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十五話

 よく晴れ渡った青空の下、自然豊かな山のふもとにある街道の隅で、岩に腰かけた若い女性の姿があった。飾りの付いた帽子に、刺繍の施されたワンピースと、小奇麗な身なりをしていた。だがその表情は重く沈み、長いまつげは涙に濡れている。それを拭うハンカチもないのか、時折指先で目元をこするが、雫となった涙は次々と膝の上にこぼれ落ちていた。

「うっ……うう……」

 こんな山沿いの街道を通るのは、せいぜい物好きな旅人くらいで、ほとんどの者はもう一本のにぎやかな街道のほうを選んで通る。だからこんなに明るい時間帯でも、この街道には通りすがる人の姿はなかった。のどかな景色の中に、ただ女性の嗚咽が聞こえるだけで、それを気にする者などいるはずがないと思われた。

「……どうしたのですか?」

 女性は不意に声をかけられ、伏せていた顔をゆっくりと上げた。まさか自分の他に人がいたとは思わず、涙に濡れた目は少々驚きに見開いていた。だが、目の前に立っていた男性を見て、さらに目を見張る。

「なぜ、泣いているのですか?」

 黒い上着にズボンとブーツ。背が高く引き締まった体にはよく似合った格好で、少し薄汚れた感じから、旅人なのかもしれない。でも女性が目を見張ったのは、その顔立ちだった。短く整えられた黒髪の下には、切れ長の目に高い鼻、うっすらと艶を帯びる薄い唇と、まさに完璧と言っていいほどの美しい顔だった。女性ならきっと誰もが見惚れる美形と言えるだろうが、一つ惜しいのは左目に付けられた眼帯だった。それが美しい目元を隠してしまい、わずかに顔の印象を変えてしまっている。それさえなければ、顔立ちの美しさはさらに際立つに違いなかった。

「……何か?」

 男性にのぞき込むように聞かれた女性は、自分が見惚れていたことに気付き、慌てて目を伏せた。

「よろしければ、泣かれていた理由を教えていただけませんか?」

 心を包むような優しい声に、女性は迷うことなく口を開いた。

「荷物を……盗られてしまって……」

「誰にですか?」

 近付いた男性の顔に、女性は少し戸惑いを見せながら答える。

「ば、馬車の、御者に……」

「もう少し詳しく教えていただけませんか?」

 男性は心配そうな表情を浮かべている。それを見て女性は小さくうなずいた。

「私は、隣の街に住む親戚の家へ向かう途中でした。一週間お世話になる予定で、荷物も多く、だから馬車に乗ることにしたんですけど……」

 女性の表情が曇る。

「この街道に入ったところで、御者の男が、車輪の調子が悪いと言って馬車を止めたんです。私は普通に走っていると思ったんですけど、その男に一度降りてくれと言われて、仕方なく降りて……」

「それから?」

「修理するのに時間がかかるから、道の端で休んでいろと言われて、その通りにしていました。そうしたら、男が馬車に乗って手綱を握り始めて、修理が終わったんだと思っていたら、私を乗せないまま馬車を走らせて……」

「置いていかれてしまったんだね」

 女性は、はいと小さく呟く。そして再び涙をこぼし始めた。

「馬車に乗せたままの荷物には、祖母の形見や大事な手紙もあって……それに、私の全財産が入っているんです。それがないと、街へ行くことも帰ることもできない。もうどうしたらいいのかわからなくて……私……」

