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軌跡の風  作者: 湯西川川治
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正論vs正論?

 ぶつかり合うこと自体は、悪くない。

 美紗は意味もなく射場を歩き回っていた。射場は50mあって、30mほどは人が歩けるほどの草むらだ。春には雑草やタンポポや生い茂っていた。

 顧問の高槻が毎月電動草刈り機で地道に刈っているのだが、ここの草たちは成長が早く、きりがないのだ。

「あっ、四つ葉のクローバーだ」

 そんな美紗の傍らで、嬉しそうに三島紀久美が微笑んでクローバーを抜いて、ほら、と美紗に見せた。そんな紀久美を美紗は呆れ顔で見つめて言った。

「……緊張感ないでしょう」

「別に私が緊張する必要もないよ」

 美紗がため息をついてまた意味もなく歩き出す。四角い射場を丸く歩いたり、30mを往復したりと、とても落ち着きがないように見えた。あれだけのパフォーマンスをやったのだ。自信には満ち溢れていたが、反面不安のほうが強かった。

「ちょっとは落ち着いたほうがいいよ」

 そんな紀久美の声も耳に届いていないのか、美紗は依然として止まろうとしない。

「……美紗ちゃん」

 もう一度声をかける。反応はない。

「……」

 紀久美の笑っていた顔が固くなる。

次の瞬間。

「……さっさと練習しなさい!」

 紀久美の怒声が射場に響いた。えっ、と美紗が反応すると同時に美紗のクイーバーに入っていたスタビライザーが肩を捉えた。元剣道部の腕前だった。

「痛っ……何するのよ」

「美紗ちゃんがいけないんでしょう」

「だからって、アーチャーの肩にそれはないでしょ」

「活動しないなら予算減らすよ? て言うか、部自体の存続認めないよ?」

 生徒会を怒らすと大変な事になる。そう思って美紗は素直にごめんと謝った。

「まだ見ぬ新入生の存在にそわそわしているからってさ……週末は大会。記録会って言ったって、国体予選に残るための大事な大会でしょ」

 高校生アーチャーが目指す上級大会は、大きい物で3つある。

 ――全国選抜大会、

 ――国民体育大会、

 そして、

 全国高校総体――インターハイ。

 全国の高校生アーチャーは、その頂点を目指して日夜頑張っているのだ。

 松風学園の部員は1人なので、まだインターハイの団体は無理である。だが、個人の道はある。そして国体ならば、県から3人なので部員の数は問わない。年によっては3人全員が同じ高校の部員であったりもする。

 週末の大会は国体の最終選考会に出られる9人に残るための大事な3試合の1つなので、負けるわけにはいかないのだ。

「そうだ。大会前になにサボってるんだ?」

「あ、高槻先生。こんにちは」

突然の声に驚いて2人が振り向いてみると、入り口に顧問の高槻が立っていた。

「だって調整期間ですよ」

「だからと言って、丸1日休むのは感心できないな」

「……射ったじゃないですか」

「あんなの1本のうちにも入らない」

「精神力はシングル以上でしたよ」

 美紗が疲れた顔をする。表情以上に身体がとても疲れていることは明白だった。

「まあ、確かに休むことも大切だ。緊張もしただろうし」

「すごく緊張しました」

「なに言っているんだ。舞台裏で暴発していたくせに」

 ――まだ怒ってる。もういいでしょうに。

心の中で悪態をつく美紗に、さらに高槻が言う。

「部員入ってこなかったら、お前の責任な」

 鬼教師だ。

「責任の取りようがありませんよ。辞めるって言ったって部員は私1人だし」

「1つだけあるだろう」

「何ですか」

「インターハイ優勝」

 当然だという口ぶりで高槻が言う。負けず嫌いの高槻だったら、「俺が教える生徒は絶対インターハイで優勝させたい」という信念を持っているに違いない。それは日本中のアーチェリー部の夢だ。実際、高槻は前任校でもインターハイに選手を連れて行っている。しかし、優勝経験がないので今度こそは、と意気込んでいることも想像出来た。……が、

「無理ですよ」

 美紗には、そんな重圧に答えられる自信はなかった。

「少しは思案する素振りぐらいしろ」

「無理なものは無理です」

「大丈夫だ。最近点数は上がってきた」

 実際、ここ最近の大会で美紗はシングルラウンドで6位と大分順位を上げてきている。点数も1100点を切らない。

「だからと言って……優勝なんて」

 言葉とは裏腹に、夢には見ている“インターハイ優勝”。――でも、あくまでそれは夢。現実になるなんて思ってもいない。

 どれだけのハードルを越えなければならないのかも、承知はしているから。

「大丈夫だ。俺の目に狂いはない」

 高槻は自信満々に言う。なんだか妙に重みがあって、美紗も頷くことしかできなかった。

「でも先生、放任主義だし、最近練習見てくれないですし」

「こらー、監督批判はいけないよ」

 ――これは批判? 文句でしょ?

