『昭和』ディストピア
★昭和時代描写では不適切な表現が出てまいりますが、創作上の演出です。
(路上喫煙、女性を卑下した発言など)
「どうやらここは『昭和』時代らしいっポ」
見回すと世界が変容していた。
時間は午後四時頃だろうか。日は傾き赤黒く空が染まっている。
高い建物はなく、目立つのは工場の煙突ぐらいのもの。黒煙をモクモクと吐き出し、空をどす黒く汚し続けている。
アンドロイド、ミュルルの知識データベースは現在オフライン。量子通信回線は予備も含め接続出来ない状態が続いている。しかし蓄積された256ペタバイトの記憶領域から膨大な情報を処理。数ミリ秒で導き出した推測は、過去へタイムスリップした可能性が高い。というものだった。
根拠は検出されたタキオン粒子。様々な条件が奇跡的に重なり、ミュルルの周囲だけ時間を逆方向に加速させた……という可能性だ。
推定膠着時間軸は1960年代。
21世紀から20世紀へ、昭和40年代ごろの過去へ時間を「跳躍」してしまったらしい。
「エエッ……?」
信じられないことに、路上喫煙している大人が歩いてきた。
ぷかぷか煙を吐き散らし、咥えタバコを当たり前のように道にポイ捨てする。
「ダ、ダメです! 歩きタバコもポイ捨ても違法! 小学生だって知ってるルールルル!」
ミュルルの「良心回路」は社会正義を優先、ダメなことはダメと指摘する「勇気パワー」を稼働する。
AIには「ロボット三原則」以外にも「良心」「正義」「トロッコ問題」といった判断に関わる変数が存在するのだ。
「あぁん? なんだぁ、てめぇ」
ギロリと睨まれた。薄汚いシャツと腹巻き、角刈りの頭には捻りハチマキ。
「ひ……ぇえ?」
「妙な格好しやがって、外人キャバレーの客引きかぁ?」
「ちち、違います! それより、タバコを捨てちゃダメルル」
「この女! 女のくせに生意気言いやがって!」
「ひぃ!? ごごごめなさい」
男に凄まれて、ミュルルは逃げ出した。ここは安全優先である。
路地に逃げ込み一息つく。
「はぁ……怖かったルル」
そもそも「女のくせに」というのは明確なNGワード。
男女平等、ジェンダーフリーは21世紀には憲法で明文化され、価値観の否定は犯罪である。
もしドラマやアニメのセリフなら一発アウト。抗議が殺到しネット炎上、打ち切りになることうけあいだ。(※本作は創作上の演出です)
見回すとどうやら商店街に通じる路地だった。
ミュルルは薄汚い路地を通り抜け、大きな通りへと出た。
さっきと同じような男たちがゾロゾロと歩いていた。工場帰りの労働者だろうか。高い煙突からは黒煙が今も吐き出されている。21世紀ではロボットが行うような大量生産を担う人たちだろうか。
ピンク色のフリフリのメイド服を着たミュルルを、奇異と欲望にギラついた目でジロジロと眺めてゆく。
「なんだかやばい世界にきてしまったみたいです。異世界ですか、ここ……」
仕事帰りの男たちはみな咥えタバコにカップ酒、電柱で立ち小便までしている。排気ガスを撒き散らす車がクラクションを鳴らしながら猛スピードで通り過ぎてゆく。
21世紀では違法で、考えられないことばかりだった。
映像として映し出すことさえアウト、ミュルルの頭脳に記録された映像を再生すればチップセットがモザイク処理を施すだろう。
「『昭和』という時代なのルルね」
ミュルルがさっきまで暮らしていた世界とは、まるで違う。雑多で騒がしく、まるで異世界に来たような感覚だ。
それでも、夕方にさしかかった商店街は活気があり、買い物かごを提げた主婦や、普通のサラリーマン(ただしくわえタバコ)が歩き、日常的で平和な雰囲気があった。
子供とお母さんが手をつないで歩く姿を目にして、すこしホッとする。
良い香りを漂わせるお惣菜屋さんに八百屋さん、金物屋さんが立ち並んでいる。
所持金の電子マネーは使えるのだろうか?
日本語が通じるのは間違いなさそうだけど……。
ミュルルは自分の居場所を初期設定し「帰巣本能」を行動原理の一つとする。
「とにかく、どこか……誰かを頼らないと」
補人機を保護してくれる、メンテナンスセンターがあればいいのに。
ミュルルの記憶データベースを紐解くと「20世紀後半の日本(昭和時代)法治国家として警察や役場は優秀だった」と記録されている。まずは市役所や交番など公的機関に駆け込み事情を話すのがよいだろうか。
と、その時だった。
「おうおう、どうするつもりだテメェ!?」
「兄貴は気が短いッスよ」
商店街の一角、惣菜屋さんのすぐ横で、チンピラが二人で女の人に絡んでいた。
一人は赤いガラシャツにパンチパーマ、顔に傷がある大柄な男。もう一人はリーゼント頭の小柄な男。いかにも兄貴と子分、といったところである。
「もう少し……まってください」
絡まれている女性は二十歳かそこら。
幸の薄そうな美人だが、地味な襟付きのシャツに飾り気のないヒザ下スカート。年頃の女性にしてはノーメイクで髪もおかっぱ風で、スカートも継ぎ接ぎがしてある。貧しいのか、女性の華やかさとは縁遠く思えた。
「こっちはよ、金を返せっていってんだ!」
「期限はとっくにキレてるッスよ!」
「すみません、すみません……」
手に買い物かごを提げた女性が、チンピラ二人にひたすら頭を下げている。
揉めごとだが、どうやら借金取りが天下の往来で女性を責め立てているらしい。
「だからよぉ、身体で稼ぐって手も……あるんだぜぇ? ゲヘゲヘ」
「そ、そんな……」
「どうしましたか? 何かお困りルル?」
ミュルルは迷うことなく近づいて、声をかけた。
治安維持を司る「正義回路」がその場で最適な対応を行う。
民事の揉め事であっても、女性が一方的に絡まれているのは見過ごせない。
まずは声掛け、相手を刺激しない。そして内蔵の通信ユニットで警察機関に連絡。
――って、接続エラールル!?
「あ、兄貴……外人ッス!」
手下のチンピラが甲高い声をあげた。
「な、なんだ外人のねーちゃん!? ハ、ハローハローディスイズア・ペン!」
「さ、流石兄貴ズラ、英語、ペラペラッス!」
昭和の人間は外人を怖がる。
周囲には野次馬が集まり始めている。
「アイムコーリング、ポリスメーン! ジャストナウ!」
ミュルルのAIは機転を利かせ、適当な英語を叫んだ。
「ひっ!? 兄貴、なんて言ってるんです!?」
「お、おぅ、グッバイ!」
チンピラ二人は顔を青くし、逃げ出した。
周囲の野次馬から無責任な拍手が沸き起こった。
「……ふぅ、なんとかなったルル」
通信エラーの表示には焦った。どうやら通信衛星もこの時代には無いらしい。
それもそのはず。日本のロケットが初めて飛んだのは1966年から更に5年後である。
「あ、ありがとうございます……」
幸薄そうな女性がペコペコと頭をさげてきた。
「当然のことをしたまでルル」
「悪いのは私なんです。運営資金が足りなくて……お金を借りてしまって」
「運営資金……ルル?」
「申し遅れました。私、春子っていいます。この先の孤児院『あすなろ園』をあずかっております」
「ミュルルも引き取って欲しいルル!」
「え……?」
ミュルルは目を丸くする春子についてゆくことにした。
<つづく>