超有能アンドロイドメイド、ミュルルの実力
春子の孤児院『あすなろ園』へ、ミュルルはついて行くことにした。
ミュルルに搭載されたAIチップセットは、異常な状況下での判断が得意ではない。しかし、思考パターンを自己機能保全優先モードへと移行。
相手や周囲に対する不用意な情報の開示は、混乱と不審を招くと判断するに至る。ゆえに自分は『記憶を無くした外国人』ということで、保護を頼むことにした。
昭和40年代には人間と同じ見た目のアンドロイドはもちろん、二足歩行する機械さえ無い時代である。ミュルルのオフライン状態の知識データベースでもデフォルトでそれぐらいの情報は残されている。
故に、自分は「記憶を半分無くした外国人」と偽ることにした。
AIは嘘はつけないが、その場に応じ「表面を取り繕う」、オーバライドすることは問題ない。
例えばブサイクな子供を前に「ブサイク!」と指摘すれば波風がたつが「かわいいですね」と言語と表現をオーバライドするのである。
「そういうことでしたら、しばらく園で暮らしてください」
「でも……迷惑じゃないルル?」
謙虚なモノ言いと、申し訳なさそうな表情は、無意識制御OSの利己保身思考ロジックによるもの。
己に有利な状況を招くための言動を選択するよう仕組まれている。
「大丈夫です! 子供達の面倒を見てくれる人手が足りなくて……。私も助かります」
春子は善良で疑うことを知らない人間らしい。
「わぁ! ありがとう、感謝するルル! ミュルルは子守りは大の得意ルル! まかせるルルー!」
上機嫌で胸を張る。
「よかった。じゃぁ行きましょう」
「はいルル!」
居場所を確保し、情報を集めてから今後の対応を考えればいい。ミュルルの無意識状況判断ロジックはそのように行動を選択した。
あれこれ会話を交わしながら夕暮れの町を進む。工場から離れた下町へさしかかったとき、ミュルルは顔をしかめた。
淀んだ水面にゴミが浮かび異臭を放っている。
「ずいぶん汚い川ルルね」
これは「取り繕う」必要の無い状況だ。
実際、ミュルルの表層経験蓄積メモリでは、このように汚染された川を見たことがなかった。
21世紀半ばの日本は、どこにいっても空も川も海も綺麗だった。それは人口が半減し、経済活動は停滞していたからに他ならないのだが。
地方のインフラは整備されず、森に飲まれ、徐々に自然に還ってゆく。没落国家日本は、中心都市を除いて静かな終焉を迎えつつあった。
だが、ここは違う。
昭和中期――高度成長期と呼ばれ、日本の経済は戦後復興を成し遂げ、経済は急速に発展しつつあった。小さな町工場から大きな工場まで日夜フル稼働、環境破壊などお構いなしに、廃液や煤煙をそのまま垂れ流していた。
環境保護が叫ばれ始めるのはもう少し後のことなのだ。
「私が子供の頃、川はどこも綺麗でした。魚を獲ったり遊んだりしたのですが……。あの工場群ができてからこんなふうになってしまって」
買い物帰りの春子は、さみしげな表情を汚れきった川に向けた。
平屋の家々の屋根の向こうには、巨大な工場の建物と煙突がいくつも見える。排煙が夕暮れの空をどす黒く染め、足元では廃液を垂れ流しているのだ。
「環境破壊はダメ! 持続可能な社会を実現しない工場なんてすぐに閉鎖するルル」
「……? 難しい言葉を知っているのね。でもミュルルさん、これは仕方ないんです。この町の人はみんなあの工場で働いて……お給料を貰っていますし」
半ば諦めたように春子は言う。
「汚染された環境は健康に悪いルル」
ミュルルの臭気センサーと汚染物質感知センサーは人間よりも感度がいい。ご主人を護るための機能として実装されているのだが、どれも危険な数値を示している。
「ミュルルさん、外国人の貴女に愚痴っても仕方ないことでした。すみません、忘れてください」
「うぅ……ルル」
経済活動による対価、給与を受け取り生活の糧とする。その理屈は正しく、勤務先が環境汚染の元凶だとしても、異議を唱えられるものではない。
矛盾と葛藤は、AIチップの中央演算回路に過大な負荷をかける。ミュルルの無意識制御OSは、思考の無限ループ、迷路に迷い込む前に判断を保留することにした。
「園はもうすぐです。子どもたちが待ってます。きっと喜びますよ」
春子は微笑むと、また歩きだした。
汚れた川に架かる橋を渡ると、トタン屋根の小さな家々が立ち並ぶ地区へと至る。川辺には葉っぱの茶色くなった柳の木が並び、その下で屋台が営業を始めていた。
