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学園から飛び出した2人は、学園から少し離れた目立たない場所に止められた馬車に乗り込み、王都の一角にある屋敷にいた。
シックな調度品に囲まれた応接間で2人は紅茶を楽しんでいた。
「ねぇ真海、もしかしてここってさ・・・」
「非公式のお屋敷なんだから口に出さない。これから会う人はただの金持ち。身分は知らない。わかった?」
「わかった」
2人を馬車で迎えたのは青い髪を緩く首元でまとめた、褐色の肌を持つ執事服の青年だった。しかし、内包された魔力からそれは使い魔が化けた姿だと知っている。その魔力が自分達を軽く上回るものであり、その青年が誰の使い魔であるのか察してしまった阿夜は誰が真海に使いを出したのか察したのだ。
その為、阿夜の顔色が少しだけ悪い。それを真海は感心しながら眺め、自分を呼び出した者を待った。
「はあ・・・明日、先輩に会えるかな・・・」
「あんたはこんな時でもそれか」
「だって、やっと世間話出来るようになったのに」
「あ~はいはい、恋する乙女恋する乙女」
はあ、と溜息を吐いて阿夜はおざなりに宥める。真海は変わらず無表情で紅茶を飲んだ。その時、ノックの音が響いた。
「どうぞ」
「入るぞ」
「失礼します」
「失礼しますっ」
真海が声を出すと、高圧的なバスの声と、落ち着いたテノール、少し声が弾んだアルトの声が聞こえた。真海は背もたれに背をつけたまま乗りだし、顔を逆さにして扉を見た。
1人は紫色の髪を肩辺りまで無造作に伸ばした少年。高身長で女子の中でも背の高い阿夜と並べたらちょうどいい身長差だろう。やや威圧的な顔立ちではあり、紫紺の瞳は鋭く真海達を見、阿夜を震え上がらせた。
もう1人は黒髪を肩の上辺りまで切った少年だ。身長は阿夜と変わらないくらいだろう。男としては平均くらいの身長で、柔和な顔立ちをしており、黒い瞳はとても穏やかな印象を受ける。
もう1人は、同じく黒髪黒い瞳の少女だ。肩甲骨の辺りまで髪を伸ばし、きょろきょろと落ち着きなく部屋を見渡した後、真海達を見てにこりと笑みを浮かべた。特に特徴的な顔をしてはいない。人混みに入ればあっという間に埋もれてしまいそうな雰囲気ではあった。
黒髪の少年の瞳に違和感を覚えながら、真海は空になったカップを手に持ったソーサーに乗せて執事に見せる。彼は失礼します、と一声かけてからそこに紅茶を注いだ。
「ありがと」
礼をいいながらもう一口飲む。
「で?紅茶ばっかで水腹になりそうなんだけど茶菓子は?」
「人ん家で随分な寛ぎようだな」
「え~金持ちの友達が家に招待してくれたから寛いでるだけだけど?」
「そういう設定にしたのかよ。この髪と目の色が見えないのか」
「何も見えない。畏まって欲しいなら見るけど?」
眠そうな目で紫紺の瞳を見上げると、彼は舌打ち1つして否、と応えた。
「あそこ離れてる時くらい身分を忘れさせろ。学校でも身分意識してすり寄ってくる奴らばっかだからな」
「どんまい、名前変えて髪の色変えればよかったのに。つぐむ姉に口添えしてあげたよ?」
「俺はお前と違って顔が割れてんだよ。その上あのクソ兄貴がいるから無理だ。おら、座るぞ六花、蓮」
「わわっ」
乱暴に腕を引っ張られ、蓮と言われた黒髪の少年は前につんのめって転びそうになった。それに、六花と呼ばれた少女は慌てて間に入る。
「あ、ちょっ紫苑さん!腕引っ張っちゃだめって何度言ったら分かるんですか!貴方だって目隠しされた状態でいきなり引っ張られたら驚くでしょう!」
「六花さん、大丈夫ですよ」
「全然大丈夫じゃない!それで何回あんたが転んだと思ってんの!もっと自分の身体を大事にしなさい!紫苑さんは手を離して、逢魔はほら、もって」
