暴風
「・・・いよいよ明日か」
ぼんやりと音が反響する、薄暗い空間。
酷い湿気が篭り、不快さという観点で言えば、有数の世の中でも有数の環境であろう、その部屋の入り口付近に立つのは・・・鼻を摘み、目を部屋から背けた、豪奢な装いの薄茶髪男、レグロ・アルタニク。
「あとは貴様の働き次第だ・・・保険は打ってあるが・・・」
びちゃり、びちゃり、と粘着質な水音にも似た、生理的嫌悪感を催す様な音が反響し、嫌でもそれが耳に届く。
「・・・想定外な出来事はあったが・・・上手く挿げ替わればそちらもどうにかなる」
闇に浮かぶ一対の紫の・・・しかし、薄く紅い線を宙に引く瞳。
「・・・まあ、その趣味も程々にして休みたまえ。全ては・・・明日なのだからな」
部屋の奥から漂う、凄まじい血臭と死臭。
それから逃げる様に去ったレグロの背を横目で見送ったレズンは、ぬるりと脂で滑る手で、中身を収めた瓶の蓋を苦労して閉める。
「・・・なんで分からないんだろ・・・これの良さ」
そうしてその視線を、壁に備え付けの棚に移すとそこには・・・。
・・・瓶で小分けされた、人の部品が、所狭しと並べられていたのだった。
一両日は瞬く間に過ぎ・・・というか、ひたすら手袋を縫っていたら一日が終わっていた。物事に夢中になっていると、良くある事だろう。多分。
さてさて、レズンが指定した待ち合わせの日は明日であるが、まさかその備えもせずに一日を無為に過ごす訳にも行くまい。
相手は未知の生命体、吸血鬼である。
一体全体どういう性質の生き物なのか。ぱっとした見た目は人と変わらない様に見えるのだが・・・スィラの様に、見た目と中身のスペックが比例していない事など十二分に考えられる事だ。用心しておいて損は無い筈。
だが・・・吸血鬼の殺し方なんぞ知らない。
聞く限りのスペックも狂っている。
まず前提として、運動能力は平均的に人間を遥かに超える。流石に獣人の大半程では無いが、骨格筋肉も頑丈に出来ている。
体内に魔力を巡らせる事に長けており、魔術発動速度は、妖精族よりは劣るものの、その実息をする様に魔術を行使出来るという。
その魔力量に関しても、人間の平均を遥かに超える。
そして・・・最も厄介な性質、途轍もない生命力である。
「・・・傷付けても一瞬で治されては殺しようが無い・・・前回は急所に当てることは叶わなかったが、もし相手のあのメカニズムが治癒魔術に由来する物だとすると、心臓を貫いても難しいかも知れない」
スパァン、と服の袖が鳴ると同時に突き込んで来たスィラの拳を、体を捌いて斜め前方に躱し、彼女の身体の裏に回る。
「・・・魔術戦にも強いなら、余程大威力な魔術じゃないとダメージは通らないよ。でも・・・そうなると流れ弾で街が壊れちゃうよね」
突き込んだ前体重のまま、今度は裏に回った俺に対してほぼ瞬時の逆回し蹴りが飛んでくる。何故こうも背骨が反った状態で力が入るのか・・・。
「相手は身体能力に長けている上、治癒能力に頼っての捨て身の攻撃も手札に持っている。ならば・・・もう少し主には身体の使い方を学んで貰わねばな」
そう、端的に言えば現在俺は鍛錬をしている。
相手は今日休みを貰ったスィラ、アドバイザーにニーレイが傍らに待機する。
「・・・突く時は打ち抜くのも良いが、すぐに引け。腕を残すのは、次の攻撃に対処するのにも、連攻にもワンテンポ遅れる上、もし掴まれて投げられたら目も当てられんぞ」
スィラの言う「投げ」はどちらかと言うと、柔道の様な投げでは無く、関節などの急所を極め、弾みと相手の力で体勢を崩し、投げられたかも分からない様な綺麗な・・・無茶苦茶痛いヤツだ。
油断して、だらーん、としていたら一瞬で掛けられてぶっ飛ばされてしまった・・・多分、この身体の頑丈さが無かったら、手首か肘がポッキリ逝っていたと思う。