おでん、ラーメン、うどん、あるいは赤ちょうちん。人力で動かせる車輪付きの小さな屋台がいくつか見える。
周囲には椅子が並べられ、悪臭など意に介せずといった様子でお客さんたちが酒を酌み交わしながら談笑している。
春子について下町を進むと、次第に夕食の支度をする匂いが濃くなってきた。
「ディナーの時刻なのルルね」
これはどの時代でも変わらない。
「ディナ……あ、夕ご飯どきですからね」
おばさんたちが家の前で井戸端会議をしている。
夕飯の支度を終え、旦那が帰ってくるまでのひととき、愚痴を言い合っているのだろう。住人たちは貧しい身なりをしているが、明るく元気だった。
「おや、春ちゃんおかえり」
「トメ子さん、こんばんは」
「みんないい子で待ってるわよ」
「いつもありがとうございます」
「いいの、みんなウチの子みたいなもんだからねぇ!」
「トメさんとこは5人も兄妹いるからねぇ、今さら住人増えたって同じことさぁね」
きゃはは、と井戸端会議をしていたおばちゃんたちが豪快に笑う。
「……私が出かけている間、近所のみなさんが孤児院の子に目をかけてくださるんです」
春子は小声でミュルルに耳打ちした。
「なるほど! これがコミュニティ! 素敵なところルルね」
住環境は良いとは言えないが、住人たちはミュルルのいた時代より強く繋がっている気がした。
「ところでその方、メリケンさんかい?」
「春子ちゃんが外人さんと知り合いとはねぇ、ハローハロー!」
「はい、ちょっとそこで助けていただきまして」
「ハロー! ミュルルといいますルル!」
昭和の中期にはあまり目にすることはないピンク色の髪に青い瞳。それにフリフリのメイド服。それは外国から輸入された女の子が憧れる人形そっくりだった。
「バービー人形さんみたいだねぇ!」
「ほんと、生きているお人形さんだわぁ可愛い……!」
春子がミュルルを紹介すると、おばさんたちは目を丸くした。最初は驚いていたが、ミュルルの友好的な雰囲気にすっかり打ち解けてくれた。
「ただいま、みんな!」
「ここがミュルルの新しい住まいルルね!」
孤児院『あすなろ園』はもと教会だったらしく、錆びた青銅の三角屋根の上に、折れ曲がった十字架が掲げられていた。
「春子ねーちゃん、お帰り!」
「うわ!? 外人だー!」
「敵襲、にげろー!」
ドタバタと十人ほどの子供達が出迎えてくれた。
下は三歳ぐらいの幼児から、上は十歳ぐらい。
幼稚園から小学生ぐらいのこどもたちだ。
中にはミュルルを見て驚き泣き出す子もいたが、春子が抱き上げると泣き止んだ。
「みんな! 今日からこの園で暮らす、ミュルルさんです。遠い国から来た……みんなの新しいお友だちです」
「新しいお友だちのミュルルルル!」
ここは明るくご挨拶。胸の前で指を組み合わせてハートをつくり、ウィンク。
おぉ……!?
子供達は目を輝かせ、年長の男の子たちは顔を赤くして呆然としていた。
「自己紹介、と行きたいところだけど。まずはみんなで晩御飯にしましょうね!」
春子はみんなのために特売のコロッケを買っていたのだ。そこで借金取りに絡まれてしまったが、コロッケだけは死守していた。
「ミュルルも手伝うルル」
「嬉しい。お願いできるかしら」
「任せるルル!」
メイドの見た目は伊達ではない。
基本的な家事、掃除、洗濯はこなせるようネィティブ・カーネル(アンドロイド素体)そのものにインプットされている。日常生活を支えるための料理、家事などは大の得意なのだ。
日常の身の回りから友達、そして恋愛(ただし本番を除く)まで、家庭でお役にたつ超有能アンドロイド、それがミュルルである。
「ご主人様を満足させることが至高の喜びルル」
やっと自分のターンとばかりに腕まくり。
「お味噌汁を用意してもらっていいかしら」
「わかったルル、味噌スープは任せ……ル?」
しかし、台所に足を踏み入れてミュルルは停止する。
「電子レンジは……どこルル?」
「レン……ジ?」
春子は本気で小首をかしげた。
昭和40年代。
そこには便利な調理用レンジも、温度管理も自由自在なIoTオーブンも存在しない。食材の鮮度を維持する冷蔵庫さえ無かった。
「ミュ、ミュルルの特料料理はは、シチューや味噌スープルルけど、食材を耐熱パックにいれてレンジで加熱……って、えぇ!? あれ、あれぇ?」
台所でぐるぐる回りながら目を白黒させる。
「ミュルルさん、無理しなくていいよ、私がやるから、子供達とお皿を並べて、くれる?」
「そ、それなら大丈夫ルル……」
<つづく>