透影
前書き
お久しぶりです。
最近中国武術なるものを体験する機会があり、その所為か今まで存在すら感知した事の無い筋肉が凄まじい筋肉痛に襲われるという地獄を見ています。
「こんなところに筋肉あるのかよ!!」とぶつくさ垂れながらも、中々に新鮮で面白い体験をしております。
まだ技術も未熟で、ボコボコボコボコ腹や胸に痣を作りながら学んではいますが・・・人間ってこんな事も出来るのかぁ、と感動する事ばかりです。実際スゴイ。
先生に関して言えば、マジな人間兵器レベルですし・・・私は初めて、「もし俺が銃持ってても、この人には勝てねえな」と本気で思える人間を見ました(戦慄)。
だからどうするだなどと、何か言いたいことがある訳ではありませんが(無計画)
長いです。この章はあと一話で終わらせて次章に行こうと思っていますが、最近私の脳みそのパフォーマンスが低くなっており、中々言葉が次々打てなくなって来ているのです・・・。
作文に時間がかかる事をお赦しください(ぇ)
(前略)・・・基本的に人種族系統と共通の骨格、筋繊維、内臓器官を備えるヒト系の生物であるが、他の人種族、魔人種族と比べ、肉芽組織と瘢痕組織の能力が著しく高く、例え四肢を失った所で生体のエネルギーさえ用いれば、まるで何事も無かったかの如く"再生"と呼べる程の速度で修復しきる事が出来る程の回復力を持つ。
その影響からか、筋肉組織が非常に発達し易く、どの吸血鬼においても他の人種族の大半を圧倒する身体能力を持つ事が多い。※しかし例外は存在する。
魔人種族であり、月光からその魔力を吸収し、自らのエネルギーとする事が可能。皮下組織に変換細胞が数多存在し、魔人種族の中でも特に効率的なエネルギー変換を可能としているとされる。
しかし、通常の生命活動においては、各細胞が消費するエネルギーは他の人種族のそれに比べ著しく多量で、常に大量のエネルギーを摂取し続けなければ生命活動を維持する事が出来ない。
最近の研究で明らかにされた、吸血鬼の成人男性が一日に必要とするエネルギーは、Calで表記すると、計算上は約50000Kcalを超え、人間等と大して変わらぬ消化器官しか持たない吸血鬼が、通常の飲食で賄い切れる量では無い。
しかし、魔族は基本的に各細胞のエネルギーを魔力を用いて、非常に効率的に代換する事が出来る仕組みを持っている為、魔力さえ継続的に摂取する事により、人間と大差無い食事量でも生命活動を続ける事が可能となる。
その魔力を補充する彼らの手段が、一般に知られた吸血行動である。
他の魔力を保有する生命体の血液(一般に血液内は他の身体の部位に比べ、比較的含有魔力量が多い)を直接摂取する事により、より効率的に魔力を収集出来るのである。※一部、特に強力な個体においては、魔術式を介し、血液を啜らずとも直接魔力自体を生体から吸い上げる事を可能としているという言い伝えがあるが、定かでは無い。
また、特徴的な能力として、体内に溜め込んだ魔力を人体の一部品、骨肉へと変換し、それを用いて瞬時に自らの肉体を補填する能力を持つ。
現在ではこの能力に着目し、他人の身体の欠損を補修する事が出来るかという、再生医療の観点から注目されており、決して少なくない数の吸血鬼が、この研究に携わっている。
しかし、未だその種族的特徴から偏見は根強く、今ではその数も年々減り続けており、種の存続が危ぶまれている・・・(後略)。
『特異な身体』 著者不明 1967年 共和国出版 項目:魔人種族吸血鬼についての考察、より抜粋。
宙を自在に移動する事が出来る・・・要は飛行能力を持った彼に攻撃を当てるのは極めて困難だ。
速い。兎に角速い。
迸る刃は閃光の如く、鉄骨でも振り回しているのではないかと思う程に重く・・・放たれる矢は空を切り岩を穿つ。
その身体から放たれる魔力は凍て付く程冷たく・・・常に周囲を水属性下級魔術『グレイサー』を用いた時の様に、厚く氷に閉ざしてしまう・・・油断すれば、即座に足を取られて、彼の強烈な一撃を貰ってしまうだろう。
救われるべきは、彼の持つ剣の正体が分かった事だろうか?
