閑話 神器(1)
結局また一ヶ月以上開いてしまいました。
コレが恐らくは年内最後の更新となります。
気付けば何だかんだ、一年半近く更新を続けております。多分途中で飽きるかなぁ、と思っていたのですが、ここまで続いているというのは自分でも不思議な気分です。
今日はクリスマスですね。
クリスマス特別話等は考えていませんが、是非良いクリスマスをお過ごしください。
有機的に思考する鉄の怪物。
私が初めて間近で見た古代兵器は、そんな感想を私に抱かせながら、目の前を甲高い駆動音と共に土埃を巻き上げて走って行った。
1414年9月末。私はデュースケルン南東、シーゲン郊外に布陣するアルタニク伯爵領軍と共にあった。
主が元を離れ数日・・・偵察によると、子爵/男爵領軍も、水平線の向こうに布陣しているらしい。
観戦武官の立場を貰ってこの場に立っている私は、この戦いを見届けねばならない・・・荒っぽい場面には幾度と無く遭遇した事がある私でも、流石にこうした紛争・・・大規模な、人間同士の武力衝突ともなれば、流石に初の経験である。
軍というものを、集団戦たる物を見る良い機会だろう・・・見晴らしの良い場所も与えられている事だからな。
と、丘の上、馬上から全体を俯瞰している訳だが・・・まあ、あまり期待はしていない。
本命はラクシア軍が持って来た、5両の大きな箱を背負った"戦闘車両"だ。
この何個も車輪が付き、その周りをぐるりと鋼のベルトが覆っている代物、履帯というらしいそれで動く是等の正体・・・メルというアドバイザーの話からすると、古代では前進する自軍を支援する自走砲、という種の兵器らしい。
中でもコレ、名を重火炎放射しすてむという・・・は、自走ろけっと砲?という風に分類されるという・・・広範囲に短時間で強力な破壊を齎す事が出来る、対象は主に歩兵だとも来れば、今回の戦闘にはうってつけの代物なのかも知れない。
まあ、アルタニク伯爵領軍側はあまり間に受けてはいない様だ・・・しっかりと戦う準備は整えている。
兵力こそ劣ってはいるが、戦力乗数・・・武器の質、戦術の巧拙、補給の状態、兵の士気等を全て含めた、軍としての戦闘力の総量・・・で見れば、あまり大きな差は付いていないだろう。向こうは遠征軍で、此方は防衛軍だからな。
丘を挟んだ反対側・・・アルタニク伯爵領軍の背後には、ラクシアの自走ロケット砲が、天に向かって鎌首を垂れている・・・果たして、"ろけっと"がなる物が如何なる代物なのかは分からないが、まあ、戦況に上手く寄与してくれる事を祈る・・・不味くなれば逃げるだけだ。
そろそろ始まる頃合いだろう。
こちら側が実質投入出来る兵力は、街の警備その他を除いた4500名程。相手は・・・目測になるが多分全体では1万と2〜3000程度、その内戦闘要員は7500名前後だろう。
先にも述べた通り、戦力値的にはそう大きな差は無い。相手は遠く離れた地から、律儀に途中の街での略取等もせず、自前の補給でやって来た軍だ・・・継戦能力には限界がある。
逆に此方は本拠地に近い。いざという時は籠城から何やら、と取れる手も多く、補給も容易だ・・・この為、軍全体に於ける戦闘員の比率は高く、士気も旺盛だ・・・普通に戦ったとしても、良い勝負はするだろう。
・・・と、斜め下方・・・馬が無ければ目線が合うであろう人物が二人・・・少し離れた場所に立っている。
一人は色白かつ金髪・・・特徴として耳が長く長命な事で知られる、ヤールーンを代表する魔族の一種・・・長耳族、エルフだ・・・不健康な印象さえ与える、その細身な身体をピンと立て、他の種族を圧倒する視力を誇る瞳を、眼下に広がる陣地へと向けていた。
一人は男、一人は女。どちらも背に細いロングボウと矢筒を背負い、何かを小声で話し合っている。
彼らはヤールーンから送られて来た観戦武官だ。今回の戦いの結末を本国に伝える任を負っているらしい。
