『悪』というものは、本当に『そう』なのか
強制ではありません。これも、一つの意見です。
正義や善と正反対なものとしてよく使われる、『悪』の一文字。
世間一般にそう呼ばれるものは、正常に機能している人々にとって、同じものを指すのではないでしょうか。
神を正義と見るなれば、それに仇なす悪魔は、名前の通り悪の象徴。国家を正義とするなれば、反政府・反社会的組織は、悪の塊。そうですよね?
しかし、そういうものは、本当に、初めから『そう』だったのでしょうか。
堕天使という類いの悪魔は、怠惰のために天界を追い出されたとされていますが、少しでも神に抗議しようものならば、善良な者も、地獄落ちの対象になります。
昔、一部の地域で信仰されていた豊穣神バアル・ゼブル(偉大なるバアル)は、他信教の侵略者たちの手によって、ベルゼブブ(蠅の王)という悪魔に身を落とされました。
日本史でいうと、国のために働いていた新撰組や赤報隊、人斬りと謳われた河上彦斎は、新政府と指針が違うために、国賊などという烙印を押され、歴史の闇に葬り去られました。
これらの事によって、『悪』というものは、そのときに思考に埋め込まれた『善』や『正義』に対していわれるものだという事がわかるかと思います。
つまり、初めから『悪』だというわけではなく、その時その時の人々によって定められたイメージによるものだと言えます。
なので、一般に『悪』といわれるものは、必ずしも本当に『そう』だという訳ではないということを、心の端に留めておいてください。