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白銀の残光 -pLatonic Clematis-  作者: BatC
第三章
83/94

心象風景:Motive



4.5月のピークが過ぎれば何とかなると思っていた時期もありましたが、相も変わらずにX^2に比例する勢いでやる事が増えていて、冗談抜きで禿げそうになっています……つまりは更新速度がやや落ちる可能性があるという事です。







歴史上、悪魔に例えられた者は数多くあれど、客観的に見て誰からしても悪魔に見える者というのは、そう多くはない。


人を数多く殺めた?多くの者を扇動して戦争を起こした?多く犯した?多く支配した?


結局の所、多くの歴史上の残虐な支配者はあくまでも人であった。そこにあったのは単に人としての欲望であり、渇望であり、本能だ。


真なる悪魔は、その所業に人の意思を介在させる事は無い。


金の為でも、地位の為でも、快楽の為でも、況して仁義や愛憎でもない。


単に無感動に、恐るべき所業に手を染める者こそ、真なる悪魔たり得るのではないか、と私は考えるのだ。



ー この世で最も忌むべきモノたち [帝立出版 1987初版] 著者不明











視線が物理的な何かを持っているとすれば、俺の身体は今蜂の巣状の穴あきスポンジかナニカになっているだろう。


……と、いうのは良くある例えではあるが、実際問題俺の心情足や針の筵に正座したかのような状態であるからして、あながち間違った事じゃないと思う。


視線には慣れているつもりだし、かなりの人数の前でスピーチした事だってあったからして然程苦痛だとは思わないが、それにしたって視線の質によるという事を、今心の底まで実感させられている。


生徒や一般観客からはキャーキャーワーワーと、まるでアイドルが出てきたかの様な湧き様だ。思わず俺以外に誰か有名人が出てきたのかと後ろを振り返ったのは仕方があるまい。


一方貴族席の方からの視線の質はまた違った。睨めつける様な、舐める様な……少なくとも何らかの悪感情が含まれた視線と、俺の程を測る視線と……と、少なくともあまり心地よい物ではない。


しかし、俺の体面を取り繕う術は、自分で言うのも何だが達人であると思う。それを身に付けた過程は……兎も角。


アリーナは広い。ベースボールどころかサッカーやアメリカンフットボールでも出来そうなレベルだ。この学校は国立なので、コレを作ったのは王国だ……全く、マデレイネ姫や王女様が見ている所で考えるのは限りなく不敬ではあるが、何度見ても正直無駄な広さであると思う。


気付けば演技のスタート位置、中央部に設置されたステージの上に俺は立っていた。


見渡す限り、360°、人、人、人。


その全てが自分の一挙一動を、目を皿にして見ている……。


「……ちょっと、興奮するな」


人知れずゾクゾクと熱を持つ自分が嫌になりそうだ。


露出狂の気がある訳では無いが、少しばかり私は他人に見られる事が好きな様だ。


以前はこんな事は無く、どちらかと言えば誰も居ない部屋で……今も好きだが……一人でいる方が好きな人間であったのだが、何時からこの様な変態になってしまったのだろうか?


さあ、踊ろう。


私を見ろ。


一人として残さず魅せてやろう……とは言わんがな。











その演舞は正しく圧巻であった。


広大なアリーナを埋め尽くす水と、正確に演目の登場物を形作る炎。


その術の巨大さと正確性から、如何に彼女が優れた魔力操作能力を保持する強力な魔術師であるかを窺い知る事が出来る。


彼女本人の踊りも見事な物で、その身に纏った漆黒のドレスを靡かせ、力強く、ダークな物語の主人公を良く演じていた。


この演目の題は復讐劇だ。


親族の裏切りにより国を追われた姫君が、その持ち前の美貌と深算遠謀を以って庶子として成り上がり、遂には国を支配する親族を追い落として自らが王になるという物語。


原作ではその過程の胸糞悪さと、最後の復讐の時の清々しさに定評のある話で……主人公の元と同じ立場のマデレイネとしても、性格としては恐らく正反対だろうが、非常に共感出来る箇所は多い。