 嗚咽を漏らしながら、女性は両手で顔を覆う。

「ひどい人間がいるものだな……」

 そう言うと男性は、震える女性の肩に、そっと手を置いた。それに驚き、女性は両手をわずかに下げる。のぞいた目が見たのは、男性の微笑みだった。

「もう悲しまないで。私が一緒にその馬車を捜しますから」

「え……でも、あなたには――」

「私は、そういう人間が許せないんです。何の罪もないあなたを、これほど悲しませる人間が……」

 男性は女性の肩を引き寄せると、優しく抱き締めた。

「あっ……あのっ……」

 顔を赤らめる女性だったが、半分放心して抱かれるままになっていた。

「捜し出して、その男に、復讐しましょう」

「……ふく、しゅう?」

 怪訝そうに聞き返した女性に、男性はその耳元で言う。

「物を盗るなんて最低なことだ。まして女性を悲しませ、涙を流させるなんて……そんな人間には、こういうことをしたらどうなるかを、身を持ってわからせるべきだ」

「でも、相手は男だし、私には何も――」

「大丈夫。あなたは私の言う通りにしてくれればいい。そうすれば必ず上手くいきます」

 この言葉に、女性はしばらく考えていたが、おもむろに口を開いた。

「……あなたには、迷惑はかけられません。やっぱり――」

 身を離した男性は、女性の両肩をつかみながら真剣な眼差しで見つめた。

「こちらの心配などしないでください。私は、あなたの助けになれることが、とても嬉しいんです。荷物を奪ったその男以上に、私はあなたのことが放っておけない」

「あ……」

 熱のこもった男性の目に、女性は身も心も射抜かれてしまい、頭でまともな思考をすることを忘れさせた。

 立ち上がった男性は、座る女性に手を差し伸べる。

「さあ、私と一緒に行きましょう」

 見上げる女性の目は、もうこの男性しか見ていなかった。自分がこれから何をするのか、それを深く考えもせず、女性は差し出された手に、自分の手を重ねようとした。

「やっと見つけた」

 知らない男性の声がまた聞こえ、女性は動きを止めてそちらを見た。少し離れた街道の真ん中に、フードをかぶった一人の男性が立っていた。随分と汚れたマントが風で閃く下には、鉄製の装備と剣が見え、見た感じは剣士のように思えた。

 ゆっくりと歩み寄ってきたその男性は、座っている女性ではなく、その前にいる眼帯の男性に話しかけた。

「……捜したぞ」

 振り向いた眼帯の男性は、フードを下ろして鋭い眼差しを向けてくる男を見るなり、口角を上げた。

「久しぶりだ……ヴァシル」

 名前を呼ばれ、ヴァシルもわずかに笑みを浮かべた。

「あの……お知り合いの方ですか?」

 女性は二人を交互に見ながら聞くが、この声は二人の耳を通り抜けていく。

「二年ぶりか……。見つけ出すのはもっとかかると思ったけど、案外早くて助かった」

「……なぜ私だとわかった?」

 楽しげに聞く男に、ヴァシルは険しい表情で答える。

「最初はあの女の姿だけを捜してた。でも途中でエリエの話を思い出した。俺が村に来る前に、整った顔の男が立ち寄ってたってな。それ、お前だったんだろ?」

 男は口で笑うだけで何も言わない。

「人間に化けるなら、もっと地味なほうがいい。その顔じゃ目立ち過ぎて、あちこちの女が噂してる。左目に眼帯をした、すごい男前がいるって。……まあ、地味過ぎたら、こんなふうに色仕掛けでは騙せないか」

