暗闇と太陽
家庭事情により、更新が少しゆっくりになります。
「ところで、その本はよめるようになったの?」
イチカワの袖がズボンの尻ポケットを指し示したので、ダンデライオンはポケットから本を取り出した。
日に焼けて退色し、端の反りかえった革張りの表紙はその歴史を思わせる。表紙に刻印されたタイトルは劣化によって消えてしまっているが、本の扉には「不死鳥の歌」と印字されている。南大陸で出回っている、珍しくもない小説だ。
ダンデライオンが片手で扱える本を開けば、物語とは別に、ページの余白を埋め尽くさんばかりのメモが書き込まれている。
「なんでこれのことを知ってる?」
「白鳥がらうけとってたでしょ? ぼく、その場にいあわせたんだけどな」
「覚えてない?」と首を傾げられ、ダンデライオンは「まったく」と首を振った。
「かなしいなぁ。朱翼ちゃんのために、あのおっかない白鳥にたてついたのに」
「あいつを追い返してくれたことは感謝してる。あと、ベイリーを助けたことも」
「うんうん。ぼくがいて良かったね」
ダンデライオンからの素直な感謝に、イチカワは機嫌よく軽やかなスキップを披露した。
「だがお前が胡散臭いことには変わりない」
「ミステリアスがぼくの長所だからね」
ダンデライオンの言葉に気を悪くするでもなく、むしろ嬉しそうに体を揺らすイチカワは、フワフワとダンデライオンの周りでステップを踏んでいる。
「で? 中身はよんだの? ずっと気になってたんだよねぇ」
「本の内容はともかく、メモのほとんどは異国語で解読できないな」
「精進がたりないんじゃない? 時間あるんだから、勉強しなきゃ」
「読む気にならん」
「先人からのメモを読まないなんて、もったいない」
「そんなに大事なことが書かれてるとは思えない」
親指を使ってページをめくってみると、小説の中盤まですべてのページにメモ書きは残されている。しかしとあるページから先は、書き込みはない。
「きみだって、残すことになるんだから。おなじこと書いたらおもしろくないよ?」
「どうせどれも同じこと書いてあるさ」
本を閉じポケットにしまうと、ダンデライオンはもう目の前に迫った坑道出口をくぐった。
刺すような鋭い西日に目を細めながら周囲を見渡すと、ほど近い岩場の影に座るベイリーの姿を見つける。
「待たせて悪かったな」
「もういいのか?」
「ああ。さっさとずらかろうぜ」
立ち上がったベイリーの傍らまで寄ると、消火した松明を坑道の入口に放り投げた。
坑道の入口で立っていたイチカワは足元へ転がってきた松明を軽やかに避け、あぶないよと苦言を呈すが、ダンデライオンは気にせずベイリーの背を押してこの場から立ち去ろうと促す。
「ウイのこと、よろしくね」
立ち去ろうとする背に掛けられた声に、ベイリーは体ごと振り向き、ダンデライオンは横目で見るにとどめる。
「ああ。まずは、街に戻って情報を集めるつもりだ」
「うん。任せるよ」
明るく頷くイチカワだが、陽光にさらされた途端、暗がりで放っていた威圧感を失ってしまったようで、一回り小さくなったように見えた。
「……太陽が苦手なのか?」
考えるより先に口から零れた出た疑問に、ダンデライオンはすぐさましまったと顔をしかめるが、止める間もなくイチカワが返答した。
「きみが暗闇をきらうように、ぼくにだって苦手なものはあるよ」
「暗闇が嫌いなんじゃない、お前が潜んでたから嫌な気分だったんだ」
うっかりイチカワにちくちくと刺される話題を振ってしまったことを後悔するが、イチカワはここぞとばかりに続ける。
「またまたぁ。じぶんが真っ黒だから、真っ黒がきらいなんでしょう?」
「それ以上、変なことを言うなら、黙ってないぞ」
「ほら、そうやって噛みつくのは、みとめてるようなものだよ」
「おい、本当に噛みついてやろうか」
