1、オルティシア家の養女
「大隊長各位、傾注! 総司令官殿より訓示である」
ハルリアナの真下に広がる光景は、少佐から中佐の位を持つ優秀な指揮官たちが、自分の言葉を待つようにこちらを見上げているものだった。
よく通る声で注意を促した副司令官の少将に軽く礼を言うと、彼女は1歩前に出て口を開く。
「観測手より情報が入っています。近々、【大怪魔】率いる大軍勢が、一点突破を狙って我々第1戦線司令部を攻めてくるようです。……これより、新たな大規模基地防衛作戦、及び哨戒作戦について説明します。……大隊長各位、各々敢闘精神を以て、敵を撃破するよう兵を率いなさい。
……アディンセル少将」
「ハッ」
ハルリアナが視線を向けると、少将が代わりに前に出て、指揮官たちに防衛作戦について説明を始める。
彼女はしばらくの間無表情で年上の部下達の様子を見つめていたが、やがてそっと目を伏せた。
一体いつまで、この戦いは続くのか。
人類はこの後も数百年、人口を減らすばかりなのではないか、と。
*
____差し込む朝の陽の光で、ハルリアナは目を覚ました。現在時刻、午前6時半。
うっすらと目を開けると、そこには見慣れない天井があった。……いや、天蓋というべきか。寝台に取り付けられた、真紅の天蓋。
寝惚けたまま上体を起こし、側に置いてあった目覚まし時計を見て……ぎょっとする。
(しまった、今日は午前5時から訓練があったんでした……、)
と、そこまで考えて、ハルリアナは自分の置かれた状況と、自分の思考に齟齬があると理解する。
まずこの服。軍人は白い絹製のネグリジェなど着ない。そもそも、突発的な敵の攻撃に備えるため基本は寝間着では眠らない。
そしてこのベッド。おかしい。いくら最前線の将官とはいえ、ここまで奢侈を尽くした寝台では寝ない。いや寝れない。しかも、マットレスはもっと硬いし掛け布団には美しい刺繍などない。
(あ……、)
そして、ハルリアナ____いや、ハルリアナ=オルティシアは、やっと自分が今どういう立場にいるのか、思い出した。
(2ヶ月前、母国が革命で滅び、後ろ盾を失って……。わたしは中将位を剥奪されて軍人をやめ、今は、ライセン合衆国の副大統領閣下の養女に……なったんでした)
「お嬢様、お早うございます。朝餉のお時間が近づいておりますので、お迎えにあがりました」
「お……お早うございます」
ノックとともに入ってきた侍女数人に頭を下げる……が、朝食に侍女が呼びに来るこの習慣には、未だに慣れない。
……ほんの2ヶ月前までは、執務室で書類と本部からの指令書に目を通しながら、美味しくもないレーションを食べていたものだ。それが随分変わったものだなあ、と思いながら顔を上げると、侍女はぎょっとしたように「おやめ下さいませ!」と言う。
「お嬢様が私共に軽々しく頭を下げられるなど。あってはならないことです」
「え、あ、あってはならないことなんですか」
「それとお嬢様。お1人でお着替えになるのはおやめなさいませ。ドレスはともかく、髪が綺麗にまとまりません」
「はあ……髪……。別に適当でよいです。軍にいた時は紐で無造作にまとめていただけでしたし、梳かすだけで随分な進歩かと……」
「何をおっしゃっておられるんでしょう。折角の美しい漆黒なのですもの。磨かねば勿体のうございますわ。お嬢様はまだ10歳とはいえ髪は女の武器……その純粋な黒は、もうお嬢様以外にはお目にかかれないのですから」
……まあそれは確かにそうだ、とハルリアナは自分の髪に触れた。
闇を溶かしたかのような漆黒の髪は、ハルリアナの生家であり、2ヶ月前革命で滅ぼされた『和華帝国』の皇家特有のものだからだ。
革命では、ハルリアナの両親である皇帝皇后両陛下だけでなく、4人の姉と2人の兄、2人の弟が既に処刑されている。
____差別政策と贅沢の為に滅ぼされた和華帝国旧皇室の中で唯一生き残っているのは、最前線で世界の為に戦っていたから……と処刑を免れた第五皇女ハルリアナのみ。それもハルリアナも差別対象に含まれていたからの温情だろう。
その彼女も、革命で皇女位を失い、中将という位も剥奪された。
そして今はかつての部下、オルティシア中尉の生家であるオルティシア家に引き取られ、ごく普通のお嬢様生活を送っている……というわけだ。
(まあ、魔力を持っていることで、物心ついた頃から軍人でしたから……血を分けた家族のことはよく覚えていませんが)
あまり会ったことも無い家族のために嘆く感情など持ち合わせてはいないが、少なくとも旧帝国の皇家の血を引くのはハルリアナだけだというのは事実だ。
元帝国皇女というのは重荷になりこそすれ、味方になるものでもないが。