呪文習得と幽霊のお願い
本作は「株式会社アークライト」及び「株式会社KADOKAWA」が権利を有する『新クトゥルフ神話TRPG』の二次創作物です。
神話生物の自己解釈、改変を含みます。
『わあ……物に当たる僕……初めて見た……』
「なんでお前はそんなに呑気なんだ!?使い倒されたのは自分自身のことだぞ!?もっと主張をしろ主張を!!主張をしないからあんな怪しい奴らにいいように使われるんだ!!」
『わあ……こんなに自己主張が激しい僕……初めて見た……』
「お前が!!自己主張をしなさすぎるんだ!!俺は正当な権利を主張しているだけだぞ!!」
『まぁ……僕がここで働いてたのって……正直……半分……自殺?みたいな……ものだったし……』
「地獄か!?!?!?」
渇探流は思わずベッドから立ち上がって叫んだが、その瞬間、コンコン。と、部屋の扉がノックをされて、まるできゅうりを見た猫のように飛び上がった。
『渇探流君?大きな声を出してどうしました?大丈夫ですか?』
「だっ、だだだ大丈夫だウィルフレッド!!大丈夫だから可及的速やかに俺の部屋の前から離れてどこか遠くへ行ってくれ!!」
『……なんで……そんなことを、言うんですか?渇探流君の側には、私が……私しか、いないのに』
「いっ、いいい今は部屋の中にいるから大丈夫だ!!えーーーっと……あーーーー……そうだ!!ウィルフレッドも疲れてるだろうから、休んで欲しいんだよ!!俺は部屋から一歩も出ないから!!なっ!?だからウィルフレッドも部屋で休んでいてくれ!!なっ!?」
『……渇探流君……!!』
渇探流の必死のお願い()に、何故か扉の向こうのウィルフレッドは感動したらしい。あの機械のように抑揚のない話し方をする奴が、嫌な言い方だが、若干興奮したように渇探流の名前を呼んでくる。
渇探流はその声音にゾクゾクとした悪寒を感じながらも、このストーカーもどきをとっとと己から離すべく、なるべく穏やかに聞こえるように、頑張ってウィルフレッドに言い聞かせた。
「次にここから出る時は、その……連絡を、するから。だから、それまで休んでいてくれ」
『……わかりました……渇探流君……』
「……………ひぃぃ…………」
この部屋に入る前にウィルフレッドに押しつけられた社用携帯で連絡する旨を伝えたら、『恍惚』と言った表現がピッタリなほどネットリとした返事を返されて、思わず渇探流は小さな悲鳴を上げた。一応、渇探流は幽霊の方の渇探流の様子もうかがってみたが、彼は大和撫子のお手本のようなアルカイックスマイルを浮かべて、何が渇探流を怯えさせているのかわからない。と言ったように小首を傾げてみせるではないか。
この、異常な様子のウィルフレッドを目の当たりにしても、こいつは何がおかしいのか、理解できていないらしい。
コツコツとウィルフレッドの足音が扉から遠のくのを確認した渇探流は、大仰にため息を吐き、再びベッドへと座り込んだ。
『大丈夫?どうかしたの?他の世界線の僕』
「どうしたもこうしたもあるか……!!」
渇探流は再びウィルフレッドに聞こえてはたまらないと考えて、小声で叫ぶという器用なことをしてのけた。
しかし、幽体の渇探流はキョトンとした表情をしたあと、不思議そうに渇探流を見つめてくる。
『士道さんは、僕のことを心配してくれてるんだよ?なんでそんなに邪険にするの?』
「心配!?あれをただの心配と取るのかお前……は……とるかぁ……!!あのままの俺だったら……そう取るかぁ……!!」
渇探流は自分で質問をしておいて、自分で勝手に答えを出して頭を抱えた。
渇探流はあの家から出なかった自分の思考が、手に取るように理解できるのだから。
誰からも必要とされず、期待もされず、まるで空気のようにしか扱われなかった自分が、唯一見つけた居場所が——————この、地獄だとしたら。
それは、存在を無視されてきた渇探流にとっては、天国のような場所だったのかもしれない。自分の一挙一動に注目をされ、心配をされ、ウィルフレッドは除外するとして、それ以外の扱いが如何に酷いものであろうと、『必要』とは、される。
それは、あの家で過ごしていた渇探流が、渇望していたものだ。
「なんてことだ……!!見事な共依存が形成されているじゃないか……!!」
『共依存かと言われれば、そうだねって答えるしかないなぁ、僕は』
「自覚済みの共依存かよ!!救いがねぇわ!!」
『士道さんは、心から僕の心配をしてくれてるんだよ?何がそんなに嫌なの?』
「全てだよ!!」
