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軌跡の風  作者: 湯西川川治
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顧問、生徒、反省する

 不器用な両者の、対処法。

「高槻先生……ですよね」

声に振り返ると、昨日部活の見学に来た女子生徒がいた。

高槻が頷くと、彼女はショートカットで少し茶色がかった髪を揺らしながら一礼して、1枚の紙を差し出した。

「……入部届け?」

 そう書かれたわら半紙を見て思わず高槻は固まってしまった。もう保護者印も押されていた。

「……高槻先生はアーチェリー同好会の顧問で合っていますよね?」

女子生徒は高槻に尋ねる。それは少し事務的に聞こえた。

「水池……琴音さん?」

「はい」

 女子生徒――水池琴音みずいけ ことねは飄々と答えた。

「練習、見なくていいのか? それからじっくりと」

「もう、最初から決めていましたから」

 これまた飄々と琴音は言う。

「そう」

 高槻は息を1回吐く。――これでとりあえず、同好会は残るか。いや、本質的な解決にはなっていないだろう。

「それじゃあ、これからよろしく」

 固い握手とともに、意識が急速に失われて行った。

 夢か。

 いや違う、現実だった。

 高槻は数分前に起きた事を頭の中でリフレインさせていた。確かに、新入部員が入ったのだ。――水池琴音。1年4組の女子生徒。

覚えているのはそれだけだったが、確かに彼女は入部したのだ。

 高槻は意識を元に戻しつつ立ち上がって背伸びをする。

「高槻先生、着替えてきましたよ」

 その瞬間、体育着に着替えた琴音が準備室にやってきた。

「……どうして」

「高槻先生が言いました」

そう、高槻が言ったのだ。入部するのならば実際に撃たせた方が良いと思い、この状況下であるのにも関わらず、弓を持たせる事にしたのだ。弓と言ってもまだ初心者用の木の弓であるが。とりあえず、アーチェリーに慣れさせなければいけない。

「それじゃあ射場に行くから、外履きに履き替えてきてくれ」

 はい、と言って、琴音は廊下を駆けて行った。廊下を走るなとでも言おうと思ったが、とやめた。

 先ほどの事務的な口調や、感情の起伏の少なさからは想像出来ないほどの無邪気さだった。

 思わず高槻は笑みを浮かべた。――俺は、顧問だよな。

 高槻はアーチェリー場へと足を進めた。

琴音は、口数の少なそう、と言うか少ない生徒だった。高槻は射場までの道のりでいろいろと話しかけてみたのだが、答えはいつも単語だけで、長文が続かない。話し手と聞き手が一目瞭然だった。

 だからこそ、高槻はその“声”に気がつくことができたのかもしれない。

「ほらー! もっとそっちもー!」

「ちょっと待ってよー!」

 射場のドアを開けようとしていた高槻がその体勢で固まった。少し開けて様子を見た。手前の草が無くなっていた。目を疑った。ほんのりとした春日の中、2人の女子生徒が鎌を片手に草を刈っていた。

「これいつになったら終わるの~?」

「草がなくなるまで!」

「だって、まだかなりあるよ~!」

「やるの!」

「本当に~!?」

「やるったらやる!」

 紀久美と美紗は慣れない鎌に苦労しつつも草を刈っていく。着ている服は土だらけで、春だと言うのに、夏のように汗でべったりと肌に張り付いていた。まるで農作業だ。

 ――全く何やってんだ、新入生がいるのに。そう高槻は心の中で呟いた。

 琴音はいきなりの事態に、交互に双方を眺めて、首を傾げていた。

 高槻は止めようと思い再びドアノブに手をかけた。――が、もう少し様子を見る事にした。

 しばらく経って、美紗と紀久美は射場の脇に積んであった畳に座って休憩し始めた。制服にスカート姿で足を投げ出している彼女たちに、男子は目のやり場に困るかもしれない。

 ――全くなんて無防備なんだ。

 高槻もその1人だった。

「顔が赤いですよ」

 そんな高槻を見た琴音に指摘される。

「……気のせいだ」

「釘付けですよ」

「からかうな」

 高槻がうろたえ気味に応答する。ペースがどんどん崩される。琴音は静かで無口だけれど、人で遊ぶのが得意そうな雰囲気だった。――事態の事情を話したときもそうだった。極悪人。確かに非は認めるが、その一言をまさか新入生なんぞに言われるとは思ってもいなかった。

実際のところ高槻は目を背けていたが、横目でチラチラと気にしているのが一目瞭然だった。

「そりゃ男ならしょうがないですよね」

「……人を哀れむような目線は止めてくれ」

 ――一体なんだって言うんだ。

 これほどまでに逃げ出したい気分になったのは始めてだった。


     *


「なんでいきなり草むしりなの?」

 紀久美は隣に座っている美紗に尋ねた。

「……」

 美紗は押し黙ったままだ。

「なんで何にも言わないの?」

「……」

「あまりだんまりしてると私怒るよ?」

「……ごめん」

 自信を失っている。搾り出すように発した声を聞いて紀久美は確信した。――でも、何で草むしり?逆に無気力になって引きこもっちゃうんじゃないかな。それとも気が変わったかな。美紗ちゃんは変幻極まりない人だからな。

