10、迫る選択
「疑似【怪魔】です」
「擬似……【怪魔】!? な……何考えてるんだよ、お前……!! ここは屋敷の敷地内だぞ!?」
黒銀の霧はぐねぐねと動き、人型を作ったかと思えばシルエットを崩すことを繰り返している。薄い邪素を周囲に振り撒き、レオンハルトはやや仰け反って後ずさった。
ハルリアナはそれを一瞥すると、抜いた《雪霞》を納刀し、自分が生み出した邪素の塊……擬似【怪魔】に視線を向けた。
「……安心してください。この【怪魔】はあくまで擬似。わたしの……人間の邪素で構成されているので、触れても【怪魔感染者】になることはありません」
「……そうなのか?」
「ただし」
思わず、というように擬似【怪魔】に一歩近づこうとしたレオンハルトの前にハルリアナが立ちはだかる。
「……ただ無害な邪素なだけならば、わたしがこれを出すわけがないでしょう。覚悟なしにこれに触れてはいけません、地獄を見ることになりますよ」
「はあ!?」
眉を跳ね上げたレオンハルトから視線を外すと、ハルリアナは作り出した擬似【怪魔】を振り仰いだ。
……これは確かに、人間であるハルリアナの魔力から生み出された擬似的な人類の敵だ。毒素はあるものの、人間相手には害をなさない。
しかし当然、聖素ではなく邪素……触れればそれが体内に入り込むことで、この世のものとは思えない激痛を感じることになる。浄化魔法式以外で他人がそれを消し去ることはかなわない。
「これはもともと……わたしが第103、104大隊の魔法士をこの手で育てた時に使った手法なんです」
「103、104大隊と言うと……【討伐量】が他大隊とは比べ物にならないっていう、第一師団所属の精鋭集団だったよな。そして、数も他の大隊よりかなり少ない……」
「ええ。……この訓練で、通常の大隊の人数の3分の1ほどが他の大隊に移り、5分の1ほどが未だ苦しみとともに寝込み続けています。
……つまり。今、その2つの大隊には、他の大隊のほぼ3分の2ほどしか魔法士がいないわけです」
「待て……5分の1が寝込んでいるだと?」
「ええ」
擬似【怪魔】を使った訓練は、他人の邪素を体内に侵入させることで、聖素の対抗力を上げ、魔力の絶対量と質を大幅に向上させる……というものだ。
ただ……要するに邪素を受け、聖素でそれを追い出すという訓練のため、邪素を体外に出すことが出来なければずっと、精神が異常をきたすほどの激痛に苛まれることになる。
「死にはしません。邪素を追い払えても、追い払えなくても。ちなみに邪素を追い払ったあとに後遺症もありませんよ。……それと、少しだけなら邪素が残っても、身体能力が上がります」
邪素使いが戦闘、特に近接戦闘に優れている理由は、邪素がその者の身体能力を限界まで引き上げるところにあるのだ。
同時に、魔法を使えないはずの【怪魔】の邪素に感染された【怪魔感染者】が、魔法士たちを苦しめる理由もそこにある。
彼らは力が強く、機動力も普通の大人とは段違いだ。対峙して油断をしていると、最前線の軍人……聖素使いの魔法士たちでも片手で縊り殺される。
「……お前の言いたいことはなんとなくわかった。要するにこの……感染しても毒はない擬似【怪魔】の邪素に感染して、自分の魔力で邪素を身体から押し出せっていうことだろ」
「話が早いですね。さすがレオン」
なればこそ、次にやることは想像がつくだろう。
……要するに、力を得るために地獄に突き落とされるわけだ。軍大学候補生学校、軍大学で研鑽してきた兵でさえ苦しみ、現在の大隊の5分の1の数……20人程が未だ活動不能。
つまり。この修行を始めるに必要なのは、ただ一つ____覚悟だ。
「死ぬより辛い苦痛を、死ぬまで味わい続ける。まるで拷問ですね。いいえ、失敗したら文字通り死ぬまでなので拷問というのも生温い。
叫び続け、寝台の上でのたうち回り、衰弱して力尽きて死んだ魔法士もいたと思います。強くなるために弱くなって死ぬとは。愚かなことですよ」
だが成功した時のメリットは、リスクを鑑みても大きい。
何故なら、自らの魔力で邪素を追い出すのに成功すると、それだけで魔力量が数倍、場合によっては十数倍にも跳ね上がるからだ。
……ハルリアナは部下を鼓舞するために言うだけは言っていたが、『敢闘精神』とやらを賛美するのは好きではない。
とはいえ魔法士になる若者はだいたい、世界を守るために意気揚々と最前線にやってくる。そういう『敢闘精神』に溢れた若者たちは……この試練にこぞって志願するのだ。
もちろん適性検査は彼女自身の手で行うが。魔力量が多く、聖素を練るのに優れたものでないと一生苦しむことになるからだ。
そういう点では、レオンハルトは適正基準をゆうに超えている。
「……それでも、あなたはやりますか。
レオンは多分、こんなことをしなくても……上位魔法式を学ぶだけで強くなれますよ」




