6、戦場という場所
ハルリアナは顔を上げた。……それは聞き捨てならない言葉だ。言い掛かりも甚だしい。
……何か勘違いされているようですが、とハルリアナはこれまでの面倒臭げな声とは打って変わった冷え冷えとした声で言った。
「……軍人は、特に最前線を担う軍人は、英雄などではありません」
「……なんだと?」
「軍とは、人と人とが戦っていた数百年前から今まで……、ずっと変わらず“人を殺すためにある組織”です」
……人に仇なす【怪魔】を。そして、【怪魔感染者】を殺す。討伐する。……数を減らして、人類の時間を長引かせる。
それは全世界の多数にとっての正義であり、英雄行為なのかもしれない。……しかし前線を担い、【怪魔】やその感染者と遭遇する軍人は、そういう認識で戦場に立ってはならない。
少なくともハルリアナはそう思っている……なぜなら。
「____【怪魔感染者】は、人だからです。何の罪もない、私たちと同じ人間だったからです」
昨日の敵は今日の友というが、昨日の友が今日の敵になることなど、戦場ではざらにある。
訓練中、隣で笑っていた同期の友人が。ファインプレーを褒めてくれた上司が。慕ってくれていた部下が。
……【怪魔】に襲われ、中途半端にその邪素__毒を受けて死にきれず【怪魔感染者】となり、やむなく自らの手で殺さなくてはならなくなるなんてことは、日常茶飯事だ。
英雄になりたいからとか。
名誉を得たいからとか。
____そういう浅はかな理由で軍人になった者から、死んでいく。最前線とはそういう場所だ。
「……っだけど故郷に帰ってくれば讃えられる! たとえ【怪魔感染者】を殺しても、英雄だと持ち上げられるだろ!」
「わたしに故郷なんてものはありません」
びくり、とレオンハルトの瞳が揺らいだ。
ハルリアナの声が今まで以上に冷ややかだっただけでなく、『故郷がない』という事実を告げた彼女の表情が、あまりにも人間味を失っていたからだった。
これもお忘れのようですが、と彼女はため息とともに口を開く。
「わたしは『和華帝国』の皇女です。……皇室に生まれた、皇帝の娘であるわたしが、どうして最前線の将官になったんだと思いますか」
「……っそれは、旧帝国府が、統一政府に誠意を示そうと、」
「5歳の子供を聖統一軍本部に送り、8歳で最前線の将官にすることが帝国の誠意だと?」
「ッ、」
反駁の言葉を返せずに息を呑むレオンハルトに対して、ハルリアナはあくまでも静かに言った。
「____わたしの生まれた国、和華帝国は、『王侯貴族による贅沢』と、
……『魔力を持つ者への過激な差別政策』が原因で革命が起き、滅びました」
____爆裂魔法式なんてものが使える俊才のあなたなら、当然知っているはずでしょう。
そう前置きした上でハルリアナは正面から義兄の顔を見つめる。
……和華帝国が、魔力を持つ者をあまり好かなくなったのは、350年前からだ。要するに、【怪魔】が初めて確認された時期と一致する。
【怪魔】と人間の魔法士では基本扱う魔力の性質が違うが、『人類の敵と同じ力を持つ』という理由で、帝国では魔力保持者の地位は昔から低かったのだ。
……ただ、それは、あくまでも『疎まれていた』程度の話。
革命が起こるほどの徹底した差別政策が敷かれたのは、ハルリアナの父親……つまり和華帝国最後の皇帝が即位してからだ。
「そうだが、……まさか」
「そうです。当然、皇室の中で魔力を、それも絶大な魔力量を誇るわたしも差別の対象でした。……もちろん、下町の魔力保持者よりは幾分かマシでしたでしょうけど。
それでも、生まれてこの方、わたしはろくに自分の兄弟姉妹に会った記憶も、皇女として扱われた覚えもありません」
しかし、帝国で差別対象だったとしても、魔法士になる素質がある者は、世界にとっては有用な『人的資源』だ。
さらにハルリアナは、なんといっても大国の皇女……帝国が統一政府内で強い立場を得るために、彼女を軍に売る結論を出すのは、政治的な意味で当然の帰結だろう。
……さらにハルリアナは、魔法士の中でも異質な存在。
ただでさえ『素質』はあっても『能力』はないたった5歳の幼女なのだ__軍の中でも疎まれる存在なのにも関わらず、極めつけに『邪素』を扱う力を持つ子供など。
四方八方敵だらけの中、ハルリアナは死に物狂いで強くなるしか生き抜く方法はなかったのだ。
『血』によって与えられ居場所を、力づくでも自分のものに変え、力ある若者を牽引する圧倒的な強者になるため。
……唯一運が良かったのは。ハルリアナには軍人としても戦術家としても、極めて優秀な才能があった……ということだろう。
「自分を哀れんでも生きていけない世界です。戦場は命の奪い合いの場。【討伐量】を誇り栄誉を得るための場ではないんです。
あなたが栄誉を望み軍人を目指すなら、やめておいた方がいい。
……死にますよ」