演じるエリアス自身の表情はとても豊かで……酷く艶かしい。


8歳、それが彼女の正確な年齢の筈だ。


普段は口調や立ち振る舞いこそ酷く大人びているものの、時として相応の子供の様に笑ったり、膨れたりなど……まだ常識の範疇を超えない様に見える。


だが、あの雰囲気はなんだ。


まるで数百年を生きた淫魔(サキュバス)の如き、妖しく、人ならざる妖気を放っている。


ここから見える一般席でも、貴族席の魔術師ですら、殆どが身を乗り出して彼女の演舞に魅入っている。正しく熱に浮かされた(・・・・・・・)様に。


アリーナは異様な空気に包まれている。舞うエリアス・スチャルトナと、それにただ見惚れる観客。


例外は私や王女、または彼女に近しいとされる友人たち……ツィーア・エル・アルタニクや、アイク、カリナ・ヴァン・マリョートカことカリナ・シーデーン……先の騒ぎの際に改名した……等の一部の者たちだけだ。


ツィーア・エル・アルタニク。


王都での評判は決して良くない。獣人が好きだとか、やはり子供であるとか、やる事なす事が苛烈であるとか。


最も大きいのは、最近手に入れたラクシアの権益関連に対しての嫉妬の声だが、それにしても悪評は元から高かった。


その主たる原因は、彼女が周りに何時も侍らせている獣人。


ツィーアの腹心であるとされるミムルを始め、アルタニク伯爵領の重鎮や軍には、獣人が山ほどいる。数にして人間とほぼ同数……遺憾ながらも未だ獣人を通常の臣民として扱っている隣国ハノヴィア帝国でも、こんな事はまず無い。


表向き、有力勢力の頭目だから面と向かって文句を言ったりはしないが、会う度に獣臭くて反吐が出るのを我慢しなければならない……あまり話したいとは思えない相手だ。


そんな感情を押さえ込みつつ彼女と無理にまで語らったのは、勿論エリアス・スチャルトナの事。彼女は最も彼女に近い友人であるからだ。


聞いたのは普段の彼女の評価。


成績優秀、魔術師としても秀逸で、頭はやや硬いところはあるが良い。


庶子ではあったが使用人を持っている。一人はあのレズンという男……らしい、あの見た目で……で、もう一人は奴隷の獣人。


私が獣人嫌いだと知ってか知らずか、エリアスの見舞いに行った時は顔を見せなかったが、その武力を買われて雇われたという。


もう一人、人間の使用人が居るというのだが、その者は実家に置いていると聞いた。それも奴隷……もしかすると、エリアスは奴隷が好きなのかもしれない。趣味が良いとは決して言えないが。