「蹴りもな、差し替えからの蹴りは隙が大きいし、分かりやすい。やるなら上半身は動かすな、差し込みは最初、脚だけだ」
弾みによる崩しは、こっちがいくら腕力に優れていようと、むしろ俺が力を入れれば入れるだけ、簡単に吹っ飛んでしまう。
「払う時は手を身体から離すな。人は自分の中心に近い方が力が出る様に出来ているのだからな」
何だかんだ、武道は学生の時から嗜んでいたつもりだったのだが・・・どうやら、かなり粗がある様だ・・・理屈上、正しいのは分かる。力学上、人間工学上。
だが、理屈で分かっていても、実際に身体を動かして出来るかどうかは別なのであって・・・。
「・・・膝が相手の方を向いていないから、力が逃げるのだ。大きな物を押す時と同じく、腕を使う時こそ、下半身に意識を向けろ・・・」
と、まあ、こうして実戦形式の徒手組手をこなしながら、彼女の講義を聞いている訳だ。
以外でも無いが、スィラは素手での戦闘にも強かった。
案外彼女は理論派で、感覚では無く、頭の中で考えて動いている質の様だ。相手が力を発揮出来ない身体の方向、相手の力を用いた体勢の崩し方、それに応じた当身の入れ方に、如何に自分は身体の均衡を保つか・・・などなど。
そこまでごちゃごちゃと考えていると同時に相手の動きに対して、自らの身体を動かさなければならないのだから、スィラは実は無茶苦茶頭の回転が早いのではないだろうか。計算をさせたならば、恐らく常識外に暗算が早いタイプの脳を持っているのかも知れない。
「・・・一先ずはこの辺にしておくか。いきなり沢山指摘されても、整理しなければ頭には入らんだろうからな」
慣れない、というより、意識して意識して無理に動いた結果、汗でシャツがぴたりと身体にへばり付いてしまった俺を見て、彼女はふっと肩から力を抜いた。
良く見ると、スィラとて少し汗ばんでいる様子。
「・・・主の攻撃はな、あんな適当に振り回した腕に真面に当たるだけで手足がもげかねないんだ・・・」
「つまりは冷や汗だね」
・・・なるほどな?
全て受け流されて、一発も真面に入らなかったのだが。
「・・・入れるなよ?せめて当て止めしてくれよ?」
分かってる分かってる。流石にそれは・・・偶に振り切ってしまうかも知れないが。
「その時は全力で『シーキュア』かけてやる・・・そこからもう一本腕が生えるくらいに」
「要らんわ!!せめて取れたのをくっ付けろ!!」
「・・・いや、取れたのは後で食べるんじゃない?エリアスだし」
いや、流石にそこまでは食い意地は張ってないつもりなのだが・・・それに・・・ヒト科は雑食だからな、例え食ったとしても、臭くてあまり美味しくは無いと思うぞ、俺は。
・・・相手がベジタリアンなら、また別かも知れないというのはある。
「主はもう少し身体全体を使うべきだ。突く時こそ脚で突き、蹴る時こそ腰と肩で蹴る・・・というかなんと言うか・・・兎に角、腕だけ、脚だけでなく、足腰を有効に使うことで、更に速く、強い攻撃を繰り出すことが出来る、という事だ」
例えば突き、つまりはパンチだが、アレは究極的に突き詰めると、「押す」行為である。
自身の前方に対して、腕を押し出し、相手にその方向に対しての力を伝える運動だ。
壁に手を突いて、向こうに押し込む時の脚の形を見て見ると、その理想形が分かる。大抵の場合、膝が全て押す方向に向いている筈である。
何故ならば、それが人間が、人が最もその方向に力を出せる形だからだ。
それを速く、腰の回転も使い、後脚で蹴り出す様に打つのが理想。
その際に重要なのは、決して上体を崩さない、つまりは過度に前屈みになったり、無駄に攻撃線から大きく逃れようとして左右に振ったりするのは危険だ。相手の攻撃を見極め辛くなるし、何より動き辛い。
