イチカワ
街を離れる道を引き返し、ベイリーとダンデライオンがやってきたのは、クリスタルスピカの第一採掘場跡地だった。
人の気配には十分注意しながら、二人は巨大な穴の底へ降り立ち、そこから横へ掘り進められた坑道の中を進む。
前回同様、ベイリーが持つ魔法結晶とランタンで光源を確保しつつ、今回はすべての荷物を持ったまま、早足で闇の中へ分け入っていった。
「おいおい、そんなに急がなくても」
「確認は早い方がいい」
ピシャリと言われ、ダンデライオンは口をつぐんだ。
そして本日二度目の訪問となる広場に到着すると、ベイリーの背後にいたダンデライオンは率先して松明を手に取り、自身の魔法小瓶で火を灯した。
「……やっぱり」
「暗闇が苦手なんじゃねぇ。変な気配がするから嫌なんだ」
ベイリーが言い切る前に、ダンデライオンは変わらず不気味な音を響かせる坑道を顎で指す。
「それより、ここに戻ってきた理由を教えてくれ」
ランタンを持ったまま広場の中央へ歩いていくベイリーに問うと、「ぼくに会うためさ」軽快な声が空間内に響いた。
ダンデライオンが文字通り飛び上がり、慌てて松明の先を坑道の入口の一つへ向けると、暗がりの中に一つの人影が浮かんだ。
「イチカワ」
「やあ。元気そうでなによりだよ」
ベイリーの呼びかけに応えた人影、イチカワは、ランタンや松明が照らす中へ進み出ることなく、坑道の暗がりの中に佇んだまま挨拶した。少年のような明るい声にも、中性的な低い女性の声にも聞こえる不思議な声が、広場にキンと響く。
「厄介なことになったね」
イチカワはそう言いつつも、口ほどの厄介さは感じていないのか、どちらかというと呆れたように続ける。
「ここの水源は、一時的にとじられただけで、しばらくすれば復活するよ」
「じゃあ、あんたの仕業ではないんだな」
「当然。きみを困らせるようなことはしないよ」
イチカワは肩をすくめて、頭をゆるゆると振った。僅かに照らされたフードの先が、頭の動きに合わせて大きく揺れる。
ベイリーのすぐ後ろに立ち、二人のやり取りを静観していたダンデライオンが松明をかざすと、暗がりに立つイチカワの全身が照らし出された。
濃紺の大きなポンチョを被っているため体格は不明だが、膝丈の裾から伸びる両足は、まるで肉付きの悪い子どものように細い。レギンスか、タイツか、はたまた別の何かなのか。とにかくぴったりと張り付く黒い下衣のせいで、背後の暗闇に紛れてポンチョが浮いているようにも見える。
小枝のように細い足だけでも不気味だというのに、目深く被ったフードは、人の頭が収まっているにしては異様に縦長で、細い。なにより、どんなに明かりを近づけても、フードの中は真っ暗なままだ。
「……アフォリオフォマナ」
異形といっても差し支えない姿を前にして、ダンデライオンは嫌々といった風に呻いた。
「やあ。朱翼ちゃん。あいわらずだね」
決して友好的ではないダンデライオンの声音に臆することなく、イチカワは袖の中の腕を振り、軽快に挨拶する。
「面識あるのか? というか、朱翼ちゃん?」
ベイリーの怪訝な視線に、ダンデライオンは困ったように眉尻を下げた。
「面識はある。だが昔の話だ。あと、そのあだ名についてはノーコメントだ」
「ええ? 名前、教えてあげてないの?」
「あれを本名と思ったことはない。俺は、ダンデライオンだ」
「せっかくいい名前なのに」
「それを決めるのはお前じゃない」
「それはそうだね。それにしても、ダンデライオンね。可憐でけなげ。きみに似つかぬ花じゃないか」
「どんな名を名乗ろうと俺の勝手だ」
「ふぅん。……殊勝なことだね」
少し含みのある言い方をしたが、イチカワはここでダンデライオンをつつくのをやめ、フードを正面に立つベイリーに向けた。
「赤毛ちゃんも、よく他人をそばに置いたね」
今にも威嚇のために唸りだしそうなダンデライオンの姿に、ベイリーは次々と浮かぶ疑問を呑み込み、イチカワと向き合う。
「こいつは、信用できると思ったからな」
「うんうん。朱翼ちゃんはいい子だよ。このぼくが保証する」
「じゃあ、イチカワ、いや、アフォ、アリフォ?」
「アフォリオフォマナ。ぼくの名前のひとつ」
どちらで呼んでもかまわないよ、とイチカワは袖に隠された両腕を左右に広げる。右手に「イチカワ」、左手に「アフォリオフォマナ」を乗せているつもりなのだろう。
