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軌跡の風  作者: 湯西川川治
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プロローグ

 夏にしては涼しい風が、凶器に感じられた。

灼熱の競技場に冷涼を送るはずの風は、選手たちを苦しめる。列島に多大な被害を与えた台風は過ぎ去ったが、暴風は吹き止まなかった。

 アーチェリーと言う競技において、風を読むことはとても重要である。いつも一定な風であれば、まだ苦労はしない。しかしながら、風とは四方八方から吹いてくるもの。対応するのが難しくなってくる。しかもそれが暴風なら尚更だ。たとえ微風でも微妙に狙いがずれて、矢の流され方が変わることがある。

 風は強い選手にも弱い選手にも等しく訪れる。風をどう乗り切るかは、選手次第だ。それはプラスにもマイナスにもなるのだから。

 つまりアーチェリー選手――アーチャー(archer)にとって、風を読むことも実力のうちなのである。


     *


風を感じていた。向かい風。強さは――さすがに強いな。

ここは普段試合をしている場所で、風が強い事で有名な会場なんだけど、これは強風どころの話じゃない。暴風。

風に体が揺られて、スタンスが安定しない。足もがくがく震える。鼓動が大きく胸を叩く。――って、それは風のせいかな?

そう突っ込めるほどの余裕がある事に驚いた。いや、精神的に参っているからしれない。それとも暑さのせいでおかしくなったかな。

 台風一家。いや、台風一過。

暴風と同時に、記録的な酷暑。――40.6。行射前に見た会場のデジタル温度計はそんな数字を示していた気がする。

 確かにうちの県は海もないし、最高気温の日本記録を持っている市があるくらいだけど、さすがに度が過ぎているでしょう。

 少しでも風が出てきたのは正直喜びたかった。……アーチャーとしては、邪魔なだけだけど。

 エイミング中に突然吹いてきた暴風で、私が先にミスをした。でも相手もミスをした。助かった、と思った。しかしそれも束の間の安堵感だった。

2本目はしっかり入れられた。当たり前だよね。一時でも安心した私が馬鹿だった。

いったい相手は誰だと思っているんだろうか。

これで後がなくなった。ここでミスをしたらもうおしまい。

 プレッシャーに押しつぶされそうになった。

どんなに強い選手でも、参らない方がおかしい。

きっと相手も参っていると思う。でもしっかり入れるだけの実力はある。――たとえこんな状況でも。

タイマーの数字が30に切り替わる。

……そろそろ撃たなきゃ。

矢をつがえる。そうする手は心なしか震えていた。2度目の経験。しかし1度目とは比にならない。

セットの感触を確かめる。

そしてセットアップ――いつも通りに。ドローイング――ゆっくりと丁寧に引き込む……つもりだった。

「え……」

 クリッカーが落ちた。

 矢は飛んで行かない。まだレストの上に乗っている。

 つまり、引き戻し。

 一瞬だけ思考が停止した。まだ時間はあるはずなのに、もう時間切れのような感覚。

 頬を風が叩いた。それで私は我に返って、もう一度矢をつがえ直す。

 肩が上下する。手汗がひどくなってくる。右手が震えてくる。ひどく動揺していた。焦っていた。必死に落ち着かせる。……落ち着かない。

 そんな中、刻々と制限時間だけは過ぎていく――残り20秒。

 たった1本の矢を40秒かけて行射する。どんなに簡単なことだろう。

 40秒以内に3本も6本も射てと言っているわけではない。

 簡単なことなのに……なのになんで……

 こんな時に限って、たった1本が射てないんだろう。

 気まぐれに吹き荒れる暴風の中、私は立ち尽くしていた。――ずっと夢見た場所で。


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