如何に体勢を崩さず、効果的に攻撃を放てるか、というところが、素人玄人の差になるのだろう。
「・・・難しい」
一人で少し動いてみる・・・が、これを習熟させるには時間が必要だろうと瞬時に理解する程度には、その動きはぎこちない。
「自分の想像通りに身体を動かせるならば、もうそれは本物の達人だろう。私も・・・よく頭に身体が追い付いて来ない事があるからな」
だから、と。
「・・・感覚的な物言いをするのはあまり好きでは無いがな、慣れというのはやはり大事だと思う。ならばこそ、回数をこなすというのは重要な事だ・・・意識して、日常的に訓練すれば、自ずと身に付くだろうさ」
そういえば、この世界に生まれてこの方筋肉痛に悩んだことは無い。それはまあ、元から筋肉なのか何なのか不明な物から出る出力が尋常ではなく、力む程力を長く、酷使する程に行使したことがあまり無いからだ。
いつしかARコンテナを力でこじ開けた時も、確かに力は使ったが、一瞬だけの事だった。つまりは、あまり負荷は掛かっていなかったという事。
だが・・・この無駄に、普段使わない筋肉が張っているというか、力が入っている感触を感じると、明日は筋肉痛でのたうち回る事になるのでは?と心配になる。
「主のそれはそんな柔な身体ではあるまい・・・まあ、関節は良く解しておけ、とは言っておこう」
いくら堅くとも、関節は効く様だからな、と。確かに。
関節技に対する対策は必須だな。
「あと私からも一言・・・エリアスは基本魔力障壁を全身に薄く纏って、相手の攻撃が飛んで来た部位に魔力を再充填して強度を増す・・・っていう発想は良いんだけど・・・全体に展開し続けるなんて、無駄が過ぎると思うし・・・まあ、元々の量が常識外だから言っても仕方ないのかも知れないけど、もっと魔力を絞ってもいいと思うよ。これは節約って意味じゃ無くて、魔力のコントロールの修行って意味でね。勿論、非常時には命あっての事だから、ガンガン魔力焚いてもいいと思うけど、こういう時は、ね?」
修行の為の、か。なるほど。確かに普段から修練を絶やしてはなるまい。努力しよう。
魔力のコントロールの修練。最近出来る様になったのは、魔力の段階から形状を整え、その形に炎や氷に変換するという技術が板に付いで来た事だろうか。木彫り改め、氷彫りの馬の模型くらいなら、物を見ながら整形することくらいなら出来る。
例えば・・・。
「・・・いやなんで私の像を作るの!?確かに結構よく出来て・・・って、私のおしりはこんな薄っぺらじゃないからね!!!!!」
「・・・むう、私はこんなに華奢では・・・」
スィラ、お前はマッチョ願望でもあるのか。
それからニーレイ、これは現実に忠実に即した作品だ。言い掛かりはやめたまえ。
生成したのは、二人の姿を模した氷像・・・透明感のある、内に酸素一つ含まぬそれは、自分で作ったという事を考慮しても綺麗だった。
「・・・氷というのが、儚い所だがな」
その滑らかな表面を撫でれば、それはすぐに解け、己の指先を水滴で濡らす。
「形を保てるのは一時のみ・・・諸行無常とは何とも深い言葉だと思う」
漢字で構成された熟語に含まれる意味はとても深い。
何故ならそれは、一つ一つの文字にすら多大な意味が含まれた、世界的、歴史的に見ても極めて重たい文字を、さらに組み合わせて作られた言葉だからだ。
「ショギョームジョー・・・古代の言葉・・・前、ユキさんに話した言葉だよね?」
日本語、決して世界的な言語では無かったが、かと言って廃れる事も無く、強い言語の一つだった。
「私の最初の生で、最初に習った母語だ。少し難しくて曖昧な言語だが、言いたいことを伝えるには極めて便利な言葉だった」
日本語の音というのは、結構不思議な物だ。他の言語・・・音が単純なロシア語が分かり易いか・・・を勉強してみると、その異様さが良く分かる。
