1-3
夕方から日付が変わるまでみっちりと文字と歴史を教え込まれた六花は呟いた。
「おにちくや。涼宮さんはおにちくや」
「おにちく・・・?」
「鬼畜の[鬼]を音読みにしただけだよ」
使いすぎて痛む頭を抱えてソファーにつっぷした六花は蓮の疑問に答えた。それを聞いて蓮は咎めるように顔を顰める。
「姉さんは僕たちの為に教えてくださってるんですよ?それをそんな風に言わなくても・・・」
「分かってるよ。でもね、休憩無しノンストップ講座は私にはきついんだよぉ」
情けない声を上げる六花に、本当にこの人は年上だろうか、と蓮は失礼と思いつつ考えてしまった。
「うぅ、トリップの得点とかで頭よくなってたらよかったのに・・・逢魔は物覚えいいから休憩も貰えてたし・・・いや、出来の悪い私が悪いんだけど」
「六花さんは頑張ってますよ。だから自分を見下すことを言わないでください」
「うぅ、逢魔良い子だね。頭なでちゃる」
むくりと身体を起こし、ベッドに座っている蓮の頭を両手でわしゃわしゃと撫で、ひとしきり撫でると、今度は髪を梳くように撫でた。
現在は深夜。2人は今、蓮が宛がわれた部屋にいた。蓮に家具の位置と距離を教える為に六花は一緒に居たのだが、教え終わった後、こうしてソファーに崩れ落ちたのだ。
気持ち良さそうに目を細めて撫でられていた蓮は、ふと、思いついたように顔を上げた。
「そういえば、六花さん」
「なんじゃ」
「僕たちは双子の姉弟という設定なので、いつまでも名字呼びではおかしくないですか?名字だって黒烏に変わっているのですから」
「ん~、じゃ、蓮君」
ひとしきり撫で、満足した六花は手を離しながらあっさりと呼び方を変えた。しかし、蓮はその呼び方に不満気な顔をした。
「呼び捨ててかまいませんよ?」
姉弟なのだから、君付けはいらない、とそういう蓮に、六花は口の端をつり上げたまま、首を傾げて見せた。
「なんで?」
「え?」
「なんで、呼び捨て?姉弟でも君付けでおかしくないと思うよ?うちはあだ名呼びだったけど」
「なんでって・・・姉弟、だからです」
「蓮君はさん付けなのに?」
「それ、は」
六花の返しに、蓮は口ごもった。なら、自分も呼び捨てに、などと言えなかった。
「・・・六花さんは、年上、ですから」
「双子設定な上に私、若返ってるよ?」
「実年齢は年上でしょう?」
「あだ名、くんちゃん付け以上に、姉弟で年上だからってさん付けする方が珍しいと思うけど?」
「実際は違うでしょう?」
ぽんぽんと返ってくる言葉に、反射的に言葉を返し続けて、そうして、後悔した。しまった、と気づいて口を押さえた時には、もう、遅かった。
「なら、蓮君で問題ないよね?」
ずっと温かかった声が、やけに冷えて感じた。1度はき出した言葉はもう戻らない。良き関係を築こう。そう決めていた相手を、自分から拒絶したのだと遅れて気づいた。
「私はね、もう1度自分から、なんて優しい性格はしてないよ」
1度も彼女から聞いたことのない、温度を感じさせない声。温かみのある声から一転したせいで冷たく感じるが、冷たい、というのとは少し違う。
「蓮君がどんな人生を送ってきたかなんて知らないけど、真海さんが何を感じ取ってあんたを気に入ったかは知らないけど、私は、自己中心的な人間だからね。自分の都合の悪くなることは、しないよ。1度自分を拒絶した人間を、無条件で受け入れる程、優しくない」
「拒絶なんて、そんな!あの時、僕は動揺してて、それで」
「本音が出た?」
言い訳を封じるような、断言する声に、蓮はぐうの音も出なくなる。違う、と言わなければ、何か、何かを言わなければと口を動かすのに、言の葉は零れず、出て行くのは音のない空気ばかり。
「言い訳は、あまりしない方がいいよ。いつか癖になって、私みたいに言い訳と説明の境が分からなくなる」
とんっと、優しく額を突かれた。いつも、触れる前は事前に言ってくれた彼女の唐突な接触に、びくりと肩が跳ね、そのままベッドに沈んだ。
