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真海が芝生を踏むと、目の前に居た真海はニコリを微笑み、瞬き1つで管狐の姿へと戻った。セイは真海に抱き上げられると、首に巻き付き尾に顔を埋めて眠ってしまった。
「お疲れ様、セイ」
ふわふわの背中を一撫でし、ぽかんと口を開けている誠に会釈する。
「こんにちは、先輩」
いつも通りの挨拶をすると、彼は酷く狼狽えてしまった。
「え・・・セイの、影が扉に・・・?え?そこから涼宮さんが・・・?」
「私の友人に影使いがいますので、彼女に送ってもらったんです。あ、空間移動のことは内密にお願いしますね?セイのことも」
唇の前に人差し指を立てて、短く呼気を鳴らす。それに、彼は一拍間を空けながらも、戸惑いがちに頷いた。それを見て、真海は満足げに頷き、1歩、誠に近づく。
「今日はどうしても外せない用事がありまして、セイに代わりに出て貰ったんです。授業内容は把握しておきたいですから」
身代わりの理由を告げ、それから口を噤んだ。誠は酷く動揺しながらも、思考を放棄することなく考え込み、状況を整理している素振りを見せる。自分の唇に人差し指の関節を押し当て、考え込む様子を眺めながら真海は待った。
やがて、思考が纏まったのか彼は手を下ろすと、ジッと深紅の瞳を見た。
「・・・貴女は、何者ですか?」
「何って?ただの高等学部1年、涼宮真海ですよ?」
「ただの、ではないでしょう?」
誠の瞳に警戒の色が浮かぶのを見て、同時に苦痛の色が見えて、真海は気分が高揚するのを感じた。
今までの付き合いから、顔なじみだから、信じてるから、そんな理由で得体の知れないものを簡単に信じる純真さは彼に求めていない。けれど、そこに苦痛の色が混ざるのは疑いたくないからだ。信じたいからだ。それはある程度彼の内面に入り込めている証拠だ。
「変化を得意とする使い魔。それも、それほど精巧なものを契約者の傍に居ずとも使える魔族など限られています。その上、それ程に力が強い使い魔を持つ者が入学となれば騒がれるというのに、涼宮真海という人物の噂は一切流れてきませんでした。ということは、入学前に行われる使い魔の検査を偽ったか、検査結果を伏せさせることが出来る程、高い権力の持ち主しかない。けれど、涼宮という家名は聞きません。ということは」
前者しかない、と言おうとした時、唇に何かが触れた。ハッとして近くに焦点を当てると、目の前に移動した真海が小さく戦慄く唇に人差し指を押しつけていた。
「は・・・な・・・・」
「フフッ、頭のいい人は好きですよ」
「すっ・・・!?」
ポンッと真っ赤になりながら後ずさる誠を見て、女慣れしていない様子を見て真海は表情を綻ばせる。
いつもの眠そうな目を柔らかく細め、唇を緩く弧に描く。花が咲きこぼれるような微笑に誠は目を丸くして見惚れた。
「大丈夫ですよ。私は何一つ不正などしていませんから」
「っ・・・しかし」
「心配なら」
アルに嘴で髪を引っ張られて我に返る。不信感が拭えずに零れた反論を、真海は遮るように言葉を重ねる。
「学園長に聞くといい。彼女は全て知っていますから。私が何者なのか知ってます。けれど、貴方がそこで得られる情報は、私が不正を行っていないというもののみ」
誠が下がった分だけ踏み出して、背伸びをする。近くなった微笑に、誠は息をするのも忘れて見入る。ふわりと、優しく頬を両手で包まれるのを、何の反応も出来ずにされるがままになった。
「私を知りたいなら、ここまで落ちてきてください。私は、待ってます」
するりと、撫でるように手を滑らせ、項で指を組む。やんわりとした力で上体を引き寄せると、彼は人形のように言いなりになり、屈んだ。すぐ傍まで来た耳に、息を吹き込むように囁く。
「私は、貴方が好きです。だから、私を好きになってください」
懇願するように、内緒事を囁くように、宝物のように、その言葉を紡いだ。
「へ?え!?」
のだが、いきなり誠の身体から力が抜けて、真海は目を丸くした。何度も瞬き、踏ん張って支えると、消え入りそうな声が聞こえてきた。
「すみません・・・・足に、力が入らないです・・・・」
穴があったら入りたい、そんな空耳が聞こえた。
予想外の出来事に、真海は思わず吹き出す。溢れそうになる笑い声を何とかかみ殺しながら誠をベンチへと座らせた。
「大丈夫ですか?」
真っ赤になって俯く誠を無表情で、眠そうに半眼になりつつ見る。しかし、その声は非常に楽しげな色を含んでおり、それを感じ取った誠はますます縮こまった。
「笑わないでください・・・」
「先輩が予想以上に初心なのが楽しくって。本当に女慣れしてないんですね」
「・・・親しい女性は、親子程に年の離れた方達ばかりなんです。年が近い女性でも、あんな距離で話したことなどありません。まして、あんなことを言うのは貴女が初めてです」
「そうなんですか?意外です」
「そんなことありませんよ?」
意外、という言葉に誠は不思議そうな表情を浮かべた。そんなことはない、という誠の言葉に、ベンチの背もたれに止まって毛繕いをしていたアルは、抗議するように羽ばたいた。
