゃい頃から、剣術の修行だけをさせられたのよ。男子に興味を持つ時間もなかったんだから、急に告白なんて無理よ」
ミチコは呆れたように、
「さくらの恋愛観は、中学一年生ぐらいなのよね。高校生の中じゃ珍獣並みよ」
「珍獣!ひどすぎる。」
「そうよ。あんたね、雑誌の恋愛特集読んで、米倉先輩との想像恋愛したって、しかたがないでしょ。妄想グセがついて気持ち悪いだけよ」
「もっと、ひどすぎる!」
教室の扉を開く音が耳に入った。
「田中。ちょっといいか」
振り向くと、そこに三年生の剣道部員米倉先輩が立っていた。
慌てて立ち上がり返事をした。
「は、はい!米倉先輩!」
驚いて声が裏返ってしまった。
恥ずかしさで、耳まで熱くなってる。
米倉先輩の顔を見ると、妄想グセがまた始まってしまった。
《米倉先輩があたしに顔を近づけ、『さくら、放課後、二人で帰らないか』って誘われたらどうしよう》
慌てて首を振った。
ダメダメ。また変な想像してる。先輩がそんなこと言うわけない。
肩までは届かない髪を撫でながら、次の言葉を待った。
「早瀬が言ってたんだけど、田中ん家って剣術家の家系なんだって。室町時代から伝わる凄い日本刀があるって聞いたんだけど」
隣にいる早瀬ミチコを睨みつけ、彼女にだけ聞こえる声で、
「なんで刀の話を先輩にしたのよ」
「だって、ずっとデートしたいって言ってたでしょ」
「あんたに相談しなきゃ良かった」
入学してすぐのこと、幼なじみのミチコに恋愛相談してしまったのだ。
「あのさくらが、男子に惚れるなんてねぇ」
ミチコは面白そうに身を乗り出してきた。
「誰?誰なの?」
「べ、別に誰でもないわよ!」
「知ってるわよ。毎朝、廊下の同じ場所で立ち止まって、ボーっと見てること」
ミチコの顔が輝いた。
「剣道部の米倉先輩でしょ?」
「な、なんで分かったの!」
「優しそうだし、かっこいいものね。さくらが先輩と付き合えるように、一緒に剣道部に入ってあげる。私に任せといて」
早瀬ミチコは、人差し指を振りながら、
「ただし、今のあんたじゃ無理ね。先輩と付き合いたかったら、その勝ち気な性格を直しなさい」
「性格なんてすぐに直らないわよ。それに誰かが言ってたわ、世界に男は三十二億人いるって。あたしだって...」
右手のひらを前に出した早瀬ミチコが言葉を遮った。
「ちょっと待って、男なら誰でもいいの?先輩と付き合いたいんでしょ」
「そうだけど...」
「じゃあ、弱いふりをするのよ。ほとんどの男性ってプライドが高いから、自分より強い女子とは付き合わないの」
「自分より強い女の子とは付き合わない⁉」
「そうよ。あんたは、あの剣術狂いのお父さんに鍛えられて、異常に強いんだから、弱いふりをするの」
ミチコのアドバイス通りに、剣道部では、ずっと華奢で弱いふりをしている。
教室の中で、米倉先輩は、期待に満ちた眼差しで、こちらを見つめていた。
「俺さ、刀が好きなんだ。そんな凄い刀、一度見たいんだよね。今日、道場に持ってこれない?」
返答に困り下を向いてしまった。
さすがに刀を神棚から持ち出すのはまずい。
目を伏せながら謝った。
「すみません。ちょっと学校の道場に持って行くのは...」
ミチコが言葉を遮った。
「先輩、本物の刀ですよ。学校に持ってこれるわけないですよ。でも、先輩の家になら持っていけると思いますよ」
さくらの肩に手を載せたミチコが、 ニッコリ笑った。
「ね、さくら」
耳元でこうささやいた。
「二人きりになれるチャンスを作ってあげたわよ。持って行くって言いなさい」
二人っきり!もう何も考えられない!
もじもじしながら、
「あ、あの、剣道部の稽古の後なら、先輩のお家に持って行けます」
言っちゃった。どうしよう。飛び上がりそうになるほど嬉しいけど、家宝の刀を持ち出すのは、悪い気がする...
米倉先輩の顔は急に明るくなった。
「本当か?それじゃあ、住所を書いておくよ」
米倉先輩は住所を渡して、うれしそうに教室を後にした。
先輩の背中を見送った後、ミチコが強要するように言ってきた。
「私の機転に感謝してよね。相談してよかったでしょ。米倉先輩って、侍に憧れてるらしいわよ。お似合いじゃない」
ミチコは、両手を腰に当てて、また説教を始めた。
「ただし、昭和の少女マンガみたいな妄想グセは、早く治しなさい。変態って思われちゃうよ」
「先輩のことを考えると、勝手に想像しちゃうのよ!」
その日の剣道部の練習でも、さくらは米倉先輩のことをチラチラ見ながら、二人きりになったときのことばかり考えていた。
米倉先輩とのラブラブ時間の後、じゃなくて、クラブの練習の後、家に帰って父親にバレないよう、そっと道場に入った。
道場を見渡し呟いた。
「この平和な時代に、実戦剣術の修行なんてバカみたい。真剣を使った乱取りに、なんの意味があるのよ」
中学三年生になった頃から、父との修行はしていない。喧嘩したまま、口も聞いていない。剣道部に入ったなんて言ったら、
「何をぬるいことやってる!」
て言われて、また修業させられるわ。
神棚に飾ってある刀を、押し入れにしまってあった模擬刀とすり替えた。
「妖刀田中家。『心が守る刀』ってどういう意味かしら」
さくらは幼い日のことを思い出した。
「幼稚園ぐらいだったわよね、興味本位で刀を神棚からおろして遊ぼうとしたときパパに怒られ…そういえば、なぜか怒られなかったのよね…もしかしたらパパは動けなかった…何かが飛んでたような…どっちでもいいや」
刀を竹刀袋に入れた。悪いとは思ったが、米倉先輩との二人の時間を考えたら、ニヤニヤが止まらない。
「ごめんねパパ、ちょっと借りるだけだから」
道場を出て、照れながら、刀を抱えて走り出した。
「二人きりの部屋で、何を話したらいいのよ。先輩にキスを迫られたら、断りきれないよ。あ~恥ずかしい」
米倉先輩のことで頭の中が一杯になり、妄想が止まらない。
胸の高鳴りを抑えきれないまま角を曲がった、そのときだった。
シューゥーという異様な音を感じ空を見上げると、徐々に何かが大きくなって向かってくる。
「何よあれ、火の玉?」
思わず立ち止まり、空を眺めてしまう。見る間に大きさを増していく。
周囲を見渡す。人影のないビルの裏道だ。
「こっちに落ちてくる!? い、隕石なの!! やばいよ!!」
裏道の先の大通りに、「工事中」と書かれた囲い付きのマンホールを見つけた。
「あそこしかないわよね!」
さくらは走り込み、ためらいなく囲いを飛び超えた。そこには作業員もガードマンもいない。
「みんな逃げちゃったのね。もう! どうなってるのよ!」
必死にマンホールの手すりを掴んで下へ降りていく。