刃渡は大体90cm程、刀身は・・・透明な水晶の様な物質で形作られており、刃には薄く、剃刀の様な金属製の刃が枠を取る様に付けられている・・・世にも珍しい設計の、見た事も無い剣だ。
恐ろしく透明度が高く、殆どの角度で全反射による光の照り返しを起こさない・・・一体何で出来ているのやら・・・これだけ明るくとも見辛い事この上無い。低反射塗膜でも塗ってるのか。
「・・・ハエみたい素早っこい奴だなッ!!!」
正直に言って埒が開かない。
カルマを鞭の様なチェーンブレード状態に変形し、近寄った瞬間に喰らい付く様に命令、近接防御はそれに任せて、魔術戦に集中する事にしよう。
飛来する、更に先程よりも高速化した『アイシクルスピアー』・・・機関砲の如き発射速度で撃ち出されるそれの破壊力は・・・たった今、後方で爆沈した商船の、真っ二つに割れた船体が全てを物語っている。
「ハエとか言われたのは初めてだなぁ・・・さっきからキミ、ちょくちょくボクの"ハジメテ"を持ってくよねー」
さて、俺は現在川辺・・・護岸され、川沿いに続く荷下し場を駆けていた。
なお核弾頭は腕の中に抱えたまま・・・。
「・・・気持ちが悪い言い回しはその程度にして貰おうかね」
大体、付いてないとは雖も、全裸に近い状態で羽が生えた、何かの絵画で出てくる天使の様な状態・・・その時点で十二分に気持ち悪かった。
風属性中級通常魔術『ヴォルダナグ』の圧縮空気を炸裂させ、何とか彼の飛行ペースを乱す・・・どうやら飛行自体はある程度、物理法則に従っているらしく、多少それに煽られ、接近を阻む効果が見られたので良しとしようか。
それに織り交ぜ、火属性中級攻撃魔術『ブレイズバスター』を連射・・・多分、先程から展開されている対魔障壁に阻まれ意味を成していないだろうが、撃たぬよりはマシ・・・だと願いたい。
さて、端的に現在の状況を言えば、あまりよろしくは無いと言える。
攻撃が通らないのだ・・・当たら無い、当たった所で効いている様子も無い。
相手はスピード・ファイターだ・・・パワーもそこらの人間、下手をすればスィラすら超える程のモノを持っているが、出力に関して言えばこっちの方が上の筈・・・何とか、受け身では無く、純粋な殴り合いに勝負の形を持って行きたい所だ・・・態々相手の土俵に上がってやる必要は無い。
「・・・引き摺り下ろすには・・・」
あの羽。どうやら浮遊自体に関しては、物理法則以外、多分魔術的な方法で飛行しており、方向転換や推進、細やかな姿勢制御に関しては、翼の稼働による気流の操作で行っている様に見える・・・。
どちらにせよ、あの羽を無効化する事を考えよう。
当てる事は可能だ。デカイ、回避不能な魔術を当ててやれば良い・・・が、ここで先程の『スヴェルコ・ノーヴァ』の様な術を使うのはあまり賢いとは言えない。
先程は閉鎖空間で、良い感じに上へと爆圧が抜けたから良い物の、この場でアレをやると・・・多分、この川沿いの地域が一面焼野原になってしまうだろう・・・だから、少し頭を使わなければならない。
さて、相手は重厚な魔力の装甲を纏い高速で移動する、謂わばヘリの様な物だ。下手な魔術、いや、最上級魔術にも耐え、そしてその防御力にも慢心する事無く、受ける攻撃も最低限に限定して来る相手。
まずこの防御を貫通してダメージを与えられる攻撃が必要だ・・・勿論、ある。
この手の重防御を破る為だけに作られた、貫通力重視の魔術・・・が、それを使うにはちょっとした小道具が必要であるからして・・・それをどうするか。
必要なのは頑丈な剣だとか槍・・・金属の棒でも良い。
媒質に使ってしまうと、それは壊れてしまう為、今手に持っている短剣は、あまり使いたくない所だが・・・素早く周囲を見るに、その手の物を調達出来る様な場所は・・・いや、待てよ?
ふと目に入った・・・異様に豪奢な建築物。
堅固な石造りで見るからに頑丈そう・・・クロスレンジの戦闘に持ち込むには持ってこいでは無いだろうか。
何より、何かしらの道具、つまりは・・・ナイフだとか、装飾品の剣だとか・・・最悪、暖炉で使う火箸や灰掻き棒などでも良い。
「・・・そうと決まればッ!」
全力疾走。
ブツッ、と靴のソールを縫い付けている糸が引き千切れる音と共に滑る足元・・・転ぶ前に自分から素早く前に転がり、そのまま立つ・・・。
これは・・・生前の習い事の癖・・・まあ、受け身というヤツである。
ポイントは付いた腕の外側に沿って着地、肩口から転がる様にする事。
頭を打たない為というのは当たり前、より滑らかに転がり、可能な限り素早く体勢を立て直す動作・・・既に褪せた記憶では、"床とお友達になれ"と教えられた気がする。
実際、最終的には柔道場の畳とは仲良くなれたし、剣道場の板の間とも仲良くなれたと思う・・・あの板の間は、少々優しさが足りないとは思うが。
まあ、この石畳よりは遥かにマシであった・・・背骨にゴリッと来て、少し痛い、が、表情は一切変えず駆け抜けた・・・いいトレーニングになる。表情筋の。
「あれ?・・・どこへ行くのかな?」
恐らく、まるで関節が外れたかの様に、カクリ、と首を傾げているのだろう、その声と同時に・・・地を氷が這う。
