屋上からの失踪(6)
人が高いところから落ちる時、何故か時間がゆっくりと進んで見えるらしいが、私こと桐生 真紀は今それを体験しているのだろう。
明日は陸上の大会だから、今日は大人しくしておこうと思っていたのに。しかし人間、一度火が付いてしまうともう後には戻れないもの。何より、可愛い後輩に頼られたのだ。少しはカッコいいところを見せて上げようじゃないか。
……そしてその結果が、体育館の天井を見上げているこのザマだ。どうやら私はダンクシュートを決めることには成功したみたいだが、着地の際に盛大にこけたらしい。幸いにも頭がクラクラするとか、起き上がるのに支障をきたすものはない。あっさり立ち上がったのにも関わらず、人の輪が無くならない。
「マキさん! 大丈夫ですか?」
ソラちゃんが血相を変えて近づいてくる。
「大丈夫、大丈夫。ちょっとバランス崩しちゃっただけだから。さ、もう一本行こ!」
それでもソラちゃんは固まっている。別にもう大丈夫だろう、と思いながら確認のために自分の体を見てみると、左の膝から赤い血が垂れている。流石にハンカチなどは体育の時間には持ってきていない。ということで私は一旦、体育館から離れて保健室に行くこととなってしまう。
「一人でいけますか? 私ついて行きます」
ソラちゃんは、まるで自分のことのように心配そうな目つきを浮かべている。この子は本当に優しい子なのだろう。
「平気、平気。ちょっと行ってくるだけだから」
しかし、私は保健室が苦手。いや、正確には保健室の先生が苦手だ。幸いにも、今回はただ膝を擦りむいただけ。わざわざ三階に行くのは面倒くさいが、教室の鞄に絆創膏が入っているからそれでいいと判断した。
廊下はもちろん、授業中だから誰もいないし、人の気配もない。一人静かにペタペタと階段を上って行って、ようやく教室にたどり着く。前から扉を開けて入っていく。着替える時にカーテンを閉めたので、教室は真っ暗だった。見えないなりに努力して、自分の席に置いてある鞄の前ポケットから絆創膏を出そうとする。しかしその瞬間、突然後ろの扉が開く。
誰もいないはずの教室から人が出ていくなんて思いもしていなくて、一瞬思考が停止する。脳が活動を再開すると、私は誰が居たのだろうという好奇心に駆られ、ケガの手当ても忘れて足音を頼りに追いかける。そもそも、この人はどうして私が来るなり飛び出すように逃げたのだろうか。別に何かやましいことをしていた訳でもないだろうに。
屋上までの階段を駆け上がり、扉を開けて外に出る。扉を閉じてから周りを見渡すが、やはり人はいない。屋上の扉が開く音もしない、つまり誰も屋上から校舎に進入していない。私は大きく息をつき、地面を覗き込む。これでもし、血だらけの落下死体なんかあったらどうしようか。
しかし、そんなこともなく地面には何も落ちていなかったし、近くに誰もいなかった。良かった、良かった。……いや、良い訳がない。じゃあさっきの人はどこに消えたのだろう?
煙のように消えた誰かさんのことは一旦諦めて自分の教室に再び戻り、私は絆創膏を取り出す。確か、部活の鞄の中に入れて……あれ? 私はとある自分の所有物がなくなっていることに気づく。もしかして、先ほどの人物は……。
***
「マキさん、あれから大丈夫だったのかな?」
放課後の探偵部部室。ソラはマキの身を案じる。結局あれから桐生は授業に戻ってこなかった。ソラは体育が終わった後に保健室に向かったが、すでにその姿がない。休み時間や昼休みにも教室を覗きに行ったが、タイミングが悪く入れ違いだった。
「大丈夫だろ。ただ転んで擦りむいた、そのくらいで大袈裟さ。そこまで柔なやつじゃねえよ」
睡眠ではなくコーヒーを取っている夢路。放課後開始直後にしては珍しい光景である。
「そういえば、今日何度か先輩の教室に行ったんですけど、昼休み以降どこにいたんですか?」
ソラは夢路が空席なのに気付き、質問した。
「今日は日差しが心地よかったからな、ここで寝てた」
「要するに昼寝でサボったってことですよね。そんなので本当に大丈夫なんですか?」
「人生案外何とかなるもんだぞ。扱い的には保健室登校と一緒さ」
「保健室登校の生徒さんと違って、先輩はただの怠慢で授業出てないだけじゃないですか。先生たちもそこまで甘くないと思いますよ」
「まあ、来週からはちゃんとするさ。今日はもう金曜日、大目に見てくれよ」
曜日関係なくいつも寝ている男が何を言っているのだろう。