例えば、ハ行、バ行、パ行の言葉。
試しに、は、ば、ぱ、と発音してみると良い。特に、口の動きに着目しながら。
全て、「は」という文字に濁音半濁音がついただけなのに、「は」だけは口の動きが違うことに気付く筈だ。
「ば」と「ぱ」に関しては最初は口を閉じて発音するのに対し、「は」だけは口を開いた状態から発音する・・・文字がほぼ同じにも関わらず、発音の仕方が全く違うのだ。日本語を学ぶ外国人の大半が、学び始めの発音が舌足らずになる理由の一つである。
他のハ行の言葉や、その他、色々と探してみると面白いかも知れない。
まあ、そんな変わった言語なのだが、その一方、情緒の表現はとんでもなく豊富なのが日本語だ。
音も多い。基本となる音だけで良く知られている通り50音、濁音半濁音、小文字を含んだ音も含めると、その数は倍以上になる。救いは母音が五つしか無い事だろう。
・・・話が逸れた。
「もう昼だな・・・少し出るか・・・スィラ、偶には付き合え」
陽の位置を確認し、多分昼過ぎか丁度くらいだろう、と当たりをつけ、街にでて昼食を採る事を提案・・・はあっさり受け入れられた。
水場で鍛錬の汗を落とし、湿った下着を変え、出掛けるに耐える格好を整える。
皺一つ無い純白の長袖ブラウスを羽織り、現在の魔道具によって変化させられた濃紺の髪と同じ色のフレアスカートを履き、黒い愛用のストッキングを・・・と、手を止めた。
運動の影響か、未だ身体は火照っている。
夏は終わりつつあるとはいえ、まだ陽は強いこの頃だ・・・きっとコレを履いてはまた汗をかいてしまう。
しかし・・・スカートを履く時は今まで必ずと言っていい程にお世話になってきたストッキングだ。これが無くては、股の風通しが良すぎて落ち着かない。事実、現在、とても心細い。
スカートは履き慣れたが、いくらなんでもその下がショーツ一丁というのは心細過ぎるのだ。今更ながら、だが。
それもあって、夏場だろうが何だろうがあの中身が見えにくく、風を通しにくい厚手のストッキングを履いていたのである。いくら暑くとも、こっそり手の中に氷を出して冷やしたり、こっそりガリガリ齧って凌いでいたくらいには努力して来た。
が・・・今は兎に角、脚が再びかいた汗でベタベタになるのが嫌だった。
「・・・偶には良いか・・・」
少しスカートを下げて丈を水増しし・・・そのまま出掛ける事にした。
主に脹脛から太腿に奔る違和感は黙殺して。
さて、主と街に食事をする為に来た。それは良いのだ、寧ろ喜ばしい事だ。
鬱とおしいニーレイがぺちゃくちゃと駄弁を垂れ流しているのも、仕方ないと割り切れば気にならない。
だが・・・問題は肝心の主であった。
「・・・くそぅ、想像以上に落ち着かない・・・」
珍しくストッキングを履かず、生足のまま出てきた我が主は・・・何がそんなに気になるのか、出てきてこの方内股で・・・頬を真っ赤に染めて歩いていた。
「・・・下着でも履き忘れたの?」
心底不思議そうに、普段からスカートというか、一張羅のワンピースを着こなしているニーレイが問う。
「し、ショーツは履いている!だが・・・外で、素足が、内太腿が擦れる感触がっ・・・その・・・気になるというか・・・」
・・・見ているこっちが鼻血を吹きそうなくらいに、もじもじと自信なさげに縮こまる主は愛らしかった。
「もー!エリアス可愛いなぁ!でもね、道ゆく男相手に、ぴらっ、とやるくらい余裕を持たないとぉぅうぐぇっ!?」
ミシ、という音が主の上着の下から響く・・・服越しに何かを握り締める動作と共に。
「・・・」
「・・・いや!?死ぬからね!?それ以上締めたら中身全部飛び出して死ぬからね!?」
漸く解放されたニーレイが、ぜぇはぁぉぇぇ・・・、と呻いている間に、単純に質問をしてみる。
