銀と彼女の邂逅
日常回・・・になるのですかね?
既に時は夕刻に近い。日が僅かに傾き始めた頃である。
「此処が貴方の部屋となります」
そう言って案内されたのは、先程戦闘を行ったアリーナと同じ敷地内にある洋館だった。中々に大きな建物。某国の国際司法裁判所を彷彿とさせる外観だ。装飾の類は数ランク上と見えるが。内装も豪奢で有りながら嫌味にならず、寧ろその精緻繊細な装飾は、シックな雰囲気を引き立てていた。
さて、その洋館こと学生寮である。この寮は元来、中央から訪れる身分の高い貴族、各地の領主の子息子女の為の寮らしい。庶民階級の子が生活する寮は別に存在し、同じ学内で生活しておりながらも、其処は線引きされているとのこと。身分差から発生するトラブルを回避するには良いのではないだろうか。
それから、貴族階級以上の身分の者は、俗に言うミドルネームを持っているらしい。其れで判別が可能、分かりやすくて結構である。
・・・俺も身分的には庶民階級なのだが。
エリアス・スチャルトナというのが俺の今の名前。ミドルネームの欠片も無い。家は其れなりに裕福だった気がしないでも無いが、使用人などは居らず、家事も母が主に仕切っていた。其処の所を疑問に思った故、此処まで案内した後にそんな話をして来たケイト女史に問うてみた。すると彼女は小さく嘆息し、
「貴方を其方に放り込んだりしたら・・・」
と語り始めた。
理由の一つには先ず、この容姿と能力。向こうの浴場を初めとした生活空間は、基本的に共同使用で、自ずと他人との接触が増える。すると色々とバレてしまう確率が高くなる。では最初から接触する人間を絞ってしまおう、との事だった。まあ一理あるか。寂しいけど。何と無く人肌恋しくて、ワイワイガヤガヤ生活するという事に期待していたというのは此処だけの話。
二つに、俺はシレイラ・スチャルトナの娘であるというのが理由とのこと。どうやらうちの母は庶民階級出身でありながら、巷ではかなり名前の知られた身であるらしい。あの一年中ニコニコヘラヘラ時々キリッ(ドヤッ)のあの母親がか。一体全体アレは何者なのやら。と、まあそんな有名人かつケイト女史の旧友の娘には其れなりの対応というものが要求される、ということだろう。別に俺はそんな物や要求などしていない。社会とか風聞とかそういうものが要求しているのだ。まあそのお陰でご立派なお部屋に一人暮らしだ。齢八歳にして。普通の八歳児は一人で身の回りの世話は出来るのだろうか。
「食事、洗濯、掃除に関しては、此処に常駐している使用人に申し付けてください」
との事だった。基本的な家事をしてくれるのなら然程心配は無いか。あくまで俺は、だが。俺は大丈夫なので他の人間の事など知ったことではない。どうせ専属のお世話係などが居るのだろう。貴族だし。きっと金持ちだし。
さて、部屋の事だ。
洋館の中央の玄関から入ると、先ず目に入るのは大きな木造の階段。赤い絨毯が敷かれている。成る程、玄関ホールは吹き抜けになっているのか。三階建ての建物でありながら、天井はかなり高い。1フロアの天井が4m半程もある。扉も木製ながらかなり巨大で、重厚そうな造りだった。その割りにケイト女史は軽そうに開けていたが。ジョイント部の造り付けが上質なのだろうか。うちの門もそうだが、扉などの細工が矢鱈と優れている様に見える。何故だろうか。割とどうでもいいのだが。俺の部屋だが、三階の洋館の正面玄関に向かって左手、その端の部屋だった。これもまた2m半近い高さの木製の重厚な扉を開けて入る。自分で動かして見たが、確かに軽かった。怪力だから、ではない。これならば、非力な6歳児でも開けられるだろう。ドアノブに手が届けば、だが。
「おお・・・」
そう声が漏れてしまったのも、我ながら仕方がなかったと思う。部屋に入ると、先ず驚いたのがその広さ。一流ホテルのスイートルームも真っ青な広さと豪華さ。高そうな卓、椅子、サイドテーブル。フカフカのカーペット。焦げ茶色に近い色合いの木を基調とし、白い壁紙と美しくも、決して悪趣味ではないシャンデリア。シャンデリアというのは装飾品としての意味合いも強いが、照明器具としても優秀な発明品だ。至る所に取り付けられた硝子や水晶は、光源から発せられた光を効果的に拡散する効力を持つ。光源としては貧弱な蝋燭を用いても、部屋中に十分な光を行き渡らせることが出来る。その分透明度の高い水晶や硝子など、この時代からすれば貴重であると思われる代物を大量使用する分、相応の値段が付いているのだろうが。
