その婚約、ちょーっと待ったぁ!
「三日三晩も眠っていたと聞きました。具合はいかかでしょうか」
金髪碧眼の天使が、ベッドサイドでばつの悪そうな顔をして、薔薇の花束を差し出している。
美少年と薔薇って何でこうも似合うんだろうか。
惚けた顔でその顔を見上げていたわたしの代わりに、ギルバートがそれを受け取った。
「お嬢さま」
ギルバートがそっと名を呼んで、お礼の言葉を促す。
いかんいかん。
わたしは頭をブンブン振る。
たちまち白銀の髪が大きく弧を描いて舞い散った。
あ、これ知ってる。芸術鑑賞会で見た歌舞伎の獅子舞だ。
と、どうでもいいことを考えてしまうあたり危機感がない。
今わたしの目の前には死亡フラグが立っているというのに!
「ありがとうございます、ジルベルトさま」
「どうかジルとお呼びください、ユーフェミア嬢」
「あ、じゃあわたしもユフィで……。両親もそう呼びますし、長いので……」
正直わたしでも舌を噛みそうな名前である。
だからきっと両親もユフィと呼んでいるのだろう。
なら初めからそう名付ければいいものを。
「では、ユフィ。今日はあなたに大切なお話があります」
あ、待って。来てしまった。
「このたびは僕のせいで傷を作ってしまい、大変申し訳なく思っています」
ジルベルトが神妙な顔でわたしの手に自分の手を重ねる。
わたしは空いている方の手をこれでもかというほどぶん回した。
「いえいえいえ! この傷お気に入りなんです! ありがとうございます!!」
「え、お気に入り……?」
途端に、ジルベルトが素っ頓狂な声を上げた。
後ろに控えていたお付きの人は、完全に固まってしまっている。
しまった、と思い慌てて口を手で押さえる。
目が覚めたときはハゲという事実に動揺してしまったが、実は生前もすっころんだひょうしに切ってしまって、同じ所にハゲをこしらえていた。
あのときは父が見つけてきた美容整形外科医が縫ったので、今よりももっとハゲは小さかったけれど。
あれ……?
もしかしてこのおそろいの傷が悪役令嬢への転生を引き当てたとか?
まさかね、まさか。
ははは、と乾いた笑いで顔を引きつらせる。
それを見たジルベルトは途端に顔色を曇らせた。
気にしていると思ったのかもしれない。
慌てて私は身を乗り出した。
「と、とにかくお気になさらないでください! もう見慣れてしまって、ない方が違和感があるくらいなのですから」
これは本当のことで、髪をおろせば全く見えない上に、初対面の人との話題作りには最適だった。
毎回爆笑を誘ってくれる鉄板ネタであり、全く以て気にならないどころかむしろ愛着すら感じている。
だが力説しようとすればするほど、なぜだかジルベルトの顔が曇っていく。
そうか、この大げさな包帯がいけないのだ。
解いてハゲの程度を見せればさすがに納得してくれるかも知れない。
わたしが包帯に手を掛けようとしたとき、ぎょっとした顔をしてジルベルトが口を開いた。
「あなたがよくても、世間はそれをよしとはしません。女性に傷を負わせた上にその責任を取らないような人間に、王位を託すほど社交界は甘くないのです」
「うっ」
ジルベルトの言い分ももちろん分かる。
生前の日本ですら、父親が「女の子にハゲだなんて、お嫁に行けないかもしれない」と怪我をしてしばらくは泣いていた。
それが中世ヨーロッパ風の貴族社会である。
ハゲたご令嬢なんて言語道断なのだろう。
そしてこの国は長子相続制ではない。
より優れた者が王位に就く。
わたしに怪我を負わせたことですでに傷を負った経歴が、ここで責任を放棄すればさらに地に墜ちるのだろう。
ジルベルトだって婚約したくてしているわけじゃない。
だからこんなにも歯切れが悪いのだ。
「そこで、今日は大事な話をしに来ました」
ジルベルトは、神妙な面持ちでわたしの手を取ったままベッドサイドに跪いた。
途端に薔薇がほころんだような笑みを向ける。
「ユーフェミア・グランツハイム嬢。僕の、婚約者になっていただけませんか」
「あっ……」
とうとう、このときが来てしまった。
登場人物二人目はジルベルト・フォン・ローゼンハーツ。
攻略対象の一人でもあり、このゲームの舞台ローゼンハーツ王国の第二王子。
そしてユーフェミアにハゲを作ってしまった責任を感じて、八歳の時に婚約する。
だがこれは、悪役令嬢ユーフェミアの破滅ルートの始まりである。
ユーフェミアは婚約者という立場をいいことにわがままの限りを尽くすだけでなく、自分を溺愛してくれる母方の兄、伯父のラルフを贔屓するよう国王に詰め寄る。
結果、ユーフェミアとラルフは社交界において強大な力を得るが、それに反比例するようにジルベルトの心はユーフェミアから離れていく。
そんな中で学園に入学したジルベルトはヒロインと出会い、その素朴さに恋に落ちる。
当然納得のいかないユーフェミアは伯父と結託して犯罪まがいの嫌がらせをするのだが、ヒロインはジルベルトと力を合わせてその悪事を暴いていく。
そしてその過程で、実はユーフェミアにハゲを作ったのはジルベルトではなく伯父ラルフであることも発覚するのだ!
