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白銀の残光 -pLatonic Clematis-  作者: BatC
第三章
91/94

間引き

寒くなってきましたね。が、冬は着るものを着れば快適に過ごせますので、夏よりは好きです。人間、皮膚以上は脱げませんからね……。







出発まで僅か数日と雖も家に篭っていては不健康である、と考えた母が俺に命じた……口調は一般に親が子に物を頼む言い方であるので命じたと言っては語弊があるやも知れない。


「リードなどいるのか……?いや、ペットとしての体裁的を保つことを考えれば……」


この大欠伸をこいているこの《スクウィッド》、すーちゃんのお散歩である。

首輪をつけざるべきかなどと、比較的どうでも良い事に悩む程度には俺は困惑していた。

コレは散歩に連れて行って大丈夫な生き物なのだろうか?端的に言って危なくはないだろうか?

小さくなっているとはいえ、体長10mの人間ぐらいならば4人程纏めて丸呑み出来そうなサイズな棘の生えた大蜥蜴である。前世の世ならば危険な害獣として、捕獲もしくは駆除に軍が無反動砲を担いで出てくるレベルの生き物だ。本来のサイズで現れたのなら戦車すら引っ張り出して来るかもしれない。

どう思う?とすーちゃんを見れども、なんや?と言わんばかりに段差に顎を預けたまま首を傾げるのみである。


「連れてくのー?こいつ」


それには……少し厳しいものがある。

陸路で向かうならまだしも、ハノヴィアへの道は基本的に海路だ……この超重量級の魔物を運ぶ事が出来る木造船は多くない。


「通常の方法で連れて行くのは厳しいな」


泳げるのだろうかこいつは……多分、沈む。それとも陸路でこいつだけ回す……のは無いな。少々面倒に過ぎる。

恐らくはまたここに置いていく事になるだろう。早く定住地を見つけてそこに置いてやりたい物だ。

ところで件の巣穴の事なのだが、少しだけ探索した後……全貌を把握する事についてはすぐに諦めざるを得なかった。

深いどころの話ではない。本当に先が見えない。

直径は2.5〜3m、途中からは本来のサイズのスクウィッドが寝返りをうてる程の広さの空間も散見され、何というか魔境であった。


閑話休題(それはともかく)


まあ、お散歩に託けた裏の森の掃討である。冬季間、大半の動物型の魔物は休眠期に入るが、アンデット系である《ゴースト》や《レイス》、また獲物が皆休眠してしまっているために餌がなく飢えて凶暴化した《シルバーウルフ》なども始末しなければならない。

それはブレームノに住む上で、住民と己の安全を守る最低限の作業であり、また力を待つ者の義務である。

普段はシレイラこと母が遑を見つけては行なっていたらしいのだが、偶には娘を扱き使ってやろうという目論見の様だ。

まあ、良い気分転換にはなるだろう。

すーちゃんを連れ立って門をくぐれば、丘の下にブレームノの街が見える。買い物は面倒で、近所付き合いも薄い立地ではあるが、大型魔物(こんなもの)を連れて出ても騒ぎにはならないという点は評価されるべきだろう。

裏の森は基本的に一般人の立ち入りは禁じられている。理由は安全が保障出来ないから……だから、誰も居るはずがない。

そのはずなのだが。


「……5、いや6人か?」


何者かはわからないが、こっちの魔力探知に引っ掛かっている者がいる。

他に探知距離ギリギリに魔物と思しき反応があるが、こちらはやや遠いからして一先ずは無視する。

見に行くか……いや面倒くさい……と?

急速に探知範囲外から、人と思しき小集団の反応へと接近する……魔物らしき反応がある。


「……見殺しにするのは寝覚めが悪いな」


ポンポン、とすーちゃんの頭を撫でて、様子を見に行くことにした。













少年は走っていた。

背後より漏れ出る()の息遣いに恐怖し、掴んだ泣き喚く幼馴染の手を離しそうになる。

彼らはブレームノに住む少年少女のグループだった。

切っ掛けは彼の母達が井戸端で話していた事。

ー そろそろ森の魔物の間引きが必要な時期ね。

定期的に町の近くの森の魔物が間引かれているのは知っている。大抵は丘の上の屋敷に住んでいる退役軍人のシレイラさんという……ものすごく強い魔術師様が行なっていた。

時としてその役割は冒険者に移ったりはしていたが、基本的にこの手の作業は村人の仕事であって、仮にシレイラさんが特別な存在であったとしても、この町の者で彼女に感謝し……引け目を感じていない人間はいないだろう。

