第1章 泥から咲く花と雪の花
誠と真海が通っている学園は、国立ミネルヴァ学園。小中高一貫の学校であり、留学生も多く来る大きな学園である。
最低年齢は9歳から通うことが出来、小学部を1年間通うと中等部に上がることが出来、そこで基本は3年学び、高等部では基本5年間通って卒業出来る。飛び級も存在するので中等部以降は資格さえあれば学年が上がる。
真海は高等部1年生、誠は2年生として通っている。
真海が高等部に上がるまで、2人は言葉こそ交わせど、決して親しいと言える間柄ではなかった。
春、彼女は上進して、同じクラスとなった幼馴染みにのろけていた。
「ああやっと違和感ない状況で青風先輩に声かけられる」
「校舎が分かれてから機会を伺うのに苦戦してたものね」
この学園は、小中等部の校舎が同じだが、高等部に上がると校舎が変わるのだ。
「この5年が勝負になるよね。先輩に顔やっと覚えてもらえて、立ち話くらいは出来るようになったから、これからが勝負。ああでも、マジで理想なんだけど。優しいし誠実だし責任感あるから先生とか委員長からの信頼も厚いし、前任に使命されて副会長になったんだよ?現生徒会長の無茶ぶりもこなせるくらいには頭柔らかいし回転早いし。知ってる?この間、会長と風紀委員長の喧嘩を実力行使しないで治めてたんだって。その上成績優秀で実力もあるとか」
無表情、眠そうな目のまま真海は続ける。
「欲しい」
「ゾワッとしたわ」
言いながら腕を摩る幼馴染み―兎月阿夜に真海は首を傾げる。
「なんで?」
「無表情かつ無気力な目で、好みとか好きじゃなくて欲しいなんて言われたら恐いわよ」
「そう?正直な気持ち言っただけだけど。それに、私はここに婿捜しもかねて通ってるから、落としたら結婚までこぎ着けるし間違ってないよ?」
「そういえばそうね」
相づちを打つ阿夜は、そう言って自分の影に目を落とした。
「お帰り、シェル」
阿夜の影が盛り上がり、ぴょんっと長い耳が跳ねた。黒く丸っこい身体が大きく跳ねて阿夜の膝に飛び乗る。
「みゅう」
赤い瞳に黒い身体を持つ兎であった。この兎は阿夜の使い魔である。
苦楽をともにしてくれるパートナーを阿夜は両腕で抱える。みゅうみゅうと鳴くシェルを見つめると、阿夜は真海を見た。
「最愛の君が裏庭で1人でいますよ~、だって」
「マジで?ちょっと行ってくる」
「あんたもマメね~」
立ち上がった真海は小走りで裏庭に向かった。
1つ弁解をしておくと、何もシェルは最愛の君―誠のことである―を見張っていたわけではない。裏庭はシェルと真海の使い魔の憩いの場なのだ。2体は、主が学園にいる間は、呼ばれないか自主的に戻ってこない限りはここにいる。
「どこだろ・・・」
足を踏み入れた裏庭は、一言でいうと森であった。
青々とした木々が立ち並び、一角は低木の林となっている。とくに手入れする人はいないが、きちんと枝打ちされているので適度に下草が生えている。
確か、こちらにベンチがあった筈だと低木を避けて奥に入り込む。
「あ・・・」
青いベンチに腰掛ける目的の人物を見つけた。ベンチの背もたれには彼の使い魔であるワシが止まり、膝の上には管のように細く、どこに手足があり、どこからが頭かも分からない身体をした白い管狐が、蛇のように丸まってその背を撫でられていた。
「セイ」
1つ呼吸をして、使い魔の愛称を呼ぶ。白い狐は頭を上げ、どこからが尻尾か分からない尾をぱたりと振った。それにつられるように彼は顔を上げて真海を見た。
「ああ、この管狐はあなたの使い魔だったんですね」
「はい。こんにちは、青風先輩」
誠の名前は、生徒会だからという理由で調べなくとも知ることが出来る。また、成績上位者は順位と点数が廊下に張り出されるので苦もない。名を知っている言い訳はいくらでも出来るので遠慮なしに名を呼べた。けれど、1度も名乗っていないので彼は真海の名を知らない。それでもこうして顔見知りになっているのは、偏に真海の地道な努力である。