「・・・ちっ」
自らの足元が凍り付く瞬間を見計らって跳躍・・・みるみる内に遠くなる地面は、辺り一面が薄ら青く氷に閉ざされている。
文字通り辺り一面である。船着場も、土手の斜面も、歩道も、階段も、倉庫街も・・・河の水面さえも。
「・・・本当に馬鹿げた出力だな」
今まででは見た事がない様なレベルの魔力放出量である。しかも攻撃ではなく、単なる補助魔術でコレだ・・・はっきり言って、本当に無尽蔵の魔力でも持っているのではないかと疑う。
『ブレイズバスター』、一発はレズンに直接照準、二発はその手前の地面へ撃ち込んで、目くらましと共に時間稼ぎ・・・。
爆風も使い、前方へ空中で宙返り・・・いや、サラッとやった様に見えるかも知れないが、実際のところは爆風に煽られた結果、勝手にそうなってしまっただけである・・・着地の瞬間が少々怖い。
頭から落ちそうになってしまう・・・が、有り余る筋力に物を言わせ片手で地を叩き、そのまま側方宙返りの要領で体勢を取り戻す事に成功した。
そのまま目標の建築物へと滑り込み・・・ドアは蹴り破る。
木の扉は容易く割れ、俺の身体は床の柔らかな絨毯へと転がり落ちた。
「・・・さて・・・」
明かりは点いていたので、恐らくは誰か居るだろうが・・・まあ、先に巻き込んでしまった事については謝罪しておこう・・・心の中で。
「何なのですか!!こんな時間に・・・ッ!?」
破壊音を聞いてエントランスへと飛び出して来た中年の侍女が、俺を見た途端に金切り声で喚き始めた・・・が、二の句をその口がほざく前に、脚力を爆発させ肉薄・・・カルマの柄頭で頭頂をスコーンと一撃。
少しばかり黙っていて貰う為である。一般市民を無意味に殺しなどしない・・・予定だ、今の所は。
「・・・そうだ」
一つ思いつき、倒れた侍女のスカートをガバッと捲る・・・が、お目当ての物は無かった。
「・・・ツィアの所のが異常なのか?」
別にオバハンの下着が見たくて捲ったのではない。単に、太腿を見た・・・いや、そういう意味では無くだな。侍女足る者、暗器の一つ二つは持っておくというのが・・・と、この間ミムルが言っていたので、もしかしたら短剣の一本でも持っていないかと思ったのだ。
別に・・・太腿が見たいなら、スィラの若く、引き締まったそれを主人の権力で見れるからな・・・まあ、そんな無茶振りなどまずしようとは思わんし、そんな無理矢理見た太腿になど魅力は無い。
太腿は寝巻きのスリットから見えたその瞬間、レギンスに覆われて光るその時が最も魅力的なのであって、堂々と目の前に突き出されたそれには、どこか・・・その・・・そう、有り難みが無い。
・・・話が逸れた・・・ところで、このクソ重い核弾頭もどうにかしなければなるまい。
入り口から吹き込む冷気・・・それが、俺を再び現実へと引き戻す。
「・・・ちょーどいー所に来たね・・・いいよ、付き合ってあげる・・・ククッ・・・」
その声の発生元へ、間髪入れず『ブレイズバスター』。背後で上がる爆炎から・・・あまりこうまでする義理は無いのだが、一応、この中年の侍女もシールドの内側に入れてやる事にした。
爪先で軽く押す様に蹴り、端の方に流しておく事は忘れず、奥の・・・侍女の部屋には大した物は無いだろうから、上の階・・・この館の主人の部屋を目指す事にする。
何故かって、大体主人の部屋には護身用の武器やら飾りの大剣やら・・・ああ、ツィーアの部屋の壁にも、矢鱈と大きな二本の大剣と盾が備え付けられた飾りがある・・・装飾品であるらしいが、一応切れる様には出来ているという。
この世界の富裕層からすれば、クロスした大剣とそれの交差点を隠す盾というのは縁起物らしく、かつてこの国で戦った騎士達の誇りが云々かんぬん・・・ツィーアの所のは、彼女の先先代が飾ったものをそのまま置いているだけという事だが・・・まあ何が言いたいかと言えば、そんな感じの代物があるだろう、と希望を持っているという事だ。
そんな大きな弾ならば、さぞかし貫通力も高まるだろう。
幅広で、濡れた靴で階段を駆け上がりながら・・・ゴミと化した靴をポイと投げ捨てると、気になっていた感触が消え、不快感が去った。
「・・・奥、か?」
ガタリ、と物音がした気がする。椅子だとか、机だとかの家具が震えた音・・・。
階段の上、三階へと上がると、吹き抜けの玄関ホールの天井が間近に見える。少し頑張れば、あの多数のクリスタルがぶら下がったシャンデリアにでも飛び移れそうな距離だ・・・別に特異な身体能力が無くとも、の話だ。
厚いカーペットの所為で足音は殆ど立たない。それは向こうも此方も同じ事・・・では無い。
こっちは耳は耳でも、外耳道の縁か鼓膜、耳小骨を通し、蝸牛や聴神経の隅から隅まで、魔力による一時的強化を行っている・・・まあ、単に鼓膜が破れ難くなるだけの効果しかないという事は無い。
聞こうと思えば、ここから一階で気絶している侍女の吐息の音だろうと聴き取れる・・・そういえば、レズンの音がしないな。
流石に壁が厚い所為か、外の物音は聴こえない。が、この屋敷内で活動する生体の数は既に把握していた。
この三階には人が3つ、二階には5つ、1階にはあの侍女を含めて6つ・・・鼠だとかの畜生は除く。
