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19-4  作者: 山田ヒカル
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19-4 第一章 二節

2

 夢を見ていた。

 後ろには俺が歩んできた道程が一本の道となり形成されている。

 神の視点で見る俺は、記憶を包み込んでいる両手の中に昨日の椿さんの言葉があるのを確かめていた。

 包みきれずに溢れてしまった記憶は、踏んづけて足跡になってしまう。一度落としたら、掬うには歩みを止めなければならない。かつて落とした記憶を掘り起こすことは、その地点へ向かうまでの記憶をまた踏みにじることだ。

 昨夜、またいつかの記憶をこぼしてしまっただろう。抱えられる記憶は限られている。それでも俺は歩き続けた。振り返った時、何度も踏みふみにじられてきた記憶が綺麗な道になっていると信じているから。


 指定された場所であるライブハウス、「エイトサンド」に着いた。建物内には、「キャッスル」と呼ばれる収容数1000人程度の大きなホールと、100人も入らないような小ぶりな箱が存在している。こちらは「ボックス」と呼ばれる。これらが渡り廊下で繋がっており、上から見たら数字の8の字のような形らしいが、残念ながら俺は上から見下ろしたことはないので真偽のほどは不明である。ともあれ、この辺りでは1番大きなライブハウスだ。同じ敷地でメジャーバンドとインディーズバンドがライブをしているというなんとも夢のある場所ではある。

 どうやらキャッスルで有名バンドのライブが行われるらしい。会場待ちのファンで長蛇の列ができていた。夏の空気に乗った暑い喧騒が鬱陶しい。蟻の行列に似た彼らに冷ややかな目を向ける。かつては自分もその中の1人だったというのに。

 モヤモヤとした感情が渦巻いてきた。単なる騒がしさへの苛立ちではないことは自覚している。

 置いてきた過去から目を背けられなくなる前に、スタッフルームへと向かった。

 

 「お、早いね」

 スタッフルームに入ると椿さんが声をかけてきた。誰にでも向けるようなよそ行き顔、それでも俺の視線を奪うには十分で、その笑顔だけ見ていればいいと思えるほどの力がある。

「おはようございます」

 我ながらなんて陰気なんだ。無理やり笑みを浮かべたせいで片方の口元だけ引き攣っている。節目がちなのはパッシブのため、ちょうど何かを企んでいるように見えるだろう。

 椿さんは犯罪者予備軍を6人掛けのオフィスデスクに誘導した。俺は端っこの席に腰掛けた。

 スタッフルームには俺と椿さん、その他は1人の女性しかいない。まだ集合時間まで少しあるにしろ少なすぎではないだろうか。

 椿さんが俺の正面の席に腰掛けた。ふわっとイイ匂いがする。胸元にぶらさがっている王冠と地球をモチーフにしたネックレスに視線が吸い込まれる。なんとなく見てはいけない物を見てる感覚がするのはなんなんだろう。

「今日するのは受付の仕事ね。普段ボックスの方で働いてるバイトの私たちがキャッスルの死後にかりだされたんだ。で、急遽1人欠員が出たから日新に頼んだってわけ」

 そうなるともう1人の女性もボックスのバイトなのだろう。彼女は俺たちの話に興味を示さず、スマホの画面と睨めっこしている。指一本一本のネイルのデザインが違い、おしゃれ感度の高さを感じ取れる。俺とはあまり関係のない世界だ。

「今から来る子は男の子だから安心してね」

「あ、良かったです」

 あははなどと奇妙な笑い声と共に返事をした。「良かったです」は名詞ではないので「あ」は英語の冠詞ではない。コミュ障特有の返事エンジンである。

 椿さんはくすくす笑うと立ち上がった。半分反射的に匂いを嗅ぐために息を深く吸う。やっぱり俺ってきもい。

「一応蓮司君に電話してくるね。なんか音楽やってる人って遅刻癖あるよね」

 ほとんど独り言のようなセリフと共にさっそうと部屋を出てしまった。あっけにとられ気づけばドアを見つめていた。集合時間を若干過ぎている。蓮司、という人がもう1人の仕事仲間らしい。遅刻するなんてけしからんな。

 ともあれ2人きりだ。

 自然と正体不明の女性へ視線が移る。

 相変わらずスマホの画面しか見えていないようだ。ややサブカルよりの服装で、髪型は金髪のハーフツイン。長めの触覚が綺麗に垂れている。マツエクでもしているのだろうか、まつ毛がアイドルのように長い。目はぱっちり二重、眼球の色素がやや薄い。なによりもプロポーションがやたらいい。特別背が高いわけではないだろうが、芸能人並みの頭身に見える。きっとステージに立ったらよく映えるだろう。