ラルフはジルベルトがユーフェミアを王妃の座に据えることで、じきに生まれるであろう次期国王を自分の思うように動く傀儡国王にしようとしていた。
いわゆる摂関政治である。
この場合は孫ではなくて大甥だけれども。
そのためなんとしてもユーフェミアを婚約者に仕立て上げたかった伯父は、あろうことか自分の姪に怪我を負わせ、それがあたかもジルベルトのせいであるように仕向けたのである!
結局伯父ラルフは不敬罪、及び国家転覆罪で処刑されることとなる。
……協力者である悪役令嬢ユーフェミアもろとも!
そんなことを露も知らないジルベルトは、たった今、伯父の目論見通りに婚約を申し込んで、わたしの破滅フラグをスタートさせてしまったのだ。
「……ユフィ? あの――」
鬼のような形相で歯を食いしばっているわたしに、ジルベルトが恐る恐る声をかけてきた。
すっかり前世の記憶と、これから迫る自分の運命に気をとられて、思考が完全に吹っ飛んでいた。
というか、なんで前世の記憶を取り戻すのが、死亡フラグが立った後な訳!?
転落死した上に処刑だなんて、神さまはわたしに恨みでもあるの!?
むごい、むごすぎる。
考えろ、ユーフェミア。
負けるな、ユーフェミア。
小学校の通知表に「自分が楽をするためなら天才的な知恵を発揮するお子さんです」と書かれた実力を発揮するのよ!
ハゲ……怪我……企み……罪を被る………………そうか!!
たった一つだけ、この死亡フラグを回避する方法がある。
この怪我の責任が王子にないことを証明して、真犯人を捕まえればいいんだ!
いいじゃない。
神さまがその気なら、受けて立つわよ。
「その婚約、ちょーっと待ったぁ!」
ジルベルトの手を勢いよく払いのける。
びっくりしたジルベルトが二、三歩下がって、ベッドサイドにスペースが空いた。
すかさず、その隙間に飛び降りると王子の鼻先に人差し指を突き立てる。
「婚約はいたしません!」
「は? しない?」
予想外の回答だったのか、貼り付けた王子さまスマイルが見事に崩れた。
だがそんなのわたしの知ったことではない。
今わたしは、生きるのに精一杯なのだ。
「ジルさま! あなたは騙されています! このハゲをこしらえたのはあなたではありません!」
「え、ですが――」
「わたしが必ずや真犯人を捕まえて、ジルさまの潔白を証明して見せましょう!!」
「……は?」
ジルベルトがあからさまに怪訝そうな顔をするが、わたしは口の端をつり上げると笑いかけた。
ちなみに、わたしはできる限りの公爵令嬢スマイルをしたつもりだったのだが、目の前のジルベルトの顔がさっと青ざめた。
怯えてる?
真実を知るのが怖いなんて、繊細なのね。
まあいいか。
あとでギルバートに励ましてあげてと頼んでみよう。