表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Samsara~愛の輪廻~Ⅱ  作者: 二条順子
2/18

02.運命の再会(2)

一か月ほどして、大学病院の耕平宛てに木戸家から快気祝いの招待状が届いた。

別荘の庭でガーデンパーティーをするらしい。印刷された招待状の中に

『カジュアルな集まりなので、よろしければ舞ちゃん亮ちゃんもお連れ下さい』

と、崇之の手書きのメッセージが添えられていた。


「どうする、亜希?」

この種の集まり、特に病院関係のものに二人で出席することはほとんどない。

耕平が単独で行くか欠席のどちらかだ。やはり、世間はひと回りも年の離れた

夫婦を良い意味でも悪い意味でも注目する。二人でいると、まず夫婦には

見られない。年の離れた兄と妹、教師と教え子、ひどい場合は不倫の関係

みたいな好奇な目で見られることもある。

耕平はそんな事をいちいち気にはしていないが、亜希に嫌な思いをさせたく

ないので、そういった類の招待はなるべく辞退することにしている。

ただ、今回はちょっと事情が違うので、亜希の意向も確かめておきたかった。


「耕平さんは?」

「別にどっちでもいいけど、君しだいだよ」

それは耕平の本心だった。

亜希はしばらく考え込んでいたが、「じゃあ、行ってみる?」と言った。 

「……森の向こうの別荘にはちょっと興味あるし、でもホントにいいのかしら、

子供たちまで連れて行って? 舞はともかく、亮はちょろちょろして、じっと

してないから…」

「外でやるバーベキューだし、まさか庭に国宝級の美術品があるとは

思えないし、大丈夫だろ。 よし、みんなで行くとするか!」

亜希の言うように別荘見物も悪くないと思った。

「ねえ、こういう場合、どんなものを持っていけばいいの? やっぱり、

高級ワインとか?」

「そうだな… 杏子にでも聞いてみるか、彼女そういうの詳しいから」

「杏子さん、日本に帰ってるんだ」

「ああ、なんか当分こっちにいるらしいよ」

「そうなんだ…」


社交家で華やいだ雰囲気を持つ杏子なら、こういう集まりにぴったりだと

思った。耕平と寄り添う姿は誰が見ても似合いの夫婦だろうーー

一度、三人で六本木のレストランで食事をしたことがある。たまたま、近くの

席に、以前耕平が担当した患者の老夫婦が居合わせ挨拶にやってきた。

ごく自然に、杏子に向かって、「奥さまですか、その節は先生に大変お世話に

なりまして……。」と始めた。その場の成り行きで否定することもできず、

三人で気まずい思いをしたことがあった。

あの時以来かもしれない、亜希が公の場に耕平と二人で出席するのを躊躇う

ようになったのは。



* * * * * * * 



昨夜のアルコールが抜けきっていないのか、後頭部のあたりがズキズキする。

傍らで眠る杏子が大きく寝返りを打った。シャネル5の強い香りが漂う。

その匂いが堪らないというように耕平は煙草に火をつけた。



杏子とこんな関係になったのは、非常勤で成都医大に戻るようになって

暫くしてからのことだった。担当の患者が死んだ夜、ホテルのラウンジで

一人で飲んでいるところを偶然出くわした。酒の勢いも手伝ってそのまま

部屋に行ったのがきっかけだった。

最初のうちは金曜の朝一番の新幹線で東京に向かい、最終で長野に戻って

いたが、週末は製薬会社の接待なども多く、泊まる回数が次第に増えていった。

女との情事の後どんなに遅くなっても起きて待ってる妻の顔を見るのは、やはり

辛いし気が引ける。それで、金曜の夜はホテルか杏子のマンションに泊まり、

土曜の朝一で家に帰るようになった。こういう生活がもう半年近くも続いている。


耕平はもちろん今でも亜希のことを愛している。杏子とは成り行きでこうなった

までで、何度も別れ話を切り出した。が、その都度「あなたの家庭を壊すつもり

なんて全然ないわ。週一でジムに通っているくらいに思えばいいじゃない。

お願い、もう暫く私のジム通いに付き合って」 と、さらりとかわされる。

妻を裏切っているという後ろめたさがある一方で、杏子との濃厚なセックスを

不倫などではなく “週一のジム通い” と正当化している狡猾な自分がいる。

アラフォーの自立した女が何も求めず、ただ “大人の関係” を続けたいと

いう。男にとってこれほど都合の良い浮気相手はいないだろう。



昨夜は銀座で同僚たちと深夜まで飲んでいた。杏子のマンションに着くと

一時を廻っていた。さすがに今朝は身体が鉛のように重くてだるい。

一旦はマンションを出て東京駅に向かったが、二日酔いのまま新幹線に揺られて

長野まで帰る気になれず、いつものホテルでタクシーを降りた。

チェックインするとすぐに家に電話を入れたが、どこかに出かけたのか留守電に

なっていた。携帯もなかなか繋がらない。自分は勝手なことをしているのに、

妻が電話に出ないことに少し苛立った。気を取り直してもう一度携帯にかけ

なおすと、すぐに亜希の声が返ってきた。

「あ、俺だけど、きのう飲み会で遅くなって、今、起きたとこなんだ。

来月の学会の資料もまとめておきたいし、こっちにもう一泊して、あしたの

朝一で帰るよ」

タクシーの中で考えた口実だった。

「そう、大変ね。でも、あんまり無理しないでよ」

夫の行動に何の不信も抱いていない、いつもと同じ優しい声だった。