「・・・ズボンを履いて来れば良かったのでは?」
「・・・それに関しては現在、痛切に後悔している」
あんな膝丈までスカートを下ろしておいては流石に見える筈も無いのに、その端を手で抑えるというのは、何とも小心というか、何というか・・・。
「・・・兎に角、適当な店に入ろうか。座った方が楽だろう」
用事をさっさと済ませるという意味でも、早めに食事を済ませた方が主的にも楽だろうと思い・・・以前であれば決して近付けなかった様な、比較的上流階級の者が通う洒落たレストランの戸を開けた。
主は奴隷である自分に給金を寄越す。月に銀貨三枚・・・結構な、最低限の衣食住とは別の自由に使える金としては破格どころでは無い。
名目上は活動資金、つまりはみすぼらしく無い服装や戦う為の武器などのメンテナンス費だが、そんないつもいつも戦っている訳でも無いし、元から武器は比較的良いのを使っているからして、そんな消耗する様な事も無い。
さて、余りに余った銀貨、現在八枚、八万オルド程ある。結構無駄遣いしている自覚はあるのだが、如何せん元々放浪者であり、その日暮らし状態であった私としては、お金をどう使って良いのか、良く分からないのだ。
男なら迷わずそこそこ高級な娼婦でも買って、適当に浪費出来るのだろうが、女である私はそうもいかない。男娼?斬り落としてやろうか。
新しい武器を買うにも・・・そうそう良質な武器には巡り会えないし、この間主から下賜された手動連発銃が便利過ぎて、それまでポンポン消耗していたスローイング・ナイフの消費量が激減した・・・弾と火薬は無限では、というか補充が難しい物であるからして、節約しなければならないのだが。
好きなだけ酒を飲もうにも・・・立場的に、まさかぶっ倒れるまで飲むわけにもいかない。あくまで酒は飲む物であって、呑まれる物では無いのだ。
「・・・少し高くない?ここ・・・」
最近節約趣向になりつつ主に気を遣ってかニーレイが・・・まあ、一食千オルドを超える様な食事場だ、気持ちは分かる。
「金は使ってこそ意味を成すからな」
主はそういうスタンスの人間である。あまり無駄遣いはしないが、基本的に物を買う時に妥協しない、ケチらない。
曰く、「下手な妥協はいかん、端金をケチって損するのは馬鹿のすることだ」と。
確かに、それを武器に置き換えてみれば理解出来る。高々銀貨一枚分ケチって剣を買ったばかりに、肝心な所で折れるだとか、はたまたは劣化が早くてすぐに使えなくなるだとか、曲がるだとか・・・。
「ふぅ・・・無駄に疲れた」
恐らくはそれは身体的な物では無く、精神的な物である。
はぁ、と溜息を吐きつつ、私の脚に視線を向けて来た。
「・・・脚が長いと、似合うよな」
今日、というか、最近マイブームというか、金に余裕が出来たからこそ買える様になった服・・・レギンスというらしい・・・を指して言った事だろうか。
伸縮性のある、そして何より頑丈なさる魔物の革を用いて作られたそれは、今や私の標準着だ。
このパンツ、自分で言うのもなんだが、相当スタイルに恵まれていなければ似合わないと思う。
ぴったりと身体に張り付くその素材は、脚腰の線が完全に出る。革で出来ている関係で光沢もあるとなれば尚更である。
一方、引っ掛かりは全く無いので動きやすく、個人的には一切着用のストレスが無いので気に入っている。決して安い物では無いが。
「・・・成長後のお楽しみには取っておこう」
ふん、と拗ねた様に・・・そう、まだ主は子供だ。
身長は私の肩よりも低い。身体に対しての、スカートから覗く脚の長さはかなりの物があり、将来有望そうな雰囲気を持っているが・・・まだ年齢はもうすぐ九つを数える程なのだ。
