序章 進化のための消滅
「宇宙に存在する全ての生命に進化を拒むことはできない」
種族の間で広く知れ渡っている我らがリーダーの格言によって幾多の同志を鼓舞させたことは疑いようがなかった。全宇宙生命が享受する我々のテクノロジーによる恩恵を実現することを、そのような確信めいた発言が後押しするということ、それ自体がこの種族の存在意義を強く固定化させたことは間違いない。
だが、その一方でこの格言の持つ意味がよこしまな意志を持つ存在によって歪曲させられることになるであろうとは、誰も予想だにしていなかった。その存在、そして奴に追従する者たちによる種族の不和や軋轢が結果として途方もなく巨大な争いを全銀河にもたらしてしまったこともまた、ほぼ確実に抗うことのできない事実として固定化されようとしていた。
この格言がもはや全く別の意味を持って大きく豹変しつつある。
正しい方向へと導かれるはずの生命進化が一部のよこしまな存在たちによって書き換えられようとしているのだ。
歪曲された意味をはらんだ目的による、このテクノロジーがもたらしたもの、それは………。
「これは銀河戦争だ」
かつての師匠の言葉が自身の回想と共鳴した。幾多の惑星の存亡を巡って絶え間ない武力衝突の勃発を目の当たりにした結果、それが生み出した内面の葛藤、そう、この戦争の行く末を危惧する憂慮に襲われた時、必ずと言っていいほどに思い出す言葉だ。戦いが起きる時、それが発生する場所には必ず生と死を分かつ命同士の激突、そして、それがもたらす欺瞞と咆哮、絶望と悲痛が生まれる。今ではその激突は常態化され、幾千もの生命が我々のテクノロジーによって絶滅した。その果てしない殺戮によって、我々はその技術を生み出したことへの深い後悔と自責の念に駆られた。このテクノロジーを開発したことに大きな意味があったのか、甚だ疑問を呈せずにはいられなかったのだ。
しかし、それでも………。
それでも、我が指導者はこの技術に可能性を見い出し続け、我々の種族としての誇りと尊厳を守ろうと奔走してくれた。その勇敢で毅然とした態度は、多くの同志を奮起させた。今でも私の胸中にはその時の鼓舞された勇ましい感情が宿り続けている。
………そのリーダーが今、絶体絶命の窮地に陥ろうとしている。
大勢の軍勢に占拠された敵地がじわじわと我が本拠地に浸透しつつあり、侵攻が進んでいるこの危機的事態を止めるべく、たった一人で戦いに突っ込もうとしているその無謀とも言える猛進的な挙動を見て、その場にいた誰もが強い不安を抱いたに違いなかった。
むろん、止めないわけにはいかなかった。
この軍隊を指揮する補佐役としてリーダーの傍らに従事する任務を全うしている以上、リーダーの存在は大きく、また戦況的にも、彼ら部下の戦意的にも欠かせない絶対条件だった。
だが、この犠牲的なまでの献身ぶりを彼らに示してきたリーダーの決意と、そこからうかがえる振る舞いから見える態度は、誰もが見て一目瞭然だった。
そう。
彼は、固く決断していた。
この宇宙規模の危機を回避する「転送」をうまく成功させるには、リーダーである自らが我が死をもって敵の猛攻を止めるしかないのだということを………。
「幸運を祈るぞ、ヤヌス。我々の間にあるこの絆に噓偽りなどは、決して存在しえない」
自身の手から目的の遺物となるものを彼に手渡し、最後にこう言った。
「グランドハイパーリアリティは実現する。必ず」
譲り受けた手の中にあるのは謎の円形型の物体だった。
立体映像なのか、象形文字がいくつもの環状を成して入れ子になって浮いており、それがまるで独りでに動く渾天儀のようにゆっくりと回転している。
中央には何もないがまるで湯気が立つようにして、その部分の空間だけがゆらゆらと揺れている。
土星の環をそのまま縮小させたような、不可思議な構造体だった。
これが全宇宙生命の命運を左右する、最後の希望となる究極のテクノロジーであることは、メタディファーのメンバーなら誰しもが理解していることだった。
思わずといった調子でヤヌスはリーダーの表情を見ようとした。だが、僅かな差でその顔は前方へと向き、これ以上は無用だと言わんばかりにその場を立ち去り始める。
強引にでも引き留めようとした決意もあえなく砕け散り、彼は一人で行ってしまった。
その勇敢なまでの後ろ姿が今でも目に焼き付いて離れない。
