妄執
気付けば一ヶ月半……しかしこの事実に気付き、二ヶ月は空けるまいと全力で書き上げました。
お盆休みが終わりましたね。明日から殆どの方は通常の業務(隠語)にお戻りになられるのでしょうか。
いやはやもっと休みが欲しいものですね。
着いた先は王都の一角、王城外の貴族街であった。
クロチャトフ侯爵家の屋敷に行くと思いきや、否。彼女の言の通り、コーネリアが個人で所有する別邸へと案内された……ツィーアの家よりも大きい……コレが4つあるという別邸の一つというから、彼女の家の力が良くわかるだろう。
お帰りなさいませ!の大合唱をする使用人にはツィーア邸で一度見たから驚きはしなかっが、その質と数、統制された動きには舌を巻かざるを得なかった。
調度品の一つも見れば、その家の力が分かるというのは本当なのだなぁ、と良く思い知らされる屋敷である。
カーペットなど足首まで埋まる様な気の長く、掃除する事など考えたくも無くなるようなそれが綺麗な、行儀は悪いが寝っ転がる事にも忌避感は湧かない様な状態で維持されており、壁の数多ある照明具の一つを取っても光を増幅させる鏡があったり、天井に下がるシャンデリアの光源は全て魔力灯であった。
明るさで言えば、前世の電気を用いた照明具と大差無いレベルである……この家はコレに魔力を注げるだけの魔術師も雇っているという事であり、魔力灯の設備費もランニングコストも払えるだけの能力があるという事である。
「お召し物を」
なんて上着やら何やらを剥ぎ取られるのも慣れた物だ。別に何か取られるわけでも無しに、確りと乾かしてアイロンをかけて整えてくれると知ってからは、この事をあまり嫌には思わなくなった。
剣は訳あって外せない旨を伝え、鍔を鞘に付いている紐でぐるぐる巻きにして、抜けない様にする事で許された。
……やろうと思えば、この状態でも紐を引き千切って抜刀する事も出来るというのは公然の秘密である。
「エリアスさんは私と、従者の方は……」
「……レズン、街で土産を見繕っておけ。後は……半日休暇だ」
はーい、と手を挙げ、彼はこっそりと付いて来ていたニーレイと共に街へと繰り出して行った。
変な物買ってきたら殺すからな、と念話の方で釘を刺しておくのも忘れてはならない。相手はあのレズンとニーレイだからな。
「こちらですよ、エリアスさん……そんな硬くならないでください。別に取って食べたりはしませんから」
自分からこっちの警戒を煽る様な事を言っておいて、どの口でそんな事をほざくのか……なんて喉仏ぐらいまで言葉がせり上がって来た気がする。
品良く前を歩く彼女のヒールの踵をみながら……足首が折れそうなくらいに細い……連れて行かれたのは温室……そう、温室だ。
この冬においても暖かく、数多くの植物が生い繁る、二重ガラス張りの温室。
この零下10℃近い外気温の冬でも、ここならば半袖で暮らせると思える程に暖が焚かれ、青々とした木々と花々は、瑞々しいく潤っていた。
「見事な庭園ですね」
世辞抜きに、正直に褒める事にした。
ここで昼寝が出来たらどれほど良い事だろうか、と想像が捗るな……丁度、ハンモックが掛けられそうな場所もある。
「全てが全て私が育てた物ではないですけれども、気に入って頂けて嬉しいです」
奇妙な花だ。俺の知っていた前世の植物など、この世界には一つたりとて存在しない。
この世に生えている雑草の最大勢力を誇る芝に見えるありふれた草でさえ、よく見れば元の世界のそれと全く異なる性質を持っている。
こちらの芝は、前世で見た物よりも遥かに肉厚でしぶとい。
踏んでも柔らか過ぎて折れず、千切るにしても根が蒲公英よりも太く深く……いや、それはどうでもいいか。
薔薇に似た植物とて、その棘からは毒液が滴る危険な植物の一種として知られている。皆少しずつ性質を変えているのだ。
「毒花ばかり、というのはコーネリア様の趣味で?」
ここに咲き誇って居るのは、全て人にとって致命的な毒を持つ花ばかりだ。
ある花はその蜜をたった数滴飲ませれば、筋肉を犯して心肺を停止させる。
ある花はその茎から滴る液を武器に塗り、斬りつければ忽ち傷口から肉が腐り落ち、そのまま死に至る。
ある花はばら撒く花粉を吸い込んだだけで、その者を昏倒させ、緩慢な死へを誘う。
ここにある花は、通常栽培が王国の法によって制限される程の……この世でも有数の毒花達だったのだ。
「ええ、その通りです。美しいですよね?……命を狩り取るカタチは」
その声には確かに、先程までは感じられなかった艶やかさがあった。
