表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Samsara~愛の輪廻~Ⅱ  作者: 二条順子
17/18

17.春の別れ(1)

「来週あたりが見頃になりそうですね」

信号待ちで停まった交差点の両側に桜並木が続いている。

開花予想では東京の満開は来週末になるらしい。

運転手の言葉に促されるように耕平は窓の外に目を遣った。


「悪いけど、ここで降りるよ」

慌てて財布を取り出し料金を支払うとタクシーを飛び降りた。

まるで宝物でも見つけたように一本の桜の木に向かってまっしぐらに歩き出した。



「満開の桜よりこっちの方が風情があっていいなあ…」

木陰のベンチに座り五分咲きの花を眺めていた亜希は驚いて後ろを振り向いた。

「私は、咲き乱れているくらいの方が桜らしくていいと思うけどな」

耕平も亜希のとなりに腰を下ろした。


「元気だった?」

「ええ」

短く応えると亜希は再び桜の花を見上げた。

その横顔はどこか淋しげで憂いを含んでいる。最後に会った時に比べ顔色も

冴えない。

「亜希… 幸せかい?」

「…」

「… ごめん、元亭主の余計なお節介だったな」

口にしてしまったことを後悔するように慌てて言葉を続けた。

「そうね」

耕平の顔をじろりと見て笑うと亜希はまた視線を桜の花に戻した。


「来週、日本を発つの」

「そっか…」

二人は無言のまま暫くじっと桜を眺めていた。


「耕平さん、」

「ん?」

「…あの時は言えなかったけど、私、あなたと出逢えて本当に良かったと

思ってる。ありがと…」

亜希の瞳が潤んでいるように見えた。

胸のあたりが熱くなり、耕平はとっさに何も気の利いた言葉が返せなった。


「もう、行かなくちゃ」

ベンチから立ち上がろうとした時、近くでサッカーに興じている小学生たちの

ボールが亜希の足元に転がってきた。拾い上げると少年の一人に投げ返して

やった。その瞬間ブラウスの袖がひらりと捲れ細い腕が露わになった。

コイン大の青あざが耕平の目を捉えた。


「どこかでぶつけたみたいだけど、なかなか消えなくて…」

視線を感じたのか、亜希は恥ずかしそうに袖口を直した。

「電話でお別れ言うつもりだったけど、泣いちゃいそうで… 

お母さんと舞によろしく伝えてください」

「分かった。亜希…」

「?…」

「…幸せになれよ」


耕平はそれ以上何も言えず、桜並木の中に消えて行く亜希の後姿をいつまでも

見送っていた。



* * * * * * *   



「遅かったわねえ、どこに寄り道してたの!?」

ソファにどっかりと座り肩で息をしながら、耕平を睨みつけた。

大きく前に迫り出した腹、浮腫んだ手足、臨月を迎えた杏子は自分の身体を

持て余している。感情の起伏が一層激しくなり、いったん機嫌を損ねると

駄々っ子のように手が付けられなくなる。


「デパート数件廻ったけど、君のいうブランドのは全部売り切れてたよ」

「ほんとにちゃんと探したの? この雑誌、先週発売されたばかりなのよ…」

マタニティー雑誌に紹介されたフランス製のベビー用品が、どうしても

欲しいと、休日だというのに耕平は朝から振り回されていた。

これ以上彼女の我儘に付き合わされるのはごめんだと思っていると、ちょうど

タイミング良く携帯が鳴った。耕平はベランダに出た。


「高村先生、お休みのところすみません。附属病院にいた川辺です。

実は、奥様の検査結果について至急お知らせしたい事がありまして…」

川辺は亜希の術後をフォローアップしていた婦人科医である。

二月に受けた術後半年の血液検査の結果に異常があると言う。

病院を移り、後任医師との連絡ミスから報告が遅れたことを謝罪した。


「…はん血球減少が顕著に見られます。それぞれの数値もかなり低いです。

本当に申し訳ありません、すぐにご報告できなくて…。」

川辺の声が少し上擦っている。

「とりあえず、この番号に今すぐ送ってもらえますか?」

検査結果が気になり、ファックスが始動するまでの数分間がひどく長い時間に

感じられた。



転送されてきた検査結果の数値を目にした耕平は愕然となった。

同時に、亜希の白い腕にくっきりと浮かび上がった痣の青さが彼の脳裏に

鮮明に甦った。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