つい数分前の出来事であったにしても、最後まで部下に勇敢であり続けることを身をもって教えてくれた唯一の崇めるべき存在だった。
グランドハイパーリアリティ。
この宇宙に住む全ての生命に飛躍的な進化をもたらす、巨大な計画。
これを実現させるために建設された母星であるこのステーションも、その大掛かりな仕掛けに必要なテクノロジーも、そして、言わずもがなこの宇宙規模の計画でさえも………それを成就させるには彼の存在こそがどうしてもなくてはならない、不可欠な存在だった。
その彼が死んだら、この宇宙の行く末は一体どうなってしまうのか。
もし、………いや、彼が敗北することは火を見るよりも明らかだ。
実際にこの戦況が圧倒的に劣勢である以上、彼が無事戦闘に勝利して生還できるとはとても思えない。
多くの宝をこの心に残してくれたリーダー。
彼がこの世からいなくなってしまえば、これから先、自分はどんな生き方を、そして、どんな打開を試みればいいのか………。
仮に、最後の希望が託されたこの計画が一旦成功を収めたとしても、だ。
脳裏に浮かぶ大きな絶望感が再び支配しようとした時、彼は頭を振ってそれを払拭した。眼前には我が種族の忠実な部下たちがこのコクピット内で起動作業を続けている。事態が招いた結果はもうこれしかないのだ。今はこれに懸けることだけが我々の責務であり、使命だ。
「高次元亜空間における時差計算に基づく油圧系のメーターは平常に運転。スタビライザー、及びピッチコントローラーを起動。これよりデュアル反重力エンジンを稼働し、離陸態勢に移ります」
操縦桿を握る部下の声が聞こえ、彼の意識は少しばかり任務に移った。
「よろしい。メーターを確認し、フルパワーになり次第脱出せよ」
「承知致しました」
引き続き作業を行っていくその様子を、突如にして鬼気めいた喧騒に豹変させたのはヤヌスの部下の一人、エルスだった。この四角いチャンバーの上方にある焼け落ちた穴から突然降下してくる。
「警告!!!オデッセイ号、今すぐに出航し、脱出せよ!!!ヤヌス副官!!!今すぐに………!!!」
きりきりした声がこの格納庫の空気を震わした。
それとほぼ同時にずっしりとした重い振動が巨大な爆音と共に、鉄の地面を大きく揺るがす。
敵の侵攻がすぐそこまで近づいている。
くたびれた配線が無数に繋ぎ合わされた、黒くくすんだアーチ状の灰色の天井から、小さな鉄片が振動に耐えきれずにころころと落下してくる光景を目の当たりにした時、彼の意識は完全に戦闘モードへと移った。
ドオオオンッッッ………!ドドオオオンッッッ………!
地面をえぐるような凄まじい轟音が連続して着々と接近し、音も次第に大きくなってくる。
エルスの命を受けて、ヤヌスは操縦士に指令を思わず大音量で下した。
「エンジン出力を全開に!!!行け!!!行くんだ!!!」
操縦士がスロットルレバーを操作し、船は次第に速度を増して滑走し始めた。
同時に船を赤外線センサーで感知したゲートが開き始める。
その背後でひときわ大きな爆音が鳴り響いたかと思うと、格納庫の壁が木端微塵に粉砕され、向こう側から敵軍の兵士が何体も押し寄せてきた。
「副官、どうかご無事で!!!」
エルスが手から表出させたパルス砲を敵に向かって乱射しながら大音響で叫ぶ。
その間、船が加速していき、滑走路を勢いよく駆け抜けていく。
彼の声は聞こえなかったに違いなかった。
だが、誰もが互いに生存できることを切に願ってやまないことは重々理解していた。
もちろん、全ての部下がリーダーの生還を祈っていることは言葉に出さなくとも一致していた。
オデッセイ号はついに速度を上げて、何もない虚空へ向かって上昇していく。
破壊されて折れ曲がった突起物をいくつかかすめ、宇宙へと飛び立つ一世一代の脱出を試みるべく高度を一気に上げていった。
………予期せぬ結末が待ち受けていることを誰一人として知ることなく。
「宇宙に存在する全ての生命に進化を拒むことはできない」
歪曲された意味を含んだその発言は、彼の心の内を激しく煮えたぎらせた。だが、それでも拡張生体が残り僅かなパワーを保つことしかできない事態がその奮起した心を痛めつける。そんな状況下で苦戦する彼をさらに罵倒して戦意を削ごうとする敵。