なら何故、排他的、他民族とはまず関わる事を嫌うと言われているエルフの二人がやって来たのかは、魔王陛下の人選を流石に疑う所だが、恐らくは何か目的が他にあるのかも知れない・・・。
勿論、彼等はアルタニク伯爵領側との会話も最低限・・・同じヤールーン国民であった筈のミムルや私にすら、一切関わろうとしない・・・そういう種族だから仕方が無いのかも知れないが。
もう一組、観戦武官が居る。
プラチナブロンドの髪を吹き曝し、全身をまた重たそうな金属鎧で覆った貴婦人と、軽装ながらも、薄着に筋肉がめり込んでいる様な身体と、長大なバスターソードを背負う男の組。
ハノヴィア帝国軍、第六重歩兵旅団旅団長、ボルグヒルト・ゼン・ローセンダールと、第十一混成旅団旅団長、エドヴァルド・レン・ホーケンである。
彼等は戦人の間では有名人だ・・・重装の貴婦人の方、ボルグヒルトは、手負いで半狂乱と化した飛竜を、投槍の一撃・・・槍と言っても、細いパイクの様なそれでは無く、重装騎兵が使う様な極太のランスをブン投げて仕留めたという・・・因みに肉体強化以外の魔術を一切使わず、だ。単なる力押しで飛竜を撃ち抜いたという武勇を持っている・・・そこそこ出来る奴。
男の方、エドヴァルドはもっと単純・・・そのランスを装備したボルグヒルトと素手で勝負して互角に勝負をしたというだけ。
体術もさながら、パワーに関してなら肉体強化状態のボルグヒルトにも引けを取らないらしい。本人は魔術師では無いにも関わらず、だ。
で、彼等はそんな実力でハノヴィア帝国軍内を駆け上がって出世し、旅団長にまで登り詰めたのだが・・・本人が強くとも、戦術眼が無かったという。
色々とハノヴィア帝国軍側でも手は尽くしたというのだが、残念な事に彼等は脳味噌の一欠片に至るまで筋肉達磨であった・・・要は、教本を、まず文字を読めないタイプの奴だった。
なら、実際に見て来いと送られて来たのが、彼等、という話しになるのだ・・・そう思うと、あまり威圧感も感じられない・・・武人としては、いつか手合わせを願いたい所ではある。
「・・・失礼だが・・・貴女はヤールーンの武官か?」
視線は向けずに居たのだが、意識を向けていた事を悟られたらしい・・・大した勘だ。
「・・・いや、ヤールーンのはあっちのエルフだ・・・私は・・・アルタニク伯爵の個人的な繋がり先からだ・・・ああ、馬の上から済まない」
「いや、そのままで構わない・・・そうだったのか・・・いや、かなりヤりそうな者が居ると思ってな。一体何処の物なのか、興味が湧いたのだ」
語りかけて来たのは、女の方、ボルグヒルトだ・・・同姓の方が話し易いと思ったのだろう。エドヴァルドは遠目に此方を見ているだけだった。
「あのボルグヒルト殿からその様な言葉を頂けるとは光栄の至りだ・・・我が主への良い土産話になるだろう」
「ふっ、心にも無い事を・・・闘りたくて闘りたくて仕方ないという目をしているぞ?お前は」
そういうお前も、盛りのついた雌犬の様な表情をしているがな、と心の中でのみ毒突く・・・間違い無く、コイツも戦闘狂い・・・平和の中では生きて行けない、出来損ないのイキモノ。
・・・私の、同類。
「スィラ・レフレクスだ・・・さる人物の奴隷・・・いや、勘違いして欲しくは無いのだが、私は現状に満足している。我が主は良くしてくれるからな」
奴隷、という所でボルグヒルトの顔が険しくなったのを見、主の名誉の為にも言添えて置こう。
「スィラ殿、か・・・改めて自己紹介をする。ボルグヒルト・ゼン・ローセンダールだ。しかし、貴女ならばもっと良い身分に落ち着く事も出来る筈だ。いくら貴族の元とはいえ、そんな身分で居られる様な器では無いと思うが?」
「一つ訂正しなければならん。我が主は庶子だ・・・だが、彼女は強い。この国の貴族とは違う。賢く、強く、そして・・・時々愛らしい、年相応の少女の面も持ち合わせる・・・不均衡な、だが整え切られた美しい生き物だ」
我が主は愛らしい。