「良いでは無いか。今の主は十二分に可愛らしい・・・寧ろ、格好は少々地味過ぎるきらいがあると思うくらいだ」
運ばれて来た・・・コース料理なので一品ずつ出される・・・に、主が目を落とし、ごくりと生唾を飲む。
「・・・別に、そんな物を追求している訳では無い」
気も早くナイフとフォークを手に取り、ちくちくと魚のムニエルを突っつき始めた主は、あまり服装やら何やらには頓着しない様だ。
「女磨きなど、そんな生理も来ていない、まだ尻も青い餓鬼が気にする事でもあるまい」
・・・主の実年齢は、本当に幾つなのだろうか。
前世の記憶がある、という時折、矢鱈と廃れた口をきく彼女だが・・・前はどれくらい生きたのだろうか。
喋り方は・・・語尾の音の上げ方が少し男っぽいが、別にそんなにおかしい事は無い。きちんと女性名詞、動詞、形容詞は使いこなしているし、声は銀鈴の様に愛らしい。
生前の言語と、この世界、つまりは現在の主が話している言語は違うという・・・よって、性別は分からない。
話していない時に無表情になるのは・・・恐らくは癖なのだろう、思考に没頭しているというか・・・だが、こんな時こそ、少しマズイ事態が起きる。
「・・・主」
咳払いと共に一言。
最近、主は思考に没頭すると、魔力の制御が甘くなるのか、微力・・・いや、かなりの量の魔力が溢れ出して来るのだ。
その魔力が・・・色々と悪さをする。
まず、テーブルの中心に置かれた、まだ使われぬスプーンが・・・一人でに浮遊し出す。
テーブルクロスの端に霜が付き・・・山状に畳み置かれたナプキンの頂が、薄っすらと焦げ付き・・・足元で黒い、得体の知れない瘴気が蠢き・・・。
「ッ!ああ・・・すまんな」
我に返った主が、漂い出していた魔力を瞬時に霧散させる。
寝ている時は何も起こらないのだが、彼女が何故か何事かを考えている時だけ・・・溢れ出して来るのだった。此方からすれば恐ろしい事この上無い。
勝手に発動する魔術、この所為で最近はニーレイも主から目が離せないという。
だか・・・ニーレイによれば、この現象はおかしいという。
「・・・魔術ってさ、発動させなきゃ発動しないんだよ。勝手に発動するなんて、あり得ないの・・・なら、何か、魔術を発動させてる意思が存在する筈なんだよ」
何処かにね、と、主の全身をじろじろと睨む。
「・・・そうなのか?だとすれば・・・」
どうやら、主には少し心当たりがある様だ。
「・・・体内、いえ、表皮の魔力にも干渉して来てるの?それ・・・いい加減に何か対策しないと、本当に大変な事になるよ?」
「・・・だが・・・どうすれば良い?まず正体からから掴まんと・・・これが、一体どういう物なのか調べん事には対策も練れんだろう?」
恐らく話の種は、主が常に腰に差している短剣の事だろう。
名をカルマ、得体の知れない魔剣で・・・初めて見た時も危険な雰囲気を纏ってはいたが、今は・・・見ただけで背筋が凍り付く様な、生気を吸い取られる様な威圧感を放つ、正真正銘の魔剣となりつつある。
不思議なのは、日に日にその圧力が増している事。
ニーレイが言うには、主の魔力を吸い、日々成長しているというのだ・・・。
「・・・そうだね、一回徹底的に調べた方がいいかも・・・魔道具専門の研究をしてる人に持ってくといいかも・・・メアリーもそっちは専門外の筈だし・・・」
「・・・それなら、一人心当たりがある。それで手に余る様なら・・・その時は誰かいい奴を紹介してくれると助かる」
帰ったらな、と主は既に三皿目・・・まだ黙って食っていた私が一皿目を漸く平らげた所なのに・・・を平らげ、既に六個目のパンにかぶり付いた。
「一人ヤールーンに知り合いが居るよ。頭おかしいけど、腕と知識は確かな奴」
・・・魔道具の専門家で、ヤールーンに住んでいて、頭がおかしくて腕と知識は確かな奴・・・アレだろうか。一人知っている気がする。
