思いやりの詰まったお菓子
『ヒスイ、カーディナ。久しぶりだね』
「そうだね。久しぶりだ」
「元気そう、なのは、お嫁さんが決まったからかしら?」
『うふふ』と文字で書きながら、ラメルアズルは手を前後にブラブラさせている。
両親は、なぜか『おやおや』と、なぜかイヤらしく笑いかけている。
気まずげに、体をビクつかせる。ルリィのほうに向き直ると、目が合い、あわてて姿勢をただしていた。
一挙一動がいちいち可愛い。
不覚にも、胸がキュンとする。
『引越しの準備中なのに来てしまい、悪かった。
同棲の件は、こちらの急な申し出だというのに、身勝手な理由で来てしまったよ』
「なにかあったのですか?」
ルリィが問うと、ラメルアズルはこちらに正面を向けた。
また見つめ合う。人の姿だったら、もしかしたら、いろいろ考えている様子……かもしれない。
ぬいぐるみは言うか言うまいかを迷っているかのように、首が微動している。
なにを考えているのだろう。
『ルリィに、申し訳のないことを伝えにきました』
不穏な切り出しに、ルリィは体がこわばる。
『僕はお役目があるので、貴女が屋敷に来てくれる日に貴女に迎えにいくことができません』
なんだ。そんなことか。
ほっと、肩の力を抜いた。
それがラメルアズル殿下には落胆に見えたのだろうか。
手足をバタバタ動かす。
『貴女を歓迎していない、というわけでは決してありません!
どうしても屋敷からは離れられないのです!』
「お仕事があるのでしたら、仕方のないことですわ。お気になさらず。
お忙しいところ、伝えに来ていただきありがとうございます」
『…………』
本当に気にしていないのに、抑揚のない反応をしてしまうせいだろうか。
ラメルアズル殿下は、ルリィの顔を覗きこんで手をあわせてもじもじしている。
『まさか、僕に婚約者のはなしがくると思っていなかったのです。
今朝の報告を聞いて、戸惑いましたが、とても、とても、うれしく思っています。
だから、貴女と暮らす前に、貴女には僕のことを知ってほしくて、一週間の猶予をいただきました。
もし、貴女にとって、気に入らないところがありましたら、今回のお話はなかったことにしていただいて、構いません』
ラメルアズルは台車においた箱を、ルリィに差し出した。
『今回は、おみやげを持ってきました。受け取っていただけますね』
「はい。とってもうれしいです。ありがとうございます」
右手を胸に当て、左手でスカートのすそをつまみあげ、膝を軽く曲げる。
受け取れません。
とんでもないことです。
どんな理由があったとしても、そうお断りするなんてできるわけがない。継承権がなくとも皇族なのだし。それに、贈り物をのせた台車を引いて、トボトボ帰るクマのぬいぐるみを想像すると、可哀想がすぎる。
礼をしてから箱を受け取ると、かたい表情を必死に動かして、微笑む。
「改めまして、ありがとうございます」
ラメルアズル殿下はぎくっと体を固まらせた。ルリィから目をそらし、また手をあわせてもじもじさせたが、すぐに姿勢を正す。
『それではまた明日、逢いに来ます』
「はい。お待ちしております」
台車をゴロゴロ引きながら、あわてて走っていった。
魔力切れが近かったのだろうか。
あれほどの繊細な操作を持続するには、凄まじい集中力と莫大な魔力が必要だろう。
「なにをいただいたのか知りたいよ。瑠璃、はやく見せてほしい」
「わかりました」
贈り物を開けるの大好きなヒスイが催促してくる。
テーブルの上に箱をおく。
緊張する。
ハイアグリン殿下はルリィに、贈り物をくれたことはない。
ハイアグリン皇太子とは、『皇帝陛下に仲睦まじいところをみせる』という義務で出かけたこともあるが、物を買ってくれることはなかった。
それどころか、
『皇帝陛下にはやはり緑が似合うと思わないか?』
『母に花束を贈ろうと思うのだが、どんな色合いの花束がいいだろうな? お前に選ばせてやろう』
『この無機質な白いヤウールには、南国の果実の鮮やかな色合いが映えるな? 美味さが増す。そう思うだろう?』
などなど、ニヤニヤしながら聞いてくる。
ハイアグリン皇太子はルリィの口から、
『もうしわけありません』
『わかりません』
『精進いたします』
を出したいだけなのは、わかりきっていた。
だから、心底、ストレスがたまるばかりだった。
しかも、ハイアグリン殿下は、皇帝陛下の生誕祭のとき、『お前がお父さまに贈る物は、私が選んでやった。美しい緑だろう?』なんて言っていたけれど、いざパーティーで贈ると皇帝陛下には『美しい赤だな』と言われて、初めて知ったりもした。
第一皇子派の貴族のあいだではこそこそと、笑われていたことを、いまだに覚えている。
もったいない。
考えると、好きでもない、嫌な奴にフラれたからと落ちこんでいた時間は『浪費』でしかない。
時間だけではない。
そんなヤツをおいておく心のスペースも。
だから、ハイアグリンのことを思い出すことはもうやめよう。
ルリィは息を呑んだ。
父以外からの異性から、贈り物をいただくのは初めてだ。
箱のふたを開ける。
中には真っ黒いモンテ・ビアンコが三つ入っていた。
栗ではない?