そんな中、悪ガキ(・・・)で名が通っている彼は考えた。

ー 魔物を倒せば俺たちも一目置かれるだろう。

若い思考は事を単純化し、危険を顧みなかった。それが最善、良いアイディアと思えば一直線に駆けていく短絡さがあった。

幼馴染に良いところを見せようと連れ出し、悪戯仲間に話してナイフや棍棒、暖炉の上にあった装飾剣を各々持ち出して森へと入った。

最初は良い、適度なスリルと少々寒いがピクニック気分で楽しかったろう。

全てを後悔したのは、森の奥から駆けてきた凶暴な魔物……銀色の狼を見た瞬間だろうか。

彼等からすれば冬季に入り凶暴化したシルバーウルフ、ランクにすればBランクにもなる存在を倒す事は、困難を通り越して不可能に近い。

子供が振り回せるような棍棒で殴られた程度ではまず効果は無い。果物ナイフ程度の質の低く短い刃物では皮膚は兎も角、サイズからして内臓には到達しない。一般人が持つ装飾用の剣などただの鋳物の棒であり、その毛皮を切り裂く能力など持ち用がない。

勇猛な年長の子が装飾剣で斬りかかったのだが、その一撃は呆気なく弾かれ、体当たりを食らって木の幹に叩きつけられて動かなくなった。

それに駆け寄った彼の妹は噛み付かれ、ぶんと振り回され雪の吹き溜まりに埋まった。

そこまでされれば逃げる他ない。最初に手もなくやられたのはこの中で最も腕っ節が強く、体力もあったやつだからだ。

もう彼の頭には逃げる事、死にたくないという事、そして僅かにこの放って置けない幼馴染の女の子を守りたいという思いのみしかなかった。

冷たい空気が肺を侵し、瞬く間に身体への酸素供給を妨げ始める。体力の消費も激しい。

何とか足を縺れさせずに走るも……突如ガツンとした衝撃が、幼馴染を掴んだ手から伝わって来て、すっ転んでしまった。

そのまま雪に顔を埋めて寝てしまいたい気分になる程の疲労感が襲って来たが、一念を振り絞って背後を見やれば……悲痛に歪んだ幼馴染の顔と、その脚に食らいつく大狼が目に飛び込んで来た。

助けよう、そう考えてその名を叫ぶも、己の心の中にある利己心が鎌首を擡げる。

このまま逃げれば俺は助かる。

そんな狡い(・・)考えが浮かんだ彼の事を、一体誰が責められるだろうか?

目の前で助けを乞う幼馴染を見捨てるという事に対しての罪悪感は拭えないが、命あっての物種だという言葉もある。

そんな考えに身体が意図せず従ったのか、足が一歩後退り、幼馴染の少女は顔色を絶望に染めた。


「グルルル……」


お前はそこで見ていろと言ったつもりなのか、少女を捉えたシルバーウルフはその凶悪な牙を剥き、首筋を食い破らんと口を開き……。


不意に飛来した何かが、その狼の頭を抉り取った。


首から上を失った狼はその断面から溢れ出る鮮血を少女に浴びせながら、力なく崩折れる。


「生きているか?少年よ」


聞いた事もない声だった。

彼の言葉では形容する事も叶わない、いや、世の如何なる賛辞の言葉を知る者ですら表現に難儀するであろう程に美しく、魂まで奪われかねない声。


「ガールフレンドを捨てて逃げようとは、分からんでも無いが少々格好が悪い(・・・・・)な?」


悪戯っぽく嗤う美しきバケモノ(・・・・)がそこに居た。











シルバーウルフなど単なる生物の範疇を出ない魔物である。頭を飛ばせば死ぬし、血を失えば同じくお陀仏する程度の生き物だ。

それは一般的な人間を含めた獣人その他でも同じ事の筈だが、生憎この世界には頭を飛ばしたぐらいでは死ねない吸血鬼(レズン)の様な存在があるからして、全ての生き物に適用出来る法則ではない。そんな相手ではない事に感謝した。


