第一戦線総司令官・ハルリアナ中将についての考察
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「はあ、はあ、はあ……! メイデイ、メイデイ! 【怪魔】の軍勢を発見しました!
中隊長殿! 至急応援を! 中隊長殿!! ……くそっっ!!」
通信を切り、小さく毒づいた青年__ハロルド=ランセット少尉は、乱れる呼吸を必死で整えつつ、後ろを振り返った。
鬱蒼と茂る木々のその向こう。まるで巨大な暗幕が垂れ下がっているようにすら見えるほど、背後に迫っているのは人類の天敵……【怪魔】の軍勢。
____ここは、【怪魔】の侵攻を食い止めるための最前防衛線。
数百体に及ぶ敵の攻勢を受け、討伐に向かったのはジョージ=オルティシア中尉率いる第103大隊所属の第3中隊だった。
……のだが、突如単騎では討伐が困難とされる大物、【大怪魔】の出現により、中隊は敢えなく散開、敗走に至った。
しかし基地に逃げ帰る途中で、ランセット少尉は再び敵軍勢に遭遇。
先程から本部やはぐれた中隊長に連絡を取ろうとするが、先程から全く連絡が取れなくなっている。……やられてしまったのかもしれない。
「俺は……ここで終わりなのか?」
自惚れるわけではないが、それなりに優秀だという自負はあった。……世界で唯一の軍大学。それを優秀な成績で卒業し、中央で訓練も積んでいる。
……それなのに。それなのに、こうも手も足も出ずにここで死ななければならないなんて。
巨大な暗幕のようにすら見える、【怪魔】の軍勢は既に少尉のすぐ後ろまで肉薄していた。
彼らが纏う、黒い霧のような毒素……一般的に【邪素】と呼ばれる魔力に触れれば、皮膚は壊死し、意識は破壊され、ただの寿命僅かな破壊人形【怪魔感染者】に成り果ててしまう。
栄光ある人類の砦、聖統一軍の士官にあらざる最期を遂げるなんて、彼は真っ平御免だった……が、最早逃げ場などない。
ならばせめて一体でも、と。
____そう思った、その刹那。
黒銀の、【怪魔】のそれとは違った色の邪素の波が……敵の軍勢をまるごと押し流した。
「……無事ですか、ランセット少尉。救難信号を得たので駆けつけました」
【怪魔】を押し流した邪素と同色の、美しく艶のある黒銀の髪。130cmに満たぬ小柄な体躯。
そして、紺色の軍服とコートに、軍帽。胸と軍帽に付けられた幾つもの勲章と、身分を表す徽章が、陽の光を浴びて煌めく。
……ランセット少尉は、目の前に立つ幼い少女の姿を見て、思わず目を見開いて叫んだ。
「ちゅ、中将閣下! ハルリアナ閣下御自ら……っ!?」
「敗走の報告は聞いています。既に友軍が援軍に来るでしょう。……が、どうやら【大怪魔】が出たと言うようなので、わたしが出陣したんです」
他の士官じゃ、即時対応は難しいでしょうからね、と彼女は表情を変えずに言った。
ランセット少尉は辛うじて相槌を打ちつつ、意識は自分の背後に向ける。
……先程、何かの邪素に押し流されて数は減っているが、親玉である【大怪魔】はやはり残っている。いつ襲われるか気が気ではなかった。
「……やはり新兵には、最前線は厳しかったみたいですね。ここに配属されたからには、死と隣合わせですから。中央もなぜ、最前線に新兵を投入しようとするんでしょうか。これでは無駄に新たな芽を摘むようなものです」
まったく、と呟きながら無表情で彼女は腰の刀に手をやった。
学生上がりでは最前線には相応しくない。……そう言われたかのようで、ランセット少尉はかっと顔を赤くする。しかも、目の前の……自分の妹よりもさらに年下の、幼い少女に。
____だが。
目の前に威風堂々と屹立する彼女には、それを言う資格があるのだ。
「……蒼月流抜刀術アの型参番」
抜かれた白刃の周囲を、黒銀の霧が渦巻く。それは主に【怪魔】が操り、人には操り難いといわれる魔力属性を持つ、邪素の塊だ。
……彼女は襲い来る【怪魔】の集団を冷たい目で見据えると、短く息を吸い込み、そして。
「《蒼炎乱》」
邪素を帯びる、白刃の一薙ぎ。
それだけで、彼女は数十に及ぶ【怪魔】とその親玉を、薙ぎ払ってしまった。
そしてチン、と軽い音を立てて刀をしまったハルリアナ中将は、唖然として何も言えずにいるランセット少尉を無感情な黒銀の双眸で見下ろす。
「さて、あなたは早く基地に戻っていていいですよ。わたしはついでに他の新兵のもとへ行きますから」
「……ハッ!」
……彼女は天才だ。『あらゆる意味で』規格外。
それをわかっているから。
ランセット少尉は、あわてて敬礼をすると、一目散に駆け出すのだ。
____何故なら彼女は、聖統一軍第一戦線総司令官・ハルリアナ中将。
単騎での【怪魔】討伐数、4298体。
【大怪魔】125体。
【怪魔卿】2体。
総合、【討伐量】……7548。
歴代3位のスコアを誇る、怪物なのだから。