その内魔力の反応が見られるのは3つ・・・三階の一匹、一階の伸びていた侍女、同階の一匹・・・どれも取るに足らない魔力量であるからして、大した魔術は飛んで来ないだろう。
廊下の奥・・・如何にも、といった風体の二枚扉が見える。
駆け出すと同時に『ヴォルダナグ』発動。正面の扉をぶち破り、ふわりと軽く浮遊する様に飛び込むと、明かりの消えた室内で転がる・・・ジャラジャラと身に付けたアクセサリー群が煩わしそうな中年の男・・・見覚えがある。
「・・・これは奇遇だな、レグロ・アルタニク氏・・・床に寝そべる趣味でもあるのか?だとすれば嘸かし地下墓地の住人とは話が合うだろう・・・一度入ってみることをお勧めするぞ?」
小さな呻き声と共に顔を上げた男の顔・・・つい先程食事処で見た物と寸分違わぬ、が、何処か痛めているのか、その眉根は深く顰められていた。
「・・・エリアス・スチャルトナ・・・ッ!何故ここに・・・!?」
彼にとっても、この出会いは想定外だった様だ・・・酷く狼狽しており、真面に中身のある言葉は出て来ない。
「それは私の方が聞きたいな・・・だが、それよりももっと、お前に聞きたい事がある・・・」
彼は今回の件、つまりはツィーア暗殺未遂を始めとした数々の事件に関与していた疑いが掛かっている・・・いや、それはまあ、ツィーアに任せるとして良い。
「・・・レズン、何処から連れて来た?」
レズンという吸血鬼・・・個人的に予習して来た種とは、あまりにかけ離れた・・・謂わば、過ぎたパワーを持っている様に見える。
何処からどう見ても、普通の吸血鬼では無い。いや、他の吸血鬼を見た事がある訳では無いが・・・吸血鬼というのは、一般人なら兎も角、普通の魔術師でも十分に殺傷可能、いくら再生するとは雖も、断続的なダメージを与えれば死ぬ・・・魔術師としてのレベルは高いが、決して打倒不可能な相手では無い筈である。
だが・・・奴は満月の日とはいえ、俺の最上級魔術・・・言うならば、岩をも瞬時に溶かし、何十メートルもの岩盤を打ち抜く程の火属性魔術、『スヴェルコ・ノーヴァ』の二連射に容易く耐えた。
正直、打開策を見出せずにいる・・・どうすれば奴を黙らせる事が出来るのか・・・。
「残念ながら・・・あまり長々とお話ししている時間は無い。さっさと喋ってくれると有難いのだがな」
ドスッ、と核弾頭を傍らに置き、長剣状に伸ばしたカルマの穂先で、彼の後頭部へと軽く突く。
「貴様・・・俺を誰だと思って・・・がッ!!?」
何とも嗜虐心を唆る姿だ・・・思わず爪先が先走ってしまう。
「お前が如何なる高貴な人間だろうと、私には関係無いな・・・ただ・・・これはあくまで個人的な意見だが、私にとって好ましくない人間を、こうして這いつくばらせて虐げるのは、中々に乙な事だと思うのだよ、レグロ氏・・・まあ、無駄な時間である事に変わりは無いがな」
さて、ここでコイツを見つけたのはお手柄ではあるが、生憎コレを捕縛する道具などは持ち合わせていない・・・憲兵でもあるまいし、寧ろ常に縄や手枷を持ち歩いている人間が居たら、そちらの方が怖いだろう。
かと言ってこの場で見逃すという選択肢も無い。ツィーアは領中に手配すると言っていた・・・それに、一度見つかった者は、二度目は無いとばかりに無駄に努力するからして、恐らく再発見には骨が折れると思われる。
「・・・それに逃げ支度中だったか・・・何ともまあ、間の悪い事だな」
見れば幾つかの鞄と、閉じかけのケースが転がっていた。
中身は・・・金色な細工が見えたからして、アクセサリーか何かだろうか?
「クソッ!!?・・・レズンは、レズンは何をしている・・・!?この様な時の為に、彼奴を置いているというのに・・・ッ!」
「・・・むしろ、支払いを滞らせてる相手にそこまで期待するキミの脳みそに、さらなる失望を憶えるよ、レグロ・・・取り出して別のに付け替えた方がいいんじゃない?ストックなら・・・知ってるでしょ?」
背後からの声・・・足音一つしない。
そして・・・そちらからは、先程まではしなかった臭気が、無駄に強化された鼻腔を犯していた。
「・・・淑女の背後に音も立てず寄るとは・・・紳士の風上にも置けんな?・・・おまけに」
カルマを鎖剣状に再変形、振り向きざまに後方の空間を斬り刻む・・・が、そこには彼の姿は既に無い。
「・・・悪いが、そんな下衆な香水を付けて来られては、流石に近寄って欲しくは無いな」
正面、レグロの身体の向こう側に現れた彼は思った通り、頭から足先まで赤黒く蝋燭の灯りを照り返していた。
その正体は現在鼻を貫いている、猛烈に生臭い匂いが物語っている。
「・・・ご苦労な事だ・・・全員殺して来たのか?」
改めて階下に耳を澄ませば・・・やはり物音一つしない。人の吐息一つ、だ。
「これでも中々技術が要るんだよ?・・・音一つ立てずに息の根を止めるって作業にも」
ヒラリ、と手元で閃く水晶の剣。
よく見ても枠の薄い鋼しか見えず、スケルトンな剣にしか見えない。
が、それよりも不思議な点。
「・・・それだけ返り血を浴びて無音というのも、まるで後から付けた様だな。血液は化粧品では無いと思うのだがな」