 なぜステージに立ったら、なんて考えたんだ。そんな場所は、もう過去に置いてきたはずだろ。

「なに」

 突如視線が俺に向いた。まさか睨まれてる、のか。

「ああいや、今日は、よろしくお願いします。日新と申します」

「私は聖歌。バイト、クビになったんだってね。椿さんから聞いたよ。どんだけ仕事できないの」

「あはは、いやあ」

 言葉の節々にトゲがある。初対面の人にこんな攻撃的な人は初めてだ。聖歌、見た目に似合わず要注意人物と覚えておこう。

「仕事もできないですけど、めちゃめちゃ遅刻しちゃって、あはは」

「最悪。まあ、私は慣れてるけどね。椿先輩も言ってたけど音楽やってると集合時間に来ないやつに甘くなる」

「先輩? 」

「椿先輩とは高校から同じ。私もK大学」

 俺はさん付けで呼んでいるため先輩という呼び方に違和感を感じた。どうやら聖歌と椿さんは長い付き合いのようだ。その割には距離があったように思ったが勘違いだろうか。

 相変わらず聖歌の鋭い目線が俺から離れることはない。顔だけでなく指先まで、全身単位で怪しまれているらしい。

「私も先輩も人と仲良くするタイプじゃないけど、多分仲良いほうだよ」

「椿さんが人と仲良くするタイプじゃない?」

「そう。掛け持ち先にぼっち仲間のあなたがいて喜んでたよ。隠キャコミュ障が居たって嬉しそうに話してた」

「そうだったんだ」

 バイト先に馴染めなすぎてわからなかったが、確かに椿さんが人と親しげにしているのを見たことはなかった。

 それにしても、聖歌には目を離せない魅力があるように思える。単純な顔の造形の良さなのか、それとも脳で理解できない何かがあるのか、かなり酷いことを言われている気がするが不思議と不快ではなかった。

 お互い顔をじろじろ見ているので武士の間合いの探り合いのような雰囲気が漂う。

「ねえ、前髪上げてみてくれない? 」

「え、え? 」

「いいから、そんくらいいいでしょ! 」

「いや、え、どういうことですか」

 あまりに突然で、意味不明な発言に頭が一瞬ショートした。この人、ほんとにやばい人なのかも.......

 本当にやばい人はまるで獣のような目つきで俺を相変わらず見つめる。 

「なんですか。意味わからないんですけど」

 突如、まるで映画の登場人物がスクリーンから飛び出すかのように、聖歌の体が勢いよくデスクから乗り出す。彼女の右手が迫り来るのがスローモーションになって見える。俺の目が映すワンシーンには、ヒロインの不安げな表情が描かれていた。



——じれったさで体が動いてしまった。

 いくら私でも初対面の人にこんなことはしない。このことを寝る前とか、部屋の鍵を開けてるときとか、いつもの帰り道とか、思い出すかもしれない。また後悔する記憶が増えちゃったな。

 それでも、この疑念は晴らしたかった。

 そして雲を払ったのは私の右手で、確信へ変わってしまった。

 彼の長い前髪を無理やりあげると、一瞬にして雰囲気が変わった。羨ましくなるくらいパッチリ二重。パッと見、快活そうな顔つき。

 間違いない、「cheeky cat」のギターだ。

 

 二年前、cheeky catは超高校級フォーピースバンドとして地元圏では有名だった。朝のローカル番組で演奏する彼らを見た時、私は制服を着ていたのを覚えている。

 一言で言えば衝撃的だった。私と同い年の人がかっこいい衣装に身を包み、夢に向かって仲間と努力していて、大人のプロを相手に戦っているように見えた。自分よりすごい人は、鏡みたいだと思った。惨めな私の姿を直視させられる。鏡に映る私は、今と同じで周りに馴染めず、目標もなく、誰にも見られないような生き方だった。半分人生に絶望していたんだ。高二病だよね。笑っちゃうよ。でもだからこそ、彼らの輝きとぶつかった時、私に火がついたんだ。

 それからの私は音楽に夢中だった。元来負けず嫌いな性格もあって、努力を重ねるのはそれほど苦にはならなかった。彼らに近づけるように、自分の姿を認められるように。

 やがて彼ら自体に対する憧れが凪いで、理由だけが浮かぶようになった。それと共に彼らの情報を追わないようにした。いつか共演できる日を夢見て。

 それなのに、私の理由はたった今、水に沈んでいった。私だけが睡蓮のように浮かんでいる。絶望の水圧で透明になりそうだ。

 気づけば視界が灰色で埋め尽くされていた。どうやら上半身を乗り出したまま突っ伏しているみたいだ。

 私は自分の姿を鑑みることなく顔を上げた。

「あなた、cheeky catのギターでしょ」

 


 ——まだ照明は付いていない。しかし、ステージにも最大収容数100人も超えている観客の熱気は伝わってきた。

 今日のライブは俺たちがトリだ。フロアのほとんどが俺たち目当てだという自負もある。絶対に成功させないといけない。いや、するはずなんだ。最新曲の再生数も好調、ローカルメディアにも取り上げられた。俺たちは波に乗っている。