「我々の発展による生命の跳躍が事を成し遂げられないのは、貴様たちの部族が存在していることそのものに原因がある。故に、我がエンドディファーたちによる生命進化を促す正当性を主張することはもはや不可避なのだ。貴様たちの部族では生命進化は促せないのだ。たとえ、我々が同じ起源を持つ種族であったとしても」
敵に痛めつけられて機能が低下している拡張生体のバッテリー残量を、接続された感覚神経で確認しながら自身がグリッターのリーダーであることをかすかな意識の中で再認し、必死に言葉で反撃できる要素を探した。とりわけ種族という言葉を敵が使うことにことさらに太刀打ちできない激昂が内側から燃え上がってくるのを感じた。
跪いていた両足に力を込めてゆっくりと立ち上がっていく。
「お前の言う進化は本来あるべき進化とは似ても似つかないものだ。真の進化を知らないお前ごときが進化をのたまうな!」
「はっ、力で圧倒的な差がついている時点でお前に進化の何が分かる?生命と同調などとほざく連中にこそ進化の意味を説く理由は存在しない。まあ、いい。一体どちらが本物の進化を遂げることになるのか、しかと見ていろ」
敵との会話の途中、途端に頭上で鋭い風切り音が聞こえた。エンジンの巨大な轟音だ。
ゆっくりと顔を持ち上げると見えたのは、ひときわ大きな船体を持った戦闘用貨物船だった。
一刻を争うようにして勢いよく上昇を続けていく。
それを目にした彼の頭に一つの不安がよぎった。
あれは、恐らく………。
そうだ、間違いない。
もし、この船が意味することを敵が知っていたら………。
いや、もしかすると………。
「おおっっっ!お待ちかねの標的がお見えになったぞ!エンドディファーたちよ!」
眼前の敵………エンドディファーと自称するハチ型種族の中で反旗を翻した中心的人物―ネメシス―は空に向かって大きく声を張り上げた。恐らくビーコンも送信したはずだ。数秒ののちにネメシスの部下であろうスズメバチ型部族の軍隊がどこからともなく突如として上空に出現し、上昇していく貨物船を途轍もない速度で追尾し始めた。
やはり知っていたのか!
一番恐れていたこの事態だけは何としてでも回避しなければならない。
「やめろ………」
声が小さくて届かないことを認識し、声を絞り出して繰り返す。
「やめろっっっ!!!」
大音量で吠えたつもりだったが、たとえ届いていたとしても敵たちが追尾をやめるはずもなかった。
そうと知っていても思わず叫ばずにはいられなかったが、実際に叫んだ後の失望感がじわじわと彼の心を蝕んできた。
あれには………あの船には今しがたヤヌスに渡したばかりの科学技術が積載されている。
我がメルディギガーの存続の命運を分ける、全宇宙生命にとっても最後の希望となるテクノロジーが。
それが敵の手に渡ることになってしまったら………我々の種族だけでなく、かつてある有力な星と同期したこのステーションである黄金惑星、そして全ての銀河の懐で温もるあらゆる生命がその灯火を跡形もなく消されることになる。
全宇宙から生命と呼ばれるものが消滅するのだ。
そんな悲惨な末路を実現させるわけにはいかない。
彼は、残った力を振り絞って羽にエネルギーを流入し、低い振動音を轟かせて上空へと飛翔した。
もちろん、ネメシスが追ってくることも分かっていた。
それでもやらなければならなかった。
自身の右腕に位置する電磁パルス砲を構え、照準を合わせてエネルギー弾を発射しようとしたその直前、予測通りというべきかネメシスが彼の真後ろを追行してきた。彼は腕内部のエネルギーを破壊を伴う周波数に変換し、肘の排気口から衝撃波を放った。
「ぐっ!」
バチバチと電気が迸り、無数の火花が直撃した奴の体から空中へと離散していく。敵が怯んだその隙に一気に速度を上げて軍隊の群れに接近していく。
(後方に敵の存在を確認)
軍隊の一人が彼の存在に気づき、貨物船に背を向け、エネルギー弾を一発、続いて三発を連続して発砲してきた。
華麗な動きとまではいかないものの、左右に体を振って全ての砲弾を避けきった。
だが、それに気づいた二人目が十発以上の連弾を放つ。
最初の二発は回避したものの、次の砲弾を避けきれずに右の羽に直撃させてしまう。その次に一発、二発、三発と受けてしまう。
(飛翔エネルギー変換装置に支障あり)
(バッテリー残量四十二パーセント低下。残り二十三パーセント)
(視覚の多角密度層のうち、二層が損壊)
