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Samsara~愛の輪廻~Ⅱ  作者: 二条順子
14/18

14.好きだから(1)

高村との離婚が正式に成立したことを確認した後、崇之は一人で世田谷の

両親を訪ねた。いきなり亜希を二人に引き合わせれば父はともかく、

母とは修羅場になる可能性がある。事前に彼女のことを話しておいた方が

賢明だと思った。


「…名前は、成瀬亜希と言います。ついこの間までは、高村亜希でした」

崇之はおもむろに切り出した。

「ま、まさか、あの成都医大の高村先生の!?…」

「そうです、僕たちは真剣に愛し合っています。彼女と結婚するつもりです。

認めて頂けないのは覚悟の上で、木戸家の嫁ではなく、僕の妻になる人を

お二人に紹介したいと思っています」

両親の顔を交互に見ながらきっぱりと言った。

「崇之さん、あなた正気なの? そんなこと許されるはずがないでしょ!

あなたは木戸家の長男であり唯一の後継者なのよ。木戸の家をわたくしの

代で断絶させるようなことは、断じて許しません」

雅子の声は震えている。

父の援護を求めるように祥吾の顔を伺った。


「私もこの結婚には断固、反対する!」

いつも物静かな父が興奮気味に声を荒げた。

母の反応は予想通りのものだが、いつもと違う父の様子に崇之は困惑した。

「なぜですか、お父さん?」

「絶対に遺憾、ここへ連れてくる必要もない。今すぐ別れなさい!」

祥吾は不自由な左手を震わせ、右手て杖を掴むと足を引き摺るように

部屋を出て行った。

息子と一度も目を合わせようとはしなかった。

こんな理不尽な父の態度を見たのは、生まれて初めてだった。




祥吾は自室に戻ると気持ちを落ち着かせるため、脳梗塞で倒れて以来

主治医から止められている葉巻を銜えた。

別荘の快気祝いの席で高村亜希を目にした瞬間、祥吾の心臓は凍りつき

そうになった。あの頃の美沙子と瓜二つの美しい容姿、一目で成瀬美沙子

の娘だと判った。


山口県下の城下町、それが二人の故郷だった。

祥吾は代々続く造り酒屋の次男坊、美沙子は県庁勤めの父を持つ堅実な

公務員の家に生まれた。母親同士が遠縁にあたり、子供の頃から顔見知り

だった。高校へ入る頃からお互いを意識し始め、暗黙のうちに将来を誓い合う

仲にまでなった。一浪して東大に合格した祥吾の後を追うように、二年後、

美沙子は親の反対を押し切って音大を受験し上京した。祥吾が四年の時、

実家の事業が倒産の危機に見舞われた。それを救ってくれたのが、父の友人、

木戸崇正だった。

祥吾は木戸家の婿養子となり、美沙子は黙って彼の前から姿を消した。

数年後に偶然再会した二人は、長年の想いを遂げるように一夜限りの契りを

結ぶ。あれから二十七年、美沙子と再び逢うことはなかった。

祥吾はパーティーの後、興信所を使って高村亜希のことを調べた。

やはり美沙子の娘だった。当時、美沙子は氏家圭一郎という絵描きと暮らして

いた。だが亜希は戸籍上、非嫡出子、「父」の欄は空欄になっている。

いくら二人の間に婚姻関係がなくても、圭一郎が実父なら認知くらいはする

だろう。祥吾は亜希の生年月日から、もしかしたら自分の娘ではないかと思い

始めた。だがいずれにせよ、亜希が高村耕平と結婚し幸せに暮らしている事に

安堵していた。


(崇之の相手が撚りによって・・・)

運命の悪戯にしてはあまりに残酷すぎる。亜希が血を分けた娘かどうか、

美沙子が亡くなった今DNA鑑定でもしない限り真相を明らかにする術はない。

最悪の事態を回避するためには、二人の仲を引き離すしかない。だが、もし娘で

なかったとしたら、親子二代に渡って愛する者同士が引き裂かれるという悲劇が

繰り返されることになる。祥吾は運命を呪いながらも自らに苦渋の決断を強いら

なければならなかった。



* * * * * * *



祥吾の決断は即、実行に移された。

崇之は木戸グループの取締役のポストをすべて解任された。個人名義以外の

銀行預金の凍結、クレジットカードも差し押さえられ、事実上、すべての

収入減を断たれてしまった。

(敵は兵糧攻めに来たか・・・)

それにしても、父の異常とも思える強硬な態度が崇之にはどうしても理解

できなかった。



「今日は小川さんの来る日じゃなかった?」

通いの家政婦の姿が見当たらず、亜希がリビングの家具を磨いている。

「もう、断ったわ。二人だけだからそんなに汚れないし…。」

「金のことなら心配いらない、君にそんなことしてほしくないよ」

「掃除くらいしないと、身体がなまっちゃう。ほら、あなたも手伝って。」

布きれを丸めてボールをほおるように崇之に投げつけた。

「よーし、絶対に負けないからな! こうなったらさっさと婚姻届出して、

日本を脱出するか、ストラド売れば向こうでの当面の生活はなんとかなる」

「そんなこと、絶対にダメよ‼」

亜希は掃除の手を止め崇之の前に仁王立ちになった。

そのあまりの気迫にたじろいだ。

「冗談だよ、そんな怖い顔すんなよ」

崇之は笑った。が、このままではエンゲージリングはおろかこの家の

来月分の家賃さえも危うくなる。

「ちょっと、出かけて来る。夕方までには戻るから」

崇之のBMWがエンジン音を轟かせ坂道を下って行った。


冗談にせよ崇之がバイオリンを手放すと口にした時、京都で抱いた不安が一瞬、

亜希の胸を過ぎった。生活苦のためにストラディバリウスを手放す、それは

バイオリニストとしての魂を売るに等しい。そんなことは絶対あってはなら

ない。このまま木戸家からの経済制裁が続けば、崇之は精神的に追い詰められ

苦悩する。そしてそれは必ず彼のバイオリンに現れる。

亜希は場末の酒場でピアノを弾いても生きていける。が、木戸崇之の

バイオリンは優雅で気高い “貴公子” そのものでなければならない。



夕方、亜希が坂の下の店から帰宅すると窓から灯りが洩れていた。

崇之の愛車は車庫にはない。恐る恐る玄関のドアを開けるとリビングルームに

“パガニーニのバイオリン協奏曲第一番” が流れている。この曲で崇之は数々

のコンクールを独占してきた。亜希はその場に立ち尽くし彼の演奏を最後まで

聴いた。そして、何かを決意したように頬に伝わる涙を両手で拭った。







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