窓辺で街並をぼんやりと眺める横顔、酒場で語らう時の大人びた微笑、組手の時の真剣に引き締められた口元、初めて目にするらしい食べ物を見た時に鳴らす鼻筋、魔術を研究している時の丸く大きく輝く興味深気な瞳。
バッサリと荒々しく切り捨てられながらも、磨き上げた銀の如く輝く髪、その髪を梳く小さくとも恐るべき剛力を誇る御手、子供らしく膨らんではいるが、既に女らしく細まりつつある腹、光を照り返す程滑らかな肌と、その下で脈動するしなやかな筋。
口調は偉そうかつ威圧的なのにも関わらず、この世に存在するあらゆる楽器を凌いで人々を魅了するであろう声。
産まれながらにして、何をこれ以上求めよというのか、と思える程、同じ女として見ても嫉妬する事すら無駄だと、反意すら起こらない圧倒的な存在だ。
最近はツィーア嬢に取られてしまっていたが、夜は時々同じベッドで寝る事もある。
最初こそ、寝相と共に殺されかねないと怯えつつ同じシーツに包まったものの、最近は此処ぞとばかりに彼女の温もりを満喫させて貰っている・・・毛が無いことが少し気になるが、娘が出来ればこんな感覚になるなのだろうか・・・まあ、本当に、あんなに小さいのにも関わらず中身がアレであるのは、いくら精神的な成熟が早い女の子でも異常・・・あのツィーア・エル・アルタニクか、カルセラ・コウ・エーレン・ベルギアの方が、まだ可愛げがある性格をしている。
「・・・そうか、それはいつかお目通りを叶いたいところだ。僭越ながら、スィラ殿が主の名を伺っても宜しいか?是非、正式にご挨拶に参りたい」
口ではそんな事を言ってはいるが、彼女の瞳の奥に燃える義憤と欲望を見て仕舞えば、会った瞬間に何をするか分かったものでは無いが・・・まあ、鬱陶しそうな主を見るのもまた乙な物だと思う。
「エリアス・スチャルトナだ・・・エルクに来れば案内くらいはして・・・」
・・・どうやら敵陣に動きがあった様だ・・・アルタニク伯爵領軍が俄かに動き出した。
観戦武官の全員が、これから始まらんとする戦に心身を惹かれる・・・何せ、ここ十年程見なかった様な、人間の正規軍対人間の正規軍の戦いだ・・・同族の殺し合い程、エンターテイメントに富んだ出来事は無い。
だが、その期待は裏切られる事となる・・・。
陣形を整え、いざ激突せんと睨み合う両軍。
魔術師ラインが魔力の収束を始め、兵が槍を構え、馬に鞭打たんと騎手が高らかに拳を掲げたその時。
・・・丘の背後から、数十筋の光が、甲高い風切り音と共に、私達の上を飛び越えて行った。
ラクシア軍陣地から立ち昇る煙と、飛び出す光。
大きく放物線を描き、敵陣に殺到するそれが・・・その上空で爆ぜた。
そこから奏でられるは、地獄の黙示録とも例えるべき光景。
立ち昇る赤炎と黒煙。薙ぎ倒される兵士。
直に炎に触れずとも被服に火が付き、もがき叫びながら転がり回る魔術師らしき者。
ふと、主が漏らしていた一言が脳裏を過る・・・。
「"・・・サーモバリック兵器と言ってな、ラクシアの自走ロケット砲に満載されているヤツなのだがな・・・知っているか?スィラ。爆発による死傷はな、直接の炎よりも、発生した爆風・・・超音速の衝撃波で内臓器官やその他構造を圧壊させられた結果による死者の方が多いのだよ・・・まあ、そんな大規模な爆発に巻き込まれる機会等、この時代では滅多に無いだろうがな・・・"」
単に薙ぎ倒された様に見えた、弾き飛ばされた様に見えた兵士は・・・確かに、二度と起き上がって来る事は無かったのだった。
果たしてアルタニク伯爵領軍側も動揺が酷い。
何せ、これから戦おうとしていた敵軍が突如轟音と共に散り散りになり、化け物の様な業火が立ち昇っているのだ・・・恐怖と混乱に任せて逃げ出さないだけでも、褒められるべきだろう。
「・・・戦闘とは言え無いな」
魔術師の火属性魔術なら良い。まだ相手がいるという事が分かり、抵抗する手段も幾つかならばある。
だが、コレは・・・どうすれば良い?