そんなカマ掛けに、彼は前髪の影で目元を隠しつつ、口の端を耳まで裂けさせて応えた。
「さあ?こう見えても、人をバラすのは得意なんだ・・・今じゃ、目を瞑っていても臓物の選り分けぐらいならまず間違えないくらいには、ね」
出来得る限り自然に見える様に、暖炉の方へ移動・・・本来此処に入った時の目的である品を後手に回収する・・・まあ、その上に飾り剣があるのだが、まずはこの・・・鋳物の、黒く煤けた火搔き棒で良いだろう。
「そうか、なら是非解剖医学書でも執筆することをお勧めしよう・・・嘸かし適任だろう、なッ!!」
右手から流れ込んだ魔力が握り締めた火搔き棒を犯し・・・芯から真っ赤に燃え輝く。
発動させた魔術は、単なる鋳造物であるそれの内部構造を全て・・・硬く、強く、熱く・・・この世に存在する全ての物を貫かんとする意志の下造り替えんとする。
・・・破壊に特化した系統である火属性魔術の中でも、その規模こそ『ブレイズバスター』等、他に上回る術はあれど、単純に対単目標に対しての攻撃力で、基本的にコレを上回る物は無いとされる魔術。
「・・・『ヒートブラスト』」
突き出された、本来は炭を刺す為の穂先がレズンの展開する対物理障壁の面へと・・・今までの防御力がまるで嘘のように突き立ち・・・喰い破る。
「は?」
狙いは胸部中央より、やや向って右寄り。
不意を突き、過たず狙い通りの部位を破壊・・・が、ここで手を止めるのは間抜けのする事。詰めは特に厳しく、だ。
左手に持ち替えていたカルマを両手で水平に構え直し斬撃を放つ・・・狙いは頭部。
狙ったのは目であったが、その刃先は彼の張る・・・斬り裂いたとはいえ抵抗は残る対物理障壁により僅かに逸れた結果、頬から鼻に掛け、真一文字に浅く裂くに留まった。
ここで先に撃ち込んだ火搔き棒が、『ヒートブラスト』の機能が動作・・・使用した武器が炸裂する。
「ッ!!ぎッ!!?」
俺は兎も角、生身の人間であるレグロはこんな至近距離で重い鋳鉄の破片など浴びれば無事では済むまい。
親指の付け根を軸に身体を固定、踵を返して腰、腹の高さまで上げた膝を切り返し、膝から足首を水平に・・・マーシャルアーツに於ける、上半身を捻らない逆回し蹴の様な蹴り・・・というのも、俺個人は中国拳法についてはそんなに良く知らないからして、敢えて様な、と形容した。
要は、遠くに蹴り飛ばしたのだ・・・見事、血飛沫と共に窓を突き破り、向こうへと消える。
更に『ブレイズバスター』で追い討ち・・・窓の外、屋敷の裏の庭園に爆炎が上がった。
「・・・おっと、忘れるところだったな」
さらなる攻撃を加えんと、窓の外へと飛び出そうと足を踏み出した所で、放置していた人物の処理を思い出す。
「くっ・・・何を、俺を傷付けてタダで済むなどと思うな!!俺がその気になれば・・・!?」
彼が言葉を切った理由は明らか・・・まあ、傍らにある核弾頭・・・コレをひょいと持ち上げたからである。
「こんなところに丁度良さそうな重石があるな?・・・生憎、枷や縄は見あたらん・・・悪く思うなよ?」
そいやっ、とその重石を・・・地に投げ出された彼の足の上へと振り下ろした。
ベキベキ、と、床板が割れたのか、はたまたは別のものが壊れたのか分からないが、兎に角・・・叫び声から推察するに、彼からすれば結構痛かった様だ。
・・・男の悲鳴を聞いても、苛立ちこそ憶えるが、罪悪感は欠片も湧かないな・・・可哀想とも思えないあたり、この男に対する俺の内心というのも行動に表れている、と言えるだろう。
「寝ていろ、まあ・・・精々巻き込まれん様に祈るのだな」
神でも自分の運にでも何でも良いが。
何とか退かさんと呻く彼を尻目に、俺も窓から飛び出す・・・案外、外は酷い有様になっていた。
『ヒートブラスト』の爆発の破壊力は、使用した武器に使用されている金属の質量に比例しているらしい。
木の柄の槍、その僅か数百グラムな穂先だけでも炸裂すれば、若い飛龍の翼根程度ならば容易く挽き千切り、防具等にもそのまま転用される程の強度を誇る鱗を弾けさせるのだ・・・少なくとも2キログラムを超えるあの金属塊たるアレの破壊力は中々の物がある。
おまけに『ファイアーボール』系火属性遠距離攻撃魔術の中で、最も高威力な術である、『ブレイズバスター』まで付けたのだから・・・恐らくは、ここの庭師が腕を振るっていたであろう庭園は、文字通り、比喩でも何でもなく、火の海と化していた・・・が。
「・・・ダメだね、その程度じゃ・・・ボクは殺せない・・・死ねないんだよ」
ゆらり、と幽鬼を思わせる仕草で立ち上がった彼の周囲を取り巻く焔が・・・瞬く間に凍りつく。
その姿は正しく焔の樹氷。
周囲の気温はまるで冬山の如く下がり・・・急激な温度変化により、建造物を構成する煉瓦や木材が、ビシリ、と引き締まる音が響き渡った。
「ボクの身体はボクの物であるけど、誰の物とも言えない・・・もし、母の血肉から継がれたソレが本来のモノ、と言うなら・・・この身体は多分、残り滓か、継接ぎしたぼろきれか何かだろーね」
無残に千切れた翅は未だ煙を上げつつ黒焦げているが・・・その身体はほぼ、元どおりの白いままで、爆発とその破片など無かったかの様に平然としている・・・一部を除いて。