我慢出来ずにまた大声で叫んでしまった渇探流は、ハッとして自らの口を手で押さえた。再びウィルフレッドに近寄られでもしたら、渇探流の精神が削られる。他の世界線の渇探流は知らんし、知りたくもないが、今回の世界線の渇探流は、あんなネッチョリヤンデレ野郎とよろしくする気なんて、サラサラないのだ。
ウィルフレッドの何が一番気味が悪いかと言えば、皆が亜種だ亜種だと呼ぶ今回の渇探流をすんなりと受け入れ、あまつさえ『他の世界線の医里渇探流』と、まるで同じだと言わんばかりに接してくるところが、気味が悪い。
つまり、あのネッチョリヤンデレ野郎、略してネチョヤン野郎は、『渇探流』と呼ばれる存在ならなんでもいいのだろう。そこに『個』は、必要ない。どの世界線でも、渇探流という存在であれば、アレはなんでもいいのだ。
これは、一見包容力がありそうな考え方かもしれない。しかし、渇探流にとっては全くもって理解不能というか、失礼だとさえ感じていた。
だって、『この渇探流』は、知っているのだ。
自分をプロフェッサーと呼び、慕ってくれるゼミ生を、共に旅をする仲間を、学会でのライバルを。
自分は唯一、ただ一人の渇探流であることを自認している渇探流であればこそ、ウィルフレッドの態度は腹に据えかねるものであった。
しかし、そんなことを言っていても、事態は好転するわけもなく。
『ええと……とりあえず、呪文の説明に入っていいかな?士道さんとの関係は、今の僕には口を出せないからね。できれば仲良くしてくれると、嬉しいんだけど』
「仲良くする気は微塵もないから安心してくれ。そうだな、呪文とかいうおファンタジーな物を教えてくれるんだったな。よし。覚悟は決まったから教えられてやるぞ。始めてみろ」
『……僕って……こんな僕になる可能性もあったんだ……可能性ってすごい……うん、呪文……肉体の保護を、教えるね』
幽体の渇探流は座っていたデスクから立つと、ベッドに座っている渇探流へと歩いてきた。
思わず癖で渇探流は腰のグロックに手をかけるが、相手は幽霊だ。しかも、あの実家から出なかった自分だ。害になるようなことはするまい。
とは思っていても、自分とは言え、見慣れない人間が側に寄ってくるのは不安なものだ。渇探流はつい、幽体の渇探流を注視した。幽体の渇探流は、鳥の巣頭の渇探流に手を伸ばすと——————そのまま、ズブリ。と、渇探流の頭に手を突っ込んだ。
ビクリと渇探流は一瞬肩を跳ねさせたが、相手は幽体だ。痛みも無ければ、感触もない。
『直接、この身体が、この脳が、覚えている呪文を、呼び起こすね』
「普通にもう一度教えてくれたらいいんだが!?」
渇探流の叫びを、幽体の渇探流はニッコリとアルカイックスマイルを浮かべて聞き流したかと思うと、突如、渇探流の頭が激痛を訴えてきた。
「い″っ……!!」
渇探流はボサボサの頭を抱えて、思わず幽体の手から逃れようと身を仰け反らせる。しかし、それを幽体の渇探流は見越していたのか、渇探流が頭をいくら振ろうとも、渇探流の頭の中から手を引き抜こうとはしなかった。
やめろと渇探流が大声で叫ぶ前に、彼の頭の中から、奇妙な呪文が浮かび上がる。
それは、人間が口にするのは酷く難しい内容であった。怖気が走るような、意味不明な言葉というか、呻き声のような文字の羅列が、渇探流の脳を黒く、分厚く、覆い尽くす。
しかし、その呪文は脳みそを一瞬で埋め尽くしたかと思うと、スッとまた、沈み込んだ。
いつの間にか息を止めていた渇探流は、思わずゲホゲホと咳き込んでしまう。汗が吹き出し、それとは逆に、喉がカラカラに乾いていた。
スッ。と、頭から、幽体の手が、引き抜かれる。
そして、呪文を『思い出した』。
呪文、肉体の保護。
コスト:任意のMP、1d4正気度ポイント
必要ラウンド:5R
別名:大いなる打撃からの保護、意志のよろい、血液の盾
物理的な攻撃に対して保護を与える。費やしたMP1ポイントにつき1d6ポイントの装甲を与える。なお装甲は受けたダメージの分だけ減少する。
「……えらく……冒涜的な、呪文と……えらく……システマチックな、コストを……思い出した……」
『よかった。今回の僕は気絶せずにちゃんと思い出せたね。それと、僕の最大魔力はそれぞれの世界線の僕の精神に依存してるから、毎回違うんだ。今回の僕の最大魔力がどれぐらいあるのかは、安全な場所で魔力が空になるまで使ってみてね』
「ちょっと待ってくれ。MP——————魔力は、まだわかる。使い切ったら気絶するという説明もまあ、わかる。しかし、1d4だか1d6だか、5Rだとか、これは一体なんの単位なんだ?俺は数学に疎いからわけがわからんぞ?」