私よりもショックが大きいのは、ハノヴィア、ヤールーン陣営の各二方だろう・・・何せ、その正体すら知らないのだから。
言葉も出ず、ぽかんと口を半開きにして目に炎の赤を映す彼等を見て、何となく思う。
「・・・時代が変わる、という事か」
果たして主が伝えたかった事。それの真は定かで無い。
しかし・・・"取り残されるな"と。一つ、彼女の目が語っていた様に思えた。
薄緑く濁った北の海。
吹き付ける、強く、冷たく、湿った風。
あの海の向こうには何があるだろう?と、こうして海へと漕ぎ出た船乗り達は皆、そんな冒険心を擽られたであろう水平線には、今正に茜色の太陽が、その半身を沈めようとしていた。
「・・・あまりにやる事が無いと、こうして余計な感動をまた覚えてしまうというのも、人の悪い所だな」
海水を被り、黒く染まった木の手擦に寄り掛かり、ほぅ、と息を吐く小柄な少女が、甲板に長い影を落としていた。
「感動するのは良い事じゃーないの?感性が豊かになるし・・・何より、まだ生きていたい、って思えるよ」
その足元、弩砲の架に座込み、彼女に背を向けて、何やら楽し気に語る赤毛の・・・少女かと見間違える程、中性的な端正さを持つ少年。
「阿呆か、私は何もするべきでない人間だ・・・龍が羽ばたけば草木が薙ぎ倒れる様に、私もまた下手に身動きをすれば、周りの物が一々壊れる・・・それが、世界中を回りたい、等考え始めるなど悪夢でしか無いだろうが」
「そーう?力ある者が好き勝手するのは、この世の法則かつ、真理だと思うんだけどー・・・力は、自分を阻む何かを取り除く為に使う物でしょー?それにー・・・」
金然り、武力然り。彼は有れば使うべし、己が為に、と嘯く。
「・・・ボクの邪魔をする様な奴らで、配慮を要する奴なんていないよ」
ギロっと彼の瞳が、エリアスの横顔を捉える・・・己が人生の・・・いや、彼は吸血"鬼"であるから、"鬼"生と呼ぶべきかもしれない・・・邪魔者はお前だ、と言いたげな瞳である。
「・・・その理屈で言うと、私がお前を踏み付けて自由を享受している現状に、お前は納得しなければならないという事になるな?」
つんつんとブーツのつま先で彼の腰を突きながら、ニヤリと悪戯娘の様な笑みを浮かべたエリアスと、ぶすっとした顔で腕を組むレズン・・・その光景が可笑しかったのか、少し離れたマストの根元に束ねられた縄に腰掛ける小さな存在が笑う。
「私的にはレズンの意見に賛同ね。どっちかというと、エリアスには色んな所を引っ掻き回して欲しいし・・・エリアスがする事全てに意味が、効果が、被害が、価値があるなんて・・・そんな生き物、他に居ないし」
最近露骨に欲望を垂れ流し始めた、己を取り繕う事を辞めたニーレイ。
そんな彼女に、エリアスも大きな溜息を吐かざるを得ない・・・あまりの豹変ぶりに、未だ慣れ切れていないのだ。
「・・・私がこんな思いをしているのは、8割方お前の所為なのだがな、ニーレイ」
その瞬間、彼女の身体がブレた。いや、搔き消えた。
「おげぇっっ!!?鷲掴み!!鷲掴みダメぇ!!絶対ッ!!!」
脳の処理能力を跳ね上げる魔術・・・というよりも魔力操作的な術だが・・・『思考加速』と名付けたその技術だが、彼女は既に使い熟しつつある。
「恨むならその非力かつ小さな身体を恨め・・・む、転移で逃げるのは狡いな」
手のひらの中から燐光と共に消えてしまったニーレイが、弩の弓の上に現れたのを見、そんな事を漏らした。
『思考加速』の効果は絶大だ。単純に計算速度、思考速度が倍になる為、考えごとなど一瞬、大抵の事ならば瞬きする間に済む。
勿論、頭を使う場面だけでなく、身体を使う場面でも、この術は凄まじい効力を発揮した。
身体能力をほぼ100%引き出せる・・・運動能力に思考が追い付くというのは、想像する以上に凶悪な能力だ。
人間というのは通常、身体能力、思考能力他、様々な機構に制限が掛かっている。
これは単に己の力で自分の身体を破壊しないようにする為の、本能的な配慮なのだが、例えば極限まで身体を鍛え上げた者・・・あまりのパンチ力により自分の拳が砕けてしまう様なボクサーとて、果たしてその拳を己が知覚して操り切れるか、と言われるとそれは難しい、いや、無理だろう。
