リリー・アンバー
「悪い奴だなぁ、ベイリーは」
関所を通り過ぎてから、ダンデライオンは麻袋に詰められた酒や行先の虚偽について言及した。
ベイリーは気まずそうに顔を逸らし、魔女の本名を教えるほどの非道ではないと主張する。
「本当に名前を教えたのか?」
「まさか。嘘に決まってるだろ」
ベイリーまで騙されていたことに驚きを隠せない様子で、ダンデライオンは首を振る。
「魔女を敵に回して良いことないからな」
「じゃあ、お前は嘘のために秘密を大家さんに話したのか?」
「そうでもしなきゃ、納得しなかっただろ?」
なんでもないように言うダンデライオンに、ベイリーは唇を噛む。
「壁の弁償にせよ、大家さんの怒りの鎮め方にせよ、他に方法があったはずだ」
「どうしたベイリー。そんな必死になって」
「お前を犠牲にするほどのことじゃなかった」
「犠牲……。確かに漏れれば俺の立場が危うくなるような秘密だが、大家は簡単に漏らすようなタイプじゃないだろうし、漏れたところで大抵の人間には理解できないだろうよ」
目に映らない精霊が信じられていないように、ダンデライオンが抱える秘密もまた、一般には到底信じられる内容ではない。そう説明するダンデライオンに、ベイリーは視線を足元に落とす。
「それは俺にも、言えない秘密なのか」
「ベイリー」
乾いた風が二人の間を通り抜け、服の裾を揺らす。風はもう冷たくなってきていて、傾いた太陽は遠くの岩山の影に隠れようとしていた。
口元をゆがませ言葉を選んでいるようなダンデライオンの様子に、ベイリーは微笑を浮かべる。
「ゴーリンを詮索するなって言った口で何言ってるんだろうな。忘れてくれ」
邪念を振り払うように手を振って、歩く速度を速めた。
「ベイリー!」
後においていかれたダンデライオンは、大きく一歩を踏み出しベイリーの前に回ると、その場に片膝をついた。そして、その手をとる。
「ベイリー。隠し事をして本当にすまない。心の底からだ」
まっすぐベイリーの瞳を見つめ、ダンデライオンは一つ一つの言葉を言い聞かせるように、ゆっくりと続ける。
「俺のことは、いつか絶対。絶対にすべて打ち明ける。約束する。ただ、今はタイミングが違うんだ」
「無理しなくていい。俺だって秘密の一つや二つ、あるわけだし」
ダンデライオンの掌から手を引き、ベイリーは肩に掛けた筒袋を揺らす。土埃で汚れくたびれた袋の中には、古いが手入れの行き届いた刀が入っている。
「これをどこで拾ったのか、誰のものだったのか、とか」
「ああ、気になるな」
「ゴーリンといつ知り合ったのか、とか」
「それくらい教えてくれてもいいんじゃないか?」
「イチカワとの旅で何を学んたのか、とか」
「……知りたいようで、知りたくないようでもあるな」
ダンデライオンの渋い顔に、ベイリーは苦笑する。
「あとは、俺が懇意にしてる情報屋『地球屋』からどんな情報を買ってるのか、とか」
「そんな頻繁にやり取りしてるのか?」
「それなりに」
ベイリーは腰のポーチを軽く叩く。
大なり小なり、お互い秘密を抱えている。ベイリーはそう言い、ダンデライオンに立ち上がるよう肩を叩いた。
膝についた砂を払いながらダンデライオンが立ち上がると、ベイリーの背後から野次が飛んだ。
「もうおしまいかい?」
「若いっていいねぇ」
驚いたベイリーが振り返ると、道の脇にある岩に腰かけた商人二人がニコニコとベイリーとダンデライオンを眺めていた。
「な、いつから?」
「君たちが街を出た時からだよ」
「急に跪くんだもの。告白してるのかと思ったよ」
商人たちはケラケラと笑い、大荷物を背負って立ち上がる。
「告白? まさか、そんな、誤解です!」
「からかってるだけだ。気にするな」
顔を赤くして慌てふためくベイリーを、ダンデライオンは静かになだめる。
「あんたたちも立ち聞きとは、暇なのか?」
間もなく日は落ち、凍えるような寒さが砂漠を包み込む。ローズガーデンから一番近い町までは、どんなに急いでも半日はかかる。それでもこの時間に街を出るからには、野営を計画しているということだ。
「少しでも町に近づくでも、テント張るでも、やることはごまんとあるだろ」
「ふふ。そうだね」
カラン、と荷物の外にまとめられた小さなフライパンが音を鳴らす。
「私たちは夜通し歩いて、明日の朝には次の町に着いてる予定さ」
「気を張っての静かな旅になる。その前におもしろいものを見せてもらったよ」
おかげで明るい気持ちのまま夜を越せそうだ、と笑う二人に、ベイリーは再度誤解だと告げる。
「ダンデライオンは護衛で」
「分かっているよ。彼の言った通り、からかったのさ」