「他のは何処にいる?お前らが走って来た方か?」


襲われかけであった男女二人組……女の方は脚を噛まれたのか怪我をしている……に問うも、どうも反応が無く固まっている。


「喋らんでも良いから頷くかしてくれないか」


ビクゥッ、という擬音が相応しい反応と共に、女の子の方が口早に吐いてくれた。


「あ、あっちにいますっ!」


左様か、と待機していたすーちゃんに合図を出すと共に、脚に水魔術を掛けてさらっと治癒する……何度見てもファストエイドキットの製造業者が倒産しそうな光景である。

いや、元の世界の医療技術も大概な代物ではあったが……数百年前の時代の人間からすれば、魔術も科学も見分けが付かないかも知れない。


「あっ……」


男の子の方は彼女を目前にして逃げようとした手前もあり、何を話したら良いのかも分からないのだろう……見てる限り、この男の子はこの娘の事が好きであった様だし。

……少しこっちに見惚れていたのは頂けない浮気だと思うがな。


「これで逃げられるだろう?……今度は離すなよ?」


小声で激励を贈りつつもバシンと肩が外れるか外れないかぐらいの強さで引っ叩いてやると、もんどり打って倒れながらも最後の意地なのか彼は悲鳴を飲み込んだ。


「先に町に戻るといい……生きていたら、残りのも連れて帰ろう」


「そんな……」


生きていたら、少々残酷かも知れない条件をドライに告げた俺にに、2人は暗い顔をした。

やはり無知無謀は若者の特権だな、と説教の一つもしたくなったが、それは今すべき事ではないだろう……鼻をひとつ鳴らして喉までせり上がった罵倒文句を飲み込む。


「自業自得だ」


それだけ告げて踵を返した。

恐らくはすーちゃんがそろそろ接敵する頃だろう。何百メートルかの距離などあのトカゲからすればものの距離ではない。

それは俺からしても、だ。

最近はあまり発揮する事はないものの、脚さえ滑らなければ体感で数百km/hぐらいまで一足の下加速する事すら可能な身体能力は、未だその底を見せてはいない……必要は無いし、肉体強度も高くかつ魔術的防備があるとはいえ、生身の人間がそんな常識に喧嘩を売って有り余る様な事をすれば、自分だけでなく周囲への影響は如何なるほどになるのか分からない。

少なくとも、この間まっくろくろすけな戦士と勝負した時の様に、辺り一面を溶岩の海にする事はしたくない。洞窟内ならまだしも地上でその様な事があっては流石にまずい。

適度に加減した速度でも彼らが駆けた数百メートルなど、距離というべき長さでもない。


「やってるな」


そこにあったのは一方的な蹂躙劇だ。

そもそもの地力が異なるスクウィッドとシルバーウルフではまず勝負にならない。パワー、スピード、タフさ……全ての点でシルバーウルフは劣っている。


「ギャンッ!!」


また一匹、スクウィッド棘の生えた肩からのタックルを食らったシルバーウルフがバラバラに引き裂かれながら枝に幹に、雪原に肉片を撒き散らす。

背後から襲い掛かろうとしたモノは振り返り様に口を開いたすーちゃんの口内へ自ずと飛び込んだ結果、一つガブリと噛むとまるで卵の殻を砕いた様な音と共に、その腹から内容物を排出した。


「深追いはするな、追い払うのが目的だ」


ぺっと亡骸を吐き捨てると、すーちゃんは一声だけ、狼もどきどもとは比べ物にならない音圧……まさしく怪獣の咆哮とも形容できそうな様相で吼える。

流石に敵わんと見たのか残りのシルバーウルフは去って行ったが……後で見かけたらしとめたい所だ。きっとまた同じ様な事をするだろう。


「さて、生きてるのは?」


返事は期待していなかったが、薙ぎ倒された木に寄り掛かっていた体格の良い男の子が呻き声を漏らした。

他に見えたのは足が千切れたやや小柄な男の子と、それよりも少しだけ大きな頭がない男の子。後二つは……。


「これは酷くヤられたなぁ……」


原形を留めぬ程に荒らされた、恐らく服の残骸から推察されるに女の子。それと口の端から血を流して木に寄り掛かって座っている様に見える……首が捻れ曲がって(・・・・・・)いる女の子。