「・・・通りでその剣から嫌な感じがしてた訳だ・・・本当に何者なんだい?キミは・・・」
顔の傷、それは今も生々しく鮮血を滴らせ、一筋の赤い筋・・・嫌味な迄に整ったその顔に、独特の凄みを与えている。
そういえば、と。
こいつらは俺が何者であるか・・・俺の正体を知らないのだったな、と思い当たった。
少し乱れた髪に指を這わせれば、未だ何とか前髪を留めている髪留めの冷たさを感じる。
垂れて視界の端に映る髪の色は、宵闇の空と同じ濃紺・・・俺の本来のそれでは無い、偽りの姿。
もう一つ気になることを言っていた。残り滓?とその言い回しに疑問を憶えるが・・・継接ぎの、か。
「・・・いや、相手にモノを尋ねる時はまず自分から、だよね・・・じゃあ、改めて自己紹介させて貰おうかな?」
彼が右腕を水平に挙げ、魔力がその周囲を渦巻くと・・・驚くべき事に、今の今まで布の一枚も纏わないその身体に闇色の光が迸り、その一瞬後には以前に見た、和服にも似ている一枚布の着物がその身を包んでいた・・・それを自ら確認するように見回すと、こちらが嫌悪感すら覚える程、丁寧に、正しく慇懃無礼に腰を折る。
「・・・吸血鬼・正一位、アスカルディーダ家が後継、レズン・スタッド・アスカルディーダ・・・あ、キミが分かるよーに言えば、正一位はヤールーンに於ける全種族での・・・まー、名家の格みたいなモノと思えばいーよ、多分」
正一位・・・この世界の言葉で、「第一の」という形容詞である。名前からして既に偉そう、というか、絶対に高貴な身分だとしか思えない言葉が出てきた。
第一の吸血鬼家・・・コレは後でニーレイにでも聞かんとな。
「そうだな、単なる田舎娘足る私にとっては嬉しい解説だった。・・・エリアス・スチャルトナ、貴族でも何でもない、単なる学生だ・・・一応、そういう事になってる」
そう喋りつつ、共に髪留めを引き抜くと、彼が目を剥くのが、この薄暗闇でもありありと分かった。
「どうもこの国では、私は嫌われ者らしいからな・・・中々、こうも堂々と名乗る機会なども無いからして、礼などは心得ておらん。許せ」
まあ、今更だが、と。
「して?お見合いでもあるまいし、これからお茶でもとはいくまい・・・私達がするべきは、斬り合い撃ち合いであって、お喋りではない」
手の内の片手剣の柄を改めて握り締め、全身に通う魔力を更に活性化させる。
細胞間をざらりとした感触の魔力が、余すところ無く流れる、むず痒い様な、全身が泡立つ様な感覚。極めて不愉快?いや、そうでもない?感触ではあるが、この満ち足りた魔力が、俺の身体に爆発的な身体能力と、極短時間での魔力収束能力を齎すのだ。
「・・・もう手出しちゃったからなー・・・なら、もうやるとこまでやっちゃえばいいか」
はぁ、と肩を竦めてヤレヤレとでも言いたげなポーズ。が、その身から放たれる魔力と威圧感は益々その威を増し・・・本来魔力を目視出来ない俺が、何となく薄暗く靄が掛かっていると認識するレベルにまで高まっていた。
さて、どうやって一撃を入れるか・・・この剣ならば、レズンの対物理障壁を切り裂いてダメージを入れる事が出来るが・・・と思考を纏めた、その時である。
「・・・そこまでね、レズン・アスカルディーダ」
聞き慣れた、鳥の囀りを思わせる可憐な声。
「・・・ニーレイ?」
声の元へ視線を遣ると、崩れた煉瓦の山から突き出る角材に腰掛ける彼女の姿・・・放たれる気配は、付き合いは決して長いとは言えないが、その中でも感じた事が無い程張り詰めている。
ちらりと俺を一瞥した彼女は、そのまま彼・・・レズンを見遣り、澄んだとは言えない夜の空気に声を響かせた。
「アスカルディーダ家の後継?馬鹿な事を言って・・・半年前、正統なアスカルディーダ公は亡くなったでしょ?・・・貴方の手によって」
その問いに彼は、顔を引き攣らせる・・・その意味は動揺では無く・・・何が愉快なのかは分からんが、腹の底からこみ上げて来る笑いを必死で抑えんとしているが為のソレである事は、薄く弧を描く唇から容易に読み取れる。
「・・・あんな劣等種・・・かーさんにボクの種を付けてくれた事と、雑魚でも豚の餌くらいにはなるって事を、身をもって証明してくれた事には感謝してもいいかな?」
恐らく彼の父であろう人物に対して酷い言いようだな、と、状況の変化に対応しようと忙しく回る脳みそのリソースを少し用いて思考する。
「まあ、アスカルディーダ家のお家事情なんて私からしたらどうでもいいんだけどさ、問題は・・・」
再び彼女の瞳が、暗く赤い光の尾を引いて此方に向く。
「・・・これ以上、この街に被害を出したら・・・陛下が黙ってないんじゃない?」
ニヤニヤと、傍目から見ても気持ち良さそうにしていたレズンであったが、そう言われた途端に一転、辺りをキョロキョロと見回した後・・・「あっ」と気まずそうな表情が形作られた。
「ここだけじゃないよ?・・・あの地下墓地の真上にあった、ハノヴィア資本の商会の倉庫、川沿いの荷下し場の設備・・・基礎まで爆破しちゃってるし・・・エリアスもだけど、あとでツィーアちゃんが怒る、というより、ブチ切れるんじゃない?」