「おやすみ、よい夢を」
言葉を残して、彼女は退室した。
残された蓮は、呆然と目を見開き、やがて、くしゃりと顔を歪めて両手に顔を埋めた。
「阿夜」
ふっと、一連の流れを見ていた阿夜は、真海の声から意識を引き戻された。
「そろそろ寝な。あの子達はそう警戒する必要はないよ。今はね」
「・・・はい」
「ん、じゃあ、お休み」
「お休みなさい」
ぱたん、と扉がしまる音が阿夜1人になった部屋に響いた。1人になった空間で、阿夜は顎に固い手を当てて考え込んだ。
(先ほどの2人のやりとりは、私達との接触前に何かあったと見ていい。逢魔の方は礼儀正しく人懐っこいように見せて、その実は自分に踏み込ませない性格なのかな。清水の方は、落ち着きがない面が多々見受けられ、講義の途中も弱音を吐くことが多かった。あれが演技だとは思えないけど、今のやりとりを思うとそれだけが彼女の性格だとは思えない)
そこまで考えて、止めた。大雑把な分析ならばともかく、どういう人間だと断言出来る程、2人を知らない。
(何より、必要ない、と言われてしまったしね)
真海は必要ない、と言った。彼女がそういうのならそうなのだろう。また、紫苑と黒烏家の面々を欺ける程の脅威には見えない、と阿夜はベッドへと向かった。
翌日、再び六花は頭から煙を上げていた。
「ずつうがいたい・・・」
「それ、言葉おかしいよ?」
「しってる・・・」
真海の言葉に力なく返し、それでも気力で歴史書のページを捲る。
「うぅ・・・本は嫌いじゃないけど、文字違うだけで、英語勉強してるみたいで頭痛い」
「えいご?」
「日本とは別の国の言語です。英語圏の人間は来たことないんですか?」
「少なくともこの世界では広まってないね」
真海と阿夜は、本日わざわざ学校を使い魔2体に化けて貰って代わりに出て貰い、六花に勉強を教えている。因みに、蓮はとっくに先に進んで、今は阿夜と別室で勉強中である。
「兎月さん超絶美人さんで涼宮さんも、びじん、さん・・・?」
「いきなりだね。それに、化粧してないのにそんな風に言われたの初めてだよ」
「ううん・・・」
「ぶっちゃけてもいいよ?何を言われても、今だけは怒らないし、部屋を出たら六花に不都合なことは忘れてあげる」
「・・・色以外は特に、特徴的な顔はしてないのに、常時眠そうな目と無表情は置いといて、何故が美人さんに感じるんですけど、何故です?」
「何でだと思う?」
「う~ん?多分、肌と髪の艶?めっちゃ手入れ気ぃ使ってません?」
「うん、使ってる」
「後は、所作が、綺麗?なんて言うか、優雅?幼少からの成果ですか?」
「うん、あってるよ」
「・・・誤魔化さないんですね。てっきり隠してるのかと」
あっさりと頷く真海に、六花は不思議そうに首を傾げた。それに対して、真海も不思議そうに首を傾げて見せる。
「なんとなく感づいている相手な上に、家族なのに?姉さんって呼んでいい?」
六花は面食らい、黒い眼をうろうろとさせる。そわそわとし出して、けれども、急にニコリと笑みを浮かべた。
「いいですよ」
「・・・敬語、いらないよ?ついでに真海って呼んでくれると嬉しいけど?」
「・・・・・・・・ん、わかった。名前は、時々間違えると思うけど、慣れるまで待って」
「うん」
「・・・続き、しよ」
嬉しそうににこにことする真海から六花は表情筋から力を抜いて目をそらし、歴史書に視線を落とす。
「じゃあ、復習しようか」
「はい、先生」
「まず、この国の名前は?」
「アルクトゥルス王国、別名発見の国」
「別名の理由は?」
「この国は学問が盛んで、様々な分野での研究が成されています。主な物は魔法、魔物、使い魔関係です。そうして、研究が盛んな故に発見が多い、故に発見の国です」
「正解。ではこの国の起源は?」
「元はレアローテという大国の一部でしたが、愚王による圧政から反旗を翻し、謀反は成功しました。そうして、2度とそんなことがないようにと互いに見張り、助け合うことを目的に国が4つに分裂。その1つがこの国です」