まずは息がありそうなのから。大柄な頑丈そうに見える男の子と足がないやつ、首が折れてるのも一応確認して置く。


「……レズン?聞こえるか?」


意識をイヤーカフス型の念話装置へと向けると、すぐにレスポンスがあった。


『「……なーにさ」』


酷く気怠げだったので、もしかしたら寝起きだったのかも知れない。


「怪我人がいるのだが、多分背骨か肋骨をやってる。どういう風に治療したら良い?」


『「……いまいく」』


さて、取り敢えず応急処置としては身体が冷えない様にしなくてはなるまい。

多分、すーちゃんが暴れた所為で倒れた木を引きずって来て適当なサイズに素手で砕いて簡易的な焚き火を起こす。

残念ながら、先程目星を付けた子に関して、この息のある子以外は既に死んでいた。死因は足がないのは血の量的に見て失血死、首が折れてるのは脊髄損傷だろう。

焚き火が雪を溶かし、周囲の空気をほんの少しだけ温めた。


「すーちゃんは火が好きなのか?」


火を着けると同時にすーちゃんは焚き火の近くに寄って来て丸く蹲った。かわいい。

5分も経たない内にレズンが「寒っ!」と叫びながら走って来た……彼も彼でかなりの俊足である。


「あー、もう!下にもう一枚着るの忘れたー!」


「ご苦労だったな、ソレだ」


はいはーい、と文句を言いながらも男の子を診て行くレズンを横目に、辺りの惨状を確認する。


「……そうか、一般人はこんなものなのか」


一応手を合わせてご冥福をお祈り致します、をし、シルバーウルフについて考える事にした。

シルバーウルフは攻撃手段の全てを物理攻撃に頼っており、基本的に魔術師の敵ではない。『ファイアーボール』か『アイスアロー』の数発も命中すれば、魔術に対する防備を持たないこの獣は簡単に息絶える。

剣でも同じで、この毛皮は確かに多少の衝撃を吸収する事は出来るが、刺すだけならば尖らせた少し太い木の杭でも傷付ける事は出来る。

魔力に頼らぬ魔物、言ってしまえば通常の動物などはその程度の存在であった。

そんな相手ではあるが、いくら魔境の存在が跳梁跋扈している世界とはいえ、一般の者たちは対抗する事は難しい様だ。


「……現状の物差しで物を考えるのは危険だな」


今の俺の周囲の存在足るや人外かそれ以上のモノばかりで、この世界のスタンダードを知る者がいない、少なくとも知ってはいても常識の中で行動していない者ばかりである。

そういえば、と。我が家で今使用人修行をしているネーナとミレイは普通の人間であった筈だ。

魔術師としての才は小さながらも持ち合わせていて、母から魔術的、スィラからは身体的な教育を受け受けている筈……現状は戦闘能力も皆無な少女ではあるが、じきにそこそこには戦える人間になり得るだろう。


「終わったよー、予想どおり背骨が折れてたのと、頭蓋骨も割れてたね。あと何分か遅かったらお葬式だったかな」


ズルズルと治療した生き残りの男の子を焚き火の近くにポイと捨てると、ふぃー、なんてオヤジくさい溜息を吐いて手を火に翳して暖まり始めた。


「でも珍しいね?こんな奉仕的な事するなんて……ボクもエリアスちゃんに頼まれなかったら、まあ、まずしないよね」


だろうな、と言うのは失礼ではあるが事実だろう。彼がそんな献身的な性格をしていたら誰も苦労しちゃいない。


「流石に地元の人間に大口叩いた手前、反故にするような事はなど出来んよ。それに、誰一人生き残らなかったなんて言ったら、先に助けた奴らが後追い自殺しかねないからな」


それは少々寝覚めが悪い、それにこちらの労力を無為にされるも同義である。


「そっかー、何せ貴族様(・・・)だからね」


そうだ、貴族様だからだ。

少なくとも地元の人間には慕われる貴族様(・・・)でなくてはなるまい。そうでなければ……。


「打算的な意図だろうが、その理由に民衆は興味を持たない。自分たちの生活がどうなるかという結果のみが付いて回る……」


ふう、と取り敢えず事が済んだ事に安心しつつ、本来の仕事がまだ中途である事に思い当たる。


「本当ならネーナとミレイも連れてきた方が良かったな……訓練に託けてこの間に済ませてきて貰おうと思ったのに」


すーちゃんが目を開けて、ぐる?と鳴く……なんだ、やってこようか?と?