それが可能なのは限りなく続けられた反復演練と勘、恐ろしく曖昧な感性が、瞬間的に吹き出した脳内麻薬が引き起こす、命令系統の誤作動が編み出した奇跡であるからだ。
もしそれらを意識的に引き出す事が出来れば・・・まあ、後のことは考えないとして、果たしてどれ程の出力を叩き出す事が出来るか、想像だに出来ない。
それはエリアスの様な、元からの身体能力が何か設定ミスでもしたかの様なスペックを持つ者からすれば顕著で、もし仮にエリアスが本気で足を回してスプリントしようものなら・・・神経が命令を足に伝えるよりも速く足が動いてしまうが為、上手く走れないという事態が発生する。
まあ、神経を伝わる電気信号の速度の関係で・・・光の速さとは雖も、タイムラグがあるのは仕方が無いが、それでも身体の動きにアタマが追い付くという事の恩恵は、あまりに大きい。
事実、『思考加速』発動下のエリアスは全速力で、滑空では無い、本当の駆け足をする事が可能となっている他、今までは不可能であった様な高速運動・・・剣戟のみでレズンに追従どころか、一手二手先まで先回りする、そもそも相手が剣を振る前に一本打ち込む程度の事は、特に難しい事でも何でも無くなってしまっている。
特に、足音一つ立てず、瞬時に飛び掛かって鈍くさい妖精を捕まえる程度、何の事でも無いだろう。
「傍目から観るだけなら、ちょっと目が良いヤツだったら誰でも分かるよー?・・・問題は、ソレと相対した時に判断して、適切に反応して対処出来るかって事だからねー・・・それは難しい」
レズンとて何時もあんなふざけた調子でいる訳でも無い。
鍛錬をすると決めれば鋭く物事を分析し、演習し、研究する・・・武を嗜む者として、そこはやはり譲れないのだろう。
「・・・レズンはスピード・ファイターだろう?なら、もっと不意打ちや・・・それこそ、背後から突き殺す様な技術をもっと学べば良いだろう?・・・序でに証拠も残らない様に、な」
エリアスは彼に、言うならば暗殺者の気を見出していた。
間者、隠者、情報員、スパイ・・・それを指す言葉は多けれど、その資質、能力を持った者は少ないだろう。
本人達が常に隠し続けているというのもあるだろうが、気配を消すという行為・・・吸血鬼だからこその能力もあるが・・・彼は高い隠密能力を持っていた。
だからこそ、彼は街中で誰にも勘付かれる事無く血袋を漁れた訳であるし、さる目的の為、歳若い女性を拉致する様な事も・・・彼が美形であったというのもあるかも知れないが・・・出来たし・・・。
「何せ、私達をこっそり奴隷にしようとした《・・・・・・》船員に勘付いて、全員撫で斬りにした上で、船長を傀儡にして聞き出した、この件の関係者全員、一夜にして鱶の餌にしたのだからな、1日の間私にも気付かれ無い様にして」
そう、どうやら・・・船長以下数名の船員の間で、このツィーア・エル・アルタニクが客人達を、身の程知らずにも奴隷として操ろうとした者達が居た。
彼等にはエリアスが如何なる身分の者なのか、どの様な人物なのか、一切の説明が為されていなかったのだ。だが、薄っすらと高貴な身分であるという事は・・・見目麗しさと付いている従者の存在、伯爵自ら見送る程の相手、という点から容易に推測出来る。
おまけにこの従者は奴隷でかつ・・・とんでも無い美形であった。
美形の奴隷、男であろうが女であろうが、その値段は正しく"目玉が飛び出る"様な額が付けられている。
金持ちの高級性奴隷から、物好きなお嬢様が作る美形だけの男性騎士団。需要は多くとも、その供給量はたかが知れている。美形は希少なのだ。
と、言う事は、だ。この娘、少女は尋常では無い金持ちだと考え付く。
さて、この一行は見れば、線の細い少年従者に連れられた幼い少女という・・・まあ、見るからに御し易そうな組であった・・・全身真っ黒な光沢に包まれた女はよく分からないが、女性という事は分かっていたのだから・・・まあ、夜間にさっさと奇襲して仕留めて仕舞えば良いだろう、と。
さて、まず奴隷化というのは魔術的契約である。意思を縛り、己の意に反する行動を制限するシステム。