真海は誠を落とすと決めてから約2年。誠が1人でいるタイミングを見て挨拶に行くからだ。
校舎が分かれてからは大分タイミングを掴むのに苦労したが、そういった努力がようやく実を結んでいる。
因みに1人でいる時に声をかける理由は、中等部でもそうだったが、彼の周囲にいる人間は生徒会が主で、その生徒会は見目がいい者ばかりで生徒に人気がある。しかし、誠は長い前髪と大きな黒縁眼鏡で顔を隠している為に、見た目でのみ判断する者からは地味、ださいなどという酷評を貰っている。一応、正式な場では前髪を上げるようだが、眼鏡は絶対に取らないのだ。
そういった理由から、わざわざ1人の時に声をかけにくる真海が印象に残っていた。
「お急ぎでなければ、座りませんか?」
「喜んで!」
「え?」
「はっ・・・同席させていただきます」
思わず声を弾ませるが、すぐに冷静さを取り戻して綺麗にお辞儀すると、隣に座った。
「そういえば、自己紹介をしていませんでしたね。ご存じのようですが、私は青風誠といいます。貴女のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
名を問われ、真海は心の中で拳を高く突き上げた。ようやく興味を持ってもらえた、と。
「はい、涼宮真海と言います。よろしくお願いいたします」
「涼宮さんですね。今年から貴女も高等部なんですね」
「はい、昨日入学したばかりなんです」
「何科に進学したのですか?」
「魔法科です。先輩もですよね?」
「おや、ご存じでしたか」
「生徒会役員と、各委員会委員長副委員長は名前と学年と学科が掲示されますから」
「そういえばそうですね」
春の陽光に照らされながら、ほのぼのとした会話が続く。おとなしく誠の膝で丸くなっていたセイは気づけば真海の膝に移り、彼女に撫でられていた。誠の使い魔であるワシも主に撫でられて気持ち良さそうに目を細めている。
「それで、その猫が・・・セイ?何?」
暖かな日差しに、今にも寝そうな目をしながら、ハキハキとした口調で世間話をしていた真海は、セイに手をつつかれて視線を落とす。セイはゴマのような目で主を見上げ、スカートのポケットを鼻先でつついた。促されるままにポケットからのっぺりとした銅製の懐中時計を取り出し、蓋を開けた。
「ぁ・・・」
途端に真海は残念そうな声を上げた。その声に、誠は不思議そうな顔をして彼女を見る。
「どうかなさいましたか?」
「・・・実はこの後、友人と約束してるんです」
酷く残念そうな溜息を吐き、真海はベンチから腰を上げた。セイは細い身体を使って彼女の肩に登る。
「折角誘ってくださってのに、申し訳ありません。ここでお暇させていただきます」
「いいえ、私の時間潰しにつきあってくださり、ありがとうございました。楽しかったです」
にこりと、目元を和らげ、唇を弧に描く誠に、真海はぐっと背中に回した手を握りしめた。お辞儀を一つ残して、駆け足でその場を去った。
走り去る背中を見送った誠は、自分の使い魔を見上げた。
「アル、彼女は変わった人ですね。私に好き好んで声をかけるなんて」
《主君は些か自己評価が低いな。主君に魅力があるからあの女は頻繁に主君の元へ通うのだろう?》
「最初は、他の生徒会が目当てだと思っていたのですがね」
《それはないだろう。あの女は主君自身のことで生徒会のことを聞くが、他の者について聞いてきたこともなければ、共にいるときに声をかけてくることもない。寧ろ、避けているようでもある》
「ええ・・・彼女の名前は、涼宮真海というのですね。いい名前です」
甘いあめ玉を舐めるように彼女の名前を口にする。始まりはすれ違う時の挨拶からだった。それが積み重なり、相手の顔を覚えれば二、三言葉を交わすようになった。そうしているうちに興味を覚え、もっと話したいと思うようになった。
「また、こうして話す機会があればいいのですが・・・」
《こうして1人でここにいれば、また来るのではないか?それから、別れ際によかったらまたここに来て欲しいと言えばよかったな》
