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代わりの犠牲

ウィルフレッドの手は、どうやっても離れなかった。

指をこじ開けようとしても、振り払おうとしても、びくともしない。

まるで最初から、こうなることが決まっていたみたいに———ぴたりと、張り付いている。


「見る必要……ある、だろ」


俺が帰るために。と言おうとして、ウィルフレッドは渇探流を『帰さない』と公言していたのだと思い出した。

ヤバい。このまま手記を見ようとしたら、邪魔をされるんじゃないか?

キツく握られた手に汗が滲み、渇探流は恐る恐る、ウィルフレッドを見上げる。

そこには———冴え冴えとした、温度のないブルーアイ。


「……いいですよ。見ましょうか、『一緒』に」


一拍置いて、ウィルフレッドは———


「どうせ、同じものを見ますから」

「………………は?」


同じものを見ると言うことはつまり、『監視付き』なら、調べても良いということか?

ウィルフレッドから提示された『許可』に、渇探流はゲンナリとした。


「……ウィルフレッド。何度でも言うが、俺は元の世界へ帰るし、お前の命令は受け付けないぞ」

「はい。存じております」


ニコリと笑うウィルフレッドに渇探流は辟易して、書斎へと向かっていった。

———当然のように、ウィルフレッドに手を繋がれたまま。

これ、一生繋がれたままとかじゃねぇよな?

この男ならやりそうで怖いと思いつつ、渇探流は書斎で、背表紙の書かれていない本を適当にとった。

片手だと数冊が限界だったので、ウィルフレッドにも本を持たせる。彼は従順に渇探流の指示に従い、本を机まで持っていった。


「さて、どこに当たりの文書が書いてあるか———というか、ウィルフレッド、そろそろ手を離せ」

「嫌です」

「調べるのに邪魔だ」

「『まずは手を繋ぐことから』なんでしょう?」

「お前は限度というものを知らないのか!?」


渇探流は手をブンブンと振ってウィルフレッドの手を解こうとしたが、これが解けない。まるで接着剤でくっつけたかのように離れない。

しばらく攻防を繰り返したが全くもって離れない手に、渇探流の方が折れた。

致し方なく左手一本で適当な本を開き、四苦八苦しながらも本を閉じないように掌で押さえる。境界現象研究大学で研究していた時もランチ片手に古文書をよく読んでいたが、あれは肘が使えたから本を押さえるのに苦労しなかったんだな。と、渇探流はどうでもいい発見を得た。


「……一生懸命読もうとして、可愛いですね」

「うるさい、死ね」


いかん。うっかり本音が出てしまった。

しかしウィルフレッドは気にした様子もなく、つぶさに渇探流のことを観察している。

それを気味悪く思いながらも、渇探流は書籍に目を通した。


『個人観察記録、青山恵の対処について』


「…………おっ?」


1発で当たりを引いた渇探流は、思わず声を上げた。隣でクスリと笑う声が聞こえたが、渇探流はそれを無視して読み進めていく。


『見た目は14歳前後、意思疎通可能。赤い街の管理人』


「…………んんっ?」


渇探流はいやに断片的な情報に、首を傾げた。

———ページが、不自然に『塗りつぶされている』。

これでは、記録もクソもあったものではない。歴代の自分は何をしているんだ?

もしくは———そうせざるを得ない、理由があった?

それでも渇探流は読み進めていく。

赤い街、静止した世界、入り口は———渋谷にある、とある公園。

しかし、最後の一文だけを見て、渇探流は固まった。


『青山恵を助け出すには、代わりの犠牲者が必要』


「………………地獄か?」


渇探流は、思わず天を仰いだ。

助け出すのに対価が必要。それも、神話生物が関わるこの世界での『犠牲』だ。まともな死に方でないことくらい、想像に難くない。


「……何か、気になることでも?」


耳元で、甘く、冷たい声がした。

見れば、ウィルフレッドが繋いでいない方の手で、渇探流が読んでいたページを愛おしそうに撫でている。その指先が、不自然に塗りつぶされた黒い跡をなぞった。


「酷い書き殴りですね。以前のあなたは、もっと綺麗に整理してくれていたのですが」

「……以前の俺も、これを読んで絶望したってことか」


渇探流は、自分を拘束する男の手の温度に、吐き気がした。

青山輝あおやま てるの姉、青山恵。彼女は生きている。だが、それはこの狂った世界の「部品」として———らしい。

そして、その情報を書き残した「歴代の自分」は、その犠牲をどう処理したんだ? 守秘義務という名の沈黙は、誰を守るためのものだったんだ?

———この真実を知って、俺は、どうすればいいんだ?

ページをめくる指が、わずかに震える。それを察したかのように、ウィルフレッドが繋いだ手に、さらにぎゅっと、力を込めた。骨が軋むような、けれど、優しすぎる拘束。


「大丈夫ですよ、渇探流君。あなたは何も考えなくていい」


ウィルフレッドは、塗りつぶされた文字の上から、渇探流の頬に自分の手を寄せた。


「代わりの犠牲なんて、私がいくらでも用意して差し上げますから……あなたがそれを望むなら、ですが」

「………………」


渇探流は、奥歯を噛み締めた。

この化け物は、俺が『正気のまま』でいることを望んでいる。だが、その正気を保つために誰かを犠牲にすることを、当然のように提案してくるのだ。

———『攻略してやる』。こんな地獄の、ルールごと。

渇探流は手記を閉じ、ウィルフレッドを睨みつけた。


「……ウィルフレッド、喉が渇いた。コーヒーを淹れろ。……『段階』を踏むんだろう? だったら、俺の機嫌くらい取ってみせろ」


渇探流がそう言うと、パッと、ウィルフレッドの表情が輝いた。


「承知いたしました。ミルク無し、砂糖は一つですよね。少々お待ちください」


ウィルフレッドは渇探流に頼られた(?)ことが余程嬉しかったのか、ニコリと笑って、この部屋に備え付けられているキッチンへと歩いていく。


「……ミルク入りで、砂糖は5つだ。バカやろう」


どうやら歴代の自分と、今の自分とは食の好みも違うらしい。冷ややかにウィルフレッドの背中を見送ったあと———素早く、渇探流はパソコンに向かって、話しかけた。


「青山輝。いるか?」

『———いるよ』


すると、当たり前のように青山がパソコンの画面に表示された。

それに驚くより先に『やっぱりな』という感想が出て来た時点で、だいぶ俺もこの世界に毒されてきているのかもしれない。


「お前の姉の情報を手に入れた。お前の姉は、赤い街の管理人をさせられているらしい」

『赤い街……?って、あの、赤い街?』

「なんだ、知ってるのか?」

『有名な都市伝説だよ。そこに迷い込んだ体験談は腐るほどネットにある。でも、みんな無事に出てきているよ?なんで姉さんは出て来れないの?』

「たぶん、というか、絶対に『管理人』だからだ」

『管理人って———あっ』


ブツリ。と、そこでパソコンの電源が、強制的にシャットダウンされた。

———タイムオーバーか。


「……私のいない間に、男と密会ですか?」

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