ふたりの場合 木崎×花穂編 第5話
経理の下っ端なのに、なぜか泊まりの出張を言い渡された。
それも、係長の同伴として。
なぜ私が選ばれたのか、謎なのだけれど……。
◆
「あの、係長。今回の出張なのですが……」
出張先に向かう電車の中で、あくまでさりげなく確認してみる。
「なんだ?」
書類に目を通しながらの係長から、そっけない返事が返ってくる。
「……夜、泊まる部屋って……。別ですよね?」
「そうだろうな。いくら経費削減といっても、総務が成人男女を同じ部屋にするとは思わないし」
「ですよね!」
内心、ほっとして窓から流れる景色に目をやっていると、書類から顔をあげた係長から真顔で質問された。
「なんだ?同じ部屋がよかったのか?」
「いえ、いえいえいえいえいえ!違います!違って、よかったなぁ!って……思ったと、……えっと、」
大げさに手を振って否定したら、私の一言で一瞬、係長の瞳が曇った気がした。
「……そこまで拒否するか?普通」
そして、ちょっと冷たい声でそう言うと、また書類に目を通しだす。
「か、係長?」
「別に」
それっきり、目的の駅まで係長は書類から目を上げることもなかった。
◆
時刻は夕方の6時半になろうとしていた。
地方の営業部と決算関連の会議と今後の打ち合わせをした後、駅ビル群の中でも一二を争いそうな大きなビジネスホテルにやってきた。
フロントで受付を済ませた係長からカードキーを手渡された。
「これ、部屋の鍵」
「あ、はい」
あれから必要以上のことを話さない係長。
カードキーと共にホテルのパンフレットを指差しながら説明してくれる。
「俺は20階のこっち。長谷川は15階」
「え?階数も違うんですか?」
「長谷川はその方が、いいんだろ?」
慌てて顔をあげると、ジロリと冷たい視線で言われ、それ以上何も言えなくなってしまった。
「えっと。……ハイ」
俯いて頷くだけの私。
「適当にご飯も食べといて。俺は残りの書類、仕上げてくるから。じゃ」
「え?あ、かかりちょ……」
やはり用件だけを簡潔に言うと、鞄を持ってさっさとエレベーターへ乗って行ってしまった。
エントランスホールに取り残された私。
手渡されたカードキーを見つめながら、唇を固く結ぶ事しか、出来なかった。
◆
結局、係長の事が気になって仕方なくて、指定された部屋へ荷物を置いて係長の部屋のある20階へとやって来た。
扉を軽くノックする。
暫くして、ワイシャツの襟をあけたラフな格好の係長が顔を出した。
私を見てちょっと驚いた顔の係長。
先程の冷たい雰囲気も幾分和らいだ感じがする。
「……長谷川。どうした?」
「あ、あの……」
「とにかく、中に入れ」
とりあえず何か話そうとしたら腕を捕まれて、中に招き入れられる。
「で、どうした?」
机のそばのライトだけがついた仄暗い部屋の入り口に私を置き去りにして、係長はソファーに腰掛け、脚を組むと机にあった書類に手を伸ばす。
あまり、私の話を聞く気がないらしい。
それでも、係長の背中を見ながら、思い切って口を開く。
「あの……。係長、怒ってるんです、よね?」
「怒ってるよ。あそこまで拒否されたら、ね」
間髪入れない、肯定。
「ご、ごめんなさい」
謝って小さくなっていると、係長が困ったような顔をしてこちらを向いて手招きをする。
「……。花穂、こっち来て」
プライベートでだけ呼んでくれる、私の名前。
怖ず怖ず近づくと、係長は両手で私の両手を優しく絡めとって引き寄せる。
「花穂は俺と出張って聞いて、嬉しくなかったの?」
「え?」
椅子に座ったままだったから、下から私を見上げる係長。
いつもと違う視線に絡めとられて、身動きがとれずにいると、そのままくるりと一回転させられて、膝の上に座らされてしまった。
「俺は嬉しかった。……田島の陰謀だろうけど」
ウエストに腕を回されて、薄いワイシャツから伝わる係長の体温を背中で感じ、おなかのしたあたりに置かれた係長の大きな手がスカート越しにも伝わってきて、壊れそうなくらい早鐘を打つ、私の心臓。
「24時間、花穂といれるんだ」
肩に顔をうずめて、いつもよりワントーン低い声で囁かれる。
私だって、理由はどうあれ係長との出張は楽しみだった。
でも、今それを言ってしまうと、どうなってしまうのかわからないから口にしないでおく。
「か、係長……」
少しでも係長との間に隙間が欲しくて身をよじると、ますますウエストの腕に力が入って、1ミリの隙間もなくなっていく二人のカラダ。
「仕事の時間は終わったんだ。いい加減、名前で呼んで?」
甘い囁きと吐息が首筋に当たる。
背筋に甘い痺れが走って、思考が停止しそうになる。
「直哉さん……」
仕事中はいつも役職名。
だから、プライベートでは名前を呼んで欲しいと、以前に言われたことを思い出した。
「敬称略で」
「な、おや?」
「そう。もう一回」
そう言うと肩をつかまれて上半身だけ係長の方を向けられて目が合った。
早鐘を打ち続ける心臓。
「なおや」
何も考えないまま、係長の名前を呼ぶ、私。
今、どんな顔しているのだろう。と、思っていたら。
係長の瞳の中で、真っ赤になって今にも泣きそうな顔の私とも目が合う。
「うん、花穂。もっと呼んで?」
「なお、――んっ」
私は係長の瞳に映った私を無視する。
嬉しそうに微笑む係長にもっと喜んでもらいたくて口を開くと、吐く息ごと係長の口に吸い込まれてしまった。
酸欠になりそうになって無理やり係長の顔を引き剥がし、抵抗を試みる。
「やっ。かかりちょ。や、やめっ――」
「俺はそんな名前じゃないから、やめない」
もともと、係長の膝の上にいるのだからあっさり押さえ込まれ、上から覆いかぶされてしまった。
そして再びふさがれる、唇。
甘く絡めとられる舌。
呼吸すら飲み込まれてしまいそうな、係長の長い情熱的なキスに私の脳は完璧に思考を停止させて、本能を揺り動かされる。
「――っ。はぁ。なおやぁ」
係長に零れ落ちる涙を舌で受け止められながら、抱き上げられた。
「そう、もっと呼んで。俺の名前」