物集めのむなしさ その1 買うことの快感
物を集める。
これは人間の本性に由来しているのだろうか?
物を集めるとは生存圏の確保という根本的な生命体の自己保存本能に由来することでもあるのだろう。
モノ、食料であったり、住居であったり、人間(子ども)であったり、そういうものが生存上はどうしても必要だから人は集めるのである。
その集めるという本能の上に、知性、教養、感性、そして財力などが加味されると、
コレクターが誕生するのである。
ただ、知性や教養・感性が足りないと、箸袋1000枚集めましたとか、温泉地の提灯1000個集めましたという低次元の収集にもなりかねないのです。
本人の収集欲は満足かもしれないが、他人から見れば、何の価値もないとしか見えまい。
ブンダーカマーの程度も色々、アイテムも色々、
果たしてその程度の如何によって、」そのコレクション価値も決まろうというもの、
財力があるのは、収集にとって好都合だが、と言って金があればいいコレクションが出来るというかというとそうでもない。
金に飽かせて他人眼利きで骨董屋が持ち込んだニセモノを高値買いしてガラクタニセモノコレクションの山を築く金持ちも実に多い。
しかし、収集物は、言ってみれば収集欲のなきがらみたいな物であって、
どうでもいいものでもある。
収集する瞬間が実は一番楽しみなのであって、自分の物に成ってしまえば仕舞いこんでしまって、もう見向きもしないというコレクターも多いのである。
骨董屋で見つけて、それを良いものと目利きし、値段交渉して、手に入れる瞬間、
それが無常の喜びなのである。
だから、コレクターは永遠に買い続けるのである。
さてそうして集まったものども。
やがておき場所にも困り、埃りまみれ、買って以来、あけたこともない二重箱。
そんな山が出来るのが収集家の家である。
私もガラクタの山に囲まれて暮らしている。
買って以来あけたこともない骨董品もある。
開けて見て鑑賞すればいいのにと思うかもしれないが、
コレクターはそんなことはしない。
いかに次の獲物を獲得するかが重要なのだ。
もう、手に入ったものなんかそこに積んで置けばいいのだ。
これがコレクター心理である。
そしてある日彼が死ぬまでこんなことがくりかえされていくのである。
彼が死んだあとには、奥さんには理解不能の奇天烈なコレクションの山が残される。
汚いような、破れたような、なんだか変な仏像だったり、
分けのわからない紙の山、古文書なのだろうか。
穴の開いた古めかしい壷、
箱を開けたら春画草紙が出てきてびっくりしたり、
壊れた懐中時計が一箱でてきたり、
一体これって何?という代物ばかり、、、。
奥さんは全てゴミやさんに頼んで捨ててもらおうと思うのでした。
まあ、こんなことがオチであろうか?
物買うことの虚しさ、そして物買うことの楽しさ、物買うことの可笑しさ。
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