2、レオンハルト=オルティシア
(……今は母国はどうなっているんでしょうか)
今は和華共和国と名を変えて、帝政を廃した人民の国家となっていると聞く。さほど気にはならないが、差別政策で憂き目に遭った人々が、少しでもいい暮らしをしているといい、とは思う。
家族の死を大して悼んでいないことに、普通は違和感を覚えるのだろうが、ハルリアナと両親の間に、親子の情などほぼ存在していなかったのだから致し方あるまい。
「お嬢様、食堂に着きました」
「……はい」
「既に朝餉の用意が整っております」
ハルリアナが頷くと、食堂への分厚い扉が開かれ、広い室内の様子が視界に飛び込んでくる。
……水晶製のシャンデリアの灯りと、窓から差し込む朝の光で彩られたダイニングホール。その中央に置かれた長テーブルの上座に座っているのは、この家の当主にして、このライセン合衆国の副大統領__ラッセル=オルティシアだ。
そして、その次席にはその奥方であるオルティシア夫人。夫人の正面に着席しているのは、オルティシア副大統領のハルリアナと同じ年の一人息子、レオンハルトである。
「お早うございます、副大統領閣下、副大統領夫人」
「お早う、ハルリアナ。……しかしいい加減その呼び方はやめたまえ、私はあくまできみの養父。妻は養母、そしてレオンは義兄だ」
「……申し訳ありません」
「やれやれ、軍人然とした態度は二ヶ月経っても変わらんものだな。君は少し肩の力を抜いた方がいいだろう……さあ、かけたまえ娘よ」
呆れたような笑いを浮かべて席をすすめられ、ハルリアナはでは、と言って天鵞絨の張られた椅子を引こうとする。
……が、それを侍女に制され、引かれた椅子を手で指し示された。そして笑顔でどうぞお嬢様、と言われる。
(そうでした。お嬢様というものは、椅子は誰かに引いてもらうんでしたね……。この家に来てから大分経ちますが、未だに慣れません)
ハルリアナは一応これまでも『閣下』と呼ばれる立場である将官だったので、椅子をお付きの将兵に引いてもらったことはなくはない。
……が、それはそんなに頻繁にあることでもない。慣れないのは当然だ。
ハルリアナは気を取り直して、斜め前に座るレオンハルトに声を掛ける。
「お早うございます、レオンハルト、お……にいさま?」
「疑問符を付けるな。それからオレは別にお前にお前に兄と呼ばれたいなんて思ってない。レオンハルト様にしろ」
「あらまあレオン。おやめなさいそんな……」
(……まあ、嫌われるのも当然ですね)
母親に諌められつつもこちらを鋭く睨めつけてくる義兄……レオンハルトを見遣りつつ、ハルリアナは心中でため息を吐く。嫌われる以上にむしろ、恨まれても当然だろう、と。
……ハルリアナは未だに、何故自分がこのオルティシア家でここまで丁寧に受け入れられているのか、わからないでいるのだ。
(ジョージ=オルティシア中尉……)
レオンハルトの九つ年上の兄は、ハルリアナの直轄の大隊の中隊長だったのだ。軍ではエリート中のエリートと呼ばれる聖統一軍大学の出身。十代の若さで中尉となった、優秀な士官だった。
……そう、『だった』だ。なぜなら彼はもうこの世にはいない……3ヶ月前の【怪魔】の攻勢によって彼の率いる中隊は壊滅し、中隊の者はほぼ皆【大怪魔】によって【怪魔感染者】となり、
他ならぬ彼女の手によって、“討伐”されたのだから。
……はじめ、ハルリアナは、自分がここに呼ばれたのは復讐のためだと思っていたのだ。軍務とはいえ長男を殺した、失脚した元上司。それを徹底的に苛め抜こうという意図で引き取ったのかと。
でないと理由が見当たらない。彼らが、仇でもあるはずの彼女を引き取った理由が。
……それなのにハルリアナは最前線よりも、いや、本国でよりもさらにいい待遇を受けている。
「では、レオンハルト様と、これからそうお呼びすればいいんですね?」
「そう言ってるだろ」
「レオン」
「母さんは黙っていてください。……オレがこいつを嫌おうと、オレの勝手じゃないですか。
……中将だったかなんだか知らないが、オレはお前が兄さんの上司だったなんて認めない」
ぎろりと、鋭い視線を向けられて、ハルリアナはそっと目を伏せた。
……軍には年の近い子供はいなかったので、友人などいなかった。少しは距離を縮めたいと思ったことはあったが、これでは仲良くなるのは絶望的だろう。
ハルリアナは長らく軍人として生活していたせいか、感情が面に出にくい性質になってしまった。無愛想極まりない態度ととられ、これから年齢の近い友人を作ることも難しいのかもしれない。
(……まあ、それも今更でしょうが)
なぜなら、ハルリアナの手は、既に汚れた赤に染まり切っている。
【討伐量】には、“人間”である【怪魔感染者】の数も加算される。【討伐量】が多い、つまり“優秀”な軍人になるにつれて、殺した人の数が増えていくということだ。
たしかに人は、人と人が戦争する時代を超えた。オルティシアの先祖もそう言っている。
だが軍人とは、変わらず人を殺す職業なのだ。
そこを間違って考えてはならない。
軍人は英雄などではないのだ。