「それについてはモノに寄ると思いますね、綺麗な花には毒があるとはよく言われる事ですが、好かれぬ見た目の花にも毒を持つものはいるでしょうに」
「いいえ、私はその全てを愛しているのです。一見無垢なそれが秘める必殺の殺意を」
そういうものを信奉するのはあまり好きじゃないですね、と返す。
「あくまでそういう物は使う物であって、崇め奉るものでも無いと私は思いますが」
尤もこれはあくまで私の意見ですが、と。
「力ある者は皆そう言いますね」
コーネリアは平坦な声で言った。
「それが紛れも無い事実だからですよ、力は自らの生を豊かにする物ではありますが、結局のところそれは自分という柱を助ける支柱であって、基礎になる程磐石な物ではないですから」
毒樹の幹を撫でると、至る所に空いた穴より黄色の樹液が流れ出る……コレを人が飲むと、凡そ一滴数グラムで数日は眠りに落ちる強力な睡眠薬となる。
揮発性は低く、この部屋は毒花の部屋という事で換気は良くなされているので、現状での危険性は低いだろう。
魔術師……魔力を身体に宿す者は、毒にも強いらしいが、あまり試す気にはなれない……この間の誘拐事件の事もあるしな。
何故この木のことを知っているかというのも、実はその件に使われた眠剤がこの樹液らしいからだ。
「事実、アテにならない事もままあります」
信頼はするが、信用はしない事だ。武器もそう……信頼して帯びる事は大事だが、信用し切って大事な局面において壊れた時に詰む様な頼り方はしてはいけない。
「花とてそうでしょう。毒はあれども人に食べられる部位を正確に抜き取られて行ってしまう事がある。いくら強力な毒針でも刺さらなければ意味が無い」
ふっと背後を向くと、彼女が不思議そうな顔をして立っていた。
「……そこを工夫する、と言われればそれまでの話ですけどね」
こうして苦言が自ずと出てしまうのは、自分も精神的には歳を経ったのだと実感する瞬間だ……分かりやすい威力を求めるのは、若さだろうか?
「……随分とそのお年で色々な事を経験されているようですね」
……また年増な事を言ってしまったな、と反省する。
「耳年増なだけですよ、コーネリア様。私は単なる若輩者ですから」
色々とここ最近でありましたし、何て少し思い出すだけでも、ここ半年と少しの間の出来事は濃かった。
家で引きこもっていた8年分の驚きと感動を優に超える経験だったと思う。
「本当の若輩者は自己主張したりはしないですよ……そろそろ、私が貴女に話し掛けた理由について聞きたいと思いませんか?」
それについては正直な話、最初は気になったが今はそうでも無い……というのは彼女に悪いだろうから、小さくうなづいて話の続きを促した。
おほん、と態とらしい咳払いが、やや歳上ぶろうとする可愛らしいお姉さん心を醸し出していて微笑ましい。
「……エリアスさんは、今何故真人教に正体が半ばバレているのに、続々と追手が来ないかわかりますか?」
そういえば、と少し考える。
「コーネリア様と話していたあの方は、私にはあまり興味が無さそうでしたね」
真人教の実質的トップであるとされる先の男性、ナバル・ストゥーエ・カルカロフはどうも俺の事に対する関心が薄いように思えた。
第一、仮に俺の顔が完全に彼等に割れており、かつ本気で始末に動いていたのなら、俺は恐らくこうして王都内でのうのうとしてはいられないだろうに。
「大した害意も持っておらず、恐らく今回はさっさと帰ると思われるエリアスさんに、わざわざちょっかいを掛けて割く労力が惜しい事。後は……貴女の扱いに王家の方で揉めている事が主たる原因ですね、王妃様と第一王女様、第二王子様より、貴女について正式な推薦が挙がったとか」
その一手が俺自身への爵位の授与。一先ずは最低位ではあるが、王国の身内として主張できる首輪を付けておく事にした、と。
「屋敷も無い名誉位みたいなモノでも、法の上では一緒、ですか……」
「そういう事ですね」
個人的な事を言えば、発生する義務の方が問題になるだろう。
戦争への参加義務だとか、その手の事を要求されたら……どうしようか。
「当然あるでしょうね、現在……もう言ってしまいますが、西方軍と南方軍の主力は既に王国北部の港街、キルキノ近郊に集結しています」
当然、目標はヤールーン再侵攻だろう。現状、ハノヴィアに喧嘩を売る意味合いはアリエテにとって薄い。
何せ俺を始めとした生徒の留学が許可されているくらいなのだ。まだまだ関係は良好であるという事をアピールしたいのだろうか?