「・・・機会があったら、言ってみます」
ほぅとはき出す息は、少しだけ熱を帯びていた。
こうして、誠の意識に入り込むことに成功した少女は幼馴染みに飛びついていた。
「阿夜!ついにやったよ!」
「はいはい、よかったわね。で?いつ告白するの?」
「気が早い!」
おざなりに返事をする阿夜の背から降りて、鞄を受け取る。
「やっと名前呼んでもらえた~」
「そう、よかったわね」
「うん、ほんっと幸せ」
「ところで真海」
「ん?」
「その無気力な目で嬉々として話すのやめて。何であんたは表情と素の感情表現が一致しないの」
「表情筋動かすの面倒」
「めんどくさがるなっ!」
「先輩気にしてないし」
「・・・先輩も大物よね」
ハァ、と溜息一つ零しながら、並んで歩く。そうして他愛もないことを話していると、すれ違う男子が頬を染めて足を止めた。時々女子も
「うっ、兎月さん!さようなら!」
「さようなら」
「あっあの、兎月さん!これ読んでください!」
「ごめんね、そういうの受け取らないようにしてるの」
「お姉様!ご機嫌よう!」
「ご機嫌よう」
「おい兎月、俺と付き合え」
「ごめんなさい、嫌です」
挨拶を笑顔で返し、真っ赤になって差し出される手紙を申し訳なさそうな顔で断り、命令口調の告白をばっさりと切り捨てる。
「ここで旦那見つけたら玉の輿だよ?」
「何?いきなり」
「いや、傾国の美女って阿夜のことだなって」
磁器のような滑らかな白い肌に、烏の濡れ羽色の艶やかな黒髪。涼やかな切れ長の黒い目と細い眉毛。小さな顔に、長い手足と出る所は出て引き締まる所は引き締まった身体。
頭の上から足の先までまじまじと見た真海は、感慨深げに溜息を吐く。
「いいなぁ」
羨むような言葉は、視線と言動から容姿のことを言っていると思われそうだが、実際は違う。幼馴染みが何を羨んでいるのか知っている阿夜は苦笑しながら真海の頭を撫でた。
「あんたの白い髪だって絹みたいに綺麗だし、赤い瞳だって何の混じりっけもなくて綺麗よ?」
家族と、故郷に住んでいるほとんどの人間は髪と瞳が黒いのだ。そのため、真海はその髪と瞳の色に劣等感を持っていた。昔の話であり、今は違うがそれでも羨ましいという心はある。
「だから、そんな羨ましがらないでよ、白鴉様?」
悪戯っ子のような子供っぽい笑顔を浮かべる阿夜を見て、真海は溜息を零す。ハクア、という呼び方を咎めるように見上げた。
「ここでそれで呼ばないで」
「はいはい、ごめんなさいね」
クスクスと声を立てて笑う様子を眺めながら、こうして支えられてきたんだよなとぼんやりと考える。自分が生まれた色、体質に対して酷い劣等感を持ち続けなかったのは彼女のお陰でもあるのだと再認識した。
「私、浮気するつもりも故郷を出るつもりもないわよ」
突然、話が元に戻って真海は阿夜を見上げる。瞳を細めて、形のいい唇を弧に描いて、とても綺麗に笑いながら彼女は真海を見ていた。
「誓うと、言ったでしょ?」
その言葉に秘められた思いを知っている。かつての誓いの言葉を思い出して、野暮なことを聞いたなと想いながら周囲を一瞥した。
「阿夜」
「なあに?」
「頑張ってね」
「?何の・・・あ」
首を傾げた阿夜は、周囲から突き刺さる視線に気づいて顔を顰めた。
顔を真っ赤にして立ち止まる男女。同性すらも魅了する威力のある素の微笑みはなかなかに凄まじいものだったようだ。その中に教師が混じっているのも見えて、阿夜は両手で顔を覆った。
「やっちゃった・・・」
「明日から大変だね。逃げよっか」
「うん」
阿夜の手首を掴んで、惚けた集団が我に返る前に走り出す。
「美人過ぎるのも大変だね」
ただでさえ多かった告白が増えることだろう。彼女が絶対にそれに応えることはないと知る真海は故郷に思いを馳せた。
(1回帰してあげたいな)
自分は思い人を口説き落とすまで帰らないが、阿夜は帰してあげたい、と想いつつもそれは阿夜は了承しないだろうと想いながら校舎を飛び出た。