 ヴァシルは、ちらと女性のほうを見る。何の話をしているのか、まったくわからない女性は、ただ二人を見上げながらぽかんと口を開けているだけだった。

「相変わらず同じことをしてるようだな、お前は。男に飽きて、次は女か?」

 睨むヴァシルに、男は笑い声を漏らす。

「くっくっ……この姿は嫌いかな? それなら、またこの姿で話してあげようか……」

 そう言うと、男の全身が黒くかすみ始め、そしてすぐに新たな輪郭が作り上げられる。黒いかすみが消えると、そこにはドレス姿の見慣れた女の姿があった。

「また、私と遊んでみる? くっくっ……」

 うねる黒髪をかき上げ、豊満な胸を強調するように突き出し、女はヴァシルに艶めかしい視線を送る。だがその左目には、男の姿の時と同じ眼帯が付けられていた。

「な……何? 何なの、これ……!」

 姿が変わる様を間近で見てしまった女性は、驚きと恐怖に顔を引きつらせながら立ち上がると、震える足のまま一目散に逃げていってしまった。

「……これで邪魔者はいなくなったわよ」

「お前の獲物だったんじゃないのか」

「獲物なら……もっといいのが目の前にいるわ」

 女は、にやりと微笑む。

「街であなたの手配書を見るたびに、会いたくて会いたくて仕方がなかったわ。どれほど絶望しているかを想像するだけで、もうたまらなかった……」

 女は目を細め、うっとりとした表情を見せる。これにヴァシルは鼻を鳴らす。

「絶望? 誰の話だ」

「くっくっ……まだ捕まっていないと知って、私は安心したのよ? だって、あなたは私の遊び相手で、その血肉は、私だけが味わうんだから」

 真っ赤な唇を、女は舌なめずりする。

「ずっと私のことを、考えてくれていたんでしょ?」

 まるで恋人のような言い方に、ヴァシルは不快な目付きで言う。

「俺はエリエのことしか考えてない。エリエに詫びることしか――」

「詫びるために、どうして私なのかしら?」

 わかり切ったことを聞いてくる女を、ヴァシルは鋭く睨む。

「すべてはお前が原因だ。お前がこの世に生きることを、俺は絶対に許さない。エリエの無念を、ここで晴らさせてもらう!」

「無念って何のことかしら? 彼女を手にかけたのは、あなた自身じゃなかった?」

「まだ言うか……!」

 怒りに唇を噛むヴァシルを、女は笑いながら続ける。

「私は彼女に何もしていないわ。私を恨むのはお門違いだと思うけど。……でも、あれは本当に傑作だったわ。何度思い出しても笑えるもの……くっくっ」

「お前!」

 今にも飛びかかりそうなヴァシルを見やり、女は言う。

「その目よ。暗くて凶暴で、苦しみに満ちたその目が大好き……」

 女の右目が狼の時のように、きらりと光ったように見えて、ヴァシルは瞬時に冷静さを取り戻した。この女――狼と呼ぶべきか、なぜこれほどに人を襲うのか。ただ腹を満たしたいだけなら、時間をかけて騙す必要はないはずだ。だがこいつは、人の苦しみを喜んでいる節がある。そこにどんなものが潜んでいるのか、ヴァシルには見当がつかなかった。

「お前は、人を殺して何がしたい。肉が目的じゃないんだろ」

 女は一瞬目を見開き、そしてすぐに笑顔になった。

「……私のことに興味があるの?」

「どういうつもりで命を奪う? 遊びか、単なる気まぐれか?」

 これに女は含み笑いをする。

「目的なんて……遥か遠い昔の出来事よ。そこから生まれた私は、ただ感情のままに動くだけ。人間を襲い、人間を騙し、人間同士を殺させる。それが、私の唯一の喜び……」

「遠い、昔……?」

 ヴァシルの脳裏には、以前ブラガが話した言い伝えがよぎる。

「お前は、かつて矢で射られた狼、なんだろ?」

 女はじろりとヴァシルを見た。

「あれは痛かったわ……この左目よりも、もっと……」

 言いながら、眼帯に覆われた目を指で撫でるが、その指先はわずかに震えているように見えた。

「でも、私の痛みなんて比じゃない。あの子達は――」

 女の艶やかな声は、低く不穏なものに変わっていく。

「まだ何も知らないというのに、あの子達は仲間と一緒に殺された……笑う人間どもに!」

 憎しみをたたえる女の目を見ながら、ヴァシルは聞いた。

「恨みで人を殺してるのか……?」

「先に手を出したのは人間だ。狼と見れば、容赦なく殺しにやってきた。一体私達が何をしたというのだ!」

 声を荒らげる女に、ヴァシルは冷静に言う。

「お前は人間を襲い、騙し、殺したんだ。目を付けられるのは当然のことだろ」

 これに女は歯ぎしりをし、ヴァシルを睨み付けた。

「先に手を出したのは人間だと言っている! だから私は人間を殺すことにしたのだ。絶望しながら死ねるように……」

 ヴァシルは首をかしげる。狼が人を襲ったから、矢で射抜かれたのではないのか? この女の言うことが真実だと言うのなら、ブラガの言い伝えには、それ以前の話があるということになるが……。