金を出せと言えば金を出さざるを得ないし、誰々に口を聞けと言えばそうせざるを得ない。もし腕が立つのなら、戦えと言われれば戦わざるを得ない・・・契約の強度によっては、非常に都合の良い存在となる。
さて、話は少し逸れるが、エリアスとスィラ、レズンの関係では、スィラは現状、極低強度な契約が結ばれているが、レズンに関してはかなり強固な契約が結ばれている。
スィラはかなり自由に行動出来る。実質制限がない状態で、ただ一つ、主は隷下の彼女の凡その位置を何時でも把握出来る程度の効力しか持たされていない・・・それだけ信頼され、かつ期待されているという事だ。
逆にレズンは何かに付けて力を制限されている。
例えば魔力。彼は現状、エリアスの許可無しに魔術を行使出来ないという制約が課されている。
これは彼の魔術師としての能力、攻撃力が非常に高く、周囲への影響が大き過ぎるという点から設定された物だ・・・エリアス自身は兎も角、周りの物をぶっ壊されまくっては堪らない。
他にも一定以上の距離、自分の側を離れる時は必ず申告しなければならないだとか・・・他にも、彼を縛る決まりは細かく取り決められている・・・。
・・・甲板の端で体育座りをしている、真っ暗な装甲服姿の女性については、そもそも自らの意思が極めて小さな状態であるからして、特に縛る必要も無い・・・無意識領域下で、エリアスに従わざるを得ない様に仕組まれた彼女は、奴隷よりももっと酷い立場にあると言えるかもしれないが・・・本人はそれを認識する事すら出来ない故、苦しみは無いというのが救いだろうか。
「・・・ちょくちょくポイント稼いどかないと、ボクはキミが死ぬまで自由になれないしー・・・さっさとやる事やって、故郷に帰りたいからさー・・・」
そうか、と何時も通りの彼女の返事・・・しかし、ふと思い立った様に首が傾く。
「・・・おまえは、人間の部品を大量に集めていたそうだが・・・一体何をしたかったのだ?」
そう、彼は餌にした人間の部品・・・主には内臓類をだが、瓶詰めにして保管していた様なのだ・・・。
「・・・それを言って、何かボクが嬉しくなる様な事があるー?」
当然、遺体は全て埋葬・・・どれが誰のだかは全く分からない状態だったので、纏めてではあったが、処分された。
その目的は勿論何度か問われてはいるのだが・・・強情な事に中々口を割らない。
また、彼は雇い主であったレグロ・アルタニクとの間で、とある物品による報酬を受け取ろうとしていた様なのだが、その物自体の正体も明らかとはなっていない・・・。
「そうだな・・・食事を海水スープから、鶏ガラスープくらいにしてやろうか?」
「やったー・・・って、考えて見たらボク、そんな物でこの数日生きてるんだよねー・・・」
ガックリと肩を落とし、なんだかお腹減ってきたー・・・とぼやく彼の目の前に、エリアスが懐から取り出した干し肉をぶら下げ・・・それをパクリと食べるという、傍目から見れば微笑ましい、幼子に付き合う従者の図・・・その実、肉と一緒にエリアスの指を噛もうとしたレズンから目にも留まらぬ速度で指を引き戻し、同時に脛を蹴るという早技を食らった彼が必死で痛みに耐えるという事件が起きていたりしたのだが、それはまあ、構わずとも良いだろう。
「・・・ほら、ボクって・・・その・・・子供を作れないし、作らせる事も出来ないでしょ?」
彼は女性に見える男性と見られる事が多いが、その実無性とも形容すべき身体を持っている。
両性具有では無い。彼は雄、雌、どちらの生殖能力も、器官すらも持っていないのだ。
彼の下腹部には一つ、恐らく性器になるはずであった黒ずみと共に尿道が一つあるだけ。見た目上陰陽、少し陽に寄っているかと思われるが、何方でも無かった。
これは非常に特異な事で、通常人の遺伝子において起きる事は無い筈の事態だ。
精神と肉体の性別乖離には、Xジェンダーなどと呼ばれる存在はあるが、肉体が完全に性を持たない・・・発育不全ならば兎も角、半ば成人の状態で、形すら出来ていないというのはおかしな事である。
前提として、人は皆胎児の段階では雌であるらしい。
そこへ男性の染色体である、Y染色体が働き掛ける事により、男性器が発現して行き、Y染色体が無い場合、元から身体を形作ったX染色体に従って、女性のまま発育して行くのだ・・・男性器は後付けの代物なのである。
