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軌跡の風  作者: 湯西川川治
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不器用な教師

 ストレスが溜まる職業、ナンバーワン。

 今日もまた部活が休みになりそうだった。高槻は真っ白なテスト用紙に赤丸を書いた。“よくできました”ではなく、ゼロの丸だった。美紗の解答用紙は真っ白だった。

 さてどうしようか、と高槻はこくりとコーヒーを1口飲んだ。

 さすがに彼は美紗に対して言いすぎたとは思ったが、発言をなかった事にするのは難しい。――もしこれで……彼女が辞めてしまったら。

 彼女が胸倉を掴んで激怒したように、自分自身も溜まっていた鬱憤を晴らしてしまっただけなのか。

 そんな1年も経たないうちにうまく行くなんて都合のいい話だと言うことは彼も承知している。だが、……八つ当たりをした挙句、部員を失ったら何の意味もないだろう。

 高槻はため息をついて再びコーヒーを啜る。

 彼はこの高校が3校目の赴任先であり、アーチェリー部を作ったのも3回目である。そろそろ選手を高みに、と言う気持ちが彼の心中にあるのも無理はない。

 しかし、強要させるわけには行かない。それはあくまで個人の意志と意欲の問題だから。

 高槻は今日もまた射場へと赴けなかった。次は何を言ってしまうのか。その言葉が美紗にどんな影響を与えるのか。恐れている自分がいたからだ。

 顧問は難しい。色々な統制や便宜、調整。何よりも、選手の気持ちを考える事が。

 全てを万全にこなせる顧問はいないのだろう、と彼は悟った。

 これは自己満足か。自分は国民の意見をすべて無視した政治家か。“させたい”のは、自分。しかし、“する”のは、彼女だ。させているのは……自分だ。

 やはり指導と言うものは難しい。言葉の加減次第では暴言になりかねなく、生徒を傷つける事がある。口で言ってもだめなら拳で。……なんて言って実行してしまえば懲戒免職だ。

 教師は生徒を考えてこそ教師だ、なんてそんな綺麗事のような名言があるけれども。信望しているその言葉通りには行かない。

 高槻は冷静になって、考えて見た。――俺は、何であんな事を言った? それは、美紗にハッパをかけるためだ。実力を出し切れていない、彼女の本当の力を引き出すために。

 高槻は美紗を信じているからこそだった。――美紗にはそんなつもりはないのか?

 そんな事はないと即座に否定する。1年近く彼女を指導してきた彼にとって、そんな認識はナンセンスだった。

 高槻はコーヒーを飲もうとして、手を止めた。コップは空だった。――準備室で頭を冷やすか。

 高槻は椅子から立ち上がろうとした。

 すると職員室のドアを塞ぐように、1人の生徒が立っているのが見えた。入り口を絶たれた男性教師は怪訝そうな顔をして立ち止まっていた。

 立ち上がろうとした状態で高槻は驚き固まった。なんせ自分の知っている生徒だったからだ。しかも、自分をずっと睨んでいる。最初は訳が分からなかったが、やがて、状況を確認して呟いた。

「……やっぱり来るだろうと思ったさ」

 高槻がやれやれと言った顔をした。これからまた一仕事か。問題解決にはまず中ボスを倒さなければ。

 先ほどの男性教師がその生徒に何かを言ったが、男性教師はすぐに立ち去って行った。何を言ったのかはわからなかったが。

「嫌でも行かなきゃな」

 下手すると、あることない事で訴えられるかもしれない。

 言った言葉は取り消せないが、それなら言った事に最後まで責任を持てばいい。話し合いは大切なことだ。

 重い腰を上げる気になった高槻は0点答案を片手に席を立った。

 生徒が高槻を探しているのは確実であった。仁王立ちで、視線はずっと彼に向けられていたからだ。

 高槻はまだ冗談かと思ったが、近づいて顔を確認して確信に変わった。

 三島紀久美が、職員室のドアを塞ぐ様に立っていた。


 高槻が案内したのは、国語科準備室だった。高槻にとっては第2の仕事場であり、作業室である。彼の机の上にはアーチェリー関連の本やら、矢のシャフトやポイント、ノックやフェザーが無造作に置かれていた。最近忙しく、片付ける暇がないから散らかっていた。