性格は感情の抑制が良く行き届いているのか大人しい。だが特定の事柄についてはよく反応するらしく、言動が面白いとも言っていた。


だが、彼処にいる彼女とその評価とは一切合致しない。


綺麗だ。しかし、その美しさは見る者に限りなく焦燥と不安を与えて来る悍ましささえ感じさせる物であるが。


ああ、何と鬱くしき(・・・・)演舞か。


あの躍り狂う炎の中に吸い込まれる様な、あの硝子の様な氷の中に取り込まれる様な……正しく魅入られるとはこの事か、と。


王都で貴族社会の魑魅魍魎を相手取って来た筈の我が母でさえ、この異様な雰囲気にハッキリと呑まれている。


真にこの場で正気を保って居るのは、先に言った通り、ほんの一握りの者のみだ。


やはり、最初彼女に出会った時の予感は正しかった。


彼女は……化け物であった。











演じ切った俺の身体に渦巻いていたのは紛れもなく徒労感であろう。


ややふわふわと足元が浮く様な熱と、ぼうっと頭が霞みがかった様に回らない。


……魔力の消耗は大した事は無いが、精神的に酷く疲れてしまった様だ。


「……スィラ、少し仮眠を取る。何か用事があったら起こせ……」


戸を閉めた彼女に声を何とか掛け、ごろりと俺専用に用意されている控え室の椅子に転がると……直ぐに意識が途絶えた。












これは夢なのだろう。


そう感じさせるのは、眼下一面に広がる花畑……いや、何故俺はコレ(・・)を花畑だと思ったのだろうか?知らない物なのに……。


生えているのは花ですら無い。酷く歪で不恰好、絵の具の原色で塗り潰したかの様な極彩色の……植物なのかも怪しい物だった。


薔薇の様に茎に棘を生やし、食虫植物のモウセンゴケの捕食毛の様に赤く長い毛が花(?)の根元の太い茎から生え、葉は紫色、蕾は内側に無理矢理何かを詰め込んだ様にデコボコしていて、花は白い百合の如く長く垂れている……集合体恐怖症の者が見れば卒倒しそうだな。そうでない俺でも頭の中が痒くなる様な不快感がある。


それが延々と続いている光景。だが香りが無い。あくまで感覚としては欠けた物だ……。


「……夢、だな」


自らの口が言葉を語った事に驚いた。


どうやらコレは随分と変わった夢らしい。


足を運べば視界が進む、当たり前の事だが、その事実が俺の心情を穏やかにさせる。


背の高い花の合間を歩いて進めども中々にキリが無い。 いつしか入った向日葵畑の様だ……ここの花は少々不気味ではあるが。


足元は畑らしくなく、踏み荒らされた荒地の如く硬い……裸足で歩けば足の裏が傷だらけになるであろうと思われる程に、尖った石も散乱していた。


そう言うのは、俺がどうやら裸足であるらしいという事実を今になって発見したからだ。


別に石程度で傷が付くほど柔な身体はしていないが、それとて足裏マッサージを常時強いられるのは……身体には良いのかもしれないが、心的にはあまり宜しい物とは思えない。


少しアキレス腱が攣りそうになりつつも歩く事を辞めないのは、単にこの代わり映えのしない景色から抜け出したいという一心があるからだ。


幸いにも目星はついていた。この花は非常に規則正しく並んでいるため、奥の方、畑が切れているであろう場所がよく見える。


数分も経たずして、視界が開けた。


急激に明るくなった外界に目が慣れ、ハッキリと認識したその景色は……俺がよく知る物。


「……ここ、は」


今世でない。


かつて……前世、生まれ育った故郷。


ー 汚染され尽くした、かつて静かな田舎であった町だ。











剥がれ落ちたコンクリートがパキパキと割れる音がする。


薄く経年劣化によって風化したコンクリートは、高々30kgそこそこの娘っ子の体重を受けて、敢え無く粉になってしまう。


アスファルトはボロボロで、割れた隙間から生命力に溢れる雑草どもがハロー!と言わんばかりに頭を出している。


電柱は、既に都市部やそれ以外でも地中への移設が済んでいる地域が多かったが、ここばかりはまだ傾いだ鉄筋コンクリート造のそれに、弛んだ電線が引っ掛かっていた……機能としては別に劣っている訳ではない。


第一過程校……古い言い方をすれば小学校に当たるそれに入学する時、この地を離れた。


それもその筈、悪質な産廃業者がこの地に非常に処理に金の掛かる毒性の強い化学薬品入りのドラム缶か何かを大量投棄した所為で、ここは人が住むには厳し過ぎる環境になってしまったからだ。