「その肝心な時期に、ハノヴィアへの留学を認めて頂けるなど光栄の至りですね」
そう言い、肩を竦め戯けて見せた。
すると彼女はこの上ない様な笑みを見せて、ええ、とうなづく。
「これは貴族院からの信頼を込めての特例です……ですので、くれぐれも余計な事をなさらないよう、重ねてお願いしますね?」
そう釘を刺して来た彼女に、俺はただ相槌を打つのみであった。
「……おみとーし、って感じなんだね?コーネリアさんってー」
その話を聞いたレズンは、眠らせた娼婦の傍でその首筋を撫でる。
「アレは面倒だな。かなり立ち位置が上手い……ああまでして私に釘を刺して来るとは思わなかった」
ネメシア先生の姉で、王国伯爵待遇、真人教との関係も良好(少なくともそう見える)、耳聡い(本当かは分からないが、そのアピールはあった)……さあ、どうしようか、という所だ。
レズンが何をしているかと言えば、それは食事である。
何故娼婦かと言えば、彼の言うには簡単に引っ掛けられてお手軽な事、我慢出来なくて木乃伊にしてしまったところで、水商売に携わっている人間なら居なくなっても変に捜索が入るリスクが比較的低いという事、適量だけ節度を持って血を吸うだけなら、餌の方が消耗する体力は、普通に仕事をした時と大して変わらないであろう事から、本人らからも怪しまれずに後腐れが無い事、その他、魔術で暗示を掛けるにしても身体的接触が多い方が良く掛かる……などなど、コンスタントに食事をするならコレが一番だと言う。
「……早く済ませろ、窓から抜け出して来ているのだから……遅かれ早かれ、戻らないと彼奴に勘付かれる」
場所は王都内の水道橋の下、王都内は多くの井戸に恵まれては居るが、それは常時王都に住む莫大な人数の者共の生活を支え続ける程のものではない。
主たる水は近隣の山から流れる川より取水しているのだ。
水道橋は見事なアーチ橋で、そう巨大な物では無いが、非常に高く、頑強に見える。
「もー……そんな急かさないでよー……」
彼の舌が獲物の首を這い、茜色の光を放つ街灯の光を照り返してぬらりと光る。
彼の犬歯は人の二倍程ある。歯茎に刺さらないのか?とは思うが、どうやら顎の骨格も人とは異なるらしく、その牙が収まる溝が下顎の骨に開いているらしい。
犬歯自体は非常に変わった形をしている。
普通の犬歯の様に円筒形をしているのでは無く、大雑把に言えばストローを尖らせて口の内側に向いた部分に切れ込みを入れた様な形をしていて、血を直接突き刺した歯から飲み易い様な形をしていた。
これは対象の傷口を小さくすることで吸血行為を悟らせにくくする効果があり、かつ面積が小さい為皮膚への通りが良いという利点がある……割れ易いのが傷らしいが。
傍目から見れば、彼がその首筋に優しく口付けしている様に見える。
しかしながら、よく見るとその喉は脈動し、吸い出した血液を嚥下しているのだ。
普通に食事をしている分、味覚は人と大して変わらないと思っていたのだが、あの錆生臭い血を美味しそうに飲むというのは、流石に真似出来ないな、と思う。
「……でも、予定は変えないんでしょ?」
先程から黙っていたニーレイが、漸く口を開いた。
「当然だな」
バレなきゃ何とやらである。
狭すぎる俺の肩の上は居づらかったのか、肩から頭の上へと移動したニーレイは思うに、と続けた。
「言うまでも無いかもしれないけど、ハノヴィア側にも王国の監視が居るよ。ただ、彼方に行きます、じゃあ、すぐバレちゃう……小細工が必要だよね」
例えば、例の海難事故みたいな、と。
「上手く失踪出来るイベントが必要だな……」
じゅるり、とはしたなくも最後のひと啜りをしたレズンが起き上がり、餌を橋脚に寄りかからせた。
「死んだ?」
「うーん?多分数日間貧血になるくらいかなー?」
今回は彼はなんとか我慢できた様である。もしかすると、あまり腹が減って居なかっただけかも知れないが。
ふう、と一息ついて、寒空を見上げれば、薄暗く、今にも降り出しそうな雲が広がっている。
「今夜は冷えるな」
近くにあったボロ切れを、血を奪われた娼婦に掛ける……凍死するかも知れないが、何もしないとあっては目覚めが悪いからだ。
仮に死んだとしても、彼女はアルコールを飲んでいたらしいから、きっと酔っ払って路肩で寝てしまったのだろうと処理されるだろう。