罰の悪そうな顔をする紫苑と呼ばれた紫髪の少年に、蓮は庇うようなことを言うが六花は問答無用とばかりに手を外すように言った。そうして、蓮の斜め前に立って肘を軽く曲げる。蓮は苦笑を浮かべながらも素直に腕を持ち上げて、触れた肘を軽く掴んだ。
「前に10歩進むよ」
「はい」
蓮に距離を教えながらソファーまで行き、座らせると、自分ももう1つのソファーに座った。向かいと斜め横の1人掛けソファーにそれぞれが座ると、真海はカップをソーサーに戻した。
「で?呼び出しの用件は?」
「あん?機嫌わりぃな」
「これからって時に毎回厄介な案件で呼ぶあんたに呼ばれたら機嫌も悪くなるわ」
「これから?」
何のことを言っているのか分からず、阿夜に視線を向けた。彼女はビクリと肩を震わせると、強ばった表情で疑問に答えた。
「青風誠先輩のことです」
「あ?少し見ねぇ間に変わったな」
「私が言ったの」
出されたクッキーをつまんで言うと、かじりついた。うまい、と一言呟いてもう1枚に手を伸ばす。
「なるほど?つうか人タラシのお前がまだ落としてねぇのかよ。片思い3年だったか?」
「正しくは、調べるのと様子見で1年使って、意識に入り込むのに2年使った。口説くのはこれからだよ。それに、欲しいのは信者でも忠臣でもなく、恋人であり生涯の伴侶で対等の者だ。女として意識してくれないと困る。そんなことより本題。その盲目の彼と付き添いの彼女に関係すること?」
腹の探り合いなどいらないとばかりに急かす。
置いてけぼりを食らっていた2人は、六花が蓮に物の位置を教えてからは、蓮はおいしそうにクッキーをかじり、六花はぼんやりと窓の外を眺めていた。ただ、自分達に関連する話に戻ったと理解すると、蓮はカップを戻し、六花も視線を正面に戻した。
「そんなに早く戻りたいのかよ」
「愚問だ」
「1つのことに夢中になるとそれだよな。察しの通り、呼び出したのはこの2人についてだ。六花、蓮」
「お先にどうぞ」
「では、お初にお目にかかります。逢魔蓮と申します。あなた方は同年の方とうかがいました。よろしければ御友好を結びたく思います」
「初めまして、清水六花です。元24歳、現は多分貴女たちと同い年です」
丁寧な挨拶をする蓮を見てから、真海は紫苑に視線を戻す。彼が小さく首を振るのを見てから視線を蓮と六花に向ける。
「どうも、涼宮真海だよ。もう1人は兎月阿夜。私の幼馴染み。好きに呼んで。で?清水の元24歳ってどういうこと?」
「何故か若返りました。研究者曰く、今まで把握している分のみではあるけれどこっちに来たのは逢魔くらいの年の子のみだからそのせいじゃないか、だそうです」
「ふぅん?紫苑には、私のことなんて聞いてるの?」
「涼宮さんは、これからお世話になる人、とだけ」
「・・・どゆこと?」
答えた六花から、視線を紫苑に戻す。その一言は、2人が何者なのか、お世話とは何か、という疑問が込められている。紫苑はそれを正確に読み取った。
「まずは、“狭間の迷い人”についてどれくらい知ってる?」
「次元を越えて迷子になった異世界の人間。確か、チキュウだっけ?という世界からやってきて、やってきた者は9割方優秀な者である。人種や産まれは様々だが、建国した初代王を助力した女性と同じニホンジンという人種が多い」
「・・・なんでんな詳しいんだよ」
「常識でしょ?」
「前半しか常識じゃねえよ。チキュウ、以降は機密事項だぞ」
「図書室の文献読みあさってたら出てきたけど」
「チッ、後で調べる」
「司書長に報告して撤去済み」
「相変わらず仕事はええな」
言いつつも、常識じゃないと分かってるじゃないかと紫苑は内心つっこむ。が、口に出さずに続けた。
「今回、3人の迷い人が保護された。話に聞いてみれば、どうやら偶然狭間に落ちたらしい。六花は年齢から考えて蓮の傍にいたからだな。今まで外見年齢以上の年を答える迷い人はいなかった。その1人はクソ兄貴が面倒を見ることになって、この2人は俺が見ることになった」
クイッと握った拳から親指を突き出して2人を差す。この時点で真海は嫌な予感を覚えた。