「……やり過ぎるなよ」


気怠げにすーちゃんは立ち上がり、のっしのっしと歩いて森の奥に進んで行く……先の狼どもの追跡だ。

なんだか元のサイズよりもこのサイズの方が効率が良い様で、中々あの超巨大サイズに戻ろうとしない。いや、そもそも戻れるのか?


「……魔物が縮むなんてきーたこと無いけど……世界はふしぎだねー」


さもしたり顔でそんな事を言うから、無性に腹が立つ……まあ、何時もの事だが。

兎に角、ひと段落したらこの負傷者君を町に送り届けよう。見た所息もしているし、その内に目を覚ます筈だ。


「……古代ではこの世界の神秘など知り尽くされたかの様に思われたのだがな」


中々どうして、俺の好奇心を刺激するのだ。

一体世界はどうなってしまっているのだろう?森は?砂漠は?海は?……かつての祖国は?


「なあ、レズン」


「んー?」


此奴とてそうだ。吸血鬼などという生前のお伽話に出てくる様な、いやもっと恐ろしい化け物……想像を絶する生き物だ。


「その内、世界一周の旅なんてしてみたいな」


珍しく呆気にとられた様な間抜け面を晒したレズンは、中々の見ものだった。

が、今は機嫌が良い。弄るのは後にしておいてやろう。


「その為にまた努力するのも悪くは無い」


さてと、その為にもやる事は然りと済ませねばなるまい。雪を払って立ち上がると、ぐっと冷えて固まった身体で伸びをした。


「レズン、それは町に届けておいてくれないか?」


えー、とは言いつつも運ぶ準備を始める彼は、奴隷の鑑である。

彼からすれば大して重くもないのだから、軽労働程度はさっさとやって貰わねば困るが。


「私はもう少し狩りをしてから戻る。夕食のタネは……この季節だと確約は出来ないな」


シルバーウルフはどうみても美味そうではない。

レズンを見送ると、俺も俺ですーちゃんが先行しているであろう方角へと移動を開始した。


「……まだ探知範囲内か」


結局その日はシルバーウルフを十数頭狩猟して終わった……町の者が犠牲になる、一般的な言い方をすれば痛ましい(・・・・)事件は起きたが、比較的平和な日に思えたのは……慣れ過ぎだろうか?












「はっ、はっ、はっ……」


時を同じくして肺を侵す冷たい空気に悩まされていたのは偶然だろうか?


「みっ、ミレイ〜……もっとゆっくり〜!!!」


この屋敷は元々爵位を持っていない人とは思えないくらいに広かった。それもその筈、スチャルトナ騎士の両親は元軍属でかなり若い……にも関わらずこれ程の生活をしているという事は、元近衛軍か宮廷魔術師軍……と、詮索はやめておいた方が良いという事は、上流階級の人間と付き合う上での鉄則である……考えを遮断した。

さて、いま私、ミレイ・ヘラと後ろから叫んでいるネーナ・アリウムが何をしているかと言われれば、即ち体力づくり、走り込みであった。

元々2人は単なる商人の娘で、エルクの学校に通っていたのも少ないながら魔術師としての適性があったからだ。

それでも2人は武人でもなければ戦士でもなく、況してやスポーツマンでも無かった。

期待されていたのは一般教養を深める事であり、身体能力方面の授業は最低限のみしか取っていなかった。

それが今や冬の気温が零下にも及ぶ外で、距離にして十数kmも、その上20kgもの荷物を背負ったまま駆け足をさせられているのだから。


「ごめん、合わせてたら私が倒れちゃう……」


ただでさえ今や足首が挫けて雪に顔を突っ込みかねない状態なのに、その上で速度合わせなどと高度な事をしていては直ちに限界が訪れてしまう。

何より嫌だったのは、今の訓練を担当しているスィラさんは決して怒鳴らない。怒らない。

ただ、走れ、と言うだけだ。


「はっ、はぁっ、ひゅっ……」


スィラさんは微動だにせず、屋敷の屋根に立って走る私達を睥睨していた。もう二時間も立っているのに……寒くはないのだろうか?

