規格外の正体(13)
百メートル走の開始時刻が分からないので、夢路はトラック競技を全部観るつもりでその周辺で陣取ることにした。行われる場所は確定しているのだから、これで大丈夫だろう。少しすると、周りに人がやって来る。見たところ選手とマネージャーが入り混じっているようだ。
決勝の応援と考えるのが自然か。いや、それにしては人が多過ぎる。そういえば、陸上の花形は百メートル走だとか言うしな。他校の生徒も、自分の学校の生徒が出場しているとかは関係なく観ているのか。待てよ、ということはもうじき百メートル走が始まるということになるな。
流石に俺のようにずっとここで粘っていればいいと考える暇人がこんなに溢れるほどいるはずがない。そうこうしているうちに、すでに選手達がグラウンドの白線に向かって歩き始めていた。そして、夢路はその中に桐生がいることをしっかりと確認する。四番レーンだ。若干不吉な数字な気もするが、人の生死が関係する場面ではないので特に問題はないだろう。
選手達は、白線の手前で身を屈める姿勢を取る。会場の空気も、水を売ったように静かになる。このような状況に不慣れな夢路は、少し鳥肌が立つ。所詮は高校生同士、とこれほどまで真剣な勝負だとは想像していなかったからである。だが今、その認識は完全に改まった。身をもって知ることでようやく理解できることが世の中にはたくさんある。
夢路が四番レーンを眺めていると、一瞬桐生と目があった。刹那の間だったため、あまり確証はない。実際、今桐生は視線を真っ直ぐ前に向けている。ただ、その横顔は口角が上がってどこか笑っているようにも見える。そんな調子で本当に大丈夫なのだろうか。
「On your mark」
位置について。さらに雰囲気が重くなる。
「Set」
よーい。選手達は、まるで行進のように同じタイミングで脚と腰を上げる。
「パン」
ピストルの先から白煙が漂う。一斉に飛び出した少女達。この約十秒の戦いの勝者は、一体誰になるのだろうか。見たところ、桐生の立ち上がりは悪くなさそうだ。前半で三位の位置についている。ここからうまくペースを上げることができれば、一位も夢じゃない。そう思うのと同時に、桐生がどんどん前に出始める。
そうか、これは短距離走だった。一秒のうちに戦況はコロコロ変わっていく。夢路の記憶だと、確か桐生は後半から一気に追い抜いていくタイプの走りを得意としているはずだ。馬で言うなら差しに近い。なら、今はちゃんと自分の形で戦えているということでいいのだろう。夢路がごちゃごちゃ考えているうちに、もう後三十メートル程というところに差し掛かっている。いつの間にか桐生はトップに躍り出ている。このまま突き放せるか。
そして数秒後。全ての選手が走り切り、百メートル走決勝は幕を閉じる。グラウンドには、高らかと右手を上げている選手が一人。無論、桐生であった。ビデオ判定の余地もない、目で見て分かる程度の差を二位につけてゴールしていた。流石は全国経験者である。
皆が拍手を送っており、夢路もそれに倣う。記録とか走りの内容については一切分からないが、良い試合だったと思った。結果くらいはちゃんと理解できるし、労いの言葉をかけがてらマキのところに向かうか。しかし、いくら夢路といえどマネージャー見習いの身でズカズカとグラウンドに足を踏み入れるのには抵抗があったので、ベンチで待つことにした。
これなら、いつかは必ず帰ってくるだろう。さっきも同じようなことを実行しようとしたような気もするが、一旦それは置いておく。夢路は踵を返し、来た道順を逆に辿っていく。
「あ、リュウ! 観てくれた、私の晴れ姿」
「ああ、ちゃんと観てたさ」
ベンチに帰ってきた桐生は、まだ興奮冷めやらぬといった感じだ。
「始まる前にふと目線を変えたら、リュウがいるのが見えたの」
「それは俺も気づいた。その後、お前なんか笑ってなかったか?」
「え? そんなことないよ。試合前なんだからちゃんと集中してた」
なら、俺の見間違えか気のせいということか。まあ、距離もあったしそういうことも起こるか。
「それにしても、まさか一位とはな。おめでとう」
「えへへ。リュウがそんな感じで褒めてくれるのって、なんか新鮮」
そうか? あんまり人を褒めることはないという自覚はないけどな。
「誰だって、今日のお前の走りを見たら褒めたくもなるさ。自分的には調子はどうだったんだ?」
「最高の仕上がりだね。なんてったって、自己ベスト更新だもん」
それは尚更めでたい話じゃないか。はあ、と自然と欠伸が出る。肩や足が途端に重くなり、頭も少しクラクラしてきた。そういえばまだ昼寝もしてないんだった。