 ヴァシルは探るように聞いた。

「お前は、何者なんだ」

 女の目が、暗い光を見せた。

「私は、子と仲間を殺され、その感情に従って動く……誇り高き狼だ!」

 瞬間、女の全身は黒い霧に覆われ、瞬く間に狼へと形を変えた。漆黒の体に、地面を踏み締めるたくましい四本の足。牙をむいたその上の目は、右目だけがらんらんと黄色く輝いている。ぼんやりと揺らめく黒い輪郭は、ヴァシルに一つの答えを想像させた。

「そうか……お前は、長く生き過ぎたんだ。もうここにいるべきじゃない」

「……人間こそ、いるべきではない!」

 狼はがさついたうなり声を上げながら襲いかかってくる。すぐに腰の剣を抜くと、ヴァシルはためらわずに切りかかった。びゅんと風を切り、剣は狼の前足をとらえるが、まったく手応えはない。足留めにもならない攻撃に、狼は勢いそのままに飛びかかった。

「はっ……」

 ヴァシルは身をひるがえす。狼の爪がマントの端を裂いていく。

「人間は学ぶことを知らないのか? 鉄の塊など、私には何の意味もないぞ」

「……わかってるさ」

 ヴァシルはほくそ笑み、距離を保ちながら剣を構えた。

「貴様は、いい遊び相手だった。さらなる絶望を感じさせてやりたかったが、私に傷を付けた人間を、あまり長く放っておくこともできない……これで最後にしようじゃないか」

 狼は黄色い目を細めて言う。

「俺も同じことを考えてた。……これが最後だ」

 対峙しながらお互いが睨み合う。間合いを計りながら、飛び出す時を探る。

 ヴァシルは奇妙な心境だった。相手は狼の姿をしているが、とうの昔に狼ではなくなっているのだ。これは、残された無念を引き継いだ、ただの亡霊――生きていた当時に何があったのか、人が何をしてしまったのか、ヴァシルに知る由はない。だが、この狼のせいで、何人もの人が命を奪われ、人生を狂わされてきた。ヴァシルもその一人と言える。そして、自分がその最後の一人にならなければいけないのだ。幸い、終わらせる方法をヴァシルは知っている。この凶行を断ち切れるのは、自分しかいない――湧いてきた使命感に心をゆだね、ヴァシルは剣を握る手に力を込めて一歩を踏み出した。

「はああっ――」

 声を上げ、切りかかるヴァシルに、狼も立ち向かってくる。鋭い牙は振り上げた剣目がけて飛びかかる。

「くっ……」

 がっちりと刀身に噛み付いた狼は、振りほどこうと剣を振るヴァシルに抵抗し、奪う勢いで剣を引っ張り続ける。身を守る武器がなくなれば、あとは好きなようにできるからだ。暴れるヴァシルを見ながら、狼は味わう血肉を想像し、さらに牙を噛み締める。

 その時、狼は見下ろすヴァシルの目と合った。濃緑色の瞳は、狼狽も焦りも見せず、ひどく冷静に澄んでいた。まるでわかっていたかのように――

 直後、狼は剣に噛み付いたまま、地面に放り投げられた。驚く狼の視界には、手を広げ、わざと剣を離したヴァシルがいた。不意のことに受け身の取れなかった狼は、背中から土の地面に倒れてしまう。四本の足は空を仰ぎ、無様にばたつく――これこそ、ヴァシルが狙っていた状態だった。

「これで……!」

 すぐさまヴァシルは懐から短刀を出すと、狼の胸目がけてそれを振り下ろす。だが狼もただでは終われなかった。頭を回すと、口にくわえた剣の切っ先をヴァシルの喉に向けて突き出した。