「・・・ミランドラの娘か」
レイヴィ・ミランドラ・・・ヤールーンではかなり有名な小人族の女である。
「・・・そっか、有名人だもんね・・・そりゃ知ってるよね」
一人、頭上にクエスチョン・マークを浮かべた主に微笑みかけつつ、いや、と話を逸らす。
「それで、明日の事だが・・・万が一の戦闘時、レズンを殺る手立ては浮かんだのか?」
二枚目の皿の料理・・・茄子のクリームソース・・・だと思う・・・掛けにフォークを刺し入れる。
「いくら吸血鬼だろうが何だろうが、思考する脳味噌と脳幹、脊髄を破壊されては何も出来まい。後は・・・全身、肉ジュースにしてやるか・・・その位だろうな」
五枚目の皿・・・トマトのチーズ焼きを突っつきながらそんな事を言うものだから・・・少しその情景を想像してしまい、食欲が後退した。
「まあ・・・なんとかするさ。色々と試してみるよ・・・それから、スィラ」
乾いても湿ってもいない、床板と靴底がぶつかる音が、ゆっくりとした歩みでこちらに向かって来る・・・音の大きさ的に、女だろうか。
「・・・ああ・・・分かって居る」
すぅっ、と息を吐くと同時に、座りながら丹田に重心を落とすと・・・己の頭脳に血が回って瞬く間に活性化し、視界がクリアになるのを感じる。
一足一手の間合い・・・足を入れて手を伸ばせば届く距離の事だ・・・に標的が脚を踏み入れた瞬間・・・身体中の筋肉が、己の命じた通りに、爆発的な運動エネルギーを叩き出す。
左脚が床を蹴りつけ椅子を後ろに飛ばし、右手が腰から得物の把柄を引っ掴むと同時に、腰が回転・・・標的の顎、その下に銃口を捩じ付けた。
が・・・その時には既に、己の額の前にも黒い、ぽっかりとした穴が押し付けられていることに気付く。
「・・・こんな所で、そんな大きな音が出る武器を抜くとは関心しないな。一月ぶりか?・・・枢機卿殿」
「貴女の召使いも抜いてるじゃない・・・それに、まだそんなくだらない安物で正体を隠しているの?悪魔のくせに貧乏性なのね、エリアス・スチャルトナ」
豊かな緑髪をたなびかせ、声色は冷たく、瞳は熱を持ち潤み・・・手には、こちらの物よりも遥かに先鋭的かつ小型だが・・・間違い無く拳銃が握られていた。
「他人様からのプレゼントは大切にするべきだ。少なくとも、その相手を好意的に思っているならば尚更、な」
・・・この後に及んでも食事を続ける主を褒めるべきか貶すべきか・・・無神経過ぎるのでは無いだろうか。
「それで?何の用があってここに?私達も暇では無いのだがな・・・まさか茶を飲みに来たわけでも無かろう?」
漂う剣呑な気配に、店の中は慎と静まり・・・幸い他の客は居なかったが、店員は皆裏方に引っ込んでしまった様だった。
「端的に言うとね、この腕の借りを返してあげたいな、って思ったの・・・お礼はしっかりすべきでしょう?人様にしてもらったのだから・・・」
そうこう会話をしている内に、主は食事を終えた様だ・・・こちらとら、まだ食事の途中にこんな事をしているというのに・・・と、まだ料理の残る皿をちらりと盗み見ると・・・酷薄に表情筋を歪めた主が、卓に肘を突く所だった。
「まあ、何にせよ・・・狼藉は良くないな?」
直後、辺り一帯に迸る魔力の奔流。
それを感じ取ったらしい、目の前の女・・・フェリア・コンクルスは瞬時に引き金を引き込み、手にした銃の機能を叩き起こす。
同時にこちらも引く・・・ハンマーが弾薬に挿し込まれた雷管に火を入れ、腕ごと後ろに持って行かれそうな衝撃が、右腕に伝わって来た。
向こうの銃も目の前で火を噴き・・・殺意の塊たる弾頭が、その炎を割って突き進む。
間違い無く躱せない。見えてはいるが、それが到達するよりも早く首を傾けるのは不可能だった。