 ギターを握る手に力が入るのを感じる。自分の脈がネックを通して伝わる。

 これは緊張か、興奮か、臆面か。鼓動が大きいのは確かだ。地震かとすら錯覚する。

 メンバーの表情が気になる。暗闇の中それぞれと顔を合わせた。暗闇でよく視認できないが俺と同じような表情をしているのだろう。

 さあ、正念場だ。

 ドラムのカウントが鳴り響く。同時に右足を半歩の半分、踏み出した。稲妻を皮切りに始まる嵐のようだ。青白い光が世界で俺たちだけを照らす。ハコ全体が激しい上下運動をし始めた。台風にワクワクした幼少期の気持ちを思い出す。呼吸は荒く、耳は張り裂けそうだ。視界は夢から覚めた時のように曖昧で、運指すら確認できない。それでもこの音が俺たちの存在を証明する。ここにいるのだ。

 あっという間に一曲目が終わった。

 世界は暗闇を取り戻した。

 やや弛緩した空気が漂うものの、未だ逸る重なっている。じんわりと温かい腕の感覚が気持ちいい。

 メンバーは手際良く次の曲への準備を始めている。今回のセトリで一番難易度が高く、演奏の不安が大きかったのが一曲目だった。山場は超えたと言える。あとは盛り上がりを最後の三曲目まで維持し、爆発させる。観客の反応も良い。大丈夫、大丈夫だ。

 

 二曲目もいよいよラスサビに差し掛かる。俺はふと、違和感を感じた。

 ドラムが若干ズレている。

 ほんの少しの差だが、致命傷になりかねない。ベースは気づいているだろうか。ギタボを挟んで俺と反対側にいる彼の表情を窺う。

 その瞬間俺の全身に焦りが駆け巡った。だめだ、自分の世界に入り込んでいる。いや、気のせいだろうか。照明でははっきり顔を見ることができない。Cメロが苦手だと言っていたのを思い出す。最悪のタイミングだ。

 ズレはだんだん大きくなっている。やばい、まずい。観客のノリが徐々に悪くなっている。このままでは、失敗する。嫌だ。誰かが、この現状を変えなきゃだめだ。

 俺はボリュームノブを捻った。

 リズムを保て。俺が引っ張れ。ここで立て直せば失敗しない。自分の音に集中しろ。このライブだけはうまくいかないわけがないだろ。努力は無駄じゃない、裏切らない、報われる。有名になるんだ。上手くなるんだ。期待に応えるんだ。見返すんだ。認められるんだ。幸せになるんだ。俺は失敗しないんだ。

 あれ。今どこ弾いてるんだっけ。

 なんだ、ひどい眩暈がする。頭に雷のような痛みが走る。一切のおとが聞こえて来ない。弦を弾くための手の末端が動いていない。胴から分かれ出ている体を支えるにくたいに力が入らない。おとをだすげんがっきを握るては本当に俺のなのか。のうがしんごうを出すのをやめた。おれがだいなしにした。おれがむだにした。おれがおわらせた。おれがしっぱいした。




「そうだったよ」

 俺が努めて淡々と告げた。聖歌はまたもやデスクに突っ伏してしまった。分け目が綺麗に直線だな、などと意味のないことを考えてしまう。そうでもしなければ苛立ちが溢れ出そうだ。今更墓暴きのように、過去を掘り返されたのが腹立たしい。

「だった、ってことは解散したんだ」

「ああ、俺のせいでな」

 聖歌は首の動きだけでこちらに目を向けた。

「大事なライブで俺が失敗した。しょうもないことに囚われていた。結局俺には何かを変える才能がなかった。でも結果的に、これで良かったんだ。あいつらの足を引っ張るべきじゃない。てか、俺があのバンドのギターだったならなんなんだよ」

 泣いてるのか。

「あなたたちは私の憧れで、きっかけで理由だった。なのに、なんなのそのざまは」

「今の俺がそんなに無様に見えるか。これがあるべき姿だ。勝手に期待して勝手に失望するなよ。自分勝手なんだよ......」

「そんな安い言葉言わないでよ! 」

 バタンッと椅子が倒れる音と共に勢いよく聖歌は体を起こした。

「わかった気になるな。言葉じゃ俺のなにもわかんないだろ」

「どっかから借りてきた言葉ばっか。自分の言葉を諦めた人なんか、失望されて当然でしょ。それに、あなたなんかへの失望より、これからの私に絶望してるんだよ」

 もはや俺たちにストッパーはなくなっていた。

「誰かに依存した理由しかないなら、辞めちまえ。俺にみたいに向いてないんだよ」

 気づけば俺も立ち上がっていた。デスクに突いている手に涙が落ちた。そうか、泣いているのは俺だったのか。

「少なくとも、私はあなたに変えられたよ」


ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。色々な方に読んでいただけるチャンスがあるこの場所にとても感謝しています。どんな感想でも嬉しいです。もちろん改善すべき点なども参考にさせていただきます。是非なんらかのアクションお願いします!

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