「ぐふっ――」

 振り下ろした短刀は、狼の胸――心臓に真上から突き刺さっていた。衝撃で全身は硬直し、傷口からは黒い霧が噴き出す。狼は、自分のくわえる剣の先を見やる。切っ先は、ヴァシルの喉をわずかにそれ、首の横に浅い傷を付けただけだった。

「……終わりだ」

 短刀を握ったまま、ヴァシルが呟く。

「くっ……くっくっ……」

 苦しげに笑う狼の口から、剣が転がり落ちる。

「もう、終わりか……つまらないものだ」

 胸から噴き出す黒い霧は、ヴァシルの足下を黒く染めていく。

「私は……私は……!」

 狼の黄色い目が限界まで見開くと、同時に開いた口から悲鳴とも叫びとも聞こえる、おぞましい声が上がった。耳をつんざく声量に、ヴァシルは思わず耳を塞ぎ、狼の体から遠ざかった。

 気付けば、街道を覆うように、辺りは漂う黒い霧に囲まれていた。まるで煙突に頭を突っ込んだような暗さで、空に見えていた太陽はもうどこにあるかさえわからない。そんな中でも、狼の黄色い右目だけは浮いたように、こうこうと光っていた。まだ仕留め切れていないのか――ヴァシルに不安がよぎる。

「人間、め……」

 やっと聞き取れる声で狼は言うと、光る目をゆっくりと閉じた。その最後の光が見えなくなるまで、ヴァシルは息を凝らし、じっと見つめ続ける。

 すると、周囲を覆っていた黒い霧は、渦を巻くように動き始める。空に舞い上がりながら徐々に消えていくと、そこから起こったつむじ風がヴァシルの髪や服を乱す。あまりの強さに目も開けていられないほどだったが、やがて太陽の光が差し、元の明るさを取り戻した時には、黒い霧も、倒れていた狼の姿も、跡形なく消え去っていた。街道には静けさが戻り、目の前には普段通りの、のどかな山の風景だけが広がっている。

 ヴァシルは突っ立ったまま、しばらく放心していた。たった今までの出来事が、まるで夢の中のような感覚があった。二年をかけて捜し、そしてようやく仕留めたことは、夢ではないのだろうか――そんな問いを、ヴァシルは自分に何度も繰り返した。現実離れした光景を見過ぎたせいで、仕留めたという事実に実感が持てずにいたのだ。

 だが、ヴァシルは間違いなく仕留めていた。足下を見ると、地面に落ちた剣の傍らに、狼の心臓を貫いた短剣があった。神木を削り、折れないよう鉄で補強した木製の短剣。それを握っていた手には、まだその時の感触が残っている。

「本当に、終わったんだな……」

 自分の手のひらを見つめながら、ヴァシルは小さく微笑んだ。すべきことは終わらせた。あとはこの手がしたことを償うだけだった。

「これで、心置きなく休める……」

 二本の剣を地面に残したまま、ヴァシルは街道を下り始める。もうヴァシルに武器は必要なかった。持っていたところで、どうせ取り上げられるだけのものだ。

 街道の先には、林に囲まれた街が見える。大小の建物に色とりどりの屋根が並んでいる。この国の司法の判断次第だが、それでもヴァシルの犯した罪が軽いものとは思えない。こうして歩いて景色を眺めるのは、おそらくこれが最後となるだろう。だがヴァシルに悲愴な気持ちは微塵もなかった。こうすることは二年前から決めていたことだった。自ら命を絶つこともできた。しかしそれは償うことから逃げるように思えて、ヴァシルはできなかった。そんなことをしても、きっとエリエは眉をひそめるだけだろうと。自分から名乗り出て、司法に裁かれることで、ヴァシルは初めて償える気がした。

 太陽の光は、誰でも平等に照らしている。善人も、悪人も、それ以外の者も……。街へ向かって黙々と歩く若者の顔を太陽は照らす。その表情は非常に穏やかで、視線は遠くを見据えていた。嘆くことも戸惑うこともない。この先、自身に起こることを、すでに受け入れているかのような面構えに見えた。

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