「それにしても、良く飛び出さないで居るな。恐らく此処には聖杯があるぞ?」
彼の望みは聖杯……神器である。
対価を払えば如何なるものでも手に入れる事が出来る杯、話に聞く限りでは、どうしようもなくコストパフォーマンスが悪く、例えば美麗なる容姿を願った者は、代わりにその心を奪われた、何て事は陳腐になりつつあるデメリットを表す話であり、他にも失った脚を願ったらタマを無くしたという笑い話と言っていいのか分からない事まで、実に様々な事例が語り継がれている物。
「白々しー!勝手に飛び出さないようにしてるクセに!」
レズンがむすっとした顔になった。
「別に構わないぞ?ただし、手配も何も付かずに無事五体満足で、私側に影響が無い事が条件だがな。出来るか?」
舌打ちして黙ったのがその答えだろう。
「まだだ、レズン。いつかその時が来れば、そんな物はくれてやる」
そう遠く無い内……恐らくこの国とは敵対する事になる気がする。
根本的な趣向が違うだけでなく、俺はややヤールーンやハノヴィア側に寄り過ぎていると思われる事もあり、その辺りの縁を切ってまでアリエテに属し続ける事にあまり意味を感じてはいないのだから。
「……期待しないで待っとくよー」
まあ、その前に……。
「ああ、そういえばラクシアが人間向けの医学書を此方の言葉に訳して流してくれるらしいぞ、お前の目的と合致しているとは思うが?」
そう言い終わる前に、彼の放つ気配に花が咲くのを感じた。
「……へぇー?」
彼の大きな瞳が細長く絞られ、口角がやや上がる。機嫌が急上昇したな。
「恐らくはまだこの世界の技術レベルでは再現にも、理解する事も難しい概念だらけの話だがな。だが、何事も基礎から積み重ねればいずれはそれは益になるだろうからな。医学的見地を深めて貰おうと、思ったのだが……それで、今は我慢してくれないか?」
さてどうしよっかなー、なんて口では言うものの、この声色は半ば了承したも同然の調子である。チョロい。
ラクシアに掛け合ったのは俺でなくツィーアだが、それを解析する研究者は大いに越したことは無い。しかし、強大な政治的アドバンテージにもなり得る古代の知識を共有するのは、ある程度信頼出来、尚且つ目が届く範囲の者に限られる事が望ましい。
その内それらは流出するであろうが、それは可能な限り遅いに越した事は無い。
そこで俺が推薦したのは、少なくとも口頭での問答では知っている限り、人体について最も深く理解しているであろうレズンという訳だ。
少なくとも、人の骨の本数や成人した人間の保有する血液のリットル数を聞いて即答し得る者は、俺の周りでは少なくともレズンの他に存在しない。
「古代と違って魔術が存在するのだから、この手の研究は重要度があまり高く無い医学の研究は失速気味であると聞いているからな。この世界の未来への細やかな投資だよ」
あの夢の中で出会った過去の己の事は、誰にも話してはいない。
しかし、示唆された方針に従わなければならない。そう感じた俺は、少しずつあれから様々な仕込みを始めている。
「……私はな、見たかった世界があったんだ」
2人が突然の独白を始めた俺を訝しげに見る。
「そうだな、2人はこの星の外の生命の可能性について考えた事はあるか?」
恐らくは無いだろう。
地上を這う事に精一杯な時代、そんな時にこの空のさらに遥か彼方に目を向けている者が居たとすれば、それは単なる変人か狂人だろう。
「前に言ってた、宇宙の話?」
ニーレイとは、少し前に俺達の頭上に広がっている物は何か、という問答をした事があった。
宇宙とは何か、この星が属する恒星系と、それが数多集まった銀河、銀河が集まった銀河群、その上の銀河団、超銀河団、そしてそれが構成する大規模構造……宇宙にはこの夜空に見えるよりも遥かに膨大な数の恒星系が存在し、それと同じだけ生命体が存在可能な居住可能惑星があるという浪漫だ。
「古代の文明は人を宇宙で生かす事にまで到達し、この恒星系、太陽系を駆け抜けた。隣の恒星系の生命居住可能領域にまで無人の探査船を送り出した事もあった。だが、終ぞ私達と同等かそれ以上の……知性を持った者達とは出会う事は叶わなかった」
もしくは俺達はかなり惜しい所で滅んでしまったのかも知れない……この星を出て行った脱出民達は、そんな存在と邂逅しているのかも知れないが。