ベイリーは広げてもなお裾の中に納まる右手と左手を交互に見つめる。
「もう一つの名前は長いし舌を噛みそうだ」
「そう? 威厳があっていいでしょ?」
「イチカワでいい。で、本題に戻ってもらっても?」
「え? いいの? 本題にもどって。朱翼ちゃんはともかく、アフォリオフォマナの由来とか、聞かないの?」
「別に、名前がいくつあっても驚かない。俺だって、何個もあるし」
首が曲がる限界を超えて傾くフードに、ベイリーは淡々と返す。
「そうは言っても、大事でしょ?」
「その正体がわかってればそれでいいだろ。イチカワ、アフォリオフォマナ、水の精霊王」
「精霊王? お前、精霊だったのか?」
背後から響いた驚きの声を振り返ると、その驚きは表情にも表れていた。
「なんだ、面識はあっても知らなかったのか?」
ベイリーに見上げられ、ダンデライオンは肩をすくめる。
「前に会ったときは、正体とか気にしてる余裕はなくてな」
「そうそう。朱翼ちゃんとはちょーっとおしゃべりして、すぐ解散したからね。あのときの朱翼ちゃんったら――」
「精霊王であるお前に姿形があるってことは、繋ぎ人の肉体を器として奪ったってことか」
またいらぬ話を始めようとするイチカワの言葉を、ダンデライオンは非難するような口調で遮る。
悪人に銃口を向けるような鋭い視線――松明を握っていなければ、腰の銃に手が伸びていたかもしれない――に、ダンデライオンが言わんとすることを察したイチカワはポンチョの裾を揺らした。
「いまは人肉のひとかけらも使ってないよ。その経緯は、かなり長くなるからはしょるけど」
「なら、どうやって姿かたちを保ってるんだ」
「精霊らしく、水をつかってるんだよ」
イチカワはポンチョの袖を捲り上げ、片腕を出した。
現われた腕は、足と同じく痩せぎすという以外は、とくに変わった様子がないように見えた。しかし、イチカワが軽く手首を揺らすと、腕はみるみるうちに色を失い、まるで氷から削り出した氷像のように変化していった。
「こんな感じ」
「精霊王だとしても、イチカワみたいに自分で器を作る精霊は見たことがない」
「そりゃそうだろう。自分で器が作れるんなら、繋ぎ人を生贄にする必要がないだろ」
ベイリーの補足に頷き、ダンデライオンはふと脳裏によぎった考えを零す。
「お前がほかの精霊王に器の作り方を教えてやれば、ベイリーみたいな被害者を減らせるんじゃないのか」
「いい考えだね。けど、難しいんだよ」
イチカワは腕をポンチョの中に戻すと、少し移動して坑道の壁に寄り掛かった。
「ことばで説明して、理解できるようなことじゃないんだよ」
「それに、イチカワは相当に強い精霊だ。他の精霊王に、イチカワができることをやらせるのは難しいだろうな」
「そうそう」
ベイリーとイチカワのやりとりを眺めていたダンデライオンは、二人のお互いを理解しているような言動に口を曲げた。
「ベイリーもアフォリオフォマナ、いや、イチカワもずいぶん知ったような口だが、どういう関係なんだ?」
ダンデライオンの問いに、ベイリーは持っていたランタンを揺らした。
「これを譲ってくれたのが、イチカワだ」
「つまり、師匠みたいな人っていうのが、こいつなんだな」
「あと、いのちの恩人ね」
イチカワ自らが付け加えた肩書きに、ダンデライオンは眉間に皺を寄せる。
「俺を組織から逃がしてくれたのが、他でもないイチカワなんだ」
釈然としないと言わんばかりのダンデライオンに、ベイリーは続ける。
「さっきお前も言ってた通り、俺は精霊王の器にされそうだった」
とある組織の思惑により、ベイリーは器を欲する精霊王に捧げられた。
組織の人間に両腕を拘束され、精霊王の前に献上されたベイリーは全力で抵抗した。どんな風に暴れ、何があったのか。その詳細をベイリーは覚えていないが、結果として精霊王に肉体を奪われる前に逃げ出すことに成功した。儀式の妨害により傷ついた精霊王から溢れた血で頭を真っ赤に染めながら、異常事態に慌てふためく組織の人間を押し退け、ベイリーは走った。
「本来なら、よわった子どもを捕まえるなんて朝飯前だろうけど。ぼくが露払いしたんだよ。そのおかげで、赤毛ちゃんは逃げだせたわけ」
そう言って、イチカワは得意げに胸を張った。
一口解説:イチカワ(市川)
またの名を、アフォリオフォマナ。神出鬼没の精霊王。
彼、または彼女の傍に立つと、ヒヤリと冷たい。




