王子の謀
アリシア
この話はおおよそ彼女の視点。
ライバル令嬢として転生。中の人は都内在住の社会人成人女性
ヴァーシル王子
ゲーム内で最高難易度を誇っていた攻略対象。アリシアの婚約者
アルバート
ゲーム内での攻略キャラ。アリシアの兄。
ユーラ
男爵令息。ゲームには登場していない。
公爵令嬢が記憶が戻ってからのことを思い出している間に、王子の言葉に周囲のざわめきが落ち着いてきた。
公爵令嬢も周囲を見渡すと、明るい茶髪の少女が熱っぽく王子を見つめているのが見える。周囲にはゲーム画面で見たことがあるだろう男子生徒がいるのでヒロインに間違いないだろう。
そして、王子が告げた言葉は公爵令嬢には思いもよらないものだった。そしておそらくはヒロインである男爵令嬢にとっても、予想外であった。
「明日から大人として扱われる君たちに、私からプレゼントだ。
ユーラ! ユーラ・ハシャート! こちらに来なさい!」
王子が名を呼んだのは、ヒロインである少女の名前ではなかった、「え!?」と、いう少女の声が、周囲のざわめきに飲み込まれるようにして消えた。そして公爵令嬢は先ほど出てきた名前を一生懸命脳内の貴族名鑑で検索する。
王妃教育の一環で、国内の貴族及び国外の貴族の家系図を覚えさせられたのだ。どこの世界も貴族は大体親戚ばっかりだな。と、思ったのは過去の話である。
――ハシャート、ハシャート。……確か男爵家だったはず。
どういう貴族かはわからない。それくらい小さな家だったはずだ。そして呼ばれておずおずと現れたのは、黒髪の線の細い少年だった。クラスに一人はいそうな、気弱そうな、地味な少年だ。長い髪で目元が隠れていることが余計にそれに拍車をかける。
「で、殿下」
かわいそうに、いきなり衆目にさらされた少年は、明らかに青ざめているとわかる表情を浮かべながらも、それでも王子の呼び出しを拒否することもできずに壇上に上がる。
そう言えばいつからかこの少年が王子の周囲に現れるようになった。と、公爵令嬢は思い出す。いつも王子は名前しか呼ばなかったので、今まで家名を聞かなかったのだ。
――そういえば、ヒロインに絡まれている? を何度か助けたことがある、ような?
ヒロインは金も権力もない男子生徒にはシンプルにそっけないので――それでも反感を買わないようにあしらうのがまたすごい――そう言った生徒なのかもしれない。
――いえ、そうならばヒロインが少年に絡みに行くのはおかしいですわよね?
ひょっとして王子のそばにいるから、王子の好きなものでも聞いてくるように頼まれたのかもしれない。公爵令嬢は腑に落ちないものを感じながらもそう当たりをつけた。
側近の公爵子息が学園の生徒ではないので、この少年が現れる前は王子の周囲に親しい存在はいなかった。婚約者である公爵令嬢ですら「親しい存在」かと言われると、自分でも首をかしげるほどである。
――本当に、誰にでも優しく、そして誰も特別ではなかったわ。
ただ王子と公爵令嬢が会う時には少年はいないので、今まで直接対面したことはなかった。公爵令嬢としても、女性ならともかく同性の友人にまで口を出すつもりがなかったので、今の今まで忘れていたのである。
しかしこの場に現れるとなると、何らかのゲーム関係者なのだろうか? と、公爵令嬢は思った。
――……実はゲームでプレイヤーが性別選べた、とか?
まさかもう一人のヒロインか。と、公爵令嬢が身構える。
そして王子の近く、つまるところ公爵令嬢のすぐ近くまで来た少年に、公爵令嬢は「おや」とわずかに目を細めた。
こういっては何だが、公爵家出身である彼女の周囲はそれはもう高級なものであふれている。最初のころは触ったら手が切れるのではないかと思った美しい絹織物のカーテンや、以前の彼女の感覚では美術館に収められていそうなティーカップが日用品なのである。
そんなものに囲まれて、最初のころはビクビクしていたものの、人とは慣れる生き物である。気が付けば最高級の食器の扱いを覚え、味の違いなんぞあるわけないと思っていたミルクの産地の違いを理解し、相手の令嬢のドレスの価値をざっと目算できるようになっていた。
そんな彼女の目から見て、少年が身に着けている燕尾服は素晴らしいものだった。おそらくはカフスから蝶ネクタイに至るまで完全オーダメイドの一品だろう。一般的な男爵家が仕立てられるレベルではないのは確かだ。
少年のしなやかな肉体を柔らかく包む布は、ひょっとしたら王室御用達の……と、令嬢が思い当たったところで、王子が少年の手を取った。
「アリシア嬢。今日という日のファーストダンスを君と踊れない非礼を許してほしい。代わりと言っては何だが、アルバートに頼んだ」
アルバートは令嬢の兄である。アリシアと同じ金髪碧眼の美青年で、彼も攻略対象の一人だ。冴え冴えとした冬の月の化身のような王子とは対照的に、うららかな春の太陽の化身のような兄。二人が並ぶと正直に言って目に痛い。と、公爵令嬢は思っている。
自身も同じ色彩を持っているのだが、自分で自分の姿は見えないので棚上げだ。
視線を自身の後方へ向ければ、いつの間にか近づいていた兄が苦笑いを浮かべながらうなずいた。
「ルルーナ様はよろしいので?」
兄の婚約者の名前を上げれば、今夜の彼女は父親と踊るとのことだ。彼女も今日卒業の生徒で、七つ年上の兄とは卒業後に正式に結婚。その後は公爵家の屋敷に移り住む予定でなので、最後の親孝行らしい。
それを短い言葉のやり取りで理解した令嬢は「兄は攻略されなかったのか」と今更ながらに理解した。何分、自身の課題に追われていてヒロインの動向は学園内しか把握していなかったのだ。
そうこうしているうちに、王子は少年の手を差し出す。いや、その手には液体の入ったグラスがあった。薄く黄金色にも見えるそれは、グラスの底から細かな泡が噴き出している。
少年はしばらくためらっていたようだが、やがて意を決したように顔を上げると、王子の手からグラスを受け取り一気に飲み干した。