昔から夢見られてきた恒星間航行技術は終ぞ陽の目を見る事は出来なかった。そんな何百年もの、何世代掛かるかも分からない旅に、そう簡単に挑む事は出来なかったのだ。
「きっと、今世でも私はそんな物は見られないだろうがな。遠い子孫でも良い。何百、千年後になるかも分からないが、この世界がそこまで到達するとして、その手助けをするのが、古代の者としての役目だと思うのだ」
驕りでも良い、だが、俺はそんな未来を夢見て堪らなかったのだ。かつての若かりし己へのプレゼントであり、燃え尽きかけた己が縋れる唯一残った情景である。
「……すまんな、感傷的な気分になってしまったんだ」
何時に無く臭いことを言ってしまった己に苦笑し、歩を速める。
「……千年なんて一瞬なんだよ、エリアス」
後ろでボソリと呟いたニーレイの言葉は、大して俺の耳には残らなかった。
所詮俺は人の身、妖精とは、吸血鬼とは違う。
ただ当たり前の事だと思っていたのだ。
翌日、再び貴族院に登城した俺を待っていたのは、何とも呆気ない書類の受理告知であった。
不備は無く、これにて俺は名実共に王国貴族の一員となったのだ。
「おめでとうございます、エリアスさん」
よくもまあ抜け抜けと……とは言うまい。彼女とて王国貴族であり、主家とこの国の利権の為に身を粉にする義務がある。
流石にアルタニク伯爵領における利権の話が出た時は、ツィーアにパスする形でスルーさせて貰った。俺が許可を出せる事柄ではないというのは勿論……実際俺の口添えがあれば、ツィーアはあっさりとコーネリアの利権を認めそうな気がするが、そこで唯々諾々と従ってやる義理は無い。
「ありがとうございます。今後、誠心誠意王国に仕えたいと思います」
口先だけ、というのは誰もが、当然コーネリアも分かっているのだろう。
視線だけは鋭く、俺の一挙一動も見逃すまいと言わんばかりである。
「ええ、王国の為に」
王国万歳、ねぇ。
「……王国万歳」
彼女とは、妹をよろしくお願いしますね、勿論そちらこそ真人教関連のアレコレはお任せしますね、なんてややトゲトゲした言葉を交わした後、王城城門で別れた。
「さて、用事は終わったな……少し王都観光と洒落込もうじゃないか」
都会に来ればやるべき事は一つ。
「繁華街で買い物でもしていこうか?」
反対一票、賛成二票。繁華街行きは可決された。
城門外の跳ね橋を渡って行く3人を、手を振って見送ったコーネリアは、この国の者が見ればそのエキゾチックな色気に呑まれかねない……事実、婚約を申し込む者は絶えない……瞳に昆虫のような無機質な光を湛えていた。
彼女は被支配階級……かつては王都より少し南方にあった小国……現在はアリエテによって併合され、一地方として扱われる地の支配者であった者たちの末裔であった。
「どうせ、あなたは約束など守らないでしょう?……別にこっちにバレずに面倒が来なければ何をしても構わないのですけれど」
クロチャトフ家は元はと言えばそんな家である。所謂成り上がり者の一家だ。
この家がこの王国で言う所の重鎮のポストを得たのもつい最近の事であり、それまでに積み重ねた多大な貢献を以って王の信頼を得たのである。
「まあ、あのイカれた吸血鬼と気味が悪い闇妖精の手綱を握っているだけ良しとしましょうか……そうでしょう?ナバル」
気付けばそこに黒衣を纏った壮年の男が、周囲に影を溶け込ませた幽鬼の様に立っていた。
「……多くを一度に求めるのは、どうも余の運命には似合わぬ事らしいからな。しかしコーネリア嬢よ、彼女は非常に面白い。出来れば直接言葉を交わしたいと何度思った事か……これであるから、嬢の家の考える事は好きでないのだ」
戯けた調子でそんな事を言う真人教教皇であったが、その眼は少し足りとも笑ってなどいない。
澄んだ瞳には誰が見てもわかる憂いがあった。
「謀とはそういうものですのよ。事態がどう転がるか分からず、かと言って踏ん切って何かするには手札が足りない。そういう時はゲームを降りる勇気もまた必要なものですよ」
さて、とコーネリアは目深に帽子を被った。
「……どの道、貴女はこの卓からは立つ事が出来ないのですから……」
煌々と輝く黒い瞳が、遠く、ずっと遠くを映して暫く離さなかった。