「ほお・・・」
寝室を覗くと、大の大人が二人で寝ても余りそうなベッドが一つ。天蓋付き。初めて見た。マットも思わず撫でてしまうような魅力の感触。一度入ってしまえば其の儘朝を迎えてしまいそうだ。寝てしまいたい。此の儘。が、ケイト女史の手前そんな怠惰な姿を晒すことは出来ず、それでも其処ら中を興味深げに見て回っていた姿は微笑ましいかったらしい。彼女は其の怜悧にも思える美貌に微笑を浮かべ、口を開いた。
「この部屋は気に入って貰えたましたか」
嫌にニコニコしているな。怪しい。
「えー、それで着るものなのですが」
そうだ、着替えなければならん。ヨレヨレの焦げついていて、ダメージファッションと言い張るにも無理があるような穴が空いた服を、何時迄も着ている訳にはいかんのだ。修復するにも脱がなければならないし。
「サイズが分からなかったので、まだ用意していません」
「は?」
失礼だとは、言った後になってから思ったのだが、思わず口を突いて出てしまった。いや、俺が現状一番やらなければならない事が着替えなのだが。風呂やら寝ることも大事だが、こんな煤まみれ埃まみれボロボロの服で過ごせと?寝るのは別に裸でも構わないが、この後をこの格好で過ごすのは勘弁して貰いたいのだが。其処まで思った後、ケイト女史を見やると、眉間を抑えながら言いづらそうに言う。
「いえ、申し訳ありません。しかし、サイズは既に分かりましたので、服屋の方に注文してありますので、明日の午前中には此方に届いているでしょう」
いつの間にサイズを測ったのだろうか。まあ、細かい事はいいか。
其れよりも明日までこの格好か。辛い。辛い。そして辛い。
「これしか服は持って来ていないのですが」
暗に、此れを着て過ごせと? という非難の意を込めて言う。するとケイト女史はツカツカと近づいてきて、俺の前に屈み込み、パンツの破れた部分を抑えて唱える。
「『メンド』」
手を離すと、破れていた布の部分が繋がっていたではないか。
「汚れは申し訳ないのですが、寝る前に使用人に渡してくだされば、洗濯しておいてくれるように取り計らっておきます。この埋め合わせは考えておきますので。明日の朝に少し着るだけですから、今しばし方我慢していただけますか?」
なら仕方ないな。まあ大体貴方のせいなんですけどね。
「・・・分かりました」
苦虫を噛み潰したような顔で肯定する。して、埋め合わせとな?期待して良いのだろうか。
「それで、夕食などはどうなるのですか?」
食事の事は重要だと思うのだ。
「一階の階段に向かって左側に食堂があります」
との事だった。それから、食堂が開いている時間、その日その日に依ってメニューが決まっているという事などを聞いた。
「では私はこれで」
まだやるべき事が残っているらしい、ケイト女史は部屋を後にする。すると残された俺がやる事といえば・・・なんだろう。汚れた服でベッドにダイブ?有り得ん。夕食を食べに行く?まだ早い。風呂?着替えが無い。風呂に入るならせめて替えの下着が欲しかった。
「・・・・」
そんな俺がやろうとした事。
「散策するか」
そうと決まれば早い。肩にかけていた裾が焦げて少しばかり短くなってしまったマントを、其処ら辺の椅子の背もたれに掛ける。白っぽいシャツの襟のボタンを一つ外し、先程直して貰った焦げ茶色のパンツのベルトを緩めるなどして、楽な格好になった後、入り口近くにあるサイドテーブルの上に残されていた、この部屋の鍵と思われる鍵を掴んで部屋を出る。
廊下もなかなか良い雰囲気がある。
大きな観音開きの窓と、重厚な木製の扉が並んでいる、精緻な刺繍の施された赤い絨毯の廊下は、歩いているだけで満足感がある。大階段のある吹き抜けの手すりも、光沢のある渋い感じの木製で、俺の顎ほどの高さがある。っと、よくよく見てみると、細かく蔦と葉の彫刻が施されている。芸が細かいな。
寮でありながら、此れ程迄に素晴らしい芸術性を持っているこの建物を見て回る事は、中々に有意義そうだ。
暫しの間、着替えやら何やらの生活上の問題は忘れて、彼方此方を見て回る俺であった。
そそくさとエリアスの部屋を退出したケイト・ヴァシリー校長は、小さく溜息をつくと、ざっと使用人にエリアスの事情を伝えて、校長室に戻って来た。使用人に頼み、お茶を持って来て貰い、使用人が退出したタイミングで再び、大きな溜息をつく。
