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Samsara~愛の輪廻~Ⅱ  作者: 二条順子
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01.運命の再会(1)

愛の輪廻りんねーー 命に限りがあるように永遠に続く愛は存在しないかもしれないけれど、死と再生を繰り返す不滅の愛は在ると信じたい……。



~亜希、その愛 Ⅱ~

耕平と亜希は結婚一年目を機に志津江の家を出て、二駅ほど離れたところに

マンションを購入した。東京と違って専有面積が広く価格も手頃で、耕平の

都内のマンションを売却した分で大半を払い終えることができた。

徒歩で駅まで二十分足らず、近くには緑に覆われた広々とした公園もあり、

二人はとても気に入っている。

家を出ることは若い二人に配慮した志津江の提案で、彼女とは今でも実の

親子のような関係がずっと続いている。



穏やかな春の昼下がり、耕平は公園のベンチに腰かけ日曜版の分厚い朝刊に

目を通していた。傍らのベビーカーの中で亮が気持ちよさそうに寝息を

立てている。目鼻立ちの整った利発そうな顔をしている。二歳の誕生日を

迎えた頃から急に言葉数が増え、赤ん坊から幼児に脱皮したように何にでも

興味を示すようになった。耕平は家にいると自分にまとわりついて来る亮が

可愛くてたまらない。男の子用の玩具を見るとつい買ってしまう。

まだ歩き始める前から本格的な野球道具を買い揃え、いつか父子でキャッチ

ボールをする日を心待ちにしている。

「あなたは、亮に甘すぎる」とよく亜希にいさめられる。そんな彼女も耕平の

目から見ると、舞には甘く亮には厳し過ぎる面がある。

小学生になった舞もまた、急におしゃまな少女に変貌してきた。

髪型や服装を気にするようになり、ヘタなことを言おうものなら、どこで

覚えてきたのか、「パパは女の気持ちがわかってない!」なんてことを

平気で言ってのける。


「高村先生!」

一人の青年が声をかけてきた。

「その節は父がお世話になりました。…木戸です」

半年前から耕平は週一回、非常勤で東京の病院に戻っている。

二か月ほど前、彼の父親が脳梗塞で倒れ成都医大に運ばれてきた。

幸い命は取留めたが、左半身に麻痺が残った。

耕平はとっさに誰だか思い出せなかった。

「ああ、木戸さんの… その後、お父さんのリハビリはどうですか?」

「おかげさまで順調です。先週からこちらに移ってきて、週三回セラピスト

に来てもらっています」

「それは良かった。ここは東京と違って空気もいいし、時間もゆっくり

流れているから、焦らず気長に続ければかなりの回復は期待できますよ」

「そうなってくれればいいんですが… お子さんですか? 可愛いなあー」

木戸はベービーカーの中の亮に目を遣った。

「こうやって眠ってる時は静かでいいけど、やんちゃ坊主で困ります」

耕平は目を細めた。

「お一人ですか?」

「いや、六歳になる娘がもう一人、今、家内と一緒に池の周りを散歩

してます」

「そうですか… じゃ、僕はこれで失礼します」

木戸が立ち去ろうとした時、ちょうど亜希が舞を連れて戻ってきた。


「…亜希!?」

「木戸、君?」

二人は信じられないというように顔を見合わせ暫く言葉を失っていた。

「知り合い?」

どちらへともなく耕平が聞いた。

「ええ、亜希、いや、奥さんは音大時代の僕の “大恩人” です」

真面目な顔で応える木戸が可笑しくて亜希は思わず噴き出した。



木戸崇之と亜希は同じ音大に通っていた。

亜希がピアノ科二年の時、崇之のバイオリンの追試でピアノ伴奏を

したことがきっかけで親しくなった。当時の彼はヨーロッパに

留学し、すでにその才能に注目が集まっていた。

木戸家は戦前の財閥の流れを汲み、その家系は元華族や皇族とも血縁

関係がある、いわゆる “華麗なる一族” だった。崇之はその家柄と

端正な容姿から女子学生の間で “貴公子” と呼ばれ憧れの的だった。

当の本人はそれをひどく嫌い、わざと下品に振る舞ったり、平気で

猥談をしたりしたが、ちょっとした仕草や言動の中に育ちの良さが

滲み出るのを亜希は見逃さなかった。成金がどんなに頑張ってみても、

つい “お里が知れる” 行動をとってしまうのと同じように、人は

自分の生まれ育った環境を隠し通すことは容易ではないのだろう。

崇之のたっての希望で亜希が伴奏者に決まった時、女子学生の

やっかみと嫌がらせは相当なものだった。


亜希の通う音大は金持ちの子女が多かった。むろん、それなりの実力は

要求されたが、それ以上に親の財力、寄付金がものを言った。

高校までの亜希は常にコンクールで一位二位を独占していたが、学内の

選考会ではいつも辛酸をなめていた。

亜希に中退を決意させたのは、イタリア留学を決める三年の春の選考会

だった。直前に急逝した母、美沙子へのレクイエムでもあるその演奏は

誰をも感動させ、二位との差は歴然としていた。今回ばかりは選考会の

メンバーもそれを認めざるを得なかった。それで一旦は “イタリア行き”

