7、決意
『世界を守る』ために、最前線を志願して散っていった新兵が、何十人いたことか。
【怪魔】と直接戦うことだけが、防衛することではないのにも関わらず……『これは聖戦だ』という統一政府のプロパガンダによってたくさんの新たな才能が消えた。
統一政府は、【怪魔】と戦うことの意味がよくわかっていないのだ。あれは人ではなく化物だ。【大怪魔】以上はともかく末端には全く知能などない。
……まあだからこそ、聖戦と称するのは感覚的に間違ってはいないのだろうが、【怪魔】を実際に見たことも無い新兵の戦意を徒に向上させて突っ込ませるのは下策。
訓練を積んでも、あの化物を前にした時の衝撃と驚愕、それから恐怖は……訓練でどうにかなるものではないのだから。
____そう。
修羅場を幾度も経験したジョージ=オルティシア中尉が、【大怪魔】を前にあえなく沈んだように。
「レオンハルト様。……あなたはどうして軍人になりたいんですか? 世界を守るためですか? それとも、名誉を得るためですか?」
死して持って帰ってくる栄誉に、殉職での二階級特進に、なんの意味がある?
特に遺族に残るのは、【怪魔】と、それから今のレオンハルトのように__『無能な上司』に対する遺恨だけだ。
……その点ジョージ=オルティシア中尉は若いが、優秀な士官だった。階級こそ遥かに違うが、ハルリアナは実際に戦場に出ることもあったので、彼とはそれなりに接点もあった。何しろ、人員が少ない最前線で、第一旅団に属する5つの大隊のうち、103、104大隊は、ハルリアナが手ずから指導した精鋭集団だったのだ。
それなのに、しかし、今。
彼の弟・レオンハルト=オルティシアは、ハルリアナを目の敵にしている。
「お前に……なんの関係がある?」
「あります。わたしは、オルティシア中尉の弟の命を、徒に散らせたくはないですから」
「それを、お前が、言うのか! 兄さんを死なせたお前が……ッ!!」
そうだ。ハルリアナは信頼できる部下を死なせた。確かにオルティシア中尉はハルリアナの直属の部下ではないし、彼の死において彼女に直接の“責任”はない。
……が。かつてのハルリアナの実力を知る副大統領はともかく、ハルリアナをお飾りだったと思っているレオンハルトは知らない事実があるのだ。
____それは。
「……彼の死の直接の“原因”となったのが、わたしだからこそです」
「そうだ、お前の指揮のせいで兄さんは、」
「違います。【怪魔感染者】化したあなたの兄を殺したのが、わたしなんです」
「ッ……んな……ウソだ……」
「嘘じゃありません」
大切な部下だった。……ハルリアナが、ハルリアナ自身が手塩にかけた第103大隊の、若く有望な中隊長だったのだ。
守るべき部下の首をこの手で刎ねた経験は、両手では数えられないが……あの時の感触は、未だに鮮明に覚えている。
「わたしが、ジョージ=オルティシア中尉を、この手で殺しました」
【大怪魔】の邪素に感染し……精一杯の聖素で対抗しようとしたせいか、すぐに死に至らずに【怪魔感染者】となった彼は、意志なき破壊人形となってなお、強かった。
……だからこそ、第一戦線で最も強いハルリアナが、彼を“狩る”しかなかったのだ。
「にっ……兄さんは、聖統一軍大学を次席で卒業したんだぞ! 訓練を積み、10代で中尉になった天才で! それを、お前がなんて、そんなわけ!」
「何度も言いますが、わたしは中将です。……たしかに未熟ではありましたが、お飾りと言われるのは心外です。わたしが中央の将官にならずに、方面軍……最前線の司令官となったのは、わたし自身の戦闘能力がそれなりに高かったからです」
____歴代3位の【討伐量】。
現役軍人の中では……いや、総量ではなく1年での【討伐量】を考えれば、史上最も速いペースで【怪魔】を狩った、戦争狂。
それが3つある最前線方面軍での、ハルリアナの認識だった。それは、『それなり』という発言が謙遜どころか嫌味にしかならない程の実力。
年齢が年齢だからと、そして出身が出身だから、と、統一政府はほとんどハルリアナの情報を公開してはいないが。
……彼女はそもそも、【大怪魔】どころかその上の、世界に10数体しか居ないとされる【怪魔卿】を単騎で屠ったことさえあるのだ。
「……彼は本当に優秀な魔法士でした。ですがだからこそ、中途半端に邪素に侵され、【怪魔感染者】となってしまった」
「っやめろ、」
「いいえ、ちゃんと聞いて下さい。……皮膚が爛れ変色し、髪は抜け落ち、オルティシア中尉は……わたしが彼を発見した時には既に、手遅れの状態でした。
……だから、“討伐”しました」
300年あまりの時間に、邪素を浄化できる、聖人のような魔法士がいたという記録は確かにあるが。
そんなに都合よく最前線に、奇跡のようなことができる人間がいるはずもなく。
「……だから、軍人を志すならわたしを恨みなさい。恨んで恨んで、そして強くなれば、きっとあなたはわたしを超える軍人となれます」
これほどの才能ならば、必ず、という確信があった。
……我武者羅になりすぎて周りを見れなくなるかもしれないという懸念はあるが、まだレオンハルトは10歳だ。冷静な思考能力を身につけられるようになるのが、まだ先でも問題はあるまい。
「……そう、だな……。兄さんを殺したのが、お前なら……その仇は、お前になる……」
「ええ」
「そうだ、たとえ、兄さんが【怪魔感染者】になって、人類の敵である【怪魔】の手先のような破壊人形になったとしても……! オレにとっては、たった一人の兄だったんだ……!」
「……ええ」
その通りだ。そこにどんな正当な理由があったとしても、ハルリアナがオルティシア中尉を手にかけた事実は変わらない。
しかし、彼がハルリアナを恨むことで強くなるなら、構わないと思えた。……オルティシア中尉も、きっと弟に戦場で自分のような目に遭ってほしいとは思っていないだろうから。
「……ただ」
「はい?」
瞋恚を湛えた蒼い目をこちらに向けて、地を這うような低い声を、レオンハルトは絞り出す。
強い意志と怒りのオーラを視線に纏わせたまま、彼はハルリアナの腕を掴んだ。
「お前が、強いことはわかった。魔法式を知っていて、オレの使った魔法陣を、何かの魔法で封じ込めた。
認めたくない。だが……お前が嘘を言ってないってことくらい、子供のオレにだってわかる。
……お前は、揺るぎない覚悟を持って、何千人もの命を背負う将官として、戦場に立ってたんだな」
「れ、レオンハルト、様?」
「……それについては、謝る。お飾りのお姫様じゃないってことは、お前の目を見ればわかった。……ごめん」
予想外の言葉に、ハルリアナは目を白黒させて困惑した。
……兄さんの仇、いつか絶対殺す……などと憎悪を前面に出して罵られるかと思っていたが、まさか、謝罪を受けることになるとは。自分の間違いを認めて、それを素直に謝った、ということか。
「けど、やっぱり兄さんを殺したお前を許すことは出来ない。……必ず7548以上の【討伐量】を叩き出して、お前を超えてみせる。
……だから。戦い方を、俺に教えろ」
「!」
「一刻も早く強くなるんだ。お前を超えるためにも。……世界から、兄さんのような若者を出さないためにも」
他者を理解しようと、何かを吸収しようとする者は伸びる。そこの素質はどうかと思っていたが、……十分のようだ。
ハルリアナは頷いた。
「わかりました。……魔法は教えられませんが、戦いならばわたしが教えて差し上げます」