だが不思議な事にこの空間は特に汚染なども見られない。人は居ないが、極普通の、何処にでもある様な土地に思われた。


向かうべきところは一つだろう。かつての我が家だ。


自分で言うのも何だが、そこらにありふれた家ではない。


芝生に覆われた庭があって、枕木が足場として点々と埋められている。


木製のパーゴラと、その下の丸太を縦に割って作ったテーブルと岩の椅子……父の趣味だった。


芝生や花壇に茂っている花々……この土は汚染されていた筈で、こんなもの生えるわけがないのだが。


玄関の鍵は開いていた。


数十年ぶりに見た生まれの家は、不自然な程に小綺麗にされていた。


記憶は薄かったが、確かに覚えている。そうだ、玄関のタイルはザラザラしていた。


玄関から出れば、フローリングの敷かれた室内に入る。この家は少し変わっていて、仕切り足る壁が限りなく少ない。


二つあるリビングからダイニング、水周りは流石に仕切られてはいるものの、それにしても広く感じる……案外大した広さはないのだが。


「……来たか」


だが、奥のダイニングテーブルを見て、俺の意識は一瞬停止する。


「……まさか」


神経質そうで何処か張り詰めた印象を見る者に抱かせる、目に薄っすらと常に隈を持った男……かつての()が居たのだから。












模擬戦大会は滞りなく進んでいる。


レズンはその様子を貴賓席の一角……マデレイネ姫の近くで見ていた。


それは単純に、人間の子供のままごと(・・・・)が如何なる程度なのか、エリアス以外の者のレベルに興味が湧いたからでもあり、マデレイネ姫とお近づきになる方便でもあり、単純に暇潰しの意味合いもあった。


殆どは取るに足らない、殺すなら一攻防で消し飛ばせる様な雑魚ばかりだが、エリアスの周りの者は幾分か強いのだろうか……特にカリナ・シーデーンはさしものレズンを唸らせた。


魔力量はこの場にいる生徒や貴族……校長などの一部を除いた中でもトップクラスに見えた。コントロールも高レベルで、岩のゴーレムを即興で組み立てたり、土魔術に依って作られた岩塊を用いた攻防一体の戦略など、ヤールーンでも通用しそうな能力を身に付けていた……あくまで並のレベルではあるが。


後は比較的強力な火属性魔術の扱いに長けたツィーア・エル・アルタニク。


彼女の魔力量から推察するに、彼からすれば警戒するには当たらないレベルではあるが、意外にも魔力のコントロールには長けていた。瞬間出力も総魔力量から考えてもやや高めだった……修行をよく積めば、いつか化けるかも知れない。