「主君は自己評価が低すぎる!」
「あっアル!」
声高に主張するワシの嘴を、誠は慌てて掴もうとする。しかし、ワシは力強く飛んでその手から逃れ、近くの低木に止まった。鳴き声しか出ない筈の嘴から、流暢な人語を流す。
「その女が主君を好いていると言っているのだ!素直に受け止めたらどうなのだ!主君だとて」
「アル!!」
アルの言葉を遮るようにその名を怒鳴る。それにようやく嘴を閉ざし、不満気に幹を突っついていた。
「別に言いふらしませんよ?セイだって、念話以外での会話は可能ですから」
焦った様子の誠に、安心させるように言うと、誠はホッと息を吐いた。
「ただ、1つ補足するなら、身体の一部を人体に変化出来る魔族でしたら誰でも念話以外での会話は可能ですよ?一定の器用さが求められるので全身丸ごと人化出来る特級の魔族しか話しませんが」
「そうなのですか?」
「知り合いに第三級の魔族を使い魔にしている人がいますが、片言ですがしゃべってますよ」
「初耳です」
「大抵の魔族は面倒臭がってやりませんからね。まあ、そういうわけで位を知られたくなければ黙っていることをオススメします」
「わかりました」
素直に誠を頷き、アルに向かって腕を差し出した。すると、彼はその腕にそっと止まり、その鋭利な爪で誠の腕を傷つけないようにやんわりと掴んだ。
「あ、それと」
アルの顎を撫でる誠を眺めながら、真海は言った。
「さっきの告白、本気ですから」
「!」
完全に油断していた誠は硬直した。けれど、今度はすぐに硬直が溶け、彼は酷く申し訳なさそうな顔をした。
「私には、人に好まれるような部分などありませんよ?」
「は?」
思わず、素で驚いた。あり得ない者を見るような目を誠に向ける。
「私は大した才能はありませんし、青風家は弟が継ぐことになっており、私は卒業次第縁を切られることになってます。私には何の価値も魅力もありません」
申し訳なさそうに止めた方がいい、と遠回しに言う誠を見る真海の目は、次第に据わっていった。徐に誠の正面に立つ。
「先輩?」
「なんでしょうか?」
「ぶん殴るよ?」
「え?」
「と、失礼しました。つい、イラッときまして」
自分の発言に謝罪を口にする。けれど、目は据わったまま、いつもの眠そうに半分閉じている目はつり上がり、燃えるような赤い瞳は誠を射貫くように見据える。
「過小評価は大概にしていただけませんか?」
その視線に、何故か背筋が伸びた。アルは2人の間からどくようにベンチの背もたれに飛び移る。
「私は、貴方を好いているといった。そこに血筋も身分も関係ない。貴方という人に強く惹かれ、貴方が努力で身につけたであろう力を見て、欲しいと感じた。何故、そこに産まれた時に付属されたものが関係する?」
細くペンだこのできた指を伸ばして、固い胸をつく。男だから固いのではない。鍛え上げられたからこその固さだ。それは、努力の一端だ。
「胸を張れ。己の努力を無碍にするな。貴方はそれこそ、血を滲むような努力をしてここにいるのではないのか、その地位にいるのではないのか。何を理由に努力したのだとか、誰に認められたかったのだとか、そんなの関係ない。貴方は相応の努力をして、今、ここにいる。その努力を否定するようなそれは、謙遜じゃない。ただの卑屈だ」
彼は、心の底から価値がない、と感じているようだった。だが、それは否定され続けたからで、その根底には誰かに認められたいという思いがある。でなければ、何故、こんなにも卑屈な人間が、責任ある立場にいる。誰かに指示を出す立場にある。
だからこそ、真海は肯定する。その努力を、その価値を。事実、彼は価値がある人間だと彼女は認めている。だからこそ、もう己に価値がないと思わせたくない、言わせない。
「貴方の価値を私が認めている。それこそ、心が惹かれる程の魅力と、支えになれると感じれる程の力を私は貴方から見いだしている」
ひゅっと誠が息を呑む音が聞こえた。惚けたように口を開け、湖畔の水面のように揺れる瞳を見つめながら、真海はハッキリと口にした。
「誇りなさい。この私に認められたという事実を」
1人の人間に認められているという事実を無価値だと思うな。
「認めなさい。この私に好意を寄せられている事実を」
好意を寄せられているという事実を哀れむな。
「自覚しなさい。自分自身の価値と魅力を」
自分なんかに、ではなく、自分だから、だと。
「そうして、顔を上げてもっと周囲をみなさい。貴方を認めている人間は、私以外にもいるから」
誹謗中傷の中に混ざる言葉を、どうか見逃さないで。
身近な数人からの評価だけではなく、もっと広い範囲に目を向ければきっと気づく。彼は、認められているからこそ今の地位にいることが出来るのだと。
動かない誠を、真海は少しだけ目を見開いて見る。思い出したようにポケットからハンカチを取り出して、彼の目元を拭った。
「私の言葉、良く考えてください」
元の眠そうな目に戻って、ハンカチを小さく震える手に握らせる。そのままくるりと踵を返して立ち去った。