次々にエラー表示が顔面ディスプレイに展開されていく。壊滅的状況に陥っていることは明白であり、自身の生命存続が危ぶまれる事態に直面していた。拡張生体を通じて様々な痛覚が「もう無理だ」と訴えかけている。
彼はその悲鳴を無理やり無視し、渾身の力を振り絞って片手で空を裂く。
裂けた空間が歪曲して時空連続体が生み出された。その不可視の引力に引き寄せられるかのように軍隊のうち何人かが上昇速度を鈍らせた。追いついた彼は、彼らを片腕から放った衝撃波で次々と撃破していく。
このまま打開できそうな希望が僅かながらに湧き上がってきた。
だが、そう簡単に事は成し遂げられなかった。
貨物船を追尾する先頭集団のうち、一番先頭に位置する者が片腕の側面からミサイルを表出させた。
鋭い発射音と共にそれは船に瞬く間に追いついた。
彼がこの世界で一番見たくない光景だったが、それでもその行く末を直視せずにはいられなかった。
凄まじい爆発音が上空で鳴り響いた後、船の側部に直撃した打撃から生じた揺れを制御できず、船は速度を失って回転しながら、大きな宇宙の大海原へと放り出されていく。
いくつもの破片を飛散させながら、船はゆっくりと宇宙空間の中に消えていった。
全種族の希望を完膚なきまでに殲滅させるには十分な光景だった。
敵たちの高笑い嘲笑がこれでもかとばかりに虚空に反響する。
終わってしまった。
彼の中からこみ上げてきた深い絶望感が体全体を一気に侵食していく。全ての力を失って弧を描くようにしてそのまま瓦礫で埋もれた大地に向かって落下していく。
ひしゃげた音を立てて墜落した彼の意識はもうすでに遠のいていた。彼の周りに降り立ったネメシスをはじめとするエンドディファーたちが集団で最後の仕留めにかかろうと寄ってきた時も、彼の全身は深く強い絶望感と悲しみに蹂躙されていた。
あまりにも非業な彼らに対する怒りすらも湧き上がることなく、彼はただひたすらに死を待つだけだった。
邪悪な笑いを浮かべたネメシスが彼の頭上で叫んだ。
「見たか?銀河戦争の行く末も我が圧倒的な勝利をもってこれで終結を迎えるのだ」
しぼんだ目で敵の赤い瞳をぼんやりと見上げる。
意識の中にあった最後の希望の灯火が消える時、わずかながらに彼の信号受信機が作動した。
ビーコンを受信したらしい。
そこからメッセージが聞こえてくる。
低い声が彼に何かを告げている。
それは、言った。
―攻撃は受けつつも、無事に何とか脱出しました―
―我々は、未知なる領域に隠された系外惑星を探知しました………我々のもう一つの故郷です―
それが生存したヤヌスの声だと認識する前に、ネメシスが手から表出させた長い針のようなものが彼の胸部を刺し貫いた。
完全に意識が潰える直前、彼の中に響いたその声が言っていた意味が分かったような気がした。
我々のもう一つの故郷。
それは………。
彼の息が絶えた時、ヤヌスの声が言った。
―我々はそこへ向かいます………種族の最後の希望となるもう一つの星、いや、かつての我々の故郷であった、地球へと―
ネメシスは満足そうに突いた針を抜いて内部に戻すと、近くにある破壊しつくした瓦礫の山の丘にゆっくりと登っていった。
その丘の内部にはある円陣がある。
地下へと続く太くて大きな鉄柱の頂点にあるホログラムメモリだ。
彼は片手をかざして、平面状の生体認証機能に触れた。
ここからあるものが手に入る。
全宇宙の様相を書き換えることができる、究極の遺産だ。
彼は高慢な笑みを浮かべながら、中にある空洞を覗いた。
………だが、そこには何もなかった。
ただ、球状の穴がぽっかりと口を空けているだけだった。
銀河戦争まで勃発させて、幾多の生命を滅ぼしてまで得たものは、何もなかった。
宇宙を書き換える我が大いなる野望は見事なまでに水泡に帰したのだった。
………なんだと!
あれが、ない!
全ての宇宙でたった一つしか存在しない最後の文字群が羅列された、あのテクノロジーを手に入れることができないだと………!
「"時空の印"は、どこへいった!!!」
怒りのあまり、生体認証機能を叩いて破壊してしまおうかと衝動が走った。
その時、小さな電子音が鳴り響いた。
側面を見ると、赤いセンサーライトが点滅している。
何かを探知したらしく、音声が聞こえてきた。
「敵の指紋を認証。これより"転送"を開始する」
………転送?