暫くすると目眩が襲ってくる程に徒労して、もうすぐにでも目の前の雪に飛び込みそうになった時、やめ、と言われた。

だからといってこの場で倒れこむ事は出来ない。いきなり止まっては心臓への負担が激しいらしく、暫くは歩いて身体を落ち着けなければならない。


「……はぁ」


一周歩けば、あとは軒下に行って座り込み、空気を求める肺腑に従って酸素をひたすらに取り込んでいた。


「大分伸びたな。前回より15分は長く走れている……誇っていいぞ、アリエテの軍人並みだ」


屋根から何でもない様に飛び降りて来たスィラさんは……最初こそ少し怖いかな、なんて思ってはいたけれど、最近ではとても頼りになるお姉様である。

水をガバガバと飲んで、ぷはー!とオヤジくさい事を言うネーナを苦笑した様な顔で笑って、ミレイにも飲むよう促した。


「そろそろだな……走るだけでなく、頭も使ってみようか。お前達が思っている以上に、頭を使いながら動くと言うのは体力を消耗するぞ」


今日は一休みしたら仕事に戻れ、と言ってスィラさんは先に戻った。

この訓練は私達がこの家に来てよりすぐに開始された。エリアスちゃんは貴族となったエリアス様になり……驚いたのは、彼女の周囲には今まで見た事もないヤールーンでも珍しい様な人が付き従っているという事だろうか?

黒狼族のスィラさんは勿論、真祖吸血鬼で序列一位の家の長男という、言うなれば吸血鬼の王子様なレズンさん、闇妖精族で強大な魔力を持つニーレイさん、魔道具に身体と精神を侵されているといえども尚強大な力を持つ人間族のフェリアさん、S級の魔物であるスクウィッドのすーちゃん……誰を取っても一騎当千級の一角の人物(ペット)だった。


「……これからどうなるんだろ」


レズンさんは私達人間にあまり興味が無い様で、偶に訓練中に嘔吐している時にニヤニヤしてスィラさんに話しかけていた事があった程度……向こうから話しかけて来ることは無い。

それに雰囲気が少し怖いし……。


「武闘派、になる……とまでは言わないけれど、最低限は鍛えさせるって言ってたよね」


ミレイとネーナ、どちらも普通の人間、しかも今年11歳になったばかりの少女である。

中にはツィーア伯爵の様にあの歳でも戦闘能力が高く、貴族としても振舞う事が出来る存在も無くはない。

だが、この2人に関しては単なる年頃の娘だった。


「身を守れるくらい、ゆくゆくは家を守備出来るくらいに強くなってもらわないと困る、だっけ?」


でも、とミレイが思った事を口にした。


「……こっちに来てから武器の一つも触ってないよね」


元々2人は拙いながらも剣を扱う事は出来た。剣術は学校の必修科目であり、最低限の扱いと所作、斬り合いの基礎は必ず叩き込まれるのである。

庶民からすれば物騒に思えるかもしれないが、この剣術を初めとした武術というのは、やや乱れたこの世の中で身を守るには必要な事で、況してや学校に通うような裕福な人間は必ずと言っていい程、その手の荒事は付き纏ってくるのだから。

……襲われる心配もほぼ無いような高位の者もそれを習うのは、単なる趣味か宴会芸の域を出ないものではあるが。


「……体力があるのは良いことだと思うけどね」


色んな意味で。


「今度ハノヴィアへ行くんでしょう?ネーナは実家に挨拶しに行くの?」


ハノヴィア人であるネーナからすれば彼の地は故郷であった。大商人の娘として何不自由なく暮らしてきたが、その根性はアリエテでの学生生活によって、そしてこの屋敷での数日間での生活により悉く叩き直された……一皮向けた自分を見せる機会であるというのに、ネーナの顔はあまり芳しくは無い。


「うーん……無理にはいいかなぁ。機会があったらって感じ」


どうせ支店ならいくらでもあるし……と。

さて、とネーナはやや震えそうになる膝に気合を入れて立ち上がると、ミレイもそれに習って休憩を終える事にした。


「じゃ、本業に戻りますか!」


使用人見習いの生活はハードであった。が、中々どうして健康的で、2人の体調は以前よりも格段に良くなっていた。

こんな生活も悪く無いかも知れない、とやや引き締まってきた身体を見下ろして思う。

最近発育も加速したのか、胸や尻を初めとした肉付きも良くなり、町に買い物に行けば田舎者の男達の視線を以前よりも感じるようになった。


ミレイ・ヘラ、ネーナ・アリウム。

この2人が後に如何なる存在になるのか、知るものは誰もいない……。











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