「あの子の相手って滅っ茶苦茶神経使うわね・・・」
思いっ切り素が出ていた。本来、ケイト・ヴァシリーとは、そんなに丁寧な人間ではない。軍属であった頃は、何方かと言うと粗野な方の人間。今の彼女からは想像も出来ないが。逆に過去の彼女を知っている人間からすれば、現在の普段の彼女は「なんか変な物でも食った?」とでも問いたくなる事必至なのだが。
「あぁ・・・魔力量偽装の術教えるの忘れてた・・・」
割と重要な事なのだが、どうせそんな出会った人間の魔力を片っ端から見ていく様な奴なんて居ないだろうから、明日でいいだろう。と、実に適当な事を考える。
ケイトは自分が、人目が無い時、若しくはシレイラと二人きりの時にだけ素が出てしまう癖というか、習慣というか、そんなものが有るというのは何と無く知っていた。要はオフの自分だ。人に見せることの無い、気を抜いた自分。何故かシレイラ・スチャルトナの前ではポロっと出てしまうのだが、其れが何故なのかは未だに分からない。
まあ兎にも角にも、現在ケイトの思考の大半を占めているのは、シレイラが寄越したイレギュラーな事この上無い彼女の娘の事だ。今日、昼過ぎに会ってからたった数時間対面しただけなのだが、近年稀に感じる程に疲れてしまった。精神的にも、肉体的にも。肉体的な疲れは自業自得である上、体力にはそこそこ自信がある。最後のボディへの一撃はかなり効いたが、まあ大丈夫。明日から此処で生活するエリアスの寮やら食堂やら授業の調整の忙しさから昼飯を抜いていて、胃の中身が空だったのだ。其処はラッキーだった。精神的にはかなりガリガリ削られる数時間だった。アレにキレられたら一体どうなるかなど想像もつかない。多分、身体の中で対流している魔力を波動にしてぶちまけるだけで、途轍もない事になる。今度魔術を使う時は自重してもらうようにお願いしておくか。今日の突発的模擬戦では問題は皆無だったが、今後もそうであるという保障は無い。
実は、彼女の着ている服を損傷してしまった時はどうしようかと、本当に悩んだ。短時間だが、冷や汗が止まらなかった。服がまだ無いという事をどう伝えようかと、そして言い出す際に振り絞った勇気は、ここ最近で一番、いや、古代遺跡の特殊戦闘ゴーレムに挑む時に匹敵するか。それは流石に言い過ぎか。まあ、ここ最近一番の緊張だった事は間違い無いのだが。
兎に角、何事も無くて良かった。私も施設も予算も無事に今日を乗り切れそうだ。
今日もさっさと管理仕事を済ませて、飲んで寝るとしよう。
彼女は大きく伸びて、羽ペンを羊皮紙に走らせた。
「・・・何か嫌な予感がするな」
世の中、嫌な予感程良く当たる物であると相場は決まっている。
俺は今、非常に気分が良い。今迄訪れた建物の何より興奮したかも知れない。ただ学生寮で此れなのだから、王都の方に行ったらどうなってしまうのだろうか。いや、王都もそうであるという保障は無いが。芸術を鑑賞するというのは、実に良い。特に、生活に密着した芸術という物は、非常に興味深い。そして、至る所に垣間見える製作者の拘りが、其れを見る楽しみを更に引き立てる。自然の美も大した物だが、こうした造形美というのも素晴らしい。人間が好むように造られているのだから、それはそうなのだが。
「...you don't seem so far at all...」
前世、何処かで聞いた歌を口ずさむ。
「...and I heard this calling...」
別に意味など考えず、メロディが好きだっただけの洋楽。バンドの名前も曲名も思い出せない、唯の英詩。
手すりに背中を預け、目を閉じて歌う。其れがただ気持ちよかった。
しかし、其れを妨げる者が一人。
「あなたは・・・」
薄いピンクの布面積が広いドレスのようなものを着た、昼間何処かで見た、気の強そうな女の子が其処に立っていた。
ツィーアは狼狽えていた。
目の前に居るのは、先程校長と互角、いや、それ以上の勝負を演じた少女。その子が、聞いたことも無い、まるで魔術の呪文の様な調子の歌を歌っていた。意味は全く分からないが。して、よくよく見てみるとだ。髪の色はと異なるものの、昼間、真人教のあの男を吹き飛ばした少女ではないか。忘れる訳も無い、恐ろしさが先立つ様な美しさを持つ容姿。歌を奏でるその艶やかな唇が動く様子に、思わず目を奪われそうになる。彼女は掛けた声に反応し、歌を中断し、ゆっくりと眼を開ける。歌はもう少し聞いて居たかったなぁ、と思うツィーアであったが、次の瞬間にはそんな考えも吹き飛んでしまった。