「そこで、お前を呼んだんだ。こいつらの教育は任せたぞ」
「え~」
「仕事だ。文句なしの紳士と淑女にしろ」
不満そうな声をあげた真海は、仕事の一言で黙った。それから、六花と蓮を見、紫苑を見る。視線が戻ってくると、彼は口の端を吊り上げてみせた。
「後は、黒烏の家に養子に入ることになった。父親の方には許可はとったそうだぞ」
「・・・どっち?」
「えっと?どっち、とは?」
「黒烏家の養子ってことは、私にとっての家族でもある。涼宮は黒烏夫人の元名字だ。夫人は元々平民の出だったんだよ」
「ああ、貴女が・・えと、お父様、は弟扱いだと言われました。六花さんは姉、だと」
どこか口にしづらくお父様、と呼ぶ様子に、どんなやりとりがあったのか察した真海は温い眼差しを蓮に向けた。
「なんか、ごめん」
「いえ、その・・・嬉しかったので」
はにかむ蓮をジッと見て、真海はおもむろに立ち上がった。蓮の傍まで来るとわしゃわしゃと頭を撫で回す。蓮は驚いたように光りのない瞳を丸くして顔を上げた。
「あ、の・・・?」
「いや、お姉様か姉さんが姉様と呼べ」
「え」
「呼べ」
「え~っと・・・姉さん?」
「ん、よし」
「ぶっはっ」
満足気に頷く真海に、六花は唐突に吹き出した。けたけたと声を上げて笑い出した。いきなり笑い出した六花を真海は怪訝な面持ちで見る。その視線に、六花はなんとか笑いの衝動を治めて目尻の涙を拭った。
「当主様と全く同じやりとりしてるので、つい。失礼しました」
「六花さん、また・・・お、お父様、が拗ねますよ」
「外見10代でも中身はもうすぐ20後半だからね。お父様なんて呼ぶの気恥ずかしいって」
ひらひらと手を振って苦笑してみせる六花を真海はジッと見た。その視線に、六花は首を傾げて見つめ返す。
「・・・この世界のこと、どこまで教えてもらったの?」
「自分が迷い人ってことと、学園卒業後の選択肢くらいですね」
「それだけ?」
「はい、後は涼宮さんに教えてもらえ、と」
六花の答えに、真海は思わず紫苑に眠そうな目を向ける。彼は全く悪びれた様子を見せなかった。
「最初っからお前がやった方が理解の度合いがわかるだろ」
「まあ、そうだけど・・・本音は?」
「人に物を教えるのは性に合わねぇ」
「あんたが預かったんでしょうが!」
思わず裏手でツッコミを入れて、溜息を1つ。
「この子達の立場は?」
「黒烏家の遠い親戚で、両親を失って困っていた所を黒烏当主が拾って身内に迎えた。元は平民の出だから貴族間のあれこれには疎い。お前ら2人の顔見知りであり、8日後に入学予定だ」
「まあ、無難か。身分捨てて平民になる人多いし」
「顔合わせは既に済んでる」
「了解。その設定は弄るけどいいよね」
「必要ねぇよ。あのクソ兄貴ももう1人の迷い人もコイツらの存在はしらねぇ」
「・・・別々に落ちてきたんなら迷い人が知らないのは納得だけど、あの方が知らないのはなんで?」
「コイツらのこと話そうと親父が呼んでも、迷い人に夢中で来なかったんだよ」
「・・・随分と、おめでたいんだね」
無表情を崩して、心底あきれたように溜息を吐く。そこまで馬鹿だったかと考えるが、あまり詳しくは知らない為、すぐにやめた。
「場所はここを使え。必要なら泊まってもかまわん。口が堅い使用人は用意出来るが?」
「いらない」
「そうか。まあセバスを置いていくから使え。頼んだぞ」
「畏まりました」
「俺はやることがあるから帰る」
紫苑はそう言って腰を上げた。ソファーの後ろを通りながら、蓮、六花の順で頭を軽く叩いていった。
「紫苑さん、ありがとうございました」
「気をつけて帰ってくださいね」
「ああ」
蓮と六花に短く答え、セバスが開けた扉を出て行く。見送りの為だろう、セバスも一緒に出て行った。
「じゃ、まずは、文字のお勉強がてら歴史の勉強でもしようか」
『よろしくお願いします』
真海の言葉に、ぺこりと2人は頭を下げた。