「ふふ。きみごときに遅れをとるぼくじゃないよ?」
どんどんと低く怒りを孕んでいくダンデライオンの声と態度に、イチカワは愉快そうに体を揺らすが、その言葉に忠告の意が含まれていることは、ダンデライオンにもベイリーにも感じ取れた。
しかしダンデライオンが負けじと何か言う前に、ベイリーが二人の間に入り、待ったをかけた。
「俺がわからない話題で喧嘩されても困る。するなら、俺のいないところでやってくれ」
「ベイリー、なんでこいつを信用できるんだ」
「朱翼ちゃんって、結構こどもっぽいところあるでしょ」
ダンデライオンとイチカワを交互に見やるベイリーに双方から声が上がるが、ベイリーはどちらも相手にせず、このやり取りの根源である一つの疑問に答えるにとどめた。
「イチカワの体は水分だから、強い太陽光や熱は天敵なんだよ」
「強引だねぇ」
からからと笑いながらも、イチカワはベイリーの言葉に合わせて袖を揺らす。すると、いつの間にか濡れそぼった袖口からは、少なくない水滴が飛び散った。
「そんなわけだから、ぼくは撤退するよ」
「ああ。久しぶりに顔が見れてよかった」
「ぼくもだよ、赤毛ちゃん。朱翼ちゃんも、たのしい時間をありがとうね」
そう言って、イチカワはゆっくりと坑道の中へ下がっていく。
「あ、街に戻るんだったら、ゴーリン・ドッタに話を聞くといいよ」
「ゴーリン・ドッタ? なんであの爺さんがでてくるんだ?」
唐突にでた名前に、ダンデライオンが首をひねる。
「ゴーリンは――」
「なに言ってるの。ゴーリンはぼくの協力者みたいなものだよ」
説明しようとするベイリーの声を遮り、まるで自慢の子どもを紹介するように、イチカワが声を弾ませる。
「超優秀でね。ぼくの代わりに、世界情勢をみたり、赤毛ちゃんの様子をとおくから見てくれたりしてるんだ。じゃあ、よろしくね」
そう残し、イチカワは暗がりの中へと踵を返した。
「ゴーリン・ドッタがあいつの協力者? 全然無害な爺じゃないじゃねぇか」
イチカワの背を見届けると、ダンデライオンはその場にしゃがみ込み、両腕の間に顔をうずめる。
「ゴーリンは無害だよ。イチカワだって、悪い奴じゃない」
ベイリーは言いながら、深いため息を吐き、疲労困憊といった様子のダンデライオンの隣に腰を下ろす。
「本当に困ってるとき助けてくれるし」
「ベイリーには、だろ。あいつは俺を、叩けば音の鳴るおもちゃだと勘違いしてるんだ」
言い得て妙なたとえに、ベイリーは顔をゆがませる。
「でもほら、危害は加えてこないないだろ?」
からかいこそすれ、イチカワは決して手を出すことはない。それは、彼または彼女を形作る物質の性質ゆえなのかもしれないが、イチカワは近づいても触れない程度の隙間は保っていた。
少し口角の上がったベイリーの苦い顔に、ダンデライオンは唇を尖らせる。
「自分は平気だからって、笑うことないだろ」
「悪い。でも、誰とでも仲良くできるお前が、こんなに苦手意識を持ってるのが意外で」
「俺に言わせてみれば、あいつと仲良くできるヤツがいる方が意外だぜ」
腕の隙間から顔を上げたダンデライオンは、すぐ近くで様子を伺うベイリーに目尻を下げる。
日光や砂埃から守るために巻かれた布が風に煽られ外れかかり、はみ出た赤髪が緩やかなカーブを描いて揺れていた。
ダンデライオンは腕を伸ばしてベイリーの布を引っ張って整えると、ゆっくりと立ち上がった。
「さて、気は進まないが、街に戻るか」
「そうだな。ウイを追いかけないと」
ダンデライオンとベイリーは、本日二度目となる街への道を並んで歩き出した。
一口解説:異国語
海に囲まれた南大陸は独自に発展した言語を使っているため、
北西大陸や中央大陸で使われる公用語とは全く異なる。
南大陸の隣にある離島ではさらに使用人口の低い言語がある。




