5、“お姫様”
「どういうことだと言われましても……」
困惑するしかない。……黒い靄は確かにハルリアナが生み出したものだが、何しろ構成要素が邪素だ。
一般認識では……いや、軍の一部を除いて邪素とは、【怪魔】が纏い、操り、司るもの。人が宿せば即座に【怪魔感染者】となる禍々しき毒素だ。
魔術士が操れるのは、魔力は魔力でも邪素ではなく聖素だと……更に言えば、人間が宿せる魔力は聖素、【怪魔】が宿せる魔力は邪素だと思っている人間が世の大多数を占めているだろう。
そんなものを体内に宿して、あまつさえ自由自在に操ることが出来ると言っても、レオンハルトが信じるとは思えない。
(信じたとしても、それはそれで面倒臭そうですし……)
うんざりして答えないでいると、レオンハルトは更に眉間の皺を深くし「どういうことだ」ともう一度問うた。
彼の、子供ながらに端正な顔立ちは厳しく顰められ、氷玉を嵌め込んだかのようなアイスブルーの双眸は、不審そうに細められている。
……暫く睨み合い__というより見つめ合いだが__を続けたところで、折れたのはハルリアナの方だった。
「ええまあ……確かにさっきの靄はわたしが生んだものです」
「なに?」
「レオンハルト様が爆裂魔法式を暴走させたようでしたので。それを抑え込まないと、訓練場だけでなく屋敷を巻き込んで大損害を生むと判断したんです」
「……あれが爆裂魔法式だって、わかったのか」
わかるに決まっているだろう元中将なんだから。
……とは思ったものの、彼は自分をお飾りの中将殿だと思っているのだということをハルリアナは思い出した。
確かに、魔力がある子供でも、魔法式や魔法陣の存在を習うのは、高等学校に入ってからだ。
更にそれを運用する訓練を受けられる学生は、聖統一軍大学の学生、またはその候補生学校……つまり軍大附属の高等学校の生徒のみ。
彼にとっては、皇女だからと中将になり、むざむざと兄を死なせた自分と同じ歳のガキが、魔法式の存在を知っていることが意外なのだろう。
「……これでも元軍人です。そこまで無知じゃありません」
「ふん。戦場では部下にお守りしてもらってたお姫様がよく言うな」
(残念ながらお守りは否定出来ませんね……)
戦闘や戦略・戦術考案、政治的交渉、その他諸々は確かにこなしていた自負があるが、炊事洗濯掃除など、日々の生活能力は全くなかったので、基地の中でも何かと部下がお世話をしてくれていた。それをお守りと言うならそうだろう。
無表情で口を噤んだまま何も答えないハルリアナを見て、レオンハルトはさらに目を眇めると、舌打ちでもしたげな顔でため息をついた。
「……お前が率いてたとかいう第一戦線の軍団、その中でも第一師団に所属する第103大隊は、合計【討伐量】も軍の中でも飛びぬけていたって話だからな。……どうせお前の歴代3位とかいう【討伐量】も、優秀な部下の手柄がほとんどで、嵩増しされてたんだろ」
(心外ですね……)
ハルリアナの功績は間違いなくハルリアナのものだし、そこに不当なことなど存在しない。
……とはいえ、人対人の戦争が行われていた300年前では、軍団の司令官である将官が最前線に出て将兵と交戦など有り得なかっただろうし、今でも最前線の総司令官が実際に【怪魔】と戦うなど考えられない。
ハルリアナが前に出て戦っていたのは、偏に自分が戦力として前線に出た方が防衛・領土奪還を効率的に行えると判断したからだ。何より彼女の体質は異質であり、恐らく【怪魔】相手だと誰よりも強い。
そのことを考えると、ハルリアナは本来ならば総司令官などという地位に座っているよりも、野戦将校として、少佐や中佐などの階級をもって大隊を指揮する現場の軍人の方が向いていたのだ。
……しかし、ハルリアナの事情が、それを許さなかった。
帝国の第五皇女。皇室から徴兵に応じた、『高貴な血筋』。
そのハルリアナを一介の佐官、それも前線で隊を率いる野戦将校にするなど、統一政府にとっては体裁が悪いことこの上なかったのだ。
少なくとも皇女を送り出した帝国への『誠意』を見せるため、将官以上の位を与える必要があった。
「まあ……あなたがそう思うのであれば、そう思ってくださってかまいませんが……。些末なことですし」
「なんだと……? お前、よくも戦争犠牲者遺族の前でそんなことをのうのうと口にできるな! 無能なお姫様が、最前線の将官になんてなったから……兄さんは死んだんだ!」
現場の責任を押し付けられても困る、とハルリアナは心内でため息をつく。
彼女はあくまで司令官であって、ジョージ=オルティシアを率いていたのは大隊長である彼直属の上司だ。
……それに彼の心中は察するが、戦場とはそういうものだ。人が死に、自らは人を殺す。誰も死なない戦争なんてない。
「お前だけ帝国に起きた革命を免れて、ここに引き取られて、しかも部下の手柄を使って栄誉まで得て、のうのうと生きてる……。
英雄と呼ばれて満足かお姫様!! 何も苦労してこないで将官になって、部下を無駄死にさせて!」