護衛無双
「渇探流君、私と乾杯は?」
「誰がするか」
ウィルフレッドの妄言をスルーして、渇探流はビールをあおる。あまり酒は飲まないが、飲めないわけではない。
「渇探流ってさ、お酒飲んでいい年齢なの?ここは治外法権だけどさ」
「ジャパンでも酒飲んでいい年齢だ。20歳だぞ」
「えっ……見えな……いや……見え……?渇探流って、年齢不詳だよな」
「よく言われる。特にアメリカではパスポートが必須だった」
「ああ〜、日本人ってベビーフェイスに見られるって話だよな。でも、ここでもパスポートや免許証は必須だぜ?なんてったって、見た目は幼女でも中身150歳とかザラにいるからな!!」
アハハ!!と言いながら愛生は酒をあおる。
渇探流はそれどうやって年齢特定しているんだろうと興味が湧いたが、それより先に、異常が起こった。
最初は、小さなさざめきだった。
とある一角の席で、その『異常』は、起こっていた。
「おっ……おい……お前……」
「なんだ?」
(なんだ?)
「なっ、なんだじゃねぇよ……お前、少し……いや、だいぶ……おかしいぞ……?」
「何がおかしいんだ?」
(何がおかしいんだ?)
そのさざなみの原因は、二人の男だった。片方は一見して普通のサラリーマン。もう片方は、明らかに裏の匂いがする人間。その裏の人間の影が———本人とは別に、『意志を持って』動いていた。
「なにもおかしくねぇよ。俺は、俺だ」
(なにもおかしくねぇよ。俺は、俺だ)
「いや……おかしいって……お前……なにやったんだよ……!?」
「最近?最近の記憶は、なんか曖昧で……」
(最近、コイツは覗いちゃいけない池を、覗いちゃいけない時間に覗き込んだのさ)
「お前……!!『成り変わり』されかけてるぞ!?」
その男の一言で、ラストコールにいる客全体に、緊張が走った。
愛生の表情も厳しいものに変わる。渇探流は、突然起きた事象を理解する為に、臨戦態勢に入った。
ただ、ただ一人———こいつを、除いては。
「渇探流君、ビールの泡が無くなりますよ?」
「今それどころじゃねぇだろボケェ!!」
士道ウィルフレッド。彼だけが、緊張走るこの場の中、いつも通りのテンションで、渇探流に語りかけていた。
「それどころじゃ……ない……?」
「明らかに異常が起きてるだろうが貴様の危機管理能力どうなってやがる!?ガバか!?ガバなのか!?」
「……『異常』?……ああ……あれのことですか」
ウィルフレッドは興味なさげな視線を男二人に向けると、おもむろに席を立った。
「ウィルフレッド……!?」
渇探流が止める間もなく、ウィルフレッドは男二人に近付いて行く。
そして、ウィルフレッドは、影に触れた。
———その瞬間。
「ッ———!?」
影の方が、悲鳴を上げた。
人間の喉から出るはずのない、濁った音。
だがウィルフレッドは、気にも留めない。
ただ、静かに———
「……うるさい」
そう呟いた。
次の瞬間、影は崩れた。
剥がれ落ちるように。
削げ落ちるように。
最初からそこにいなかったもののように。その男の影がボロボロと崩れ落ちて、元の———正常な、男の影が戻った。
「……これで、いいですか?渇探流君」
「……はっ?……今……おまっ……何を……」
渇探流が何か言う前に、店内がワッ!と、盛り上がった。
流石『人類の希望』の護衛だ!
とか、
流石あの『士道』だ!