彼女は穏やかに微笑んで居た。
其れは其れは魅力的な笑みだった。昼間や、アリーナで見かけた時の無表情からは決して結びつかない様な微笑み。完全に見惚れてしまった。
「・・・偉大な芸術とは、芸術的才能による純粋な魂の表現である・・・」
彼女の弧を描いた唇が、唄う様に言葉を紡ぐ。突如放たれた、聞くだけで背筋がゾワゾワするような耳当たりの良い声。
「此処は良い場所だな、此処を造った人は嘸かし優秀な芸術家だったのだろう」
まるで男の様な話し方だった。しかし、其れは彼女の雰囲気を壊すものではなく、寧ろ不思議な印象を与えていた。
そう語ると、名も知れぬ美少女は此方に歩み寄ってくる。そうして、あたしの目の前、手が届きそうな所で止まった。思わず後ずさってしまったあたしは悪くないと思う。きっと、誰でもそうなる、と思う。
「エリアス・スチャルトナ」
そう告げられたのが、彼女の名前だと認識するのには数瞬の時間を要した。
そして彼女は、君は?と問うて来る。
「あ・・・ツィーア。ツィーア・エル・アルタニクよ・・・」
そう、と言うと彼女は少し、苦笑したような笑みを浮かべた。
「君は貴族だろう。平民である私にそんな態度をとっては、色々と宜しくないのではないか?」
そう指摘されて、はっと我に返る。よく思い返してみると、告げられた彼女の名は庶民、平民階級の其れであった。仮にも貴族という支配階級の者が、平民に無様を晒したのだ。
今更ながら、その事に気づいて顔を赤らめる。まだ心中穏やかでは無いが、其処は自らの貴族としての意地とプライドで抑え付け、表情も引き締める。此れで、何時ものあたしに戻れた・・・と思いたい。
さて、正気に戻った処で改めて彼女の姿を見てみる。
はっきり言って見窄らしい。
ヨレヨレのくすんだ白いシャツをだらしなく着、焦げ茶色のパンツはお世辞にも清潔感が有るとは言えない。こんな格好でこの寮を歩き回るなど、其れこそ社会的自殺行為、無頓着にも程があるというものだ。寧ろ、こんな格好でもその美貌がくすまないというのは、褒めるべき点なのか、嫉妬すべき点なのか。
此れから夕食に向かう所であったが、流石にコレは放って置けなかった。
「ちょっと来なさい」
彼女の手を引いて、自室へ戻る廊下を行く。王宮の客間にある寝台に使われている、最高級のシルクも格やと思われる様な感触だった。
「・・・?」
後ろで困惑する雰囲気を感じるが、この際捨て置く。ギョッとする使用人の傍を通り過ぎ、自室に彼女を連れ込んだ。
彼女を部屋に連れて来ると、直ちに待っているように指示、クローゼットに足早に入り込み、目当てのドレスを引っ張り出す。自分には決して合わない様な色合いの代物。ただ持っているだけの物から、彼女に合いそうな一着を選ぶ。黒を基調に、赤で淵など所々が飾られた、深いスリットが入った細身のドレス。あたしは髪の色を初めとした雰囲気からして合わないし、大胆なスリットが恥ずかしくて着たことは無い。この際似合いそうだし、折角なのであげてしまおうという寸法だ。
「はいこれ」
そう言って引き摺り出して来たドレスを押し付ける。彼女は完全に状況を飲み込めていない様で、正に困惑の極み、とでも言うべき様子だ。
「着るのよ!」
ウジウジしていて中々行動に移そうとしないので、もうあたしが脱がす。彼女のシャツの前のボタンを超速で外す。自分でもなんでこんな早さで外せるのか疑問なのだが、出来るものは出来るのだから仕方ない。シャツの下には何も着ていなかった。汗で透けたりしたらどうするのだろうか。乙女たるものを教育してやらねばならない。ブラ?喧嘩売ってんの?素肌も撫で回したくなる事必至の、白磁の様だ。が、今重要なのは其れではないので、理性を振り絞る。パンツは流石に自分で脱いで貰った。余談だが、下はきちんと履いていた。実は少しほっとしたのは此処だけの話。
「おいっ・・・!?自分で着るから!?」
「どうせ着方も分からないでしょ!大人しくしなさい!!」
どうやら今日の夕食は遅くなりそうだ。
文字が抜けていたり、これ日本語おかしーよって所がごさいましたら、ご指摘ください。