Shall We Dance?
アリシア
この話はおおよそ彼女の視点。
ライバル令嬢として転生。中の人は都内在住の社会人成人女性
ヴァーシル王子
ゲーム内で最高難易度を誇っていた攻略対象。アリシアの婚約者
アルバート
ゲーム内での攻略キャラ。アリシアの兄。
ユーラ
男爵令息。ゲームには登場していない。
「はっ」
大きく息をつく少年の唇は濡れており、思いのほか色っぽく見えて、思わず令嬢はどきりと心臓を跳ねさせた。王子がそんな令嬢に一瞬だけ視線を向け。少年から空になったグラスを受け取り、群衆の方へと投げた。もちろんそこには給仕がいて、危なげなくグラスを受け取ると、静かに去っていく。
そして一瞬だけ群衆の視線が投げ捨てられたグラスへとむけられた一瞬のことだった。少年の雰囲気が明らかに違っていた。赤く上気した頬はおそらく先ほど飲んだ液体――シャンパンのせいだろう。あれは意外とアルコール度数が高いのよね。と、公爵令嬢はなんとなく思い出す。もちろん飲んだのは生前だ。
そして大きく変わったのは、少年の目元を隠していた前髪を全部後ろに撫でつけていたのだ。あらわになったどちらかと言えば幼い顔立ちとこげ茶色の瞳に、令嬢は先ほど以上に心臓の鼓動を跳ねさせた。
「思い、出したわ」
――ハシャート! 魔性の男爵家!
喘ぐように呟かれた公爵令嬢の声は、彼女の兄の体で遮られて群衆には届かなかった。だがそれでも彼女と同じように気が付いた人間がいるのだろう。ざわめきは先ほどよりも大きくなった。
ハシャート男爵家はこの国における本当に小さな男爵家だ。だがかの男爵家の人間はダンスの名手なのである。たとえどのような堅物だろうとも、ワルツ一つ、ステップ一つで陥落させる。だがどれほど相手が夢中になったとしても、ハシャートのおめがねに叶わなければ二度目はかなわない。
踊っている最中はどれほどパートナーを情熱的に見つめていても、一曲が終わればすげなく捨てられ、次の相手に。次から次へと相手を渡り歩く蝶のような存在。ゆえに魔性の男爵家と呼ばれている。
そんな噂を公爵令嬢は思い出した。たしか七年前に隣国から遊学に来ていた王太子がシャハートの女性と一曲踊り、結果恋焦がれたものの「貴殿は趣味じゃない」とバッサリ振られたという逸話があった。
そんなことを思い出しているうちに、王子は再び少年へと手を差し出し、少年はその手を恭しく手に取り美しい礼を返した。それと同時に彼女の兄が合図を楽団へと送り、音楽が流れる。
「さてアリシア。学園での成果を見せてもらおうか」
「も、もちろんですわお兄様」
二コリと微笑んで手を差し出す兄に、公爵令嬢は慌てて、しかし優雅にカテシーを行い、彼の手を取ったのだった。
それからの約五分間はその場にいたものにとってある意味で至福の時間であっただろう。美しい公爵家の兄妹のダンスも素晴らしいが、何よりも王子とその相手のダンスは見事の一言であった。
それこそ、相手が男性であることなど一切感じさせず、いつの間にか王子がフォローに回っていてもそのことに違和感を感じさせなかったのである。目の肥えた上流貴族の狸たちにも「さすがハシャート男爵家」と賞賛ともに数年前の逸話が口に上り、それに負けずとも劣らない技量を誇る王子へと賞賛が集まる。
曲が一回転したところで王子と公爵令嬢が、そして公爵令嬢の兄が黒髪の少年とパートナーが変わる。そしてそれを合図に、あちこちから数組の男女が彼らの周囲に集まってダンスを始めた。中には公爵令嬢の兄の婚約者父子もいる。おそらくは事前に話が通っていたのだろう。彼らにつられるように他の生徒達もそれぞれのパートナーとダンスを始めていく。
王子と踊りながら公爵令嬢がちらりとヒロインへと視線を向けると、彼女も攻略対象と踊っているようだ。もう一度、パートナーが変わり、今度は黒髪の少年が公爵令嬢のパートナーに。王子は妙齢の貴族女性と、兄は婚約者に変わったようだ。
――やばい。うまいわ
公爵令嬢は少年のリードに身を任せながら内心で舌を巻いた。王子も兄もダンスに関しては頭一つとびぬけていると彼女は理解している。これは彼女のダンス教師を務めてくれた人物も太鼓判を押すほどだ。
そしてそんな彼らの相手役を務める彼女もまた、死に物狂いで研鑽を積んできた。兄や王子に恥をかかせてはまずい。そんな小市民根性で頑張った。そのおかげか、彼女のダンスもそれなりに評価されるものであるのだが、そんな彼女から見ても黒髪の少年のダンスは素晴らしいものだった。
――ステップが軽い。次に何をすればいいのか考えなくてもいい。
――ものすごい安心感。いつもより踊れているんじゃない?
――どうしよう。どれだけでも踊っていられるわ。
ぐっと、わずかに腰に回った腕に力が籠められ、それを合図に公爵令嬢の体は少年と離れ、ふわりと回転する。まるで大輪の花が咲くように彼女のドレスの裾が綺麗に広がり、周囲からは歓声が上がった。
――すごいわ。このドレス、王子が贈ってくれたものだったわね。
ふわふわのやわかく軽い生地で作られたドレスは、いつもより少しだけ甘い雰囲気で、どちらかと言えば美人系である自身には似合わないような気がしたのだが――なんならヒロインになら似合いそうだと思った――が、この場でこの少年と踊らせることを考えたら、この服で正解だろう。
踊るために間近で見て分かったが、幼く見えた少年は本当に幼い。おそらくだが自分や王子とは二つ、三つ年下だろう。にもかかわらず、添えられた腕の頼もしさは兄以上なのだ。
公爵令嬢が少年と踊りきると、曲は繰り返すことなく終了した。先ほどまでの余韻に浸りながら思わずため息が漏れる。それほど素晴らしいひと時だった。