とか、
……いや、違う……あれは“祓った”んじゃない……消したんだ……根ごと……
とか、
賞賛の声となんだか不穏な声が響き渡り、あちこちでグラスをぶつける音が響く。
「マスター!!ドンペリ入れてーーー!」
誰かが発したこの一言で、店は正に『お祭り騒ぎ』状態となった。
そのお祭り騒ぎの原因となった張本人は、いつも通りの距離で渇探流の隣に座ると、いつも通りの笑顔で、渇探流に笑いかけてくる。
「渇探流君、続きをどうぞ」
そう言うウィルフレッドに対して、渇探流は、グラスを持ったまま固まっていた。
……違う
助かった、はずなのに。
胸の奥に残っているのは———安堵ではない。
「……あれは、『治した』のか……?」
思わず、口に出ていた。
「はい?」
ウィルフレッドは、きょとんとした顔で首を傾げた。
「不要なものを取り除いただけですが」
至極当たり前だとでも言うような表情で、ウィルフレッドは告げた。それに、と彼は口を動かす
「ああ言うのは、放っておくと、増えますから」
治した。とか、祓った。とかは、言わないんだな。
ああ———こいつは。
最初から、わかっていたはずなのに。
今更になって、ようやく『理解してしまった』。
こいつは、人を守る側の人間じゃない。
壊れる前に、処理する側だ。
「あれ……?俺、今まで……何を……?」
ウィルフレッドに『影を消された』男が、戸惑うようにそう言っているのを、誰も聞いちゃいない。
そんな男を、渇探流はもう一度見ようとした。
しかし。
———そこにいたはずの場所に、何もなかった。
空間だけが、妙に綺麗だった。
「……いない、よな?」
確認するように言った声が、自分のものじゃないみたいに遠い。
愛生はビールを傾けながら、笑う。
「ああ、いないな。最初から」
「……は?」
「だから言ってんだろ。ここじゃよくあることだって」
軽い。軽すぎる。
さっきまでいたものを、なかったことにするには。
渇探流は、言い返そうとして——止まった。
言葉が、出ない。
代わりに浮かんだのは、どうでもいい違和感だった。
……なんで俺、あの男の顔、思い出せないんだ?
見ていたはずだ。
確かに、目の前で。
なのに、輪郭がない。
声も、身長も、服も、何一つ。
もう一度、あの男が座っていた場所に、視線を向ける。
——そこには、グラスの水滴一つ、残っていなかった。
「……なあ」
渇探流は、ゆっくりと愛生を見る。
「『誰が』消えたんだ?」
愛生の手が、一瞬止まった。
その一瞬だけ、笑っていなかった。
「さあな」
すぐに戻る、いつもの調子。
でも、もう遅い。
渇探流の中で、何かが確実にズレた。
「……お前、見えてたよな?」
「何が?」
「さっきの——」
「さっきの『何』だよ?」
言葉が詰まる。
その問いは、おかしい。
でも、それ以上に——
答えられない自分の方が、おかしい。
沈黙が落ちる。
やがて、愛生が笑いながら渇探流の肩を叩いた。
「気にすんなって!『よくあること』だ!」
———これが、ここの、日常なのか。
頭が、割れそうだ。
このままじゃ、俺も。
そう思ったら、渇探流は動かざるを得なかった。
「なあ、アンタ。さっきの———ええと、とにかくさっきの!見てたよな?ちゃんと、いたよな?」
渇探流に肩を掴まれた男は一瞬ビックリしたような表情をしたが、笑いながら渇探流の頭をわしゃわしゃと撫で出した。
「何言ってんだよ坊主!『何もなかった』じゃねぇか!それよりドンペリだドンペリ!!」
男は笑いながら、酒をあおる。それは確かに、本気でそう思っている人間のそれであった。
「俺が……異常……なのか……?……いや、俺は、俺だ……ブレるな、カトゥール・ウェンライト……」
ともすれば崩壊しそうな価値観を必死に食い止めるために、自分に言い聞かせるように、渇探流はそう、呟いた。
渇探流は、無意識に隣を見る。
ウィルフレッドは、何事もなかったかのようにグラスを傾けていた。
まるで——
『最初から何も起きていない世界の住人』みたいに。




