国の頂点に立つものの苦労を水の泡にしたのは
「カーディナよ。それは一体どういうことか?」
スマラクト皇帝陛下は、カーディナに言い聞かせるように問うた。
「あら? 理解できなかった?
その女は最初から存在していないわよ。私が魔法で造った人形だからね」
カーディナはローテーブルのごちそうを指さした。
立ち上る湯気が輪を描き、その中心に映像が映し出される。
静かな客室に、ハイアグリン皇太子の声が響いた。
『マリファが消えた! どこだ! マリファ!』
顔面は父親(皇帝陛下)にぶん殴られまくって、ひどい状態。さらに、みっともなく女の名を呼びながら狂乱する様子が映し出されていた。
カーディナがぱちんと指を鳴らすと、映像は消えた。
「ね?」
ヒスイとルリィは顔を見合わせた。父にエスコートされて、ルリィは立ち上がる。
父とともに部屋の隅に移動した。
皇帝陛下は柔らかくほほ笑んでいた。そして、帝冠を静かに頭から外す。
それを魔道具で影に沈めた。
これからすることは、スマラクト皇帝のおこないではなく、『グラウディオ』というひとりの人間のおこない。
その合図である。
皇帝陛下は、勢いよく顔を上げた。
その表情は『怒』一色に染まっている。
「こンのッ! クソ魔女がぁああああっ! 全部テメーの差し金じゃねぇかぁああああ!!」
「あっはははは! おいでおいで、グラウディオ〜。追いかけっこしよう」
「ふざけるなぁああっ!
なぁにが、『ね?』だ!
なにが『なぜ、ルリィがあんな恥をかかせられたの?』だあぁあああ!」
グラウディオは、勢いよくカーディナにつかみかかった。
既のところで、カーディナは幼い少女に変わり、彼の手から逃げることができた。
はたからみると、親と子どもの追いかけっこのようだ。
グラウディオはがむしゃらにカーディナを追いかけ、カーディナはゲラゲラ笑いながら、かわしていく。
数分後、彼は力尽き、ソファに座りこむ。
それを見計らって、ヒスイとルリィもソファのそばに戻った。
「もう終わり? 大丈夫ぅ? すっかりおっさんになってしまったわねぇ。あわれあわれ」
「やかましい。クソ魔女」
大人の姿に戻ったカーディナの挑発に、グラウディオは息を切らしながら、うつむいた。
思い出したくないことを思い出しているのだろう。
何度も、小さく唸っている。
カーディナがルリィを身籠ったとき、十一年だけ家を持った。
とにかく安心できる場所。
国が大きく豊かで、脅威が訪れても防壁を越えることがなさそうな強い国。
たくさんの条件をクリアしたのが、スマラクト帝国だ。
魔法使いと魔女に人権があり、子育てで手厚い保護が約束された国。
どの国よりも早く、その法整備を行ったおかげで、帝国は『魔法使い・魔女』という『生きた資源』を豊富に手に入れた。
カーディナとヒスイが帝国に滞在することを知った皇帝陛下は、五カ月ほど先に産まれたハイアグリン皇太子の正室に、エステル家の娘を迎えることを申し出た。
母親が魔女ならば、かならず魔女を生む。
特例はない。
父親が魔法使いならば、かならず魔法使いになる。
これも特例はない。
魔女と魔法使いのあいだに生まれる子は、かならず男女の双子の魔法使いとなる。
これにも特例はない。
カーディナは魔女で、ヒスイは特殊な種族ではあるが人間だ。
だから、娘が生まれることは確実だったのだ。
皇帝陛下は、しょっちゅう、エステル家に来訪していた。
ヒスイとカーディナの名に、『マギア』をつけたのは、この頃。
『マギア』は魔法公爵にだけつけられる特殊な貴族の指標だ。
それを名乗れるのは、今のところ、エステル家のみ。
エステル魔法公爵には、広大な領地と豪華な屋敷は与えられて『いない』。
ふたりは、──特にカーディナは旅行が好きなので特定の家が必要ないし、責任感もない。
本当にスマラクト帝国に縛りつけるための、鎖でしかない貴族の指標。
でも、ルリィは、幼い頃から皇妃になるための教育を受け、十歳から魔法を学ぶため学園に通っていた。
なので、城の近くにある山に魔道具工房兼自宅を与えられていた。
でも、屋敷ではなく、小さな民家。
もちろん、メイドやら世話係なんかいない。
十歳になるまでは、両親とともにその家で暮らしていたから。
そのときに、家事を一通り教えてもらった。
皇帝陛下は、とにかく、『『一等星の魔女』と、その夫と娘はスマラクト帝国のものである』ということを事実にしたがったのだ。
それほどに、カーディナは強く、世界をひっくり返す存在でもある。
思い出すと、皇帝陛下はいつも必死だった。
妻でもない、好意もない、ルリィの母・カーディナの命令には絶対服従。
『私たちに毎日、お菓子と紅茶をご馳走してね。連続、おなじメニューは出さないこと』
といえば、そのとおりにしたし、
『そろそろ、乗馬の訓練が必要よね。グラウディオ、ルリィの馬になってくれるかしら?』
といえば、ルリィが飽きるまでお馬さんごっこをしてくれた。
そして、さんざん扱き使われたあとに、かならず婚約の話を持ち出していた。
婚約が決まる約六年間、皇帝陛下は両親に頭を下げつづけていたのだ。
考えると、すごすぎることだ。
この国を心から愛しているのだろう。
そうでなければ、できないこと。