前に矢が刺さった事がある。射手を見落とし、刺さる寸前まで見落としてしまった時の事だ。
あの時もそうだった。
心臓が破裂するのでは無いかという程に早鐘を打ち、ぶわっ、と全身に脂汗が噴き出る。
思考に身体が追い付いて来ない事の、何と苛立たしい事か、と、その時初めて、己の身体の限界を知った。
そう、今回も躱せない。しかも・・・今回は矢では無く銃弾で、距離は拳一つ分、命中箇所は腕では無く、額である。
生を諦めるには十分な状況だろう・・・以前ならば。
突如、視界を塞ぐ様に現れた黒い膜が、硬質な音と共に弾丸を弾き返し、また瞬時に消える・・・主の物理障壁だ。
危なくなれば助けてくれる・・・という思考は限りなく危険な物だが、こうして護られているというのは・・・非常に心強い。
敵の弾は無力化した・・・ではこちらが放った弾は・・・。
無理矢理、本当に無理矢理身体を捻り、射線をずらしたフェリアは、弾丸に首の左側面を削り取られながらも・・・躱し切った。
想像を遥かに超える反応、いや、既に引き金を引く前、自分のやることが決まった瞬間から動き始めていたのだろう。
「このッ・・・!!」
崩れた体勢を取り戻し、再度銃を構えようとする・・・が、私の方が早い。
「遅い」
跳ね上がった右足が、彼女の手から銃を弾き飛ばし、引き戻しながら返す脚でそのまま胴に蹴り込む・・・段蹴りだ。
「なんのッ!!」
が、予想外に彼女はそれに対応して来る。蹴りの勢いを活かして後退、風属性中級中距離攻撃魔術『スライサー』を立て続けに連射して来る。
接近出来ない事に舌打ち、右手の拳銃の弾倉、残りの4発を一息に発射、回避の為、後退を余儀無くされたが・・・お互いに一度脚が止まった。
いつしか、主に瞬殺されて逃げ出した相手だが・・・改めて相対すると、中々に手応えのある相手の様だ、と自分の中の評価を改める。
「随分と、良く動くな・・・もう腕が片方なのにも慣れたのか?身体が左右にぶれて大変だろうに」
思えば、主は最初から何もしていない。てっきりさっさと片付ける為に横合いから撃ち込んで来るかも知れない、と思ったのだが・・・私が残した料理を摘まんで居るのを見てしまった。
「・・・すまんスィラ、食うのに忙しかったのだ」
抗議する視線で彼女を射抜くと、今更の様に肩を竦めて気まずそうな顔をする・・・が、しっかりと、私が後で食べる予定だった料理を平らげると、私の隣に立ち、参戦する意向を示した。
「・・・ふ、ふふ・・・ここで一人くらい持って行こうと思ったのだけれども・・・仕方が無いわね・・・」
圧倒的優位な状況、しかし・・・フェリアの持つ、異様な余裕が不気味であった。
して、彼女が取り出したのは・・・一本の短剣。
「・・・レンジャーか」
神器の一つである、短剣レンジャー。風属性魔術との親和性が極めて高い代物・・・のレプリカだろう・・・だが・・・。
「(・・・ただのレンジャー・レプリカじゃないね・・・放出魔力の質がかなり高いよ)」
ニーレイの警告。それには同意せざるを得ない・・・その威圧感からして。
「ふふ・・・ちょっとだけ、私の魔力で弄ってあるの・・・四年掛けたから、本来の機能もある程度持つくらいにはなって・・・」
銀色に閃く刃の腹を、彼女の赤い舌が濡らす。
「・・・こういう事も出来る様になった」
次の瞬間、何を考えたのか・・・その刃先を・・・己の首筋に突き立てたのだ。
ニタリ、と吊り上げられた口の端から、濁った血液が溢れ出す。
「・・・『イビルデ・ゲイル』・・・!!」
見えたのは吹き上がる卓や椅子と・・・荒れ狂う赤黒い光の筋、突如として目の前に割り込んだ主の頭。
膨れ上がった暗赤色の光が辺りを呑み込み・・・私の意識はそこで途絶えた。
何かご意見などがごさいましたらよろしくお願いします。