蓋を開けた瞬間、ルリィの鼻を優しく刺激したのは、変わった香りだった。
でも、嗅いだことがある。なんだろう。
「ラメルアズル殿下なら、まかせてもいいわね」
「あぁ、この贈り物を見て、確信できた。安心して、瑠璃を嫁に送ってやれる」
「どうして、そう思ったのです?」
「だって、このモンテ・ビアンコ、白と黒と灰色だもの」
そう言われて、目を瞬かせる。
ふたたび、箱の中のものをみる。
「嫌がらせ? でしょうか? 毒?」
「ルリィなら見ただけでわかるでしょ」
確かにそうだ。
毒の気配は、魔力がなくとも『見る』ことができる。
嫌な気配は一切しない。
でも、白と黒のお菓子なんて食べたことなんて……ある。
そのお菓子を思い出して、香りの正体も思い出した。
「お茶をいれてくるよ、お皿とフォークはまだ影にしまってないだろう?」
「はい。まだ使いますから」
ヒスイの呼びかけにルリィはうなづいた。
「ほーじ茶がいいわ。ケーキでも合うと思うの」
「僕もそう思うよ」
カーディナとヒスイは仲良くキッチンに向かった。
ルリィは椅子に座っても、黒いモンブランから目を離せない。
きっと、ミントの代わりなのだろう。モンテ・ビアンコのてっぺんには、バラの形に焼かれたメレンゲのクッキーが飾られている。
もしかして、ラメルアズル殿下が屋敷の料理長に頼んでくれたのだろうか。
魔法使いたちの視界は三色しかないことを知っていて。
ラメルアズル殿下ではなく、その仕える人からの配慮かもしれない。
でも、魔法使いをこんな風に思いやってくれる人、誰かはいるのだ。
人は先天性の魔法使いを恐れている。
だからだろうか、色がない世界で、思考が鈍く、感情がうまく外に出せない魔法使い・魔女を、バカにして、差別して、抑え込んている。
いまだに、道具と思っている人間もいる。
学園にいる時にも、時々、冷たい感情になる場面があったし、ルリィ自身にもいろいろあった。
だから、そんな気遣いが、とてつもなくうれしい。
お茶を用意してもらい。ルリィは黒いケーキをお皿にのせる。
両手を合わせて、神々と精霊たちと、あらゆる命の恵みに感謝する祈りをささげる。
さっそく、一口、口に入れる。
予想通りの味と舌触りに、ほんのり微笑む。
「やはり、ゴマ、ですね」
「ヒスイのお菓子ほど、ホッとする素朴さはないけど、おいしーい!」
「まだまだ勉強不足だったよ。ゴマって、こんなお菓子にもなるんだ」
ヒスイは、春と夏にお菓子を作ってくれる。
お餅のお菓子、『白玉団子』。
その時に、黒いソースをかけた物があった。
ルリィは、そのソースが特に大好きだった。
かけてあるのも、包んであるのも、舌触りがすこしザラザラしていて美味しい。
それに、ルリィの視界でも、正解の色を宿す、数少ないお菓子。
父のお菓子と違うのは、香りと甘さが濃いということ。
でも、嫌いではない。これも大好きな味だ。
中身は白い。ゴマのペーストも、下のビスケット生地のボトムも黒い。
父の素朴なお菓子と全然ちがうのに、濃い味だからかほーじ茶ともよく合う。
あっという間に食べきる。
胸元に手をやる。
すごいな。
満足。
臓器は魔力でいっぱいのまま。
ならば、体のどこが満たされているのだろう。
食事程度でここまで満たされる感覚は、味わったことがない。
新しい魔道具がいくつも作れそうだ。
ラメルアズル殿下なら、色が見えなくとも、こんなに満たされる日々を過ごせるのだろうか。
それならば、きっと──。
ふと、気がつくと、両親がルリィを見てニマニマしていた。
取り繕うところだろうが、父の珍しい表情のほうに気がやられて、どうでもよくなった。
食べ物、基本的に現実にあるものをドイツ語とかフランス語とかにしてよんでるだけです。私の創作ではありません。
トマトはまんま