アイク・ベル・イオリアに関してはやや性質が違う為、一概に比べることは出来ないかも知れないが、彼は彼である程度のところまで到達出来る才能はあると思う。


流石は高貴な強い魔術師が掛け合わさった王家に産まれただけあって、可能性は十分だ。


才能。


自分はどうだろうか?とレズンは己に問う。


小さい頃から、魔術の扱いで苦労する事なんて無かった。


流石に属性によっては得手不得手があれども、特に水属性と闇属性……治癒魔術は特に得意だった。


今ならそれこそ死んでなければ幾らでも元に戻せる自信があるし、本来なら死ぬ様な状態で身体を固定させる事も出来そうだ。例えば脳と心臓だけ残して生かしておくとか。


ただ、最近エリアスの様なタイプの、先天的に凄まじい能力を持つ物を見てしまったが為に、自分はやや自信を失いがちである。


普段は見下してはいるものの、エリアスの従者のスィラとて一角の才能を持った英傑に等しい存在だろう。


何時もはふざけてふらふらと、一体何をしているのか理解に苦しむニーレイは、アレでも闇妖精の中でも屈指の実力を誇る強大な存在である。


吸血鬼というのは人間よりも魔術に関する才能では遥か上を行く。


それは元からそうであった者も、人為的にそうなってしまった者にしても共通する事柄だ。


エリアスが良く吸血鬼では?と問われるのはその辺りに理由がある……吸血鬼からしても異常であるのはご愛嬌だが、その方が少しは現実的な理由付けになるからだ。


吸血鬼の血の濃い家系から産まれたレズンは、並の吸血鬼ならば束になっても敵わない程の力を持っている事には間違いない。


その所為か、身体は酷い有様……生殖器が無かったり、どうやら脳や神経系の方もおかしい様で、精神的な所が破綻しているのは言うまでも無く、暑いのに汗を掻けなかったり、トイレのタイミングが感覚では分からなかったり、喋る時もどうしても舌ったらずになって言葉を切ろうとしても、自分の意思でなくとも語尾が間延びしたりなど、非常に障害の多い身体であったりする。


昔は更に顔の表情を作る筋肉が上手く動かず、笑おうとしても顔が引き攣って笑えない。喋っても唇が上手く開かずに、声が篭ってよく聞こえないだとか……もっと酷い時期もあった。


黙っていれば見た目は整っていて、何か行動するとボロが出る……親戚には悪魔の子なんて言われていたっけ、とレズンはその頃を懐かしむ。


そういえば、向こうを出てくる時に家族は全員始末してきたのだが、親戚は殺ってなかったな、なんて唐突に思い出した。


その内この上手く言葉を切れずに間延びしてしまう癖も治るだろうか?……表情だけでも40年近く掛かったのだから、希望は薄いかも知れないが。


そういう意味で、才能とはレズンの心にとって、諸刃の剣とも言える様な言葉でもあった。


相当に自分のダメな所を治す為の努力は成してきた自負はあり、それでも及ばぬ事も多かった暗い記憶……対照的に、才気溢れた人間の子達を見ていると、どうにも薄暗い衝動が胸中に湧き上がって来る。


こうしてマデレイネ姫の様に、恵まれた人間を見ていてもそう。


嫉妬、逆怨みというのは分かっている。


それでもレズンはむかむかと腹の底に気持ちの悪い何かが溜まってゆく……。


「レズンよ、顔色が良くないぞ……?」


歳が近く見える(・・・)レズンの事を、マデレイネ姫は良く気に入った様で、見かけるたびに良く声をかけて来ていた。彼が奴隷と知った後も、だ。


ボクは君たちの大嫌いな……魔族なんだよー?


そんな事を言える筈も無く、ただ笑顔を貼り付けて相槌を打っていたレズンは、心配そうな、訝しむ様な顔で覗き込んで来た彼女にぎょっとした。


「いー、いえー……ただ、少しばかり放心していましたー……」


最初は上手く彼女から神器に繋がる情報を吸い出そうと思っていた。


最終到達点は変わっていないし、今もそのつもりで彼女との会話を続けていた……結局は彼女は魔族獣人嫌いのこの国のお姫様、自分は今や奴隷のちょっと変わった吸血鬼で……。