「で、何で草むしり?」

 紀久美は気になっていた質問を繰り返す。まさか理由もなくこんな事をしているわけではないはず。

「初心に帰るため?」

「初心?」

 どういう意味? と言ういかにも話の腰を折るような発言は口に含み隠した。――ここで怒らせたら美紗ちゃん本当の事教えてくれないもん。

「さて問題。この射場を作ったのは誰でしょう」

「……は?」

 今度は口に出てしまった。美紗の不可解な言動に紀久美の頭は混乱していた。

「美紗ちゃんと、私と……高槻先生?」

 一種の草原だったこの射場を整備したのは、紀久美と高槻を含めたアーチェリー同好会のメンバーだった。

「正解。じゃあ次の質問。自分たちの射場は自分で整備する。それやってた?」

「やってたでしょう」

「何を?」

 そう言われてしまえば、答えに詰まる。そんな紀久美に美紗が畳み掛ける。

「草刈は? 防矢ネットの取り付けは? 標的の設置は?……先生ばっかりにやらせてたよね」

 事実だった。――私たちは、ごみ拾いくらいしかしていない。

「いいのよ、あんな鬼のような最低な人には……」

「先生のことを悪く言うのはやめて」

 美紗はうんざりそうに言う紀久美を真っ直ぐに見つめて言った。その目は同時に怒りにも満ちていたように見えた。

「仮にも私の恩師。ここまで押し上げてくれた先生だよ。厳しくたって、私にアーチェリーのイロハを叩きこんでくれた。そんな先生の悪口だけは許さない」

「……ごめん」

 紀久美は素直に謝った。

「冷静になって考えて見た。私は甘いってことがわかった」

 そんな紀久美に笑いかけるようにして美紗は言った。そして続けた。

「それでもやっぱり、無茶だと思う。私ごときがインターハイなんて。でも先生はさ、行けるって何度も言ってくれた。こんな私に。期待してくれてるのに。私は応えられない。だから、これは先生に対する敬意と申し訳なさを示しただけ」

 しばらくの沈黙の後、美紗がふっとため息をついた。

「なんてね。そんなの建前にしか過ぎないのよ」

 そう言って美紗の出してきた右手を見て、紀久美は目を見張った。中指は大きく腫れ上がっていて、その指先は白く大きく膨らんでいた。

「何でそんなになるまで!」

「大会前だし、点数落ちてたから、休むわけにも行かなくて」

「そんな怪我しているから点数落ちたんでしょ」

「……ごもっとも。でも、大丈夫だって」

 美紗は空元気を見せて笑う。しかしすぐにその目は逸らされる。

 紀久美は行き場のなくなった視線をさ迷わせる。

 ふと、射場のドアに人影が見えた気がした。――あ、そうだ。

 妙案を思いついて紀久美は無造作に立ち上がる。

「今ここで治療する」

「……え?」

訳のわかっていない美紗を横目に紀久美はポケットから縫い針を取り出した。

「何でそんなの持ってるのよ」

「わら人形に打ち込むため」

「やめてってば」

「今治さないでいつ治すの」

 あとずさる美紗を前に紀久美はじりじりと彼女ににじり寄る。

「待て! 針を熱せって!」

 あと少しと言うところで、いきなり高槻が出てきて言った。作戦成功。そう心の中で拍手をして、紀久美は美紗から離れて行く。

「ちょっと待てどこに行く」

 紀久美のいきなりの退場に高槻は事態を理解出来ていない。

「生徒会の仕事あるんで失礼しますね。あ、治療は先生がやってあげて下さいね」

 紀久美はドアを閉めた。――さて、部外者は立ち去りましょう。

 生徒会の仕事はないに決まっている。嘘の常套手段だ。

 しかし、即興で無茶な賭けだった。あの場に高槻がいなければ、いや、隠れていなければこの作戦を考えもしなかったわけである。

 ふっと息をついて立ち去ろうとした。

 すると新入生がいた。軽く一礼してくれた。比較的小柄な女子生徒。体育着ってことは仮入部かな。

「仮入部?」

「……いえ、もう入部しました」

 少し話してみた。水池琴音、か。――よかったね。美紗ちゃんの努力も報われて。

「ごめんね。うちの同好会、こんなごたごたで」

「……訳わからないです」

「そうね」2人は笑った。

 やっぱりうらやましいよ、美紗ちゃん。

「一足先に自己紹介しようかな。私はアーチェリー同好会のマネージャーの三島紀久美。よろしくね、琴ちゃん」


     *


 さっきまで膨らんでいた水ぶくれはぺちゃんこになって、高槻が手際良くテーピングを巻いて行く。美紗は痛みに顔を歪めている。――ったく、わざと痛くしてる?