その言葉に、今までの所業を振り返る俺。
一つ、『スヴェルコ・ノーヴァ』2連射で、川沿いに大穴を開けた。
一つ、所構わず『ヴォルダナグ』やら『ブレイズバスター』を乱射・・・外れたヤツの着弾点など、確認していないし、移動距離もメートル単位では無い。キロ単位で駆けながらやりあった気がする。
一つ、迎賓館の外にレズンを蹴り飛ばした後、徹底的に爆破した。
辺りを見渡せば・・・俺たちの立っている場所は一段低い・・・単純に抉れた地面の底に立っているのだが、どう見てもここには建物が建っていたらしい・・・その証拠に、辺りには木やら釘やら建材が転がっているし、恐らくは調度品であっただろう、額の破片やら磁器の破片やら・・・原型を留めている物は一つも無いが、何となく、そんな物がここに存在していたのではないか、と予想できる品物が少し見える。
・・・この間、不可抗力とはいえ街を破壊してしまった時、ツィーアの深い、深ぁーい溜息と共に言い付けられた"お片付け"。
今度は・・・一体何をやらされるか分かったものでは無い。
「・・・ほら、二人ともマズイでしょ?」
まあ・・・控えめに言ってマズイな。
「・・・うぐっ・・・」
先程から冷や汗が止まらない様子の彼だが、一体ニーレイが出した"陛下"とやらはそんなに恐ろしい人物なのだろうか。
いや、そもそもその"陛下"なる人物について、ニーレイも知っており、レズンも知っている。その上・・・どうやら二人に対して強い影響力を持っているらしい者。
別に聞かずとも想像は付くが、一応「"陛下"とは?」と問うてやる・・・何だか、俺の知らんところで話が勝手に進んでいると・・・モヤモヤするな、何か。
「あー・・・後で説明するから・・・兎も角!バカスカ魔術撃ち合ってこれ以上馬鹿騒ぎするのは禁止!!やるのは構わないけど、もう少し大人し目に!せめて・・・」
彼女の目が、お互いの手に下がる剣へと向く。
「・・・その程度の範疇に留めておいた方が、お互いの為なんじゃない?」
レズンに関して言えば、「ま、妥当だよね」と噴き出していた魔力を収め、恐らく利き脚なのだろう、右脚を後方に引いて、剣を半身で隠す様に構える。
個人的な感想を言えば、「やりたくない」である。剣の技量や戦術、思考速度に関しては、悔しいとは思うが、俺は彼に一歩、二歩劣っている。
一撃一撃の剣の振る速度、単発の威力に関して言えば勝っていると言えるだろうが、第二撃へと続ける速度、彼我の体勢から次撃の攻撃コースの選定能力、相手の線・・・要は人の急所が集中する正中線・・・を確実に捉える能力、足運び、戦闘中でも有効な連撃を組み立てられる思考力・・・などなど。
端的に言うと、勝てる気がしないのである。相手の土俵で戦うのが嫌だから、今の今まで魔術系統で殴って来たのだが・・・。
「・・・エリアス」
そんな、少し不安げな顔をしていたのだろう、俺に小声で話し掛けて来た・・・と思いきや、彼女は単に自分の側頭部を指差して、「ココ♪」と一言言って、転移の燐光と共に去ってしまった。
・・・は?
つまりは、アタマを使え、と?
馬鹿にしているのか!!と反射的に「後で殺、いや半殺しにするッ!!!」と怒鳴りそうになるが、何とか押し留め・・・ふー、ふー、と長めに息を吐くことで副交感神経を働かせ、アセチルコリンを分泌させ、神経刺激を抑制する事により、興奮した脳を冷まし・・・と。
真っ赤になり掛けた視野が急激に普段のそれへと戻る。
さて、あのクソ羽虫に馬鹿にされたのか否かはさて置き、"頭を使え"と・・・多分解釈は間違っていない筈。・・・筈。
というか、止めに来たのではないのな。特に味方にもなってくれんのか?薄情者め。
さて、頭を使う、まさか頭突きでもしろと伝えたかった訳もあるまいし、脳みそを使う、その方面で基本的には間違っていないと思う。
頭を使う、何かを工夫する?・・・やる事といえば単に魔力を全身の筋と皮膚、骨へと巡らせ・・・戦術として、いや、戦術などと言えるものでは無いが・・・第一手目で決める、それに限る。
これは単純な理由で、俺が脳の処理速度の問題で、彼の第一撃は兎も角、第二撃以降の打ち合いについて行けない為。
もう一つ、攻撃を次手へと繋ぐ能力は彼が圧倒的に上手だが、単発の威力と速度に関しては此方の方が上。なら、単発で勝負するべきだろう。ガチガチな殴り合いに持って行かれてしまっては、手数ですぐに負けてしまう。
対物理障壁とて絶対では無い。あれ程の威力の斬撃を完全に防ぎ切る程の密度で魔力を展開し続ければ・・・保つのは何十分?何時間?緊急性は特に無いが、どちらにせよ、いつか限界が来る。
なら、ジリ貧になる前にさっさとカタを付けるのがベストだろう。
・・・あまりこうもじっくり考えている時間は無さそうだ。既に相手は此方の動向を一つも漏らさず窺っている。
仕方があるまい、賭けになるが・・・やらないよりはマシだ。
魔力放出、全身の血管から滲み出る様に溢れる魔力が骨肉を浸す・・・ん?待てよ?と一つの事柄に気付く。
アタマを使え、脳みそを使え。つまり、つまり、だ。
脳を、魔力で強化したら・・・どうなるのだろうか?