「気分が良くないなら、中で休んでいるといい……エリアスからは何か言われているか?」


「特にー……マデレイネ様と仲良くする様に、とは言われてますけれどー?」


ここでちょっと悪戯っぽくからかってみたり……なんてね。


「なっ!?か、揶揄うな!!そんなんで私は騙されないぞ!!!」


……一々コロコロと表情が変わるから、とてもいじり甲斐がある。


「そんな人を詐欺師みたいに……姫様(・・)の前で言葉を偽るなんて、畏れ多くてとてもとても……」


「このっ、心にも無い事をつらつらとっ!!」


はい可愛い可愛い。


茹でた海老みたいな顔色で騒ぐ彼女が、微笑ましくも羨ま妬ましいというか。


バシバシと二の腕を引っ叩く彼女をケラケラと笑ってあしらっていると、ふとその向こうにいる王女様と目が合った。


その相貌は今迄会ってきた者の中でも特に鋭く、智謀の光を湛えている様に思える。


生半可な精神力では全て見透かされてしまいそうだ……と覚悟を決めつつあったレズンは、ふと緩んだ王女様の顔を見て肩透かしを食らった気分になった。


「レズン君の前だと笑えるのね、マディ」


マディというのは愛称だろう……確かにマデレイネ、と一々呼ぶのは億劫かもしれない。


「……笑える、と言いますと?」


少々気になる事を王女様に……直答は許されているから普通に話す事が出来る……問い返した。


「は、母上……その話は……」


マデレイネの顔が急激に曇り、眼が……背筋に寒気が奔る程にどんよりと光を失った様に見える……腐った魚の眼の様だ、とは良く言ったものだ。


「良かったわ。マディと気が会う殿方(・・)が居るなんて、思いもしなかったから……」


殿方?とレズンは首を傾げる。


「必要なら奴隷から解放しても良いわ、王都のアレクシス王立学院への編入も考えましょう……マディの従者として」


その言葉にレズンの胸が跳ねた。


とんでもない好条件の……引き抜きだった。


理性的に考えれば、これはレズンの目的にも良く合致している。況してや相手は王族だ……チャンスは腐るほどやって来るだろう。


ただ、自分の正体が露見した時のリスクを考えると、ただ首を縦に振る事は出来ない……王都なんて、相手の腹の中そのものじゃないか。


時期を考えつつなら兎も角、まさか有事の時に王都の戦力を薙ぎ倒して脱出、そのまま逃げ切れるなんて思ってはいない。そんなに甘い状況ならば、アリエテから魔族は駆逐されてなどいない。


危険過ぎる、しかし非常に甘い、甘い誘いであった。


「……ボクの事を高く買って頂いている事については嬉しく思いますが、こればかりはエリアスに相談させて頂けませんかー?」


「そちらはどうとでもなりますわ。問題は貴方自身の意思です」


内心、冷や汗が止まらない。


これは無理矢理にでも連れて行かれる様な流れだ……。


「な、なぁ……レズンは、私と一緒に来るのは……嫌か?」


あ、コレヤバイヤツだ、と気付いたのも後の祭り。


はだけて下着の線が見える胸元や、蛇の様に唇を這う唾液の糸を引いた舌など目に入らない。


何処かハイライトの消えたこの国のお姫様の翡翠色の瞳は、レズンの中性的な顔を映して外さなかった。












久しく飲んだ茶の色は緑であった。


かつての自分……青年期の己と向かい合って座る大きな丸木より縦に切り出した一枚板の机は、父に聞いたところによると数百万円はするそうだ……最もこの机は父が子供の時からあったもので、その時は……天板を二桁万円で祖父が購入したものらしい。