「しかし砂漠のただ中ならまだしも、街から近いうちは砂に耳あり岩場に目ありだよ」
「君たちはゴーリンの知り合いだろうから、何か見聞きしたとしても、悪いようにはしないけどね」
物腰の柔らかい、腰の曲がった商人は鞄から紙に包まれた商品を取り出した。
「さて、楽しいものを見させてもらったお礼に、干し肉を一枚あげよう」
「じゃあ、遠慮なく」
ベイリーが干し肉を受け取ると、商人たちは「良い旅路を」と手を振り去っていった。
「爺さんって、結構名の知れた爺さんなのか?」
「ゴーリンはニリユス商会のお偉いさんだからな」
「結局、ただの爺さんじゃないってことだな」
もはやゴーリンに関する話で驚くことはない、とダンデライオンは苦笑する。
ベイリーもつられて笑うと、気を改めて北へ伸びる道に沿って歩き出した。
「で、話が大分それたが、リリー・アンバーじゃないなら、誰なんだ?」
紆余曲折してしまった話の軌道修正を試みると、ダンデライオンは質問に答える形でベイリーの要望に応じた。
「書類上はリリー・アンバーだが、正式にはソーインジー・メメンリ=リリー・アンバーだ」
「書類上ってことは、国も正式な名前を認知してないってことか?」
周囲に人の影がないことを確認してから、ダンデライオンが頷く。
「ああ。別に嘘じゃないからな。魔女たちは自己防衛のために名前を半分しか教えないんだ」
「名前で縛られるのを回避するためか?」
「そうだな。だから、国の監視は受けていても、魔女は国に支配されることはない」
強大な力を持つために数多の制限をかけられている魔女は、その制限から逃れるための手段をしっかりと持っているのだ。
「数の多い種族に頭を押さえられるのが少数種族の宿命ではあるが、魔女たちは一枚上手だな」
「でも、リリー・アンバーって名前は、魔女のリストに載ってるんだろ? 半分とはいえ、大家さんに名前を握られたことには変わりないんじゃないか?」
ベイリーの懸念に、ダンデライオンは口角を上げる。
「大丈夫だ。この国の大半は、リリー・アンバーだからな」
「え?」
「リリー・アンバーはこの地に生まれた最初の魔女らしい。で、魔女の間では先祖の名をつける風習がある」
魔女たちは、先祖の名前が彼女たちの高潔さを守ると信じている。そのため、同じ地域にいる魔女は大半が同じ名前を持つことになる。
「先祖の名前は、お守りみたいなものなんだな」
「ああ。砂の民の精霊の刺青と同じだ」
ダンデライオンは左腕を揺らした。
「だから、大家に個人を特定することはできない。心配するな」
断言したダンデライオンに、ベイリーはホッと胸をなでおろした。
そしてふと、ダンデライオンの腕の刺青を見て、少し考えたのちおずおずと切り出した。
「ノーコメントって言われたし、タイミングが悪かったらいいんだけど。なんで、朱翼なんだ?」
クリスタルスピカを採掘する坑道で、イチカワはダンデライオンのことを「朱翼ちゃん」と呼んだ。
イチカワはほとんど人の名前を呼ばず、あだ名で呼ぶことが多い。そしてそのあだ名は、その人の容姿から安直につけられる傾向があった。
「俺はそのまんま赤毛だから、赤毛って呼ばれてるけど」
ベイリーはダンデライオンの黒髪や、灰色の瞳を見つめる。
「でも、ダンデライオンは朱色とは縁遠そうだろ? 翼があるわけでもないし。もしかして、腕の刺青のことかなって、思ったんだ」
ダンデライオンの左腕の手首から彫られた刺青は、優美な曲線を描き首元にまで伸びている。
いくつもの細かい模様が刻まれているわけではなく、一つのモチーフを大小の線で抽象的に描かれたとわかる刺青に、ベイリーは「きっと、不死鳥なんじゃないか?」と手を伸ばす。
「なんとなく、ここが目で、上下に伸びるのは、翼? に見える気がする」
ダンデライオンの上腕にある渦を巻いた墨を指さし、続いて腕の上下に展開する複数の線を空でなぞった。
「たしか、不死鳥って精霊の姿の一つだよな」
繋ぎ人はともかく、精霊の姿を見ることができない人々――主に砂の民――は、精霊の姿を様々な形や生き物に例えてきた。水の精霊なら雫や渦模様のほかに魚や蛇、風の精霊なら渦巻く風の模様に葉や蝶や鳥がよく使われ、火の精霊なら炎や太陽、そして立派な冠羽と尾羽をもつ不死鳥がその化身として描かれてきた。
ベイリーの予測を静かに聞いていたダンデライオンは、刺青についてはとくに隠しているわけではないと、頷いた。
一口解説:リリー・アンバー
南大陸で生まれた最初の魔女とされている。
強力な魔力の使い手で、かつては南大陸の各地に生息していたドラゴンを
指一本で討伐したという伝説が残る。