「正解。魔法を伝えたのは?」
「初代アルクトゥルス国王妃の侍女頭である女性が伝えたと言われています。正確な情報はありません」
「正解。因みに、一般的に広まってないけど、その女性は異界の迷い人だったらしいよ」
「ああ、あったばっかの時に言ってた、初代王を助けた女性ですか?」
「そう、それ。じゃあ分裂した3つの国名と別名と方角は?」
「ええっと、この国から見て東にあるのがピアース聖国、別名宗教国家。北にあるのがナヴァーラ王国、別名武の国。北東にあるのがローランド商国、別名商いの国。あ、後四カ国の中央に位置する場所に年に1度、国の会合が開かれる城があって、名前はレアローテ城」
「正解。じゃあ、レアローテ城はかつて、レアローテ大国があった際の王城だったんだけど、何故残したのでしょうか?」
「え」
六花は言葉を詰まらせ、視線を泳がせた。そんなこと学んだっけ、とその表情は物語っている。
「ここに書いてあるよ」
「はい・・・えっと?これが、国王、で・・・・・えっと、これが、レアローテ・・で、城で・・・・これが、憧れ?いや、えっと」
「尊敬」
「あ!ありがとう。じゃあ文面はこうで・・・」
うんうんと唸りながら日本語で訳を書き出し、自分でメモした単語を見返しながら訳す。なんとか意味になったのを感じて六花はぱっと表情を輝かせた。
「愚王の先代が尊敬される人で、なくなった後も尊敬し続けた国民と、四カ国の建国王の願いで残された!」
「正解。じゃ、歴史と地理は大丈夫そうだし、少しきゅうけ、い・・・?」
「すず・・真海?どうしたの?」
「・・・」
不意に硬直した真海に、六花は慣れない呼び名を呼んだ。けれど彼女は答えず、虚空を見つめている。鼓膜を震わせずに響く声に耳を傾けた。
《主、ごめんね。しくじっちゃった》
(何があった)
頭に響く声に、声を出さずに念じて応える。
《最愛の君に使い魔であること、ばれちゃった》
(どうやって?セイの変化はかなり精巧だし、演技もうまいのに)
《話している時に違和感を感じたみたいでね、カマかけられてボロだしちゃった》
(感じる、じゃなくて覚える、ね。やだどうしよう嬉しい)
《喜んでるとこ悪いけど、どうする?》
(阿夜に頼んですぐいく)
《りょ~かい》
セイとの会話を終えると、真海は脇に置いておいた本を机に置いた。
「ごめんね、急用が出来たから少し抜ける。30分休憩したらこの本読んでおいて」
「・・・これは?」
「ミネルヴァ学園の小冊子。学園について書いてあるから、30分経っても戻ってこなかったらそれ読んで待ってて。文字の復習にちょうどいいだろうし」
「了解です」
「セバス」
2人以外誰もいない筈の室内に向かって呼ぶと、物陰から音も無くセバスが出てきた。
「お呼びでしょうか?」
「うわっ、いつの間に!」
いきなり現れたセバスに六花の肩が大きく跳ね上がった。しかし、真海は気にすることなく用件を言いつける。
「この子に甘い物を用意してあげて」
「畏まりました」
「じゃあ、後でね」
「うん、気をつけてね。いってらっしゃい」
顔を上げ、目を見て見送る六花に、真海は眠そうな目を少しだけ和らげる。
「行ってきます」
一言残して部屋を出ると、隣室へと顔を出した。
「阿夜」
「なあに?」
「青風先輩にバレた。話に行くから向こうと繋げて」
「いいの?」
「セイの変化がバレた時点でそこら辺は隠せないよ」
「わかった」
頷いてから、阿夜は椅子から立ち上がり、真海の前に手を翳す。
「影を道とし、人を目標とせよ。点と点が重なり、1つとなれ-開け-」
真海の影が盛り上がり、ちょうど真海を覆えるくらいの楕円となった。そうして、まるでドアのように前へ滑り、学園の裏庭と真海の背中が見えた。
「じゃ、後よろしく。六花姉には課題渡してあるから、様子見程度で」
「わかった」
手を額の前で立て、敬礼まがいなことをして芝生を踏んだ。