「本当のことでしょう」

「あ、また草刈りしなきゃいけないのか……」

 高槻はあからさまに話を逸らした。

「紀久美からも何とか言ってよ……ってあれ?」

 気づけば、辺りを見回しても紀久美の姿が見つからなかった。

「生徒会の用事で帰ったぞ」

「いつの間に……」

 話の仲介役がいなくなって美紗がさらにため息をつく。

 真面目な話の切れ目で、高槻も一息ついてからこう付け加えた。

「まあ、俺は放任主義だが、なんだかんだ言っても一番はお前の意識だ。それはわかっているな?」

 美紗はその言葉に頷くしかなかった。正論だ。どんなに素晴らしいコーチがいたって、気持ちが向上しなければ意味がない。――わかってるよ。痛いほど体験してきたから。

「でも、人には……限界ってあるんじゃないですか」

 正直、もう点数が上がる気がしない。それが美紗の気持ちだった。平行線をたどるスコアに、反省ばかり書き込まれたスコアノートを見て毎日うんざりしている自分がそこにいて、半ば諦めかけていて。――自信を失っている私がいた。

「年数と点数は比例する」

「そんなことな――」

「いいから黙って聞け」

 高槻の低い声が、反論しようとした美紗の声を遮る。高槻の目を見て、美紗は少しひるんだ。今までに見せた事のない、真剣で揺るがない眼差しだったからだ。

「アーチェリーは、たくさん本数を撃った人間が勝つんだ。この1年、お前は何本の矢を撃ってきた?単純計算、1日300本で365日をかけてみろ。10万本は超えているぞ。実際は違うが、県内では上の方だと思う。そんな努力を積んできた人間が、勝てないはずないだろう」

 美紗は頷かない。いや、頷けない。このなんとも言えない威圧感のせいだ。

「それでも勝てないって言うのは。向上心が低いか、精神が脆弱な人間だ」

そして、怒ったような眼差しで、美紗に言った。

「……お前はどっちだ」

 その瞬間、とうとう美紗の頭に血が上った。身に着けていたチェストガードを地面に叩きつける。我慢ならなかった。――不調の波。新入生歓迎会での寿命が縮むほどの緊張。そして、自分に懸けられた過度の期待。そんなことがまるで地震のメカニズムのように心と言うプレートに圧力をかけて、耐え切れなくなって一気に反動した。

「何を試したって……越えられない壁があるの!」

 あらん限りの声で叫んで、美紗は肩を震わせて高槻の胸倉を掴む。止めるものは誰もいない。彼女にとってはできる限りの抗いだった。だが、そんな抵抗も高槻の一言で虚しく散った。

「そんな泣き言を言っているやつは絶対大会に連れて行かないからな」

 自然と掴んでいた手が離れて、美紗の肩が落ちる。そして、もはや水を失った魚のように、ふらふらとした足取りで、射場を後にした。

 ドアを閉めた瞬間、涙が一筋零れたが、気にしなかった。――いっそ、声を上げて泣いてやろうか。

――泣くときは、本当の終わりだ。そんなポリシーが美紗にはあったが、そんなことすでに頭になかった。

そんな美紗のすぐ横を、1人の女子生徒が通ったのに彼女は気づかなかった。

「……これで勝てなかったら、どうしよう」

 1人残された高槻が呟く。心の中ではかなり狼狽していた。――おいおい、なに言っているんだ。逆上させてどうする。

 高槻は頭を抱えるしかなかった。

「あの、アーチェリー同好会の練習場ってここですか?」

 美紗と入れ替わりに、射場に1人の女子生徒が入り口から顔をのぞかせた。説教の後の顔なので少し怖くなっていたかなと、高槻は笑顔を無理やり作る。

「ああ。見学……って言っても今日は練習休みになったから、明日来てください」

 高槻の言葉に、わかりました、と言って女子生徒は一礼して出て行った。それを確認してから、高槻はため息をついた。

「これじゃあ、部活の存続も危ないか」

 美紗の黄緑色の弓を見つめながら独り言を呟く高槻には、悲しさの色が窺えた。

 ――結局この日、美紗が射場に戻ってくることはなかった。弓具はというと、高槻が片付けてくれたのだが、チェストガードだけはそのまま射場に残されていた。


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