一体、何の………。
怒りの代わりに困惑が浮かんだネメシスの表情は瞬時に驚愕へと変わった。
窪んだ穴から緑色の光線が天空に向かって解き放たれたのだ。
突如にして星空を背景にした夜明けの空に稲妻のような炸裂音が襲った。
光線は、一瞬にして大気圏に到達すると左右に広がって東西それぞれの地平線へと向かって迸っていく。
地上からでは見ることのできない、巨大な環がこの星の側面を囲った。
ちょうど反対側で光線が繋がると、その光は大きな象形文字を形成し、ゆっくりと回転を始めた。
まるで空間を引き裂くように金属が動いていくような、今まで聞いたこともない重低音がこの星の天空を支配した。
すると眼界にある全ての事象物が揺らぎ始めた。
ネメシスは自身の手を見た。
それも空間が歪曲しているように歪み始め、しまいには縮小して消滅し始めた。
不思議と痛みは感じなかった。
胸部が凄まじい激痛を伴い始めたことを除けば。
当惑したネメシスの表情が次第に戦慄で覆われていく。
一体全体、何が起こって………。
重低音がどんどん大きくなるにつれて、万象の消滅の速度も速くなっていく。
彼の気づかないうちに胸部に空いた丸い穴を回転する小さな文字群もまた速度を速めて消滅していった。
意識がまだ明確なうちに、ネメシスは気づいた。
これは………フィールドチェンジか?
だが、それを知った時には既に遅かった。
自身の体は一気に崩壊していき、ステーションの役割を果たしていたこの惑星も瞬時に消滅していった。
だが、ただ単に消えてなくなるわけではないことは、消滅しつつある意識の中でもはっきりと認識していた。
そう、文字通り転送されるのだ。
どこか、自分の知らない遥か遠くの銀河の彼方へと。
しかし、その時には自身の体が復元できるか定かではなかった。
この胸部が感じる途轍もなく激しい痛みがそれを証明していた。
そんな行く先を認識できる状態ももはやとうに消え失せ、ネメシスは極度の胸の痛みを感じつつ、最後の独白をその胸中で呟いた。
グランドハイパーリアリティは………俺が書き換えてやる。
地球 先史時代 シベリア地方の渓谷
とりわけ大きなシダの葉から雨上がりのしずくがぽつぽつと滴り落ちてきた。それは一匹のオオカミの頭上にいくつか降り注いだ。顔を上げるとすでに煌びやかな木漏れ日が、より高い位置にある広葉樹の間から差し込み始めている。夜明けのせいか相変わらず温度は低い。太陽の光は今日も暖かった。それでも今日こそは狩りを成功させたいこの捕食者にとって、天候の様子はあまり意味をなさなかった。
………遥か高い天空の果てから大いなる何かが降臨してくるまでは。
不意に、大きな音が空気を震わせた。
幾千もの羽虫が羽ばたくような、低く唸るような重低音にオオカミは顔の向きを音のした前方へと変えた。
少しばかり薄気味悪くも感じられるブウウウンという音源には、不吉な予感を漂わせる響きがあった。
新参の捕食者は音の聞こえた方へと向かった。
しばらく頭上に続くシダのトンネルを抜けると開けた土地へと辿り着いた。
今まで通ってきた道にはなかった景色だ。
………ただしそれは、異次元にある世界を目の前にしたという、空前絶後の光景という意味で。
眼前には大きな谷が見えた。
普通の景色であれば穏やかな河川が一望できる優雅な彩りが見えるような場所だった。
だが、そこは違った。
谷底に見えるのは、得体の知れない光沢のある物質でできた巨大な円形の構造物だった。その円形の中はぽっかりと空いていて、内部には深い傷のような線状の切れ目が非常に複雑な形状を成しながら地面を傷つけるようにして刻み込まれている。その亀裂の間にいくつもの高い塔がそびえ立っている。塔の表面にもまたいびつな形の線が無数に刻まれていた。問題の発信音は、それらの中で中心に位置する最も高い塔の頂点にある、縦に伸びた青く光る線が大きく揺れて振動することからきていた。バチバチ弾ける火花を発するその線が瞬時に揺れ動く度にブウウウンという音が発せられていた。
この動物に自然界の現象を科学的に解釈できるだけの知能を持ち合わせていたのなら、その正体が理解できたかもしれない。だが仮にそのような知能を獲得していたとしても、これから待ち受ける地球規模の大事件に際するなら全くもって意味を持たないことだった。
もう少し文章が続きます。
現在加筆中です。