今度は紀久美に血が上る番だった。予想通りだったが、美紗よりも数段怖い。やっぱり女を怒らせると怖い事が身に染みた気がした。

 事の顛末てんまつはこうだ。まず、異常なほどに元気のなかった美紗を見た紀久美が不思議に思っていたが、授業中の高槻の行動を見てもしかしたらと思って訪ねたら、当たりだったと言うわけだ。

最初高槻は事情説明を躊躇したが、紀久美に諭されてすべてを吐いた。もちろん、彼女がキレないわけがなかった。入室からもう30分ほどが経っている。高槻は時々相槌を打ちながら、紀久美の説教を聞いていた。

「……聞いていますか? 高槻先生」

 普段どこか垢抜けている紀久美の説教は反動なのか、とても厳しかった。

「……あ、ああ……」

 高槻はしどろもどろだった。

 そんな様子を見てか、紀久美がため息をついて。机上のフェザーをいじり出した。

「……これ以上言っちゃ先生もかわいそうだよね」

 言いたい事はすべて言い尽くしたらしい。諦めたように紀久美が言う。さっきまでの殺気が嘘のようだった。こういう所の切り替えはさすが生徒会副会長だ。

 そこですかさず高槻が話題を変える。消火活動後の最終作業だ。

「……コーヒーでも飲むか?」

「私、飲めないんですよ」

「人生チャレンジだ」

高槻が立ち上がってインスタントコーヒーのビンを取り出した。本棚の裏から。

「何でそんなところに入っているんですか?」

 紀久美は目を丸くして尋ねる。

「ここは四次元空間だからだ」

「自虐ネタはやめた方がいいです」

「……ああ」

 高槻は少しメタボリック気味なので、例のネコ型ロボットと言われる事もしばしばだった。たまに自虐的になる事もある。

「先生って、本当にインターハイの監督だったんですよね」

「ああ」

「なら、あんな言い方はないんじゃないですか」

 紀久美の声がまるで追及するかのようにまた低くなった。

 高槻は何も言わずに口を結んでいた。

「生徒の気持ちなんて全然考えてあげないで、何が監督なんですか」

 さらに紀久美は畳み掛ける。

「美紗ちゃんがかわいそうですよ!」

 紀久美の重なる叱責に高槻は何も返せない。――ふと、デジャブが襲ってくるようだった。

 教師生活15年の中で、何度となくやってきた教師と生徒の摩擦。放任主義だがアーチェリーには厳しい彼の性格は時折、そんな摩擦を生んだ。今回もその類だ。

 こんなことを前任校でもやった気がした。こんな紀久美のように詰め寄ってくる部員がいた気がした。仲間を守るために怒ることのできる人間がいた気がした。

「傷心の人間に怒ることが最善なんですか?」

「先生は理解出来ていますか?」

 紀久美は次々と厳しい言葉を投げかけてくる。高槻は耐える。そして、次に口にする言葉を考えた。それは紀久美を落ち着かせる言葉でなければならない。決して叱責などでは……

「部員の気持ちも推し量れないようじゃ、顧問失格ですよ!」

「……部員でもないくせに大きなお世話なんだよ」

紀久美の言葉を遮るように、高槻は吐き捨てるようにして言った。どうしてその言葉になる、と思ったがもうすでに遅かった。言ってはいけない言葉が、出てしまった――紀久美は部員ではない。だが、大事な仲間だった。美紗と二人三脚でやってきたと思ったら大間違いだ。高槻がいないときに美紗の射形を見てくれたりしてくれた。部員がいない美紗にとっては、親友の存在はとても大きかった。高槻もそれを微笑ましく思っていた。……それなのに。

「……今のは、撤回させてくれ」

後付けた言葉が意味を持たないことぐらい雰囲気で理解できた。部が壊れていくのを感じた。冬場の水溜りの氷が踏まれて割れて行くように。

 紀久美は愕然として高槻を見ていた。その表情はもはや失望を通り越していた。彼女はゆっくりと椅子から立ち上がって、ゆっくりとドアを開けた。

「……あなたなんかに、美紗ちゃんを怒鳴る資格なんてない」

 紀久美が吐き捨てた言葉も、高槻の心に深く突き刺さった。――あなた。先生とさえ呼ばれなかった。

 誰もいないドアを見つめて高槻は思った。

 ――自分は、この部活をどうしたいのだろうか。


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