さて、脳というのは非常に複雑怪奇な構造をした器官であり、その全容は未だ良く分かっていない。
膨大な数のニューロンと呼ばれる神経細胞が結合して出来たそれは、生物に於ける思考、運動、知覚、精神活動に於ける最重要器官である事は疑う余地も無いが、コレがどうやって思考その他、様々な活動を為しているのか・・・単なる処理機構、演算機構の集まりと見るには余りに高性能過ぎる・・・。
と、別に脳科学者でもない俺が考えるのは無駄な事だが・・・まあ兎に角、俺は脳を極めて高性能な旧型コンピュータと見る。右脳と左脳があるから、一応デュアルコアのプロセッサーだな。
さて、CPUはプロセッサーと呼ばれるハードウェアの一種である。プロセッサーは演算機構、情報記憶機器、それらを外部と繋ぐ入出力回路から構成され、凄まじい数のトランジスタを集積した超々集積回路から成り立っている。
トランジスタというのは・・・滅茶苦茶簡単に言えばスイッチ機能、ONとOFF、0か1かを、ベースに与える小さな信号によって切り替える事が出来る半導体だ。
これもまた乱暴な物言いだが、コレが集まる事で・・・集まれば集まる程、莫大な桁数の計算が出来る。脳を構成するニューロンよりは稚拙な代物だが、計算程度なら出来る。
さて、脳に満たした魔力を、このトランジスタの様な処理機構と見なすと・・・どうなるだろうか?
脳内へ流れ出る魔力を・・・魔力が電気を通してくれるかは定かで無いが、大体かつて教科書で見たニューロンを真似・・・いや、下手に難しく考える必要は無いか。周りに見本は山程あるのだから。
闇属性中級魔術・・・指定した物を魔力で一時的に複製する魔術『リペリカ』を脳内で発動。ニューロンの形をした魔力が爆発的に増え、その度に接続、接続・・・ッ!?
何だこれは・・・正しく、世界が鮮やかになるとはこの事だろうか?
例えるならば・・・そう、コンピューターゲームのグラフィック設定を、低から最高に変更した時の様な感覚。
目に映る世界の画素数が倍、いや、数十、それどころじゃない・・・土の一粒一粒の質感・・・コレも元はといえば岩石なのだなぁ、と思わされる程、多様な色彩を放つ土壌が目に痛い。
砕けた焼煉瓦の断面から覗く、飴状に溶けて固まった鉱石が照り返す月の光が眩しい。
ほつれた革靴の繊維が風に靡く。
裾から覗く太腿の筋肉が、ミシリ、と張り詰め。
布地の多い、その服の上からでも分かる程に腹が空気を溜め込んで脹れる。
真一文字に引き締められた、少し乾いて皮が浮く唇と・・・赤い髪の隙間から覗く、大きく開いた紅い光を放つ瞳孔と、紫水晶が如く透き通った虹彩。
そして・・・・・・振りかぶられる剣の刃の切削痕が滅茶苦茶に反射する自分の顔が、これ以上に無い程鮮やかだ。
そう、体感的な時間の流れが遅くなった。
先程までならば、一切見切れない様な速度で踏み込んで来ていた彼の動きが・・・正しくスーパースローカメラで写した世界だ。頭の処理速度が速くなり過ぎた結果だろうか?
剣尖は俺から見て左斜め上から入り、恐らく俺の左肩から股までを斬り裂く軌跡を描いている。
合わせるつもりは無い。縦に上から打ち込んで来るのなら、俺は水平に行く。
相手も遅いのなら、当然俺の動きも遅い。
頭が指示を出してから実際に身体が動き出すまで、かなりのタイムラグがある上、実際に動く速度も・・・中々動かないのをいい事に、魔力による強化分も含めて目一杯、全力で身体を動かす・・・そんな歳でも無いのにも関わらず、節々と筋肉の軋む音が嫌に体内に響き渡る。
例えるなら、沼の中に腕を突っ込んでかき混ぜようとしている感覚だ。だが、こちらが沼の中に居るのなら、向こうは・・・コールタールか何かの中に居る様な動きだ。勝負にならん。
僅かに線を外し・・・この動作を言葉で説明する事は難しいが・・・まあ、まっすぐ相対する体勢から、僅かに肩がぶつかるかも?という程度身体の向きを変えるというか・・・まあ、相手の照準をバレない様に外す技術だと思ってくれれば問題無い。
打ち合わず、斬り合わず、ただ本命のみを捉える。
肉を切り骨を・・・などとナンセンス。裂けるのは相手の腹だけだ。
足の指の筋肉から脚、股関節、腰、腹、胸、肩、腕・・・と全ての筋が段階的に引き絞られ、人が構造上出し得る全てのパワーが、右手の先に伸びる剣に伝えられる。
彼の透明な剣が落ちるのを待つまでも無い。
一撃。
胴を輪切りにせんと振られた剣は、過たず・・・彼の対物理障壁を、藁半紙の如く引き裂き、胴を打つ。
前方に踏み込みながら斬り込んだ。よって彼がどんな末路を辿ったかは定かで無いが・・・二つ、粘着質な、びちゃり、と音がした。
・・・。
何故あいつは辺り一面氷塗れにしたのだろうな、と、頭からそこらに立っている氷柱に突っ込んだ結果、雪の様に砕けて口の中に入った氷を吐き出しつつ・・・ツィーアへの言い訳を、周りの寒さだけでは無い寒気にぶるっと震える。
「まあ・・・生贄はあるからな・・・」
レグロが失血死しない内に救出して置くか、と肩を竦めるのであった。
*11/5 誤字修正