「今、どこ?」

「お天気いいから、亮と公園に行くところ。舞は今晩、ユイちゃんちで

 “お泊り” だから」

楽しそうな家族連れで賑わう公園の中の二人の姿を想像すると、耕平はすまない

気持ちでいっぱいになった。

「そっか… 次の週末はどっかいいとこ連れて行くから」

「いやーだ、忘れたの、来週の土曜は “別荘見物” じゃない。

あっ、杏子さんに例のこと聞いといてくれた?」

杏子の名が出て耕平は一瞬、たじろいだ。

「いや、明日にでも電話してみるよ」

「じゃ、お願いね」


電話を切ると、シトラス系の爽やかな香りが無性に恋しくなった。

ついさっきまで、噎せかえるような濃厚な匂いの中で雄の本性をむき出しに

していたくせに・・・

(俺はいったい何やってるんだろ……)

重い身体を引き摺るように耕平はベッドの中に潜り込んだ。



* * * * * * * 



昼間は初夏を思わせるような陽気のせいか、公園内は大勢の子供連れで

賑わっていた。午後になると一人二人と帰り支度をはじめ、いつの間にか

あたりはひっそりと静まり返っている。遊び疲れたのか、亮は腕の中で

眠ってしまった。寝顔を見ていると、だんだん拓也に似てくるような気が

して、はっとすることがある。赤ちゃんの時は「ママ似ね」と、よく

言われたが、成長するにつれ顔つきが変わっていくように思う。

耕平は気づいているのだろうか・・・


このところ亜希は少し疲れていた。自分がとても無理をしているような

気がする。子育てにも自信が持てない。少々反抗期気味の舞をどう扱って

良いのか分からなくなる時がある。どこかに遠慮があって、その分つい、

亮に自分の感情をぶつけて叱ってしまう。

耕平は大学病院に戻ってから東京泊りが多くなった。家にいる時は極力

子供たちとの時間を大切にしてる夫に愚痴っぽい話はしたくない。

こんな時、志津江がそばにいてくれたら良い相談相手になってもらえるが、

一人暮らしの姉が倒れ、その看病のために千葉へ行ったままだった。

日が落ちると少し風が出てきた。頬にひんやりと心地よい。このまま人気の

ない真っ暗な家に帰る気がしなかった。


「亜希!」

背後で自分の名を呼ぶ声がした。

バイオリンケースを抱えた崇之だった。あの日以来ここで何度か出遭って

いた。この公園を通り抜けたところに別荘に続く私道がある。

「どうかした? こんな時間に亮ちゃんと二人きりで」

心配そうに尋ねた。

「ううん… 今夜、高村は東京泊り、舞もお友達の誕生会で “お泊り” なの。

夜風があんまり気持ちいいんで、なんだか帰りそびれちゃって。木戸君は?」

「ずっとこっちに置いたままだったから、メンテに行ってその帰り」

バイオリンケースをちょっと持ち上げる格好をした。

「…駅からまっすぐ帰るつもりだったけど、なーんか歩きたくなって。

今そこでタクシー降りたとこ」

「そうなんだ…」 


「もう一度、聴きたいなあ…」

夜空を見上げた亜希は独り言のように呟いた。

それに応えるように崇之はいそいそとバイオリンケースを開いた。

「えっ、うそ、ホントにいいの!? うわぁー、木戸崇之のバイオリンが星空の

下で聴けるなんて、最高の贅沢ぅー!」

瞳を輝かせ少女のような弾んだ声を上げた。

「じゃ、Just for youー」 

そう言うと、あの追試の時と同じフォーレの “夢のあとに” を弾きはじめた。

心に沁み渡るような物悲しく美しい旋律が夜空に響く。

亜希は静かに目を閉じた。曲がクライマックスに達すると突然、涙が溢れ

出した。感情が高まり身内に熱く込み上げてくるものをどうすることも

できない・・・

崇之は手を止め、そっとハンカチを手渡した。彼女が流した涙の意味は、

わからない。ただ、亜希をこのまま誰もいない家へ帰してはいけないような

気がした。


「晩ごはん、まだだろ? ちょっとイケるピザの店があるんだ。これから

付き合ってくれない?」

亮が目を覚ましキョトンとした顔で崇之の方を見た。

「いっしょにピザ食べに行こうか?」

亮は「うん」と大きく頷いた。

タクシーで二十分ほどのところに、そのイタリアンレストランはあった。

ナポリの港町をイメージした洒落たインテリアの店内は若いカップルが

目立った。ウェーターは亮に気づくとすぐに子供用の椅子を用意してくれた。

耕平とこういう店に来ることはない。子供たちが一緒だとファミレスのような

ところが多いし、二人の時はもう少しかしこまった感じの店に行く。と言っても、

最近では二人で食事に出かけることは滅多にない。

母親の心配をよそに、お腹が空いたのか亮はおとなしくピザを頬張っている。

おかげで亜希は、久しぶりにワインを片手に崇之と学生時代の事や音楽の話を

思いっきり語り合うことができた。


「木戸君、今日は本当にありがとう。すっごく、楽しかった」

「こっちこそ。初めてのデートはみごとにフラれたもんな、覚えてる?」

悪戯っぽく笑って片目を瞑った。

「木戸君…」

「?…」

「絶対、バイオリン続けてね」


崇之はそれには応えず、「また亜希のピアノが聴きたいな」とだけ言うと、

待たせてあったタクシーに乗り込んだ。


























評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