この段階で性別が決定される事は言うまでも無いだろう。
稀にこの段階で不十分に、男性化してしまう者が居る・・・それが両性具有だ。不完全とは言え、一応は性器の形は持っており、乳房が人によってはあり・・・勿論不妊の者も居るが、基本的に雄雌何方かの機能は備えており、通常通り生活し、交わり、子を成すことが出来る。
「・・・で、ボクは一応長男なんだよ。弟と妹どもはもう生ゴミに捨てたし、クソ親父も首を落として、今は玄関の飾りだからね。ボクが子孫を残さないとー・・・ほら、我らがアスカルディーダ家が断絶しちゃうんだよー」
さて、レズンの場合は本格的に外見上子供を作る器官を持っていない。それはまた無理な話である・・・勿論、とある技術があれば別の話だが。
「・・・それと人間収集、なんの関係がある?」
「慌てないでよ・・・ボクが見る限り、吸血鬼と人間の生殖機能はほぼ同等同質の物なんだ」
どっちも直接中身まで見比べたからね、と中々に下種い事を言い出した彼の趣味趣向はさて置き、彼が述べたのは・・・自分で産めないなら、何とかして自分の体細胞から受精卵を作って、他の人間か吸血鬼の腹を借りて子を作る・・・所謂、人工授精に近い概念だった。
レズンは生殖器官を持っていない。
それは見た目からも明らかな事だが、生殖機能を完全に持っていないという訳では無いのだ。
彼が持つ、出来損ないの・・・ほぼ完全に体内への埋没した性器の名残には、なんと陰嚢・・・精子を作る能力を不完全ながらも保持していたのだった・・・コレも、自分で自分を解体した成果・・・人だけでなく、自分も自分で解剖しているというのは、中々に豪胆な事をする。
だが、問題はそれをどうやって他の女性に植え付けるか、という事。
一般に知られている通り、精子は酸に極めて脆弱だ。それこそ、酸素にすぐ反応し、変質してしまう程に。
如何に酸素に触れず、レズンの腹から精子を取り出し、女の園へと運ぶか・・・本来ならば人がそもそも持っている機能を代わろうと考え出せば、それはそれは大変・・・この場では明らかになってはいないが、レズンの陰嚢は精子は作れども、それを保護する精液を生成できない欠陥を生じており、この場で考えられているよりも遥かに、人工授精の難易度は高かった・・・それこそ順当に医療技術が発達する年月にして500年以上先の先端医療に頼らなければならないレベルである。
「まずはボクたちの中身・・・構造を知るところから始めようと思ってね。バラしてみれば・・・中々どうして、人というのは複雑な構造をしてるじゃないか、って・・・これだと、何処と何処が関連してるとか分からない。なら、どうせなら全部やろう、って思ってさー」
「お前は医者にでもなるつもりか」
やや呆れ返った様なエリアスの返答。
「それもいいかもね・・・でも、それはボクの目的を達してからかな・・・尤も・・・」
ジトりとした視線がエリアスを向く。
「キミが邪魔しなきゃ、もっとマシな状況だったとは思うけどね」
「ほう?マシな状況、とは?」
キッ、と眉根を寄せ、恨めしさと苛立ちで満開状態のレズンは、
「キミたちのお陰で、レグロが対価を支払う前に雲隠れしちゃったじゃないか。アレがあれば、ボクはもっとアクティブに活動出来る予定だったのに」
「なんだそれは・・・そんな暗におねだりなどする前に、さっさと言ったらどうだ?物によっては考えてやらん事もない」
金は余っているからな、と微笑む。
「金で手に入る程度の代物なら、とっくにボクは手に入れてるよ・・・そっかー、手に入れてくれるのかい?もしアレをボクにくれるなら、何をしても良いよ?」
「それは中々面白そうな話だが、いい加減に勿体振るな。過ぎれば何事も不快になり得る」
少し苛立ちを見せたエリアスを見、案外エリアスって短気だよね、と呟くニーレイ。
誰でも焦らされるのは嫌な物だ、とはスィラの言。
そんな批判の的となったレズンは、つまんないのー、と唇を尖らせつつ、その正体を明らかにした。
「"聖杯"リストレイン。アリエテ王国王家が至宝・・・定理を歪める神器」