を手に入れた。が、数日後緊急理事会が招集され選考会の決定は覆された。

理由は、亜希が銀座のクラブでピアノ弾きのアルバイトをしていたことが

問題視された。大学側は学生のアルバイトを禁止しているわけではないが、

場所が夜のクラブだったことが、大学の品位を著しく傷つけるというもの

だった。そして、亜希の代りに二位だった理事長の遠縁にあたる学生が

選ばれた。崇之をはじめ、教授や一部の学生は理事会の決定に猛烈に

抗議してくれた。が、亜希の退学の意志は固かった。

母の強い希望で入学したものの、最初から何か場違いのところにいる

という違和感が常に付きまとっていた。母が亡くなった以上、三年で

中退することに何の躊躇いもなかった。むしろ、これでピアノから

解放されるという安堵感さえ覚えた。



「大、恩人?」

耕平は怪訝そうに聞き返した。

「ええ、留年の危機を救ってもらったのだから、僕にとっては、大恩人です。

あっ、先生は父の命の恩人だから、お二人にはたっぷりと恩返し、しないと

いけませんね。……じゃ、失礼します」

木戸は爽やかな笑顔を残し公園の向こう側に消えて行った。

あの辺りには昔から大きな別荘がいくつかある。下界を遮断するように

どれも森の中にひっそりと佇んでいる。


「あの木戸グループの御曹司と亜希がご学友だったとは、お見それしました」

「やーだ、 耕平さんったら。…木戸君、日本に帰ってたんだ。ヨーロッパに

ずっといると思ってたのに……」

「お父さんのことで、急遽こっちに呼び戻されたらしいよ。一人息子だそうだ

から、ゆくゆくは木戸グループの後継者になるだろうしね」

「そうなんだ。才能あるのにもったいないなあ……」


あれから四年、亜希は崇之のことをすっかり忘れていた。

彼の才能に魅了され淡い憧れを抱いたこともあった。 “貴公子” の奏でる

バイオリンの音色に酔いしれた学生時代が亜希の頭をふと、過ぎった。



* * * * * * * 



崇之の心臓はまだ高鳴っている。

四年ぶりに自分の前に現れた亜希は人妻になっていた。二十五歳になる

彼女が結婚していてもなんら不思議はない。ただ、相手が高村耕平だった

ことに動揺した。

父親の手術を執刀した外科医については母の雅子が必要以上に調べ上げていた。

医師としての資質、経験、評判はもちろんのこと、出身大学、家族構成ーー

その中には、ひとまわりも年の離れた若い後妻のことも含まれていた。

それが、亜希だったとは・・・


入学した当初から、成瀬亜希は気になる存在だった。

俗にいう “一目惚れ” というヤツかもしれない。着飾った人形のような良家の

お嬢さんが多いキャンパスで、彼女だけはいつも自然体で、崇之を特別扱いせず

普通に接してくれた。デートに誘い、生まれて初めて断られた相手でもあった。

ピアノ伴奏を頼んだのは、単に彼女に下心があったためだけではない。周りの

学生たちのレベルが習い事に毛の生えた程度のものなのに対し、ピアノ科の

学生の中で亜希の実力は他を寄せつけなかった。にもかかわらず、彼女の

才能はなかなか認められずにいた。

彼女の家庭環境のことはうすうす知っていた。そのことが影響していると

したら絶対許せない抗議すべきだ、と熱くなったりもした。だが、当の本人

亜希は、覚めた目で理不尽な世の中を直視し、冷静に現実を受け入れていた。

そんな彼女に比べ、稚拙で世間知らずの自分がひどくちっぽけな男に思え、

自分の想いを告げることを躊躇った。

大学を辞めた後、アメリカに行ったことは風の便りで耳にしていた。

歳月は確実に亜希を大人の女へと変貌させた。が、透明感のある自然体の

美しさはあの頃と少しも変わらない。

かつて密かに想いを寄せた学友との再会に、崇之は身体の中に何か熱いものが

甦ってくるのを感じた。






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