『ダイスとラウンドだね』
「ダイスとラウンドだね!?」
予想外過ぎる言葉に、渇探流は思わず幽霊の渇探流のおうむ返しをしてしまった。先程から馬鹿が過ぎる。
幽霊の渇探流は苦笑をしながら、また困ったように小首を傾げた。
『この世界には、ダイス——————サイコロを司る、神様がいるんだよ。1d4は4面ダイスを一回、1d6は、6面ダイスを一回振るってこと。出た出目によって消費コストも効果も毎回違ってくるんだ。ラウンドはそのままの意味で、1ラウンド10秒ぐらい。5ラウンドだから、一分弱でこの呪文の詠唱は終わるよ』
「サイコロを司る、神様……?今までで一番わけがわからん神が出てきたぞ……?」
『ある意味で、最恐の神様だよ。例によってろくでもないけど』
「ご利益のある神を急遽求む!!」
『アハハハ。そんな神様がいたら僕はこんな目に遭ってないよ、他の世界線の僕』
「身も蓋も未来も明日も希望もねぇ!!」
『とりあえず、呪文の話はこれぐらいにして』
「まだなんかあるのか!?もう既にお腹がいっぱいなんだが!?」
胃を押さえながら渇探流が首を横に振るが、幽霊の渇探流は申し訳なさそうに、しかし容赦なく、話を続ける。
『この世界には、僕みたいな残留思念がたくさんいるんだ。その思念達に、会って欲しい』
「待て待て待て残留思念がたくさんいるってそれってお前」
『そう。今までこの世界に、消費されてきた僕たちだよ』
「地獄か!?はっ!?全員残留思念と化しているのか!?なんでだ!?」
『そりゃあ、皆この世に未練が残ってるからだよ』
「こんなクソみたいな世界にか!?そんなことありえる——————のか……?お人好しの箱入りボンボン純粋培養の他の世界線の俺なら……ありえるのか……?」
『言い方が酷いなあ。その未練なんだけど、元の世界に帰れなかったって言う、未練だよ。だから皆、次の世界線の僕が来た時に起き出して、助けてあげてるんだ』
「未練て……そっちの未練か。それなら納得だ」
うんうんと深く頷いてる渇探流に向かって、幽体の渇探流はそっと手を伸ばしてきた。
また頭の中に手を突っ込まれるのかと渇探流は身構えたが、その半透明な指先は、渇探流の乾燥した頬を撫ぜるように動いただけであった。
『皆、君を待ってるよ。君に呪文を渡したら、また僕らは眠りにつける』
「呪文?皆呪文を持っているのか?それならお前が一気に教えれば済む話じゃないか?」
『一人が持てる呪文は、一つだけなんだ。それ以上持ってようとすると、どんな存在に目をつけられるか、わからない。それに、呪文を一気に思い出させちゃうと、よっぽど運が良くない限り、新しく来た僕が廃人になっちゃうからね』
渇探流は先ほどの頭の痛みを思い出して、顔を顰めた。確かにあの痛みが延々と続いたら、いくら秀才、努力家、とにかく最高と名高い自分でも、耐えられるかどうかわからない。
渇探流はようやく引いた汗を拭う仕草をしながら、改めてあぐらをかいた。
「その呪文とやらは、全て俺にとって、有益なものなんだな?」
『もちろんだよ、他の世界線の僕。僕の味方は、僕しかいないからね』
「……ウィルフレッドとやらも、味方じゃなかったのか?」
『そうだね、少し訂正しよう。僕を、損得無しで救ってくれるのは——————僕達だけだよ。他の世界線の僕』
ニッコリとアルカイックスマイルを浮かべて、大和撫子のお手本のように頬に手を当てる幽霊の渇探流を見て、渇探流は乾いた笑い声が、勝手に口からもれ出た。
オーケー。つまりはこの世界の人間は全員敵。ないしは、利害関係しか構築できないってことだな。上等だ。
「こんなクソみたいな世界の生贄にされるなんて、俺はごめんだ。どんな手を使ってでも、俺は、俺の世界に帰るぞ」
『それが、また他の世界線の僕を犠牲にする行為だとしても?』
「いくら自分でも、俺自身でないのなら知ったことか。お前たちのことは知らんが、俺には帰りたい場所がある」
『……そう……今回の僕は、本当に……』
元々渇探流に聞かせるつもりはなかったようで、幽霊の渇探流はボソボソと何かを呟いたかと思うと、またニコリと笑った。
『それじゃあ、頑張ってね。他の世界線の僕』
「ああ、一応礼を言っておこう。他の世界線の俺」
『君が無事に元の世界に帰れることを祈っているよ。無理だと思うけれど。それじゃあね』
「おおおい!!お前最後に不吉な言葉を残して行くなお前ボケェェェェ!!」
渇探流の暴言は、既に誰もいなくなった部屋に虚しく響くだけであった。