 2人だけの草むらは無言の境地だった。張りつめたピアノ線のような空気。

「夢を形にするのは難しい」

 それを唐突に破ったのは高槻だった。いきなり何を言い出すのだろう。美紗は警戒してとりあえずそっけなく相槌を打つ。

「ですね」

「俺は夢だった。――インターハイ優勝が」

 そう言う高槻の表情は夢見る顔ではなく、初めて美紗は高槻の悲痛に染まる顔を見た気がした。――あれ、でも過去形?

「もう10年前だったかな。俺が肩をやったのは……公式練習だった、インターハイの」

 何かが解けて行く気がした。アスリートの一番の苦しみは、怪我で夢を失う事。

「苦しかったさ。だからこそ、俺は指導者になった――夢を叶えてもらうために。自分の二の舞にならないように」

 こんな苦しみを抱えて、先生は。美紗は恥ずかしくなった。――何なんだよ、私はさ。

「押し付けているのはわかっている。だけど……夢を見させてくれ、松高で」

 はい、と今度は頷いた。結局高槻の熱意に押されたわけだ。――まったく、私は弱い。

「ということで、まずは治療に専念しろ」

「でも、大会が」

「まあ、出るなとは言わない。結果はついてくるかはわからないが」

 高槻が言う。

「だけど、お前が目指すのは、6月のインターハイ予選だ。そこにピークを持って行け。インターハイ予選で勝てば国体も最終予選には残れる」

 美紗はそれでも不安そうな顔を見せる。

「でも、金崎先輩だっていますし」金崎先輩、というのは県の最強選手のことだ。

「大丈夫、だ」

 怪我を知った人間は強いと言う。美紗には高槻がいつになく頼もしく見えた。――賭けて見ようかな、高校生活。

「まあ、治るまでは並行して新入部員の指導を命ずる」

「……入れば、ですね」

 他人事のように美紗が呟く。立ち上がって大げさにため息をつく。

「まだ坊主か」

「恥ずかしながら」

「そうかそうか」

 何でそんなに嬉しそうな顔してるのよ。――そんなに面白い?

「何で笑うんですか」

「いや、なんかな」

 高槻は必死に笑いを堪えている。

「なんですか、それ」

 高槻が1枚のわら半紙を風になびかせているのに美紗は気づいた。

「あ、これか。彼女の入部届けだ」

 と、高槻が後ろの女子生徒を指差した。――誰? いつのまに。

「新入部員の水池琴音さんだ」

「……はい?」

 美紗は呆けたような声を出す。――何、この急展開。

「ちょ、先生どこ行くんですか」

「指導係はお前だろう。じゃ、後は頼んだ」

 美紗が目を丸くしているうちに、高槻はひらひらと後ろ手を振りながらアーチェリー場を後にした。隠れていた紀久美に一言お礼を言ってから。

 美紗は一瞬固まっていたが、我に返って琴音に向き直った。

「えーと……入部決めたの?」

「はい」

「……見学もしないで、いいの?」

「大丈夫です」

「……こんな小さな同好会だけど」

「大きくしましょう」

 ――あー、じんわりと来たよ、涙腺。

 もう感動を抑え切れなかった。美紗は琴音を抱きしめた。

「え、ちょっと?」

「私は風早美紗。美紗先輩、でいいよ。その方が短くて呼びやすいから」

 夢を目指す部活動が、やっと始まった。


     *


「生徒会の仕事はもう終わったのか」

「はい、おかげ様で」

 射場の外の壁に体を預けていた紀久美に高槻は尋ねた。

「まったく、やりやがって」

「お互い様でしょう」

2人は笑い合う。――本当は笑い事じゃないんだろうが。

「これは報復です」

「そうか……」

 高槻はそれきり黙ってしまった。

 そして1分後、やっと口を開いたかと思えば、

「さっき本当に悪かった。顧問としてあるまじき発言だった」

 深く頭を下げた。今の間は素直になるための準備期間だった。

「いえ、私こそ謝らなければいけません」

 慌てたように、そして申し訳なさそうに紀久美は頭を下げる。

「その副会長口調は辞めてくれ、調子が狂う」

「なんですか、それ」

 紀久美が軽く笑った。

「それから」

 そして高槻は少し口ごもった後、

「これからも、美紗を支えてあげてくれ」

 紀久美を見据えて言った。

「もちろん。先生も変わらずに美紗ちゃんのご指導よろしく」

 紀久美はいつもの無邪気な顔で笑い、

「わかった。これからも放任主義で頑張ろうと思う」

 高槻はいつもの顔でそう言うのだった。


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