「さて、君……と言っても未来の俺と言える訳だが、恐らくはあまり冗長なのは自分が話すのは兎も角、聞く方は好きでないだろう。故に、本題に真っ直ぐ入らせて貰おう」


あの当時は既に珍しい、なんの機能も無いただのメタルフレームの眼鏡を掛けた自分がそう切り出した為、構わない、と先を促した。


「君がここに呼び出された(・・・・・・)のには当然理由がある……最初に生まれ変わった時に会った、いや、話した者から言われた事は覚えているか?」


……何だかんだ、生まれ変わってより8年というのは長いもので、すっかり俺はあの魔術が跋扈する世界に馴染んでいたな、と、最初期の頃を懐かしむ。


「……前世界最後の存在として、新たに発展を始めた地球に生まれ変わり、私の思うが侭に生きよ……だったか?」


覚えているものだな、と感心した様な息を漏らした彼は、果たしてそれは?と、疑問を投げ掛ける。


「果たしてそれを、君は十全に達していると思うかね?」


……正直気にした事は無かった。何故なら……。


「……己の意思がまま、と言われてもな。その通りにしているとしか……」


「いや、それが真に君の意思なのか、という事だ」


流石に話の意図が掴めず、頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。


「お前は……俺に言付けをしたヤツに拠れば、どうも周囲の状況だけ(・・)を理由にして生きている様に見えるとな」


ごとりと湯呑みが机に置かれる。


「漫然と、ただ時が過ぎるのを待ち、作業として人生を歩んでいるのならば、わしも何か考えなければならない、だそうだ」


「……」


……多少、自覚があった。


最近は何だか自分が希薄な気がして、どこかぼんやりと外から自分を見ている様な……そんな感覚でここのところか、アルタニク伯爵領から帰って来てから感じていた事だった。


「いい意味で、君は世界を壊さねばならない……と、単に言われても到達点が分からなければ動き様が無いだろうから、ヒントはくれてやろう」


そう、そうだ。俺はこうして自分はされるのが嫌いなのに、こんな勿体ぶった話し方ばかりしていた……本性を隠す為に。


「お前のそのおままごと(・・・・・)みたいな世界には危機が迫っている。その為には世界規模で、文化力、技術力、軍事力……つまりは、レベルを上げなければならない。出なければ対処出来ない大きな問題だ……今言えるのはこの程度か、曲がりなりにも俺だ、精々上手くやるのだな」


一々上から目線に腹を立ててはならない……内面を知っていれば余計に、だ。


「……ああ」


攻撃性は劣等感の裏返しだ。


そうだ、若い頃は余裕が無くて、いつも周りの顔色を伺う様な事無かれ主義みたいな人付き合いばかりしていた。


見下さなければ生きられない、酷く弱い人間だった。少し……他人よりいろいろな事を思い付くだけの。


今はどうだろう?


そんな癖は歳とともに消え去ったのだが、確かにあの頃の自分はエネルギーに満ち溢れていた。


反骨心というか、何か世界を変えたい、歴史に自分の名前を刻みたいという自尊心に似た自己顕示欲が心も身体をも支配していた様に思える。


その分嫌な奴ではあったが、前に進む力は非常に強烈だった。


あの頃の燃料はそんな理想というか執念というか、今から思っても我ながらイかれていると思える様な自己顕示欲だ。今の俺には……特に無い。


今の俺はかなり、いや、人生で最も落ち着いている状態なのかもしれない。


でなければこうして感情も波立てずに思考する事など出来なかったに違いない。贔屓目に見ても俺は短気な質の人間である筈だからだ。


母親が酷いヒステリー持ちだった。


事ある毎に顔を真っ赤にして叫んで、周りに当たり散らす。


人間としてはお世辞にも出来ているとは口が裂けても言えないが、教育だとか生活環境、栄養状態などの部分を最後の最後まで維持して、俺のポテンシャルを維持する事を担ってくれた点については本当に感謝している。


だがやり口が汚くて、どうも俺が本当に気にしていた所というか、自分ではどうしようも無い様な点を延々と突いてくる様な嫌がらせが好きだった……そこからだろうか、変に自分の欠点を気にし始めてしまったのは。


分かっていても繰り返し延々と掘り返し続けられれば心に響くというのは本当の事だ……良い事も、悪い事も。


増幅された劣等感という巨大な弱点を庇う様に、俺の心は刺々しく、虚勢をひたすらに張るようになった。


己を大きく、相手を低く、繊細な心に相手が近づいて来ない様に辛辣に……この行動はその時、完全に自分を作る一部となっていて、自分では切っても切れない、曲げても曲がらない様な真の様な物と化したのだ。


それは今も俺を形作る一部であるし、劣等感もほぼ薄れた現在であっても、余程の事がなければ変わる事もないだろう。これは既に性とも言えるものである。


……話が横道に逸れに逸れてしまったが、今の俺には動機、つまり行動する為の燃料が無いのだ。


俺が成したい事?俺の泉は既に枯れかけている、そんな人生を賭けて臨む様な命題を乗り越えられる程の意欲は湧いては来ない。


「……まあ、それを探すのも悪くは無いかも知れんな」


すると夢の中の我が故郷